篩い 08
扉に掛けられた錠へと剣を振りおろす。
かなり劣化していたのだろうか、思いのほかアッサリと壊れ、開かれたのは教会裏手の扉。
通用口と思われるそこへと踏み込むと、連中も普段は使用していないようで、床には木材などが散乱し埃が舞う。
戦力的な面で考えれば、圧倒的多数とはいえ相手はただ凶暴なだけのチンピラ。
正面から乗り込んでも殲滅するのは容易いとは思う。
ただ先ほど二人を斬ったとはいえ、未だ命をやり取りする戦闘に慣れているとは言い難いヴィオレッタが居るのだ。
念を入れておくに越したことはない。
「何も見えないではないか」
「じゃあ松明でも焚くか? すぐ埃や木に燃え移って明るくなるぞ」
「面白い冗談だ。……わかった、我慢するよ」
手探り状態で進まねばならぬのに不満なヴィオレッタは、ため息衝いて観念した。
だが彼女の気持ちも幾分かはわかる。
月明かりの照らしていた外とは異なり、この裏口には光源などが一切なく、数歩先を進むことすら危うい。
こんな状態で襲われたらと考えても仕方がないが、相手を見えぬのはまた向こうも同じか。
事前に襲撃を察知して目でも慣らしていたならば別の話だけれど。
そんな暗闇を剣先で探りながら進んでいくと、一枚の扉の前へと辿り着いた。
どうして扉とわかるかと言えば、その隙間から僅かな光が漏れているためだ。
扉の向こうには複数の人間がたむろしているのか、下卑た笑い声と何かを踏み鳴らす音。
そして男とも女とも知れぬ悲鳴に、強い酒精の臭い。
それらが入り混じった、何とも猥雑な空気が扉越しに伝わって来ていた。
「この空気……、私は嫌いだ」
「奇遇だな、僕もだよ。この感じが好きな人はなかなか居ないだろうけど」
少しだけ漏れる明りを受けたヴィオレッタの表情は、不愉快そうに歪んでいる。
扉越しに感じるものは不快な気配に満ちており、彼女でなくとも同じ感想を抱く者は多いはず。
傭兵などと言うのは粗野を絵に描いた者もそれなりに多いが、イェルド傭兵団の場合はそこまで下劣な者たちが多くない。
こういった空気感というものは、僕にしても正直経験のないものだった。
「それでも行かない訳にはな。準備はいいか?」
「ああ……、問題ない」
「よし、行くぞっ」
ヴィオレッタの準備が完了したのを確認すると、僕は一気に扉を蹴破り、部屋へと踏み込んだ。
暗がりに慣れた眼に、小さいながらも蝋燭の灯りが眩しい。
瞼を閉じる欲求に抗いながら部屋の中を見回すと、そこは教会の礼拝堂と言える場所だった。
その比較的広い空間に居るのは多くの男たち。
瞬時に視線を動かし数を確認すると、到底両手の指では数えきれない人数。
総勢で四十名近くであると聞いていた人数の内、ここにはその中の三〇人ほどがひしめいている。
事前に教会内にたむろする人数だけは把握しておきたいと考えたので、昨日の内に大よその数は調べておいた。
その結果として、反体制グループの大多数がここに居るというのが判明。
ただ現状では、連中もあまり真っ当な武器を持ってはいないので、そこまで脅威とはならないと考えた。
男たちの多くは半裸となっており、床には大量の酒瓶が転がっている。
いや、転がっているのは酒瓶だけではないようだ。
押しのけられた長椅子に縛り付けられ、グッタリとしているのは複数の男女。
皆一様に暴行を受けた痕跡が身体中に刻まれている。
男女問わず血を流し、何が行われていたかなど説明の必要もない光景がそこには広がっていた。
「……外道め」
ヴィオレッタの低く呻る声が、少しだけ低い位置から聞こえる。
だがとりあえず憤るのは後だ。
僕は体勢を低く保って手近な半裸の男へと一足飛びに接近すると、外でやったように胸を一突き。
刃が貫通した手応えを感じると共に薙ぎ、その身体を引き裂いた。
心臓を抉られて男は即死し、声もなく倒れ床を染める。
周囲の連中はその様子に呆気にとられており、とりあえず思考を混乱させるだけの効果が得られたのだと知れる。
同様に近くに居る者たちから切り捨てていく最中にヴィオレッタを見ると、彼女もまた自身の短槍を小さく振り、男たちを斬り割いている光景が目に映る。
ただその顔は怒りに震えながらも若干引きつっており、まだこういった状況に適応しきれていない様が見えた。
その反応は人として当然だとは思うけれども。
「く、クソがあぁぁぁぁ!」
ようやく一定の思考を取り戻したのか、男の一人が立てられた燭台を掴み殴り掛かってくる。
その横では短剣を手にした男が迫り、攻撃的な意思をむき出しにしていた。
この段になってようやくブレスレットを起動し、身体能力と思考速度を強化する。
瞬時に男たちの動きが半分以下の速度に感じられ、空間の中で一人取り残されたような錯覚に陥った。
ただそんな感傷を抱いている場合でもなく、剣の柄を握り締め、燭台と共に振り下ろされる腕を斬り飛ばす。
同時に手から離れた燭台を空中で逆手に掴むと、横から迫る別の男の顔面へと、火が灯った蝋燭ごと燭台を突き刺した。
