その少女 03
立ったまま食事をし酒を飲むのが基本である駄馬の安息小屋において、バーカウンターだけは例外的に椅子が備わっていた。
ヘイゼルさんに促され、僕はそのカウンターの前へと並べられた席に向かわされる。
この席は傭兵団の中で幹部と言える人たちの指定席になっているらしく、とてもではないが僕のような新米が座る事など許されない。
「ですがそういう訳にも……」
「いいから座れ。あたしが許す」
躊躇する僕へと、腰を下ろすよう命令するヘイゼルさん。
そうまで言われては断るのも難しく、僕は恐る恐る腰を掛ける。
座り心地は……、まぁただの木製の椅子だ。
実のところ、僕は誰かがここへ座っているのを見た事が無い。
つまり傭兵団の幹部たちと面識がないという事に他ならないのだ。
そんな僕が先輩の傭兵たちすら冗談でも座ろうとしない椅子へ、指示されたからといって座っても良いのだろうか。
そう考えていると、考えを悟ったのだろうか、ヘイゼルさんは笑い飛ばすように告げる。
「今座ってるそこはデクスターのさ。あいつはお前らを高く評価していたし、別に座っても文句は言うまいよ」
僕等がウォルトンで出会った指揮官の、デクスター隊長。
今まさに僕が座るここは、彼の専用席であると言う。
それなりに上の立場であると思っていた隊長ではあるが、まさか傭兵団の幹部に名を連ねる人であるとは思ってもいなかった。
しかしその性格を思い返せば、確かに彼はこういった事で怒る人であるとは思えない。
僕は密かに安堵し、ヘイゼルさんへと向き直る。
「それで、さっきのヴィオレッタさんなんですが……」
「言いたい事はわかる。あんな小生意気そうな子供のお守りなんか、勘弁してくれってんだろ?」
「そこまでは言いませんよ……。ただどうして団長が、彼女を僕等のパーティーに入れるよう指示したのかと」
人が一人増えるという事そのものは、別にこれといって問題はない。
少人数の方が身軽であるのは事実だが、人数が増えたならば相応に取れる行動の範囲も広がる。
むしろ人を増やすべきと判断されたというのは、僕等のパーティーに対する期待の表れと解釈できなくはなかった。
あえて問題があるとすれば、僕等の棲家が未だ修繕を終えていないため、ボロボロな家に迎えなければならないという点か。
「昨日も言ったが、デクスターからの報告でお前たちが良い働きをしてくれたというのは知っている。それは団長にも伝わっているし、団内でお前たちが目を掛けられ始めているのは事実だ」
「恐縮です」
「お前たちはこれからも方々に行かされるだろうし、色々と重要な任務を与えられる機会も増えるだろう」
「は……、はい」
「そこでだ。あの娘をお前たちのパーティーに参加させ、連れ回しながら鍛え上げてもらいたいようだ」
ヘイゼルさんの話はイマイチ要領を得ない。
ある程度言いたい事は理解できる。
あの少女が傭兵団内で何かしら期待を掛けられる存在であり、同様の評価を持ち始めた僕等と行動を共にさせる事によって、成長を促そうというのだ。
だが彼女が特別扱いされる理由、それが僕にはよくわからなかった。
「……いいか、これは他言無用だぞ」
そんな僕の心情を察し、ヘイゼルさんは他に誰も居ない空間であるにも関わらず、カウンター越しに耳を寄せて小さく呟いた。
「あいつは団長の一人娘だ」
「……あの子がですか?」
僕の問いに、ヘイゼルさんは言葉無く小さく頷いて返す。
名前はともかくとして、未だ顔も知らぬイェルド傭兵団の団長。
その団長の娘が今も外で待っているであろう、ヴィオレッタという名の少女であると言うのだ。
同盟において最大規模と言える傭兵団団長の娘ともなれば、かなりのお嬢様と言っても過言ではない。
しかしどうにも気性は激しそうであり、その様子からすればとてもではないが、良いトコのお嬢さんといった気配が感じられない娘だった。
