深層の異形 03
数十mに及ぶ長い数本のロープと金属製のフック。そして各自一つずつの洋灯とその燃料。
それに加え食料と水、これらを全て背嚢へ納め背負う僕等は、壁面へぽっかりと空いた洞の前に立っていた。
「よもや足を踏み入れたが最後、戻ってこられないなどと言うまいな」
「そうならないよう願ってるよ。ただ一つ目から当たりを引けるとは思わないけど」
多くの打ち捨てられた家屋が立ち並ぶ、聖都カンドローナ第三層の最南部。
閉鎖区画と呼ばれるこのエリアは、最も多くの坑道跡が残る場所だ。
巨大な露天掘りの鉱山に築かれた都市の外周にある壁面、そこへと空いた幾つもの穴を前に、ヴィオレッタは険しい表情を浮かべる。
なにせ都市が築かれて以降、百年以上もの長きに渡り放置された場所だ、どんな危険があるとも知れないのだから。
「初めて聖堂国へ来た時に通った所と同じだよ。少しずつ進んで、しっかり地図を作っていく。行き止まりなら他の場所だ」
「下層へ辿り着くのに、いったいどれだけ調べねばならぬというのか……。それに目的の場所へ繋がっているとも限らんのだろう」
「そこは運を天に任すしかないかな。日頃の行いを信じるとしよう」
「日頃の行いか……。私とレオはともかく、お前は期待薄ではないか」
楽観的な言葉を口にするものの、逆にヴィオレッタからはなかなかに辛辣な言葉を頂戴する。
昨夜遅くに宿へ戻った時、僕が纏う外套から強い香の匂いを発していたのに気付いて以降、彼女はずっとこの調子だ。
情報収集のため娼婦のもとへ行っていたと理解はしつつも、やはり内心では面白くなかったのかもしれない。
別段僕が浮気をしたとまでは思っていないようだけれど。
「早く入るぞ、あまり時間はないんだろう?」
「そうだった。捕らえたやつには全員生きていてもらわないと」
僕等のやり取りに呆れたのか、レオはジトリとこちらを眺め呟く。
確かに彼の言う通り、僕等にはあまり悠長にしていられるだけの余裕はない。
なにせ最下層に居ると思われる教皇を攫い、そのうえで脱出を果たし飛行艇まで戻らなくてはならないのだ。それも残り十日ほどの内に。
でないと飛行艇に放り込んだままな、捕まえているクローンが干上がってしまう。
「頼むよエイダ、こればかりはそっちが頼りだ」
<お任せを。アルは歩きながら娼婦との秘め事でも思い出していてください、その間に地図は作成しておきますので>
「……お前もか。そろそろ勘弁してくれないか」
レオの言葉に急かされ、僕ははめた手袋の甲側から、一つの小さなネックレスを引き抜きエイダの名を呼ぶ。
すぐさま声は返されるのだが、その内容はヴィオレッタに同調するものであり、僕はウンザリといった心境に肩を落とす。
この無数にある穴の全てを地図に起こすには、膨大な手間と時間を要するに違いない。
となれば頼りになるのが、人の頭では行えぬ処理を瞬時に行えるAIのエイダ。だがここは地下であるため、衛星からの情報は当てにならない。
そこで使うのが取り出したネックレス。現在ラトリッジにある航宙船とを、衛星を介して繋ぐための受信器であるこれは、各種センサーも内蔵された代物。
歩いた距離や方角、高度などを正確に測定してくれるため、地図を作成するには必要不可欠な装置であった。
「ともあれ入ろう。慎重にね」
ヴィオレッタへと助け舟を出すエイダの言葉に辟易しつつも、僕はゆっくり廃坑道へと足を踏み入れる。
燃料を節約するため一つだけ点けた洋灯を手にし、離れぬよう距離を詰めて。
足音ばかりが響く、なだらかに下る岩肌の道を進む。
かと思えば今度は徐々に上っていき、気がつけば右へ左へとカーブが続く。
これでは当時の鉱夫は大変であったろうと、デコボコした地面を踏みつつ考える。