ゾグリと棘が皮膚に沈み込む感触と、肌を焼く小さな音が神経に障る。
他の男たち瞬間的に巻き起こった殺戮により、再び沈黙し、あるいは畏怖する。
ある者は手にしていた武器を落とし、またある者は震え始めながらも武器を握りしめていた。
こうなればあとは適当にいなしながら、順に斬り捨てていくだけでいい。
僕は最初の段階を終えたと思いヴィオレッタの様子を窺う。
彼女もまた、この間に数人を斬ったであろう。
そう考えて視線を向けるも、僕が見たのは少々想像とは異なる光景だった。
自身の短槍を半身になって構えつつも、対象を前にして身動きせぬヴィオレッタ。
彼女の実力であれば、こんな碌に武器すらないチンピラの五人や十人程度、相手するのは容易であるはずだ。
それこそ短槍を二本使えば易々と。
しかしどうしたのだろうか、ヴィオレッタはたった一人を相手に、動揺の色を浮かべていた。
「ヴィオレッタ! 大丈夫か!?」
一時的にブレスレットの起動を停止し、様子を問うてみる。
しかしヴィオレッタから反応は無く、やはり短槍を構えて固まるばかり。
余程の手練れが混ざっていたのだろうかと思うものの、どうやらそうではないようだ。
相手を見るにその体格は小柄なヴィオレッタとさほど変わらないか、むしろさらに小さくも見える。
それもそのはずだ。少しだけ覗いた横顔から察するに、相手は彼女よりも年下と思われる少年。
しかも十歳かそこらにしか見えず、とてもではないがこんな場所に居るのが似つかわしくはない。
ただ他の男たち同様に少年もここの一員なのか、手には刃渡りの短いナイフが握られている。
震えを抑えきれてはいないものの、それをヴィオレッタに向けている点からしても、この連中の仲間であるのは間違いないだろう。
「どうすれば……」
独白のように呟くヴィオレッタの声が、微かに届く。
凶悪な大の男を斬る覚悟はしてきた彼女であったが、年端もいかぬ子供まで混ざっているなどと想定していなかったようだ。
敵であるとはいえ、そう簡単に斬る選択を出来ずにいた。
相応に経験を積んで割り切った者であれば、子供と言えど容赦はすまい。
しかし彼女のような今日初めて人を手に掛けた者であれば、大人と子供ではその越えるハードルの高さが余りにも違うようだった。
「死ねやああぁぁぁ!」
ヴィオレッタの置かれた状況が気にはなるが、こちらもそんな場合ではなかった。
敵とていつまでも呆けたままであろうはずもなく、威勢だけは良い掛け声とともに、手にした金槌や短刀で襲い掛かる数人の男。
それを軽く避けると、すれ違いざまに腹付近へと一閃。斬り捨てた。
ミシリ。
そんな音とも感触ともつかぬ感覚。
それが斬った相手からではなく、自身の持つ武器からであるというのはすぐに察した。
先日から危ないと思っていた武器ではあるが、そろそろ劣化が無視できない所まで迫っているようだ。
やはり納得のいく品でなくとも、買い換えるべきであったという後悔が首をもたげる。
もし途中で折れた場合には、教会内に有る物を武器に使うか、あるいは外に出て荷車にある物を使うか考えていた時。
不意に礼拝堂の壁際からくぐもった少女の声が響いた。
「くはっ……ぅぅ……」
そちらを見ると、これまで少年に対峙していたはずなヴィオレッタが壁を背にし、腰を落として昏倒していた。
傍には大柄な男が角材を手に立っており、そいつが彼女に殴り掛かったのだと知れる。
どうやらあの子供を相手に困惑している隙に、不意を打たれたようだ。
「クソッ!」
しまったと感じた僕は手近にあった小振りなナイフを拾うと、刃の部分を指で挟み込み、なおも彼女に迫ろうとする男へと投擲する。
放ったそれは縦に回転しながら男へと迫り、そのまま側頭部の耳に近い箇所へともぐり込む。
それを見届ける間もなく駆け、ナイフを投げた男と共に迫ろうとしていた少年に肉薄。
躊躇することなく、切り落とすように肩口から真下へと剣を叩きつけた。
切り裂くというよりも潰すという表現が近い音が伝わり、瞬時に幼い命を散らす少年。
当人の意志はともかくとして、こんな場所にたむろしているのだ、相応の覚悟はしていると見なした。
「おい、しっかりしろ!」
「ぅぅ……」
ヴィオレッタへ近寄ってしゃがみ、頬を軽くはたくも意識はない。
ただ一時的に気を失っているだけで、これといって大きな怪我もなさそうだ。
一応手首に巻きつけていたペンダントをかざし、エイダに簡易的な検査をさせるも、大きな異常は発見されなかった。
その場で立ち上がり、意識のないヴィオレッタを見下ろす。
僕が自ら彼女のフォローをするなどと言っておいて、結局はこの体たらくだ。
武器にしたところで同じことで、慎重を期して複数本を用意しておけば良かった。
自身の迂闊さを呪い歯噛みしながら、ボロボロとなりつつあった中剣を投げ捨てる。
どちらにせよ殲滅せねばならない相手だ。
ヴィオレッタも意識を失っていることだし、使うのに躊躇いは無い。
僕は腰の後ろへと手をやり、そこに据えられていた一本のナイフへと触れた。