深層の異形 04
「……ようやく抜けた」
「思いのほか早かったのではないか? 私はもっと時間が掛かるかと思っていたぞ」
聖都カンドローナの第三層、中流層の居住区が存在する階の閉鎖区域から、廃棄された坑道跡を通ってしばし。
僕等は長く入り組んだそこから、ようやく明りの見える場所へと這い出ることに成功した。
とはいえまだここがどの階層かは定かでない。
ただ各階の中央をぶち抜く大穴からは、薄らと陽光が差し込んでおり、その光によって街並みが映し出されている。
「とりあえず、得体の知れぬ存在に襲撃されなかっただけ、上々であると思うのだがな」
「そう考えておくのが無難か……。同じ道を辿って帰るのは御免だけどさ」
「そいつばかりは同感だ。私は虫の類がそこまで得意ではないからな」
ようやく目に届いた自然の光に安堵したせいか、ヴィオレッタは目を細めながらも饒舌だ。
だがそれも当然か。小さな火の発する明りだけで照らされた坑道内は、お世辞にも視界が良いとは言えない。
そんな中では正体不明の生物が闊歩しているかもしれず、緊張感に蝕まれつつ進む行程は、酷く神経をすり減らすものであった。
当然僕もまた気を張り続けており、その緊張を霧散させるべく大きく息を吐く。
深呼吸し、少しだけ砂塵の混じった空気を肺へ送っていると、今度はエイダが怪訝そうな声で話しかけてきた。
<ですが本当にそんな生物が存在するのでしょうか>
『と言うと?』
<もう随分と聖堂国の国土を観察してきましたが、それらしい存在を感知したことがありません。この地はあまり大型の生物が多くないようで、今まで見た中で一番大きなのは、アルたちが乗っていた騎乗生物くらいのものです>
エイダが不審さを表に出し告げた言葉に、僕は内心で小さく呻る。
言われてみれば、僕もそれなりに聖堂国内を移動してきたが、大型の生物はほとんど見かけなかった。
それが気候の影響によるものか、あるいは単純に遭遇していないだけかは知らないが。
『炎天下に出るようなヤツじゃないのかも。暗がりを好む生態を持つ生き物は多いだろう?』
<それはそうなのですが……>
『なんにせよひとまずは上手く通り抜けられたんだ、まずはそこを喜ぼう。意外と早く抜けたことだし、時間があれば他のルートも探しておかないと』
エイダからしてみれば、不安の種は尽きないようだ。
しかし遭遇するかどうかもわからぬ、そもそもまだ生きているかも定かでない存在に怯え、足が竦んでいては何もできない。
それにただの楽観視でしかないが、そいつが手強いとも限らないのだから。
どちらにせよ僕等は前に進む以外になく、心配そうにするエイダへ小さく約束しながら、荷物を背負い直し市街地へと歩を進めた。
三層の閉鎖区画と同じく、この階層も壁面付近は人々が立ち入れぬ場所であるらしい。
閑散としたそこを歩き中心部へ近づいていくと、次第に人の声が耳へと届き始め、手近な建物の陰へ隠れ先を覗いてみれば、小さな通りを数組の人間が歩く光景が目に映る。
「司祭たちじゃないみたいだ。格好から察するに、裕福そうではあるけれど一般人。となるとここは四層か」
「あれだけ歩いて、降りられたのはたった一層分だけとはな。やはり最短の道を確保せねばならぬか」
「またあの暗闇に逆戻りってことだね。残念ながら」
「仕方あるまい。子供とは言え人ひとりを抱えて逃げるのだ、それも敵の追手を撒きながらな」
カンドローナの最深部には、聖堂国のトップとして据えられた教皇が居る。
僕等の任務はそいつを捕らえて脱出し、飛行艇に放り込んでるヤツ諸共地球の軍に引き渡すというもの。
腕の一本、頭の一つだけを持ち帰ればいいというものではなく、生かしたままでだ。
それこそこの任務が飛躍的に高い難易度となっている最たる理由。
そのためヴィオレッタの言うように、先ほど通ってきた坑道の探査を進める必要がありそうだ。
上手くすればもっと下層、最深部への直通ルートが見つかる可能性もある。
そう思えば多少はやる気も起きようというものだ。例え得体の知れぬ化け物が潜んでいるかもしれなくても。
僕はそう考えるなり、建物の陰へ隠れるレオとヴィオレッタへ向き、指を二本立て指針を提示する。
「ならここは二択だ。その一、さっきの場所へ戻ってより下層へ降りる道を探す。その二、この四層へもう少し留まって、情報の収集を行う」
「どちらも一朝一夕にはいかんだろうな。障害となる点があるとすれば?」
「前者は単純に危険度の問題だ。馬鹿デカい虫がまだ生きてるとは限らないけど、遭遇すればどうしたって戦いになるはず」
基本的にはこちらが無難に思える。だがヴィオレッタは前面に渋い表情を押し出し、身を震わせて嫌悪感を露わとした。
気丈な性格をしてはいる彼女だが、実のところ当人が言っていた以上に虫の類を嫌っている。
傭兵時代から野営や野宿などをする機会は多かったため、多少であれば平気なのだが、それでもサイズに比例して忌避感は強くなるらしい。
以前ラトリッジの屋敷で暖炉を前にしている時、飛び込んできた虫が炎の中へ突っ込み、燃えたまま部屋を飛び回った時などは悲鳴を上げ逃げ出していた。
……いや、あれは僕も別の意味で怖かったけれど。
「後者は敵に発見される可能性が高いこと。最上層や二層であれば、外套を被っていても別段怪しまれなかった。でもここでは違う、顔を晒していないのは神殿の司祭くらいだ」
