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枷 05


 付近に在った岩場の横で、火を熾し暖を取る。

 岩の他には周囲を遮るものはなく、雪山の冷たい風が時折焚火の炎を強く揺らした。

 ただ大岩は覆いかぶさるような大きさであるため、屋根とまではいかないものの、雪が降っても多少なりと防いでくれるだろう。


 薄い森に分け入り薪を拾ってきたのだが、当然のことながら倒木などは雪によって濡れていたため、火を熾すのは少々苦労した。

 幾度となく火打ち石を鳴らし、辛うじて乾いていた落ち葉を火種とする。

 結局暖まれる強さの火を作るのに、三〇分程度は要しただろうか。



 その苦労して熾した焚火の側に置いた小さな鍋を引き寄せ、沸いた湯をカップに移す。

 背嚢に収めていた小袋から固形の砂糖を一つだけ取り出し、カップに落として娘に手渡す。

 本当ならば茶葉でもあればいいのだけれど、残念ながらそういった物を僕は持ち合わせていなかった。

 背嚢に入る荷物の量は、どうしても限られる。



「あ……、ありがとうございます」


「熱いので、気を付けて飲んでくださいね。それと喉が渇いてなくても、出来るだけ飲んでおくように」



 カップを受け取った彼女は、熱い砂糖水とも言えるそれへと息吹き口をつける。

 毛布に包まっていたとはいえ、あまり身体も動かさずにいたのだ。それなりに身体が冷えているというのは想像に難くない。

 湯の熱さが身体に心地よいようで、カップを両手で包み、ようやくホッとした様子で瞼を落とす。


 暑い時分とは別の理由で、身体からは水分が失われているはず。なので水分の摂取は必要だ。

 周囲には雪が大量にあるため、そういった面では事欠かない。

 ただ流石に身重の女性に雪をそのまま飲ませる訳にはいくまいし、何よりも身体を暖めてやる必要はあった。


 そうだ、身重といえばこれをしておかねばならないだろう。



『エイダ、念の為に彼女の健康状態をチェックしておいてくれないか』


<了解です、しばしお待ちを>



 湯を口に含みながら火にあたる彼女の体調を確認するため、エイダに健康状態の走査を指示する。

 首に下がるペンダントからは、センサーが駆動したと思われる小さな光が零れた。


 目的地となる街までは、まだここからしばらく移動する必要がある。

 少しの異常があるだけでも、大事に至りかねない。

 事前に体調の変化を知っていれば、多少なりと対処のしようも有るというものだ。



<終了。多少栄養状態の悪化や疲労はありますが、これといって異常は検知されませんでした。現在妊娠六か月といったところですね>


『いや、別にそこまでは聞いてないんだが……』



 頼んではいないのだが、エイダはちゃっかりと彼女の妊娠時期までも調べてくれたようだった。

 いったいどこでそんな判断を下せるデータを収集したのやら。


 だがこれで、一つだけはっきりとしてしまったモノがある。

 盗賊連中が行動を始めてから半年以上が経過しており、彼女が攫われたのはその最初の頃だ。

 そして六か月であるというのは、つまりそういうことなのだろう。

 街で無事を祈り待ち続けているであろう、彼女の婚約者には受け入れがたい話だろうが。



 そんなことを考えながら、背を丸め焚火を前にして瞼を閉じる娘を見やる。

 僕が訓練キャンプを出て、傭兵となった同時期から彼女はこんな目に遭い続けていたのだ。

 おそらく彼女が攫われたのも、そういった目的があったに違いない。


 僕は背嚢を漁り、隅の方に入れていた包みを取り出した。

 その中から一つの固形物を手に取り、彼女へと渡す。



「お世辞にも美味しいとは言えませんが、これも一応食べておいてください」



 そう言って彼女に渡したのは、長距離を移動する時などに持ち歩く、ビスケットのような保存食だ。

 保存性を何よりも優先した、正直かなりマズイ代物ではあるのだが、カロリーだけはちゃんと摂れる。

 こんな物でも食べてもらわねば。


 彼女は瞼を上げると、おずおずと見た事もないであろうそれを受け取り、小さく齧りつく。

 しばし咀嚼し、間を置いて歪む表情。

 案の情ではあるが、かなり酷い味であると感じたようだ。


 小さく笑み、彼女に対しそれについて話を振る。



「美味しくないでしょう、それ」


「……はい」


