その少女 02
ヒロイン一号の気配がっ。
「お前たち、随分とやらかしてくれたそうじゃないか」
ラトリッジへと帰り着き、休息を挟む間もなく"駄馬の安息小屋"へと報告に向かった僕等。
その僕等を出迎えたヘイゼルさんが、開口一番に向けた言葉がこれであった。
その視線は鋭く、店へと足を踏み入れた僕達四人の新米に対し、今にも刺し殺さんとせんばかりの威圧感を放つ。
周囲にはラトリッジで療養を続けている先輩傭兵たち。
彼らもまたその身から刃のような抜身の気配を漂わせ、筋骨隆々とした肉体を誇示し威圧してくる。
いったい僕等が何をしたというのか。
まさかマーカスが不安を抱いていた通り、本当はとんでもないミスを犯しており、その処分のために呼び戻されたのではないか。
僕が単独でした攻撃によって、何か大きな損害でも被ってしまったのではないか。
そんな考えが頭から離れない。
「も……、申し訳ありません。僕等にはいったい何が何やら……」
緊張に若干声が上擦りながらも、なんとか声を出して問う。
ヘイゼルさんはゆっくりと近づき、僕とさほど変わらぬ身長から真っ直ぐにこちらを直視する。
周囲の傭兵たちもジワリジワリと迫っており、自然と僕等は取り囲まれながら背を寄せ合う形となっていた。
もし万が一命の危険に晒されそうになったとしたら、僕は自身の全力をもってこの状況を打開しなければならないのではないか。
僕がそんな最悪の事態を想定し始めた時、近づいたヘイゼルさんは僕の肩へと手を置き静かに呟いた。
「随分と貢献したそうじゃないか。デクスターが褒めていたぞ」
「え……?」
かけられた言葉は、今まさにされている威圧を考えれば随分と好意的なもの。
そのギャップに僕が唖然としていると、取り囲む先輩傭兵たちから一気に笑いが巻き起こった。
上手く騙せただの、迫真の演技だっただのと。
腹を抱え大きな声で笑い合う彼らの様子は、僕等から肩の力を抜かせるには十分であった。
どうやら性質の悪い悪戯に引っかかってしまったようで、僕はその事実に対し密かに安堵する。
「勘弁してくださいよ。一瞬ボコボコにされるのを覚悟しました」
「スマンな。お前たちがあまりにも上手く立ち回るもんで、今の内にからかっておこうかと思ったのさ」
微笑を浮かべたヘイゼルさんに促され、酒場の一角に在るテーブルへと促される。
確かにここまでの僕等は、これといって任務での失敗もなく、周囲から見れば随分と可愛げの無い後輩に見えたに違いない。
細かい部分では多々失敗もしているのだけれど。
「そういえば、デクスター隊長が褒めていたというのは」
「ああ、ヤツは団長だけじゃなくこっちとも連絡を取っているからな。案外そういった事にマメな人間でな」
デクスター隊長からの便りにより、ヘイゼルさんは僕等がウォルトンやデナムでした行動などについて、多くを知らされているようであった。
それを妬んだ末ではないのだろうが、戻って来た時にちょっとした悪戯を仕掛けることにしたらしい。
今も周囲からはニヤニヤとした笑みが向けられており、どこか落ち着かないものを感じる。
しかしそれによって、僕等はより団の中に受け入れられたような感じもし、決して不愉快な気分とはならなかった。
ヘイゼルさんは無事帰還した僕等を労うように、各々に酒精の入った飲み物を奢ってくれた。
それを持って乾杯し、出された食事を食べ進める。
本来ならば戻ってすぐに報告をする必要があるのだが、手紙によって状況を知らされているから、急ぐ必要はないと告げられていた。
ただ僕は一つ気になった事があり、食事を途中で抜け出してヘイゼルさんのもとへと近寄り問う。
「ところで、僕等は団長の指示で帰還するのだと聞いたのですが……」
「ああ、その件なら明日話すさ。明日から五日ほど休暇を与えるから、朝にお前一人でここに来い」
僕へと再度の不安を与えるかのように、不敵な笑みと共に告げるヘイゼルさん。
また何やら善からぬ事を企んでいる気配。
嫌な感じは受けつつも、僕は不承不承ながら了承してテーブルへと戻る。
「で、何だって?」
「明日来いってさ。でも普通に休みでいいらしいから、僕一人で行ってくるよ」
ケイリーの問いに軽く笑んで答え、再び料理へと手を伸ばす。
目の前ではレオとマーカスが、酒の勢いなのか団長から受けるであろう指示の内容を予想し、一杯の果実酒を対象に賭けを行っていた。
ここしばらくラトリッジを離れて忙しくしていたせいか、こういった時間を取れるのは久しぶりに思える。
ケイリーも加えて賭けに興じ始めている三人を、僕は酒精の軽い果実酒を舐めつつ眺めていた。
▽
翌朝、駄馬の安息小屋へと足を踏み入れた僕は、普段とは異なる違和感を感じていた。
まだ午前中であるせいか、酒場の中には誰一人として傭兵の姿はなく閑散としている。
それどころか、僕に来るよう告げたヘイゼルさんの姿すらなく、どうして良いものか途方に暮れてしまう。
「すいませーん! ヘイゼルさん、居ませんかー?」
バックヤードにまで聞こえるように、大きく声を出す。
すると少しして床板を踏む軋んだ音と共に、奥に繋がる扉からヘイゼルさんが姿を現した。
いや、彼女だけではない。
その背後にはもう一人、彼女より頭一つ分近く小柄な人物が付いて歩いていている。