言葉使いは硬そうというか、どこか古風な空気さえ感じるのを差し引いてもだ。
それはともかくとして、どうして団長の娘が武器を持って傭兵として活動しようというのか。
「あの娘自身の望みなんだよ。ただデカイ家の中で大人しくしているよりも、父親を手伝って戦いたいってな」
「それは殊勝なことで。でも団長は許したんですか?」
「最初は猛烈に反対したみたいだがな。そりゃそうだ、誰が好き好んで最愛の一人娘を戦場に送りたがる」
それもそうだ。
あくまでも外見からの判断ではあるが、僕の見た限り彼女はまだ十四~五歳といったところか。
下手をすればもう少し下かもしれない。
年齢的には傭兵を志すに特別早いとは言えないが、それでもまだまだ子供と言っていい歳。
そんなまだ若い我が子に、剣を握って人を斬れなどと言う親はなかなか居ないだろう。
それでもヴィオレッタの決意は固かったのか、反対を押し切って傭兵への道を進もうとしたのだとヘイゼルさんは説明してくれた。
訓練キャンプを経ていないのは、団長が戯れに教えてきた戦闘や野戦技術を一通り吸収しているため、とり立てて教えるべき事がないからとのことだ。
そんな彼女が傭兵となるための最初の仲間として選ばれたのが、何の因果か僕等であったという訳か。
「団長は自身の娘だからといって、決心した子を甘やかすような人じゃない。それに傭兵になってからも甘やかして、肝心な状況でブルって動けないようじゃアッサリ死ぬだけだ」
「それはわかります」
「だがやはり団長といえども人の親。厳しくはするが、可能な限り実力を持ったヤツに預けたいっていう願いはあったようだな。そこで年齢も近く、デクスターがそれなりに評価したお前らに目を付けたって訳さ」
「それは……、褒められていると考えていいんでしょうか」
苦笑混じりに問うた僕に、ヘイゼルさんはニカリと笑って「当然」と言い放つ。
どうしても我が子への依怙贔屓というか、親馬鹿の末による裁量であるというのは間違いない。
だが確かに団長の娘を預かるというのは、僕等が出した成果を高く評価してもらえた故にというのもまた事実。
ここはむしろチャンスと考え、大人しく引き受けておくべきだろうか。
どちらにせよ、あまり拒否権などはなさそうだが。
「了解しました。確かに、お預かりします」
「頼んだ。だがくれぐれも善からぬ気を起こすんじゃないぞ。もし仮にあの娘を落としたなら、傭兵団次期団長の椅子すら見えてくるかもしれん。だがバレたらタダじゃ済まん」
そう言ってヘイゼルさんは親指を立てると、自身の首を横一字に引いた。
恐ろしいものだ。もし万が一そんな状況になったら、団長を始めとして多くの団員たちに狙われると考えると、震えが止まらなくなってしまう。
「しませんよ。第一彼女はまだ子供じゃないですか」
「それもそうか。だがあと一年か二年もすれば、それなりに大人らしくなってくるもんだ。女の成長は早いぞ」
冗談交じりに笑う。
怖い傭兵たちに囲まれた娘に手を出すなど、とてもではないが怖くて出来そうにはない。
それに僕は将来的に、本来居る筈であった外の世界へと、帰らねばならない可能性もあるのだ。
この惑星でそういった相手を得るという考えは、今のところ持ち合わせてはいなかった。
「重ねて言うが、ヴィオレッタの生い立ちについては他言無用だぞ! かなり上のベテラン連中は知ってるが、比較的若いのには絶対に言うな。変な虫が寄りついちゃ敵わんからな」
「き、肝に命じます」
「よろしい。では休暇の最終日にでもまた来い、次の任務を与える。それまでに精々あのじゃじゃ馬を躾ける事だな」
遠慮のない言葉と共に、ヘイゼルさんは早く行けとばかりに店から追い出そうとする。
彼女の言葉に了承した僕は、促されるままお暇して外へと向かった。
駄馬の安息小屋から出ると、まだ昼にもなっていない路地裏には冷たい風が吹き抜けていた。
