その少女 05
五日間与えられた休暇も終え、更に数日が経過。
僕は相変わらず傭兵たちが住む集合住宅裏の庭で、ヴィオレッタの訓練相手を務めていた。
毎度の事ではあるが、訓練を申し出たのはヴィオレッタ自身。
休暇の最中も訓練漬けであったというのに、その後の小さな任務を終えて帰投した後も彼女の訓練に付き合わされている。
少々億劫に思いもするが、かと言って他にする事がある訳でもなく、結局はヴィオレッタに乞われるがまま訓練相手を務める破目となっていた。
それ自体は決して悪い事ではないので、有意義な時間の使い方ではあるけれども。
「いい加減に本気を出せ!」
「断るよ。別に君が相手なら、本気を出すまでもないだろうに」
二本の棒で断続的に、感情剥き出しとなって攻撃を仕掛けてくるヴィオレッタ。
その彼女が癇癪を起すのを承知の上で、それとなく煽ってやる。
本来であれば、仲間相手に神経を逆撫でするような言動は慎むべき。
だがそれでもこうやって感情を煽ってやるのは、そうした方が彼女の戦闘クオリティが上がる為だ。
「腹の立つヤツだ!」
「別に腹が立つのは結構だけど、そういうのは相応の実力を備えてからにしなよ」
手にした棒を蹴りで弾き飛ばされたヴィオレッタは、それを拾いながら拳を握り悔しがる。
どういう訳なのか、感情的になればなるほどヴィオレッタの攻撃は鋭さを増していく。
多くの場合感情的になればなるほど攻撃は大振りとなり、動きには隙が多くなっていくものだ。
だが彼女に関してはむしろその逆で、余計な力が抜けているように思える。
動きからは無駄が削ぎ落とされ、より脅威となる攻撃へと変わっていく。
挑発する度に怒りつつも彼女なりに考えているのか、行動の最適化が成されているように思えてならない。
「まだやるなら早く来なよ。こっちもいい加減暇になってきた」
「覚えていろ。いつか必ず寝首を掻いてみせるぞ!」
<アルフレート、そろそろこの辺りで止しておいた方が……>
恐ろしいヴィオレッタの呟きと、エイダの制止が同時に響く。
挑発する度に彼女の動きが良くなっていき、その傾向が顕著なので僕もついつい調子に乗り煽ってしまっていた。
エイダの言う通り、少々度が過ぎていたのかもしれない。
一応後で評価をしてご機嫌を窺う気ではいるが、根に持たれないよう祈るばかりだ。
午前中をそうやってヴィオレッタの訓練に費やしていた僕であったが、彼女の攻撃をいなしている時、不意に背後から声がかかる。
一旦彼女に申し出て中断し振り返ると、そこに立っていたのは一人の傭兵。
幾度か顔を会わせた事もある古株と言える人物で、ヴィオレッタについて知るであろう数少ない一人であった。
「お楽しみのところ悪いな」
「いえ、構いませんが。どうかされましたか?」
「ああ。さっき酒場に顔を出してな、ヘイゼルが呼んでいたぞ」
そういえば今日は小さな任務を終えて得た、二日間に及ぶ休暇の二日目。
明日以降は再び何がしかの役割を振られるはずであり、その件についての呼び出しであるのは明らかだった。
ただ単にヴィオレッタの様子について問うためという可能性もあるが。
僕は伝言役を引き受けてくれた先輩傭兵へと丁寧に礼を言う。
彼は気にするなとだけ告げると、幼い頃から知っているであろうヴィオレッタの頭を軽く撫でて裏庭から去って行った。
「だそうだけど、どうする? 一緒に行くか?」
「……行く。任務を受けるのだろう? 私も聞いておきたい」
「なら決まりだ。訓練はここまで、片づけて行こうか」
思いのほか素直に付いていくと告げたヴィオレッタに頷くと、僕は手にした棒を庭の片隅に在る物置へと納める。
ヴィオレッタは安全のため身に着けていたプロテクターの類を納めると、一足先に庭から出た僕を小走りで追いかけてきた。
その表情からはどこかそわそわした様子が感じられ、二度目の任務に対する期待感が表面化しているように思えなくはない。
最初がこれといって苦労もない、ラトリッジ近郊の害獣退治であったため、もう少し手応えのある内容を望んでいるのだろうか。
揃って無言のまま路地裏を歩き、駄馬の安息小屋へ。
やって来た僕等を出迎えたヘイゼルさんは、僕等を一目見るなり微妙な苦笑いを浮かべた。
それが僕等の間にある微妙な空気感を察してか、それともヴィオレッタが同行している事への意外性からかは知らないが。
「思ったよりも早かったな。……どうだ、上手くやってるか?」
カウンターの前へと進み出たヴィオレッタへと、ヘイゼルさんは小さく笑んで問う。
するとその言葉を受け、ヴィオレッタは僕をジトリと睨みながら小生意気に返した。
「おかげ様でな。リーダーのイビリにも負けず頑張ってるつもりだ」
「アル、お前まさかこの子をイビリ倒しているのか?」
鼻で笑うように返すヴィオレッタの軽口に、ヘイゼルさんはギョッとした様子で僕へと問う。
だがその口の端が僅かに上がっている様からして、本気にしている訳ではないようだ。
「まさか。なかなかに鍛え甲斐がありそうなんで、つい熱が入ってしまっただけですよ」
「熱が入るだと? 私は小馬鹿にされているようにしか思えないのだが」
ヘイゼルさんの問いへと返した僕に、ヴィオレッタは割り込み不平を漏らす。
だがそれは見当外れというものだ。
僕はただ単純に、煽る度に鋭くなっていく彼女の攻撃を評価して行ったに過ぎない。
癇癪を起す姿を多少微笑ましく見ていたというのは、否定はしないけれども。