「折角の休みなのに悪いな」
「いえ、僕も丁度暇を持て余していたので」
ヘイゼルさんは申し訳なさそうな表情をし出迎える。
だが僕が返した言葉に嘘はない。
実際完全な休養日として指定されているため暇であるのは確かだし、僕も本来今から聞かされるであろう用事のために戻ってきたのだ。
休みの日ではあるが、早く肝心の用件を済ませてしまいたいというのが本音だった。
「真面目な奴だ。もう少し気楽に構えないと長く続けられんぞ」
「……善処します」
含むように笑うヘイゼルさん。
確かに彼女の言う通り、もう少し気楽というか軽い気持ちでいても良いのかもしれない。
僕は別に無理をしているつもりはないのだが。
それにしても……、と彼女の背後に立つ人物を見やる。
ヘイゼルさんや僕よりもずっと小柄なその人物は、薄暗い店内にあっても映える艶やかな長い黒髪を、サイドテールにした少女。
若干不貞腐れたような気配はあるが、キリリとした精悍な表情を見せる少女は、比較的短い二本の短鎗をその小柄な身体に背負っていた。
『……見たことのない顔だな』
<肯定です。過去に面識のある人物の中に、該当する外見は存在しません>
いったい誰であろうかと訝しむ僕に、エイダはこれまでの記録から、該当する情報を引っ張り出そうとした。
だが僕自身の記憶の通り、その少女とは一度として面識はなかったようだ。
その顔を更によく見てみると、少女はマーカスよりも年下のようにも見え、どこか幼ささえも感じさせる。
ただ武器を持ってこの"駄馬の安息小屋"に居るあたり、彼女もまた傭兵であることに疑いの余地はなかった。
少女はそんな僕の視線に気づいたようで、僅かに威嚇するような鋭い視線を投げかける。
その瞳はまるで、捕食対象を視界に捉えた肉食動物のよう。
ただし外見の幼さのせいだろうか。僕が感じてしまったのは、肉食動物の子供に近い印象だったのだが。
「ああ、この娘が気になるのか?」
言うまでもない事に思えるが、ヘイゼルさんはクスリと笑んで問うた。
訓練キャンプであればともかく、傭兵団の拠点にこんな少女が居るというのは不自然に思えてならない。
例え彼女がどういった実力を持っているのだとしても。
「この娘に関する事が、団長がお前たちを呼び戻した理由さ」
「でしょうね」
「なんだ、面白みのない反応だな。まあいい、挨拶をしな」
ヘイゼルさんに背を押され、彼女の前へと出てきた少女は、やはりまだ憮然としたままだ。
しかし促された以上、その態度を続けることも叶わないと考えたのだろうか。
少女はキッとこちらに鋭い視線を向けたままで、その攻撃的な瞳にしては小さな声で名を告げた。
「……ヴィオレッタだ」
「よろしくね、僕はアルフレート。アルと呼んでくれていいよ」
極力刺激せぬよう意識して名乗り返したのだが、彼女にはそれが気に入らなかったようだ。
若干硬い口調でヴィオレッタと名乗った少女は、馬鹿にするなと言わんばかりに再び視線を鋭くする。
「私を子供扱いするのは止めてもらおう。それとも、私に何か言いたい事でもあるというのか!?」
親しげな口調を意識したのだが、実際は少々子供に対するモノに近くなってしまったのだろうか。
ヴィオレッタはどこか硬い言葉で不満を露わにする。
言葉の言い回しなどについては、エイダによる翻訳の問題であるかもしれないが。
その様子を見咎めたヘイゼルさんは、小さくため息衝いてヴィオレッタの黒い頭を小突く。
「これから世話になる相手にその態度はないだろう」
「しかし!」
矛先はヘイゼルさんへと向き、こちらへの鋭く攻撃的な意識は散らされる。
だがそれにしても今ヘイゼルさんは、世話になる相手と言ったか……?
その口ぶりからすると、どうやら僕にこの少女の何がしかを任せようという意図は明らかだ。
「しかしじゃない。……まあいい、アタシはちょっとこいつと話があるから、お前は外で待っていろ」
反抗する態度に対し呆れ混じりとなりつつ、ヘイゼルさんはヴィオレッタへと外で待つよう指示する。
その言葉に対し、彼女は「子供扱いするな」と叫びながらも、存外大人しく従い外へと向かった。
駄馬の安息小屋から出ていくヴィオレッタの背を見送り、一息衝いたヘイゼルさんは僕を見て小さく苦笑する。
「すまないな。どうにも気難しい年頃なのか、すぐああやって癇癪を起こす」
「それはいいですけれど……、世話になるとか何とか聞こえたんですが?」
ヘイゼルさんの言葉にいいと返しつつも、僕は疑問として抱いたものを問う。
ヴィオレッタと名乗った少女に関する理由で僕等はラトリッジへと戻され、しかも彼女の世話をしなければならないと言う。
そこからどういった意図があるのかを推測するのは容易ではあるのだが……。
「そのままの意味さ。アルフレート、お前たちのパーティーにあの娘を入れてやってくれないか」
「まあ、そうでしょうね。大体予想はしてましたが」
「物わかりが良くて助かる。それなりに腕は立つはずだから、足手まといにはならんと思うぞ」
快活に言ってのけるヘイゼルさん。
彼女が太鼓判を押すのだ、あの少女はきっと言う通り相応の実力は備えているに違いない。
ただわざわざ前線から戻って来てまで、あの娘を受け入れなければならない理由。
それだけはちゃんと聞いておく必要性はあるのだろう。