深層の異形 06
目に映る姿を見た僕は、一瞬そいつが既に生きていないのではと疑った。
大きな音を立て扉を開けたにも関わらず、まるで微動だにせず仰向けに寝転がったままであったからだ。
この近辺に得体の知れぬ生物が存在するということも、その疑いに拍車をかけた理由なのかもしれない。
ただ見たところ纏う純白の法衣には、一切血の跡らしきものは見られないし、そもそもエイダがさきほど心音がすると言っていた。
計ったように広い空間の中央へと転がっているというのも、あえてそこを選んだからこそだ。
となれば当然ヤツ……、遥か宇宙に存在する国家である開拓船団独立共和国によって生み出され、シャノン聖堂国の教皇という立場に収まるクローンの少年は、確かに生きてそこへ居るようだ。
「一応聞いておこうか、お前が教皇で間違いないな」
緊張に背へ汗しながら近寄り、そいつの顔が見える場所へと立つ。
目を開けたままで真っ直ぐ高い天井を見上げるそいつへ、碌な返答など期待しないままで声を向けた。
こいつを製造した技術者の男は、他のクローンと違い多少なりと人格を与えたと言っていた。
それ故にした行動であったのだが、僕は我ながら馬鹿な真似をと思い被りを振りかけるも、意外なことに間を置かず言葉を返される。
「そうだよ。ボクが現在の教皇、ハウロネア二世だ」
「他の連中と違って、思いのほかしっかりと人格を形成されたようだな」
「当然さ。司祭たちに命令を下す側なんだから、人形のままでは用を成せない」
「……参ったな、やり難くてしょうがない」
僕へ視線を向けることもなく、ボンヤリと天井を眺めたまま。
そいつは想像していたよりもずっと明確な人格を誇示するように、僅かな感情の色を織り交ぜて言葉を発してきた。
個を持たぬ輩であれば、問答無用で殴り倒して連れ去るところだ。
しかしこうも明確に形成された人格を持っていれば、初っ端からそうするのは気が咎めなくもない。
「ボクをどうするつもり?」
「ここから連れ出す。別に助けようという訳じゃない、こっちの都合で攫うだけだ」
「そうして地球の軍へ引き渡すのかい?」
自らをハウロネア二世と名乗った少年型クローンは、薄く口元を笑ませる。
なるほど、どうやら何も知らぬ訳ではないらしい。
自らを生み出した技術者の男によって、事の核心部分に関する話もされていたのだろう。
そういえばこいつを造った男は、もう一つ前の教皇からクローンを据えていると言っていた。
となると先代のクローンが、ハウロネアの一世ということか。
「……その通りだ。あいつから色々と聞いているようだな」
「言ったろう、人形のままでは用を成せないって。ボクは開拓船団という名の神が遣わした使者だ、神の言葉を代弁するのにも多少の知識は要る」
のそりと置き上がったそいつ、ハウロネアは大仰な素振りで自身の頭を指さした。
聖堂国を支配する神殿勢力にとって、様々な未知の技術をもたらしてくれる開拓船団独立共和国は、まさしく神という存在そのものなのだろう。
その神からの神託を受けるのが、そこから遣わされたハウロネアと呼ばれる二代に及ぶ教皇。
ハウロネアを頂点に掲げている間は、時折技術や知識を与えてくれる。
つまりは神殿にとって、こいつの存在は開拓船団への忠誠の象徴だ。
今まで遭遇してきたクローン連中が見せたことのない、柔和にも見える表情を浮かべるハウロネア。
想像以上に自立した人格のようだが、それが本当に教皇という役柄を演じるために必要なのか、それとも技術者の男の趣味によるものかは知らないが。
「代弁者だか使者だか知らないが、それももう終わりだ。お前を造った人間は死んだし、開拓船団は既に聖堂国を見限っている」
「そのようだね、きっともう指示は下らない。開拓船団にとってボクは元々ただの道具、回収すらされず捨てられるだけ」
「そうとわかっているのなら、大人しく縛についてもらおうか」
自身を生み出した技術者の男は既に死に、そうするよう指示した大元の国からは見放されている。