「よくぞこれだけな規模の鉱山を掘ったもんだ。鉱石の類はほとんど掘り尽くしたみたいだけど」
「似たような鉱山が他にも幾つか存在するのであろう? 自分たちが使う以上に採れるというのは、実に羨ましい限りだ」
聖堂国南部には、これと同じような大規模の鉱山が他にいくつか存在すると聞く。
それらでは毎日山のように鉱石が採れ、次々と保管場所へ運ばれてはうず高く積み上がっていると。
だが採掘したとしても、実のところそれほど使う目的がある訳ではないらしい。
兵士には十分武具が行き渡っているし、かといって建築や造船に使うほどの技術はない。それに鉱石を加工するにしても燃料が必要となる。
しかしそれでもあえて掘り続けているのは、一旦それらの稼働を止めてしまえば、鉱夫たちが行き場を無くしてしまうという理由なのだろう。
「その代わり農作物がサッパリだけどね。国土のほとんどが植物の育たない荒れ地か、砂漠かだから」
「私としては、食料豊富な方がありがたいな。金属で食器は作れたとしても、乗せる物が無くては寂しい」
「言えてる。正直に言えば僕も同盟領に落ちたのが救いだったよ」
聖堂国の食糧事情はかなり逼迫しており、他より多少はマシではあるが、ここ聖都カンドローナでもそれは深刻だ。
宿で出た食事は小さなパンが一切れと、指先ほどの乾燥肉に根菜が僅か。それと塩気ばかりが強い具の無いスープ。
傭兵団の訓練キャンプに居た頃に出されていた、不味い食事がご馳走に思える程だ。
だからこそ聖堂国は、密かに侵略の足掛かりとするというのもあったろうが、ラトリッジとの交易を持ちかけたのだと思う。
農作物が有り余った同盟の都市と、使い道のない鉱石ばかりが転がる聖堂国。
両者の関係は互いに利があるもので、いっそあの状態を維持していれば、もう少しは聖堂国もマシであったろうにと思う。
とはいえ今更そう言ったところで遅いか。
「待て、地面が崩落している」
「っと、危ない。……こいつは下に降りた方がいいかもな。すまないレオ、ロープを持っていてくれないか」
廃坑道の中を進んでいくと、不意にレオが僕の肩を掴む。
よくよく先を照らしてみれば、数歩先には崩落した箇所があり、その縁は今にも崩れそうなほど不安定だ。
慎重に近づき下を覗いてみれば、少しばかり深いものの下に降りられそうにも思える。
そこで手近な岩へ括り付けたロープを、念の為レオに持っていて貰うよう頼んだ。
「いいぞ、ゆっくりとな」
決して放さないとばかりに合図を送るレオに頷き、僕は洋灯を腰に取りつけ、垂らしたロープをスルスルと降りていく。
僕の体重を受けても安定しているのは、レオが支えてくれているためだろう。
そんな安心感を抱きながら、そういえばレオがこの国の出身であったことを思い出す。
元々は孤児であった彼は、地球の研究者であるミラー博士に拾われ実験のサンプルとなった。
だがレオには当時の記憶がなく、結局生まれたのがどこであったのかもわからず仕舞い。
なので別段この国に想い入れはないそうなのだが、元来が食料事情に乏しかった聖堂国だ、レオのような孤児は多かったかもしれない。
「……どうかしたのか?」
「別に何でもないよ。さあ、先を急ごうか」
降りた先の安全を僕が確認するなり、続けて降りてくるレオとヴィオレッタ。
二人が降りてきたところで、レオは僕の表情を怪訝そうに眺めた。
少々感傷に浸ってしまったようで、首を軽く横へ振って坑道の奥へと向き直る。
何があるとも知れないのだ、今はここを抜けることに集中しなくては。
思い出に盛り上がるのはラトリッジへ帰還してからで十分。
とは思うものの、ようやく思考を切り替えた頃、今度は歩く坑道内のそこかしこへ妙なモノが転がっているのに気付く。