「何にせよ、そこまで仲が悪くなさそうで安心した。それにちょっと褒めるとすぐ調子に乗るヤツだからな、そのくらいで丁度良いのかも知れん。これからも厳しく頼むぞ」
「了解しました。では今後も同じように」
ヴィオレッタはヘイゼルさんに助け舟を期待していたようであったが、目論みは脆くも崩れ去る。
ヘイゼルさんは助けるどころか、冗長せぬよう更なる厳しさを求めてきたのだから。
その返答にウンザリといった様子を見せながら、ヴィオレッタが恨みがましそうな視線を僕等二人へと送っていた。
「さて、それはともかくとして。明日からお前たちに就いてもらう任務に関してだが」
そこまでのどこかノンビリとした空気は一変。
ヘイゼルさんの表情は締まり、僕等が受け持つ任務に関する話題へと移る。
僕たち二人は立ったままで背を伸ばし、その話へと耳を傾けた。
隣に立つヴィオレッタからは、緊張と興奮が入り混じったような、僕自身も覚えのある初々しい空気を感じる。
姿勢を正して次がれる言葉を待つ僕等に、ヘイゼルさんはどういう訳か、少々戸惑う様な素振りを見せ指で手招きする。
僕等は訝しく思いながらも、カウンターへと身を乗り出し顔を寄せた。
「今回お前たちに向かってもらいたいのは、"ラッシュフォート"という都市だ」
ヘイゼルさんの告げた場所は、僕も以前に聞いた覚えのある地名。
確か以前任務で向かったベルバークから、数日南下した土地に在る港街だ。
『それなりに大きな都市だったよな……』
<ええ。ベルバークと異なり、貿易港ではなく漁港のようです>
エイダの言葉によって、僕は奥底に沈んでいた記憶を掘り起こした。
確か以前に先輩の傭兵たちが、海産物が美味しいと言っていたのを思い出す。
そこそこの規模を誇る都市であるが、比較的近くに大規模な都市が存在するため、傭兵団は拠点を構えていないと聞く。
「私たちはそこで何をすればいいのだ?」
「悪いが詳細はアタシも聞かさてなくてな……。ただ団員が一人、先行して現地に入っていると聞く。詳しくは向こうで話を聞け」
ヴィオレッタの問いに、ヘイゼルさんは歯切れの悪い言葉を漏らす。
普段であれば詳しく説明をしてくれるヘイゼルさんなのだが、今回に関してはあまり事情を知らされてはいないようだ。
本来であれば距離的にもベルバークや、あるいは近隣の大都市に駐留する団員たちが向かえばいいような場所。
そこにわざわざ向かわせるということは、何がしかの事情によって、僕等が行く必要性があるということか。
「移動用に騎乗鳥を二羽と荷車を一台使って構わん。寄り道するなよ」
「了解しました。では明朝出立します」
「気を付けて行って来い。もちろんヴィオレッタもな」
ただそれだけの言葉を受け、僕は踵を返して酒場から出る。
それが想像以上にアッサリとしたものに感じたのだろうか、ヴィオレッタは何度となくヘイゼルさんを振り返りながら、僕の後ろを着いて歩いた。
もっとしっかりとした、あるいは仰々しい形で任務を申し渡されるとでも思っていたのかもしれない。
駄馬の安息小屋から出た僕は、必要な荷物について考えながら先頭を歩く。
今回は向かった先で何をやらされるのかが定かでないため、どういった装備を用意しなければいけないのかが、皆目見当もつかない。
地域的には他国との戦場には成り難い土地のはずで、戦場を想定した重武装は必要ないはず。
それにそもそもそういった状況であれば、何がしか情報が入っていてもおかしくはない。
ラッシュフォートはそこそこの規模を誇る都市であるため、ある程度の品であれば普通に手に入るはずなので、必要ならば現地での調達も可能か。
棲家に戻ったら、皆と相談してある程度持っていく品の目星をつけておいた方が良いだろう。
そこでふと気になって背後を振り返り、今ではその皆の一人となっているヴィオレッタを見やる。
彼女は少しだけ俯きがちで地面を見つめ歩いていたのだが、その雰囲気は沈んだものを感じさせない。
握られた拳は力強く、むしろやる気に満ち満ちているものだった。
「気合入ってるみたいだな」
「当然であろう。私にとっては傭兵となって初めての遠征任務なのだからな」
返す言葉からは、普段のような棘を感じない。
僕に対する反発や敵愾心などはどこかへと行ってしまい、今はただ待ちうける初仕事への興奮に背を押されているようだった。
確かに前回の害獣退治はラトリッジ近郊のみで、傭兵見習いに与えられるお使いのようなものだった。
彼女からして見れば、それでは傭兵となった自覚が得られないでいたに違いない。
張りきろうとするヴィオレッタを眺めながら、僕はどこか懐かしさを覚える。
僕が始めて受けた任務は、補給路の確保できていなかった北方戦線へ物資を運ぶというものだった。
その時はただ失敗しないよう考えるばかりで、今のヴィオレッタのように沸き立つものを感じただろうかと。
ただ懐かしいとは言っても、実のところあれからまだ半年と経ってはいない。
それでも随分と時間が経過しているように思えてしまうのは、ここまで方々を行き来し様々な経験を積んできたが故か。
「それじゃあ失敗しないように、気を付けて行かないとな」
「失敗しないなど当然だ。私が居るのだ、絶対に成功させてみせる」
ヴィオレッタは堂々と言い放ち、胸を張る。
過信は禁物だが、その度胸が多少なりと心強い。
ただ自信有り気に張った彼女の胸が、幼さが色濃く残るものであったのが少々残念ではあったが。