「僕もこればかりはいつまで経っても慣れません。かといってなかなか生野菜も持ち歩けませんしね」



 僕もまた一つそれを取り出し、彼女の前で齧ってみせる。

 塩辛いのか甘いのかよくわからない味付けに、異様に固い上にボソボソとしており、噛んでいくにつれどんどん口の水分を奪っていく。

 疲れた時にこんな酷い食事を出されれば、神経がささくれ立ってしまいそうになる。

 鳥車でもあれば多少なりと食糧を乗せられるのだが、背嚢一つで移動する時などはこんなものだ。

 申し訳ないが、彼女には今のところこれで我慢してもらいたい。


 僕もまたその酷い食事に辟易しながらも食べ進めていると、不意に彼女は口を開く。



「すみません、貴重な食糧をわけていただいて」



 ようやく娘が会話らしい言葉を発した。

 その内容は謝罪であったが、多少なりとコミュニケーションを取るだけの余裕は生まれ始めたと喜ぶべきか。

 身体も暖まり始めたことによって、ようやく口を開くだけの心境になれたようだ。



「気にしないでいいんですよ。そもそも僕は貴女を助けるために来てるんですから」



 彼女の申し訳なさそうな言葉に対し、僕は謝罪など無用である旨を伝える。

 とは言うものの、本当のところは盗賊連中を捕縛するというのが最大の目的で、彼女を助けるというのは後から発生したものに過ぎない。

 ただ途中で捕まっている人がいるという話を耳にした以上は放っても置けず、団長からの指示もあり僕が向かったのだ。

 決して嘘を言っている訳ではないが。



「そういえば名前を聞いていませんでしたね。僕はアルフレートです、気軽にアルとだけ呼んで構いませんよ」



 精一杯の笑みを浮かべ名乗る。

 すると彼女はそれに気を許したのかどうかは知らないが、僅かに穏やかな声で自身を"ジェナ"と名乗った。


 まあ実際名前に関しては、情報を売ってくれた娼婦から聞き知ってはいた。

 ただ名乗ってすらいない相手から、急に名前を呼ばれるというのも気持ちの良いものではないはず。

 なのでこちらは知っているが、一応の自己紹介だけはしておく。



「ところで、これから向かう先なんですが……」



 自己紹介を終えて早々、ジェナに対して相談を持ちかける。

 すると彼女は身体をビクリと震わせ、僅かに視線を泳がせた。


 最初にジェナから問われた時もそうであったが、やはりこのまま故郷の街へと帰るのは不安であるようだ。

 それも当然か。彼女の腹部は身重であると主張するように、大きくなっている。

 街で心配しているであろう婚約者に、その姿を見せたくはないと考えるのも理解はできた。


 しかしだからこそ、彼女には確認しておく必要がある。

 もし他の街に頼れる人でも居るのならば、そちらに預けるのが無難であろうから。



「どこか他の街に、身を寄せられる知り合いなどは……?」



 念の為問うてみるも、ジェナは首を横に振る。

 ただこれには正直あまり期待をしていなかった。

 交通網の発達していないこの惑星においては、多くの親類縁者は一つの地域で完結している。

 他の街に少しでも言葉を交わした知り合いがいるというだけで、一般の人にとっては十分に珍しいことなのだ。



「でしたら心苦しいかもしれませんが、ジェナさんの居た街に僕の所属する傭兵団が駐留しているので、そこで保護してもらいましょう。街の人には見つからないように」


「そう……、ですね。わたしもそれが良いです」



 やはりこのまま家へと帰るというのは難しいようので、傭兵団で保護してもらうという提案をする。

 彼女は不承不承ではあるが、それならばと首を縦に振った。

 街の中には団が拠点を確保しており、そこには後方支援要員が最低でも数人はいる。

 彼らに匿ってもらう方が、きっと彼女自身も楽であるはずだ。



「わかりました。では食べたらそのまま休んでいてください、僕はこのまま見張りをするので」


「ですがアルフレートさん一人にお任せするというのも」


「いいんですよ。ジェナさんを道中安全にエスコートするのも含めて僕の役割ですから。安心して任せてください」



 そう告げ、彼女に毛布を数枚渡し休息するよう促す。

 あまり粘ってもこちらが折れてくれることはないと考えたのだろうか、ジェナは毛布を受け取り、ゆっくりとその上へ横になった。


 こちらとしても大人しく休んでいてくれた方が助かる。