「人骨、だな」
「どうしてこんな深い場所に……?」
「ここは廃棄された坑道なんだろう、昔の取り残された鉱夫かもしれないぞ」
落ちていたそれを手に取り明りを当てる。すると光に晒され現れたのは、人の物と思われる骨であった。
それをジッと眺め僕は小首を傾げるのだが、レオはいとも平然と言い放つ。
確かに彼の言うように、大昔に何かの事故で取り残された鉱夫が死に、ここで朽ちていったと考えるのが普通。
だが鉱石を取りつくし閉鎖されたのは、今から何十年も前の話。
僕も長く傭兵を続けてきた身だ、人の骨など見慣れているし、それがどの程度年数が経過しているかの目算もつく。
「いや、こいつはまだ死んで間もないよ。比較的最近、古くても精々一年かそこらだ」
「ならば面白半分に入ってきた人間が、道に迷って戻れなくなったか」
「その可能性は高そうだけど、だとしてもこうも綺麗に白骨化するもんだろうか」
いくら陽の光が当たらぬ場所とはいえ、その骨は肉片こそ残っていないものの、妙な生々しさを感じさせる。
ただもし最近死体となったのであれば、通常は乾燥なり腐敗した身体が残っているはず。
なにせ坑道内には冷たく乾いた空気が吹き抜けており、おまけに地面は固い岩。土ではないため還り辛い。
すると横から覗き込んだヴィオレッタも、僕と同じことを考えたようだ。
自身も拾い上げた骨の一本をマジマジと見るなり、小さく不穏な一言を呟いた。
「こいつはおそらく、猛獣にでも捕食されたのであろう」
「そう思う根拠は?」
「骨に深い傷が残っている。こいつも、そっちのもだ。刃物によって生じたそれではないな、爪か牙だろう」
「……なるほど、確かに刃で斬ったというより、硬い物で抉られたみたいな傷だ」
「最近の物であるはずなのに肉片が残っていないのは、そいつが丹念に味わい尽くした結果であろうな」
自身で告げたというのに、ウンザリといった様子を浮かべるヴィオレッタは、手にした骨を丁寧に地面へと置く。
きっと彼女の想像は間違っていないのだと思う。もしそうであれば、得心のいくものなのだから。
よくよく見れば、散乱する骨は一体分だけではない。少なくとも七体か八体分はある。
これだけの数が一か所で息絶えたとは考え辛い。となればここはその猛獣とやらが、捕まえた獲物を口にするダイニングと言える場所のようだ。
だがこんな場所でいったいどんな生物がと思案するも、存外その正体は早く判明する。
レオが散乱した骨に埋もれるように隠れた、一本の妙な代物を発見したからだ。
「アル、どうやら人骨だけじゃないようだ。こいつを」
「……なんだコレは」
「きっと虫の腕か脚か。そんなところじゃないのか」
「見た目はそうだけど、だとしてもデカすぎる。少なくとも僕は、こんな大きさの虫を見たことはないよ」
レオの差し出したそれに洋灯の明りを当ててみると、現れたのは昆虫の物らしき身体のパーツ。
農作業用の鎌を彷彿とさせる、武器そのものといった気配を持つ身体の一部。
何かを掴むようには出来ていない。この刃にも似た部分は、おそらく獲物を狩るための器官だ。
ただ一つそいつに問題があるとすれば、持つレオの腕と遜色ない大きさであること。
「こいつがこの暗闇に潜んでいるかもしれないのか。笑えない冗談だ」
持つ洋灯の明りを、虫のパーツから逸らし坑道の奥へと向ける。
同盟領最西部に在るフラウレート大森林など、秘境と呼ばれる地では大型の生物が多く確認されるが、いくら何でもこのサイズは異常。
もしこれの持ち主が、視界の効かぬ暗闇の中で襲い掛かってきたとしたら。
そう考えるだけで身の毛がよだち、僕は自然と外套の下に差した剣の柄へ手が伸びていた。