若干冷たく薄暗い路地裏を見回すと、そこには壁へと背を預け空を見上げて待つヴィオレッタの姿。
酒場から出てきた僕に気付いていないであろう、彼女の様子はどこか不安気であり、最初に見た勝気な気配は鳴りを潜めている。
歳相応の心細さを露わにしているようであり、少々庇護欲が刺激される気がしなくもなかった。
「待たせた」
僕は極力親しさを出すべく、あえて面識の少ない相手に対する丁寧さを排して話しかける。
ただし最初にしくじったような、年下の少女に対する柔らかさは排して。
その際相手が団長の娘であるという事実もまた、意図して頭から追い出しておく。
きっと彼女はヘイゼルさんがその事実を伝えた事に気付いている。
だがそんな扱いを求めてなどいないだろうし、丁寧な扱いなどしようものなら、不愉快に思うかもしれなかった。
「別に構わん」
「そうか? それじゃ早速行こうか」
「……どこへ向かおうというのだ?」
レオにも劣らぬぶっきら棒さで、ヴィオレッタは不機嫌さを隠さぬまま問う。
それが僕には不安感を隠すための虚勢に思え、どこか可愛らしいものを感じずにはいられなかった。
そんな心情もまた当然隠すのだが。
「僕等のチームが使っている家だよ。今日からそこで寝泊まりしてもらうことになる。かなりのボロ屋だから、不便は多いけれど」
「……了解した。早く案内してくれ」
僕等のチームに入れられるというのが、彼女としてはあまり本意ではないのだろう。
少しだけ視線を逸らしながら、ヴィオレッタは不承不承頷いた。
それにしても、彼女の言葉は随分と堅苦しい。
以前見た古いムービーに出てきたような、武人の女性を彷彿とさせるものがある。
実際傭兵であるので、その武人の女性という言葉は当てはまっているのだが。
しかし見た目の幼さと言葉使いがどうにもチグハグで、若干おかしいのは否定できなかった。
「荷物はそれで全部?」
移動を始めた僕の後ろに着いて、言葉もなく歩くヴィオレッタを見やる。
彼女は小柄な身体に二本の短鎗と小さなバックパックを背負っているだけで、他にはこれといった荷物を持ってはいない。
旅先でならばともかく、新しい住まいに移動しようというにしては、些か少ないように思える。
必要ならばチーム内の予算から、必要な品を買い足す必要があるかもしれない。
「ああ。パパ……、団長が傭兵の私物は少ない方がいいと言っていた」
「そっか。確かにそうかもな」
「……ヘイゼルから聞いているんだろ?」
ついつい普段通りに呼んでしまったのであろう。
呼び方を訂正したヴィオレッタを微笑ましく思っていると、不意に彼女は僕へと確認の言葉を投げかける。
それが何を意味しているかなど言うまでもなく、ヴィオレッタが団長の娘であると、ヘイゼルさんから聞いているのだろうという内容だ。
「一応は。でも僕はそれに関して、すぐ忘れるつもりでいる」
「そうしてくれると助かる。私も変に丁寧な扱いで接されては不愉快だからな」
それだけを言い放つと、ヴィオレッタは僕の後ろを黙り込んだまま着いて歩く。
彼女を受け入れるのを了承こそしたものの、これでこの先やっていけるのだろうかという不安が首をもたげる。
ある程度安全な任務を選べたとしても、やはり傭兵である以上は危険な状況に放り出されるのが必然。
こんな様子の彼女に、背中を預けると想像すると少々不安に思えてしまうのは否定できない。
今はまだ急に見ず知らずの相手へ預けられ、不安に思っているだけであれば良いのだが。
「一応チームには一人女の子が居るから、彼女を頼るといいよ」
僕等の棲家へと移動を始め少し歩いたところで、振り返りもせず背後のヴィオレッタへ向けて告げる。
同性の存在の有無で、多少なりと安心感が違うのではと考えたためだ。
その想像はある程度的を射ていたようで、返してくる言葉がなくとも、背後を歩くヴィオレッタからは小さな安堵感を感じられた。