そうと知った以上こいつが次に採れる選択は、そう多くはないはず。
一つには、このまま聖堂国の教皇として君臨すること。二つ目の選択肢としては、野に下りヒッソリと生きるというもの。
三つ目は地球の軍へ引き渡され、そこで新たな役割を担うかだ。
だが教皇という椅子は、開拓船団から与えられる技術があって初めて成り立つ立場。このままではいずれ神殿から見限られる
かといって二つ目も難しいだろう。作られたのがいつかは知らないが、ずっと教皇という神輿の上であったのだ、見た目も相まって市井での暮らしは楽ではあるまい。
「僕らであれば、お前にまだ役割を与えてやれる。折角得た命だ、ここで終わらせるのは惜しいと思うがな」
「命が持つ役割……、か。それがなくては生きるも死ぬも同じだろうね」
こいつが黙って拘束されてくれるのであれば一番面倒がない。
得体の知れぬ化け物がどこに居るともしれぬのだ。子供の体格とは言え、そんな中を気絶した人間一人担いで戻るのは骨が折れる。
ならばそれらしい説得をし、自分で歩いてくれるよう促す方がよほど楽というもの。
もっともハウロネアと呼ばれるこいつに告げた役割というのは、決して穏やかでも安全でもない、地球へ送られて以降実験物として扱われる道ではあるのだが。
そんなこちらの内心を読んだ、とは思えない。
だがハウロネアは僅かに吐いたかと思えば、大きく目を見開き不敵な笑みを漏らし口を開く。
「終わってやしないさ、ここでのボクの"役割"は。いやむしろこれからが本番だ」
「なんだって……?」
「開拓船団にとって利用価値がないなら、自らそれを見つければいいんだよ。ボクがこの国の頂点でいられる理由をね!」
ここまで平坦であったハウロネアの声色。
それが徐々にボルテージを上げていき、違和感を感じる程に目が大きく見開かれていく。
僕はその様子に言い様もなく嫌な予感を受け、背筋を悪寒が奔ると同時に大きく後ろへ飛び退いた。
直後、目の前を過る微かな風圧。
視界の中で遠ざかっていくハウロネアの姿へ重なるように、僕の前髪が一房ハラリと舞い落ちていく。
飛び退いた先、ヴィオレッタのすぐ横で着地した僕は、ヤツから目を離さずソッと額へ手を当ててみる。
すると掌には血がベタリと張りつく感触が。極々浅くではあるが、額の一部を切ったようだ。
「……なるほどね、こっちがあいつの本性か。上手く隠していたもんだ」
「正体もな。私には俄に信じられぬ光景だが……」
最初に聖堂国北方の保養地で見た時には、人間味の無いいかにも人形然とした雰囲気を感じたものだ。
しかしその空気は偽装されたものであり、こちらを攻撃しニタリと笑むハウロネアの表情こそ、内に秘めていた本性なのだろう。
だが口にしたハウロネアの本性とは、攻撃性のある人格だけを指すモノではない。
隣でヤツを凝視するヴィオレッタは、辛うじて動揺を抑えているといった様子で、自身の持つ短槍を構え穂先をハウロネアへ向け呟く。
息を呑む彼女の目に映るハウロネアは、今しがたとは異なり纏う純白の法衣を、派手に破いていた。
その破かれた袖から覗く腕は、顔と同じ色素の薄い肌ではない。
肉がなく骨へと張り付いたような、薄茶色の硬そうな表皮。
手の部分にあるのは柔らかな指でも、僕の額を切り裂いた武器でもなく、鎌を彷彿とさせる湾曲した器官。
肘から下の全てが、到底人の一部とは思えぬ異様へ変質していた。
「通りで坑道内で遭遇しないはずだ、教皇自身がそうだなんてね……」
まさにそれは、坑道内で見つけた異形の一部とまったく同じ外観。
ただのクローンであれば、人としての遺伝子を持つ個体でしかない。
しかし生み出す段階で、他の生物による遺伝子を一定の手段を用い混ぜることで、双方の特徴を持つ生物が創造される。
あの技術者はこのハウロネア二世という個体に関してのみ、特別な処置を施したようだ。
最後にこのことを伝えようとする素振りが無かったのは、ヤツによるなけなしの反抗だったのだろうか。
「坑道内で白骨化した人が居た。アレもお前の仕業か」
「時々居るんだよ、怖いもの見たさであそこへ迷い込んでくる人間がさ。ここに来る司祭をつまみ食いしたりもするけど」
返ってくる返答などわかりきっているというのに、僕は異形と化したそいつの変容を探るべく問い掛ける。
すると子供の身体に虫の脚を生やしたそいつは、さも当然と言わんばかりに舌なめずりをした。
小さな口から伸びる舌は、一見して他の人間が持つモノと変わらないように思える。
だが生やす腕を用いて、その舌と歯でこの聖都カンドローナの人間を捕食したのだろう。
それがヤツの生命を維持するためなのか、それとも娯楽の一種としてのハンティングなのかはわからない。
だが底冷えのする笑みを浮かべ平然と告げる様は、広い神殿施設内を危険な空気で充満させていく。
頬と腕を伝う冷たい汗は、これまで幾度か強敵と相対した時に流してきたもの。
それらと同じ、あるいは遥かに超える嫌な気配を全身に感じる僕へと、横へ移動してきたレオは小さく声をかける。
「アル、本当にこいつを捕らえるつもりか?」
「正直、捕獲は中止した方がいいかも。じゃないとこっちの身が危険だ」
「同感だな。ならここで駆除しておく」
地球の軍から下った命令は幾つかあり、こいつを捕らえ軍へ引き渡すというのもその一つ。
与えられた中で最も重要度が高いとされたそれだが、僕にはそれが酷く危険なものであると思えてならなかった。
渡した先で何が起きるとも限らないし、単純に捕らえる僕等にしてもだ。
レオもまたそれは同様の考えであったらしく、彼は迷うことなく自身の剣を真っ直ぐに、ハウロネアと呼ばれた異形へ向ける。
「お前たち、何をしている!」
変わらず気味の悪い笑みを浮かべるヤツへと、警戒しジワリジワリと距離を詰める僕等三人。
だがそんな僕等の背後で、突然にドスの効いた大きな声が響く。
小さく振り返り入口の方を見てみれば、そこに立っていたのは法衣を纏った一人の男。
この階層へ降りてきた司祭のようだが、開いたままの扉を訝しんで中の様子を除き見たのかもしれない。
エイダはこの事態に、周囲の音を感知するような状況でもないと、センサーを切っていたため気付かなかったようだ。
「ご無事ですか、ハウロネアさ……、ま?」
不審な侵入者の存在に怒声を上げた司祭だが、すぐさま部屋の中央へ立つ奴へと視線を移す。
だが司祭の目に映った教皇は、それまで見てきた幼い少年の姿とはかけ離れていた。
表情には動揺と混乱が滲み、声は震え掠れていく。
それも当然だ、異様なほどに大きく見開かれた目は血走り、寒気すらする笑みと腕から生えた虫の器官を見れば。
見知った教皇とヤツが同一と認識できず、訳がわからないといった様子で後ずさる司祭。
そいつが扉から外へ出ようとした瞬間、視界の端に移るハウロネアは地面を蹴り大きく宙を舞う。
ヤツは瞬く間に僕等の頭上を越え、司祭のすぐ間近へと降り立つ。
「あ、……あ」
「本当はもっと若いのが好みなんだ。だってその方が柔らかくて美味しいからさ」
身が竦み碌な声すら出せぬ司祭。そいつの前に降り立ったハウロネアは、粘り気すら感じるおぞましい声を発した。
直後、ハウロネアの鎌となった腕が揺れる。
その腕がゆっくりと降ろされた時には、目の前に立つ司祭の頭は零れ落ち、綺麗に磨かれたタイルの床を黒々と染めていった。
「君たちもどうだい?」
ヤツはそう言って、男の首を斬り飛ばした自身の鎌をもう一振りすると、倒れかけた男の腕を斬り落とす。
それを掴んで僕等へと向けるのだが、当然警戒を崩さぬこちらの反応に首を振ると、背を向け持っていた腕へと齧り付く。
身の毛のよだつ咀嚼音が響き、再度こちらを振り向いた時、ハウロネアの口は耳元近くまで裂け大きく開かれていた。
やはりこいつは人ではない。あまりにも危険であると確信し、持つ短剣を放り出しもう一本の武器を握りしめた。