同胞 01
温かい湯の入ったカップを手に、少しだけ開けた木窓から外を眺める。
外では大勢の人が集まり、隣に建つ隣人たちと口々に何がしかの会話をしていた。
近隣住民である彼らの視線の先には、轟々と空を衝く炎。
言うまでもなく、燃えているのは僕が火を点けた廃教会だ。
専門の人であるかは知らないが、都市には消火を担う人たちも居るようだ。
何人かが木桶を手に井戸を何度となく往復し、教会へと水をかけている。
ただちょっとした小火程度ならばともかく、建物全体に周った火の手にはまさしく焼け石に水。
全てを燃やし尽くすまで止まないであろうことは、素人目にも明らかだった。
それにしても、最近はよくよく火に縁がある気がする。
直近ではデナムでの防衛時、その前は幾度となく遭遇した野盗の死体を燃やしていた。
訓練キャンプを卒業してからまだ半年程度にしか過ぎないというのに、これでは傭兵ではなく葬儀屋にでもなった気分だ。
「でもそういや、人じゃなくて建物に点けたのは初めてだな」
<これでアルフレートも立派な放火魔ですね。案外資質があるかもしれませんよ?>
「冗談じゃない。僕は傭兵なりに真っ当な生き方をすると決めてるんだ」
放火魔の素質などあったところで、嬉しくも何ともない。
当然これはエイダなりの冗談なのであろうが。
やれやれとばかりに外で燃え続ける炎を眺めつつ、冷えた身体を白湯で温めていると、背後からゴソゴソと動く音。
それと同時にどこかボヤけたような声が部屋へと響く。
「誰と話しているのだ……?」
声を発したのは、今の今まで気絶していたヴィオレッタだ。
火事による外の喧騒が理由か、それとも僕のエイダとする会話が原因かは知らないが、ようやく目を覚ましたようだった。
「なんでもないよ。どうだ、どこか痛むところはないか?」
「いや、私は何ともない。ここは監視をしていた部屋か……、どうして私は戻っているのだ?」
「どうしてってそりゃあ……、途中で気絶したからここまで運んできたんだよ」
彼女が目を覚ましたのは、これまで監視に使っていた民家。
火を点けた後、彼女を担いだ僕は人に見られぬうちにこの部屋へと戻っていた。
暴行を受けていた人に関しては、亡くなった人と一緒ではあるが、事前に見かけた診療所の前に荷車ごと置いてきた。
今頃は誰かに発見され、手当てを受けていることだろう。
「そうか……、迷惑を掛けたな。では残りの連中は皆アルフレートが?」
「混乱して同士討ちを始めたのも居たから、そこまで多くを相手してはないけどね。流石にあんな人数一人じゃ無理だって」
流石にヴィオレッタの倒した数人以外、全てを一人で斬ったなどとは言えない。
それに言ったところで、冗談か妄言の類と思われるのがオチだ。
ヴィオレッタは小さく「すまない」とだけ言い、普段は見せぬ弱気な気配を漂わせる。
それが戦闘のさなかに、自身の不覚によって意識を失い、残る全てを僕に押し付ける形となってしまったことによるものだというのは明らかだった。
彼女が意識を失う前、少年に対峙し何を想ったのかは知る由もない。
しかし僕等が成すべき事を伝えた時や、礼拝堂内に踏み込んだ時点ではさして動揺していなかったヴィオレッタにしても、やはり年端もいかぬ少年を相手とするのは大きな衝撃であったようだ。
そう考えれば、傭兵稼業の後ろ暗い部分を見せるという面で、一応の成果を収めたと判断しても良いのだと思う。
それなりに傭兵として経験を積んだとしても、なかなか振られるような任務内容ではないと思うけれども。
「ではやはり、アレは夢だったのか」
「夢……?」
「なに、気にするような内容ではない。アルフレートが妙な輝く短剣で、男たちを何人も切り裂いていくのだ。思い出せば血も出ていなかったように見えたから、荒唐無稽もいいところだな」
ヴィオレッタの苦笑混じりな言葉に心臓が跳ね、背中には冷たい汗が伝う。
今言った言葉は、そのまま僕が行った行為そのもの。
いったいいつの間にとは思うが、彼女は何処かの時点で目を覚まし、僕の戦う光景を目撃していたのだ。
