駒と王 07
洋上に立つ荒波の多くが掻き消え、寄せては返す僅かな波が打ち付ける海岸線。
聖堂国南岸の西部、人の寄りつかぬ小さな入り江へ飛行艇を接岸した僕等は、必要分の食料を背負い砂浜へ降り立った。
「なぁアル、本当