 僕自身の体力は傭兵業で鍛えられてきたため、この程度でどうこうなるようなものではないが、彼女はそうもいくまい。

 明日もまた移動が続くのだ、可能な限り体力を温存しておいてもらわねば、いつ体調が悪化してしまうとも限らないのだから。




『それじゃ警戒は任せたよ。探知半径は八〇〇mくらいで十分か』


<自分で任せるよう言っておきながらこれですか>



 しばらくしてジェナが眠り始めたのを確認するや否や、周辺の警戒はエイダに任せてしまう。

 エイダの言う通り、確かにそう言ったのは僕自身。

 だが実際のところ彼女に任せた方が、確実であるのは確かなのだ。

 勿論僕自身も、サボって眠るつもりなどないのだが。



<仕方ありませんね。……で、どうするつもりなのですか?>


『どう、と言うと?』



 焚火に細い枝を放り込みつつ、気を休める僕に問い掛けるエイダの声。

 その声はどこか不可解というか、微妙にこちらを責めているような感じさえ受ける。



<言うまでもなくジェナ嬢に関してです。このまま傭兵団に連れ帰り、それからどうするのかと>


『それは僕には何とも言えないな。その後に関しては彼女自身が決める事だ』


<推測するに、おそらく家に帰るのは難しいでしょう。略取された時期を考えるに、腹の子が婚約者との間に出来たものとは考えにくいです>



 珍しいものだ。エイダがここまで誰かを気にかけたことなど、あまり記憶にない。

 どこか人間臭いというか、最近になって随分と感情豊かになってきた気がする。



『随分と気に掛けてやるんだな、彼女に情でも沸いたか?』



 普段嫌味を言われている仕返しとばかりに、ニヤリとして問うてみた。


 データを積み重ねたAIに感情が芽生えるなどという、妙な現象が起こりうるというのはどこかで読んだことがある。

 しかしそれは本来、感情に似たものが疑似的に再現されたものにすぎず、人間と同じ質の思考を形成したとは言い難い。

 よもやエイダに感情が生まれるという、有り得ないはずの事態が起こったとは思わない。

 ただ昨今の彼女の発言を聞いていると、本当にそうなっているように思えて仕方がなかった。



<むしろ逆です。割り切って予定通り街で解放すれば、何の支障もなく別の行動へ移行できるのですから。それに自己判断で傭兵団に預けたのであれば、後々彼女のケアを押し付けられる可能性もあります>


『ああ……、そういうことね』



 ジェナに対して心配をしているのかと思えば、どうやらその矛先は僕自身と作戦に対してであったようだ。

 あくまでもエイダは、ジェナを団に連れて行くことにより、行程の遅れが生じてしまうのではないかと懸念しているに過ぎない。

 団で保護してもらうのであれば、やはり相応に説明に時間を取られるのは避けられないのだから。

 そしてその後に関しても、団長からジェナの世話を任される可能性を指摘していたのだ。


 折角面白い事態が起きたかと思ったのに、少々肩すかしではある。



『仕方がないよ、これもイメージアップのためさ。あまり期待はしていないけれど、ジェナさんに親切にして、後々彼女の口から良い印象が語られれば儲けものだ』


<実に打算的で安心しました。女性にはモテそうにありませんが>


『余計なお世話だ』



 軽口を叩くエイダの言葉に、否定の句を次げず苦笑する。

 打算的であるのは否定できず、人が聞けばあまり好感を持たれないであろう発言なのは確かなのだから。


 ただ僕自身、不運にも連れ去られ散々な目に遭ったジェナの力になってやりたい気持ちが、無いわけではない。

 こちらに一切の非はないとはいえ、間接的にではあるが僕の所属する傭兵団が、ジェナを攫った盗賊団を生み出した一因となった訳でもあるし。

 最低限の配慮をしたところで、団長も批難したりはすまい。



 再び勢いを弱め始めた焚火へと木屑を放り込みながら、その向こうで横になるジェナを見やる。

 やはり逃げ出したとはいえ緊張があるのか、ときおりうっすらと瞼を開けて目を覚まし、浅い眠りに落ちるというのを繰り返していた。


 ともすれば半年近くもの間、彼女はこんな眠りを繰り返していたのかもしれない。

 そう考えれば、早く安堵できる場所へと連れて行ってやりたいと思う気持ちに関しては、偽りなどあろうはずもなかった。




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