しかし幸運にもと言っていいのか、彼女は自身の見た光景を夢であると思い込んでいるようだった。
立ちあがったヴィオレッタは僕の横へと立つと、木窓の隙間から外を眺める。
当然のことながら、視線の先には炎上を続ける教会。
予想外に然程強い反応を示さぬ彼女は、スッと横目で僕を見やると小さく問う。
「あれもアルフレートがしたのか?」
「最中に燭台が倒れてしまってね。思いのほか火の周りが早かったせいで、消火もままならなかったよ」
僕のついた嘘に大して疑いを抱かぬまま、「そうか」とだけ呟くヴィオレッタ。
やはり火を放って正解だったようだ。
この状況で死体の状態を確認しようものなら、彼女が見たのが夢でなかったのだと証明する結果になってしまう。
「とりあえずここからは撤収だ。おそらくこっちの身元はバレないだろうし、連中も大部分は壊滅させた。だがあまり長居をするのも良くない」
「わかった。北はどうするのだ?」
「このまま合流しよう。向こうがまだ制圧していなければ、そのまま攻撃して直後に都市を離れる」
それだけ告げると、僕は部屋に残った荷物の類を一纏めとする。
ヴィオレッタも置かれていた毛布の類を集めると、括って担ぎ階下へと降りていった。
このラッシュフォートの統治者が依頼人であるため、騎士たちも別に犯人捜しなどを行いはすまい。
しかしあまり人の痕跡を残して、要らぬ腹を探られるのも好ましくない。
何せ僕等がここへと出入りしているのを、近隣の住民が目撃している可能性は否定できないのだから。
回収する荷物を背負った僕は、ここまで監視を続けていた木窓へと視線を移す。
その先で尚もいっそうに燃え盛る教会を一瞥すると、僕はヴィオレッタを追って部屋を出て、扉を静かに閉めた。
▽
深夜。任務を終えラトリッジへと帰り着いた僕は、駄馬の安息小屋で一人頭を抱え、テーブルへと向っていた。
行程の最中に消耗した荷車の部品交換に要した費用。それにラッシュフォートとの往復中に消費した騎乗鳥の餌代。
これらを可能な限り子細に纏め、数枚の羊皮紙に記していく。
今書いているのは、借りた荷車と騎乗鳥を備品係に返す際に必要となる書類なのだが、これがまた面倒臭い。
『車輪が片方割れて交換したんだったな。あとは他に……』
<荷台の板が二枚ほど剥がれました>
費やした費用や交換部品の数など関しては、エイダが記録しているため書き起こすのは容易い。
文字に関しても多少は覚えてきたし、わからない部分はこれもまたエイダが脳内に文字を投影してくれているので、それを写せば事足りる。
ただ手にした羽先を度々インク壷に浸し、書き辛い羊皮紙に少しずつ記していく行為は苦痛でしかない。
それでも明日にはこの書類の提出を求められている。
なので日付も変わったであろう頃にも関わらず、一人こうやって他に客も居ない中、延々とデスクワークに励む破目となっていた。
紙とペンを使えれば、どれだけ楽であろうかと思う。
僕自身の出自による理由や、紙が非常に高価である点もあって経験のない行為ではあるが。
<帰還中に騎乗鳥が体調を崩しましたが、それも記載しておくべきでは>
『そういえばそれもあったか……』
エイダはラッシュフォートから戻ってくる道中、騎乗鳥の一羽が調子を崩していたと告げた。
余計な事を、と思いもする。
だがチームの誰かがつい口を滑らせ、後々になって伝わって面倒な状況になるのも避けたい。
騎乗鳥は団の貴重な財産であるというのもあって、それを世話する係の人たちは非常に神経質なのだ。
「相変わらず律儀な奴だな」
一人テーブルに向かい、羊皮紙を相手に格闘する僕へと声掛けたのは、手に湯気が立つカップを持ったヘイゼルさん。
彼女はそれを僕の前へと置くと、「一息つけ」とだけ呟いた。
一言礼を言い、差し入れであろうそれを掴み口元へ近づけると、温かな香茶の香りに混じって軽い酒精の香り。
外気は随分と寒くなりつつあるだけに、温まれるよう茶の中に少しだけ酒を落としてくれたようだ。
「毎度こうも真面目に書いてるやつなんて、そう多くはないぞ」
「よく問題にならないですね」
「備品担当がいつも嘆いているな、こんな書類じゃ精算できやしないと」
若干呆れ気味なヘイゼルさんのため息。
出先での必要経費などは、帰還後に精算されるようにはなっている。
しかし金を戻してもらうのに必要なものであっても、この面倒な書類仕事ばかりは敬遠されがちであるようだ。
そういえば傭兵たちがこれを書いている光景というのを、あまり見た記憶がない。
「そう言う意味じゃお前らは、備品担当連中からの評判も悪くない。ただ逆に手がかからない分、記憶に残り辛いとも言えるがな」
「それはそれで寂しいものですね」
軽く笑い、ヘイゼルさんの差し入れてくれた酒精入りの香茶を口に含む。
ほのかな酒の香りと共に、熱い茶が胃へと流れ込み身体が熱されるようだ。
美味しいと告げると、彼女は満足気な様子を見せ、手招きしてカウンターへと促す。
ヘイゼルさんの指示する通りに香茶や羊皮紙、筆記具などを抱えて移動し、以前と同じデクスター隊長の席へと腰かけた。
彼はこの席に座ることを責めやしないだろうが、いずれまた会う時があれば、その時は多少なりと謝罪をしておけばいいだろう。
「さて、提出する書類を書きながらで構わんから、耳に入れておいてくれ」
席へと座ると、ヘイゼルさんは楽な調子で前置きして語り始めた。
僕はその彼女の姿に、僅かに身構える。
彼女は普段であれば、何がしかの指示を下す時、真正面に相手を見据えて話すのが常。
逆にこういった普段と異なる様子を見せられれば、何か裏があるようにも思えるものだ。
「北方戦線がそろそろ落ち着き始めているそうだ。冬が近いせいで、北方の部族連合が戦闘どころではなくなってきたせいだな。あっちは土地が痩せているから、戦闘で食糧を無駄にする訳にはいかんのだろう」
ヘイゼルさんは誰に聞かせるというよりも、ただ独り言を言っているかのように話す。
どうにも面倒な気配が込められたそれは、命令や指示といった体で下されているのではないという空気だ。
「本隊の大部分は戦線から引き上げるし、当然その中には団長も含まれる」
「はぁ……、そうでしょうね」
「当然帰って来たならば、愛しの娘と過ごす時間を求めるのは当然だろうな」
「わかります。心情としては」
「だがその娘も今は傭兵として独り立ちした身。何か別の任務に従事しているかもしれぬし、何よりも団長とはいえ個人の我儘を通すのはしのびない」
相槌うちながら頷く。
つまるところヘイゼルさんが言わんとしているのは、団長が自身の娘と触れ合う時間を欲しているという内容だ。
しかしその娘は自らの意志で傭兵の道へと進んでおり、早々会えるものではないと。
そこをどうにかしたいという事なのだろうが、彼女は僕にどうしろと言うのだろうか。
「今は共和国の動向も大人しく、少しの間戦闘らしい戦闘は有りそうもない。傭兵団としては困った事態だが、これを機に団長以下全ての団員たちへ休暇を与える事にした」
「……それはありがたいことです」
「もちろん全員が一度にとはいかん、チームごとに順番でだ。ある程度希望を聞いて時期を調整するのだが、そこでだな……」
ズイっとカウンター越しに前へと乗り出したヘイゼルさん。
現す様子からは、今の今まで独り言のように語っていた素振りなどどこかへいってしまっている。
彼女が何を僕に要求しているのか、もう言うまでもない。
「わかりました。団長の休暇に合わせて、僕等も休みを摂れってことですね」
「別に命令しているのではないぞ?」
「了解です。あくまでも、僕等が偶然同じ時期を希望しただけですから」
「物分かりの良い若人は好ましいな」
別に向こうの都合に合わせて休みを設定するのに、不都合が有る訳ではない。
なのでここは希望に沿って団長と同時期に休暇を取り、心証を良くしておくに越したことはないだろう。
申し訳なさそうな様子を後になって浮かべ始めたヘイゼルさんに、僕は肩を竦めながら軽く笑んで了承した。