「では司祭の法衣でも盗むか。前にもアルとレオは同じようなことをやったのだろう」
「難しいと思う。ここは閉鎖された都市だ、司祭が行方を眩ませればすぐ不審に思われる。もしそいつらの死体が見つかれば、この作戦はほぼ失敗したも同然だよ」
聖堂国で高い地位を持ち、様々な場所へ出入り可能な神殿の司祭というのは、一見して変装するには便利な存在。
もっとも奪った連中をどう隠すかという問題もあるし、聖域と違い階層を移動する時には顔を晒さねばならないと聞く。
僕らがこの国の人間と比較し、一目でわかる容姿の違いを持つ以上、それは最も避けたい事態だった。
「ならばまた暗い場所へ逆戻りする他ないのか。この格好で聞き込みも出来ぬであろう」
「そうなるかな……。もしかしたらと思ったけれど、この光景を見るとやっぱり難しそうだ」
眉を顰めるヴィオレッタは、そう言って自身の後方に在る閉鎖区画を指さす。
顔を隠したままで聞き込みをするというのは、二層までであればなんとか可能であった。
大勢の人が行き交っていたし、階層の中央を真っ直ぐに貫く縦穴から、熱射がそれなりに入り込んでいたためだ。
しかし薄暗くヒンヤリとした四層では、通行人のほとんどが顔を晒して歩いている。
こんな中でフードを目深にかぶった人間が声をかければ、無意識のうちに警戒してしまうのも当然か。
結局僕等はここで活動するのを諦め、大人しく元来た坑道へ戻ることとした。
行きよりもなお警戒を重ね、慎重に真っ暗な坑道内を照らしながら進む。
そうして最初のルートとは異なる数本の道を探索し、十数時間を掛け最初の三層へと戻った。
そこから別段怪しまれず階層を移動する階段を登り、最上層へ確保した宿へ戻った時には、僕等は既に疲労困憊。
早々に簡単な食事だけを摂り部屋へ入ると、ベッドの脚が軋まんばかりに勢いよく倒れ込む。
「……これをまだ数日は続けねばならぬのか。冗談ではないぞ」
最初こそ僕とレオが同室にしようかと思ったが、気を利かせたレオによって僕とヴィオレッタが同室に。
すぐ隣に置かれたベッドへ身体を投げ出したヴィオレッタは、枕に顔を埋めながら力なく悪態を衝いた。
得体の知れぬ化け物が居ると思われる坑道を、暗い中で緊張し通しであったのだ。
当然神経のすり減り度合いは尋常でなく、隣室のレオも重そうに身体を引きずって部屋へ入っていた。
「数日も掛けてはいられないよ。襲撃をして帰還する時間を考えれば、明日の内には道順を確定させておきたい」
「では今日と明日でこの労も終わりか。ならば幸い……、とは言えないな。あとたった一日で最適な経路を見つけねばならぬとは」
「連中は最短距離で追いかけてくるんだ、少しでも早く逃げ出さないと」
一応先ほどまでの探索によって、さらに深い第六層の神殿施設へ抜ける道を発見はした。
しかしそれでもう大丈夫かと言われれば、まだ不安が残るというのが正直なところ。
最深層の神殿中枢部に居るであろう教皇を攫った後、僕等はすぐさま最上層へ移動。さらに騎乗生物に乗り逃走を計らねばならない。
いくら慎重に行ったとしても、少しすれば教皇が居なくなったのはバレてしまうため、より素早く上層へ戻る必要があった。
下手をすれば最上層へ上がった時、既に取り囲まれていたという事態になりかねない。
より成功の確率を上げるため、一分一秒でも早く抜け出せるためのルート、可能ならば最深層への直通となる道を見つける必要があった。
「ともあれあと一日だけ探索を続けよう。明日は僕とレオが潜る、そっちは情報を集めてもらいたい」
なんとか身体に鞭打って上体を起こすと、グッと伸びをしながらヴィオレッタへ向き直る。
そして同じく起き上がった彼女へ、僕は翌日に採る行動予定を告げた。
「私に娼婦の下へ通えと言うのか? 必要であればやるが……」
「いや、聞けば娼婦以外にも情報だけ取り扱う人間も居るらしい。最上層に居るそうだから、そちらと接触してもらいたい」
「……二人だけで大丈夫か?」
これは単純に効率の問題だ。
十分に時間が余っているのであればともかく、飛行艇に乗せているクローンがいくら丈夫とはいえ、肉体を持つ身である以上放置するにも限界がある。
一日でも早く教皇を攫い戻るために、二手に分かれ確実な手段を模索する必要を感じた。
探索そのものはレオと二人でもなんとかなる。ただヴィオレッタは、坑道内でまだ生きて潜んでいるかもしれないヤツの不安を吐露する。
「なんとかしてみせるよ。いざとなったら、全力で排除するさ」
そう言って僕は腰のベルトへ下げていた、一本のナイフを取り出した。
グッとそいつを握ると、僅かな振動が掌へと伝わり、刀身は薄らと赤みを帯びていく。
当然普通のナイフなどではない。地球で作られたこれは、金属製の物体を溶かし切るという目的で使われる作業用のナイフ。
それなりな高度の合金さえ切ってしまうのだ、生物の表皮や骨など紙切れも同然で、本来は戦いに使うような代物ではなかった。
こいつを使えば、まず勝てぬ相手は居ない。当てられればの話だけれど。
「いいだろう。こちらは任せて、気を付けて行くといい」
「悪いね。なんとか今日見つけたのより、もっと良い道を探してくるよ」
軽く笑んで頷いてくれたヴィオレッタ。
彼女へと感謝の言葉を次げつつ小さな菓子を投げて寄越すと、僕はベッドへ横になりすぐさま目を閉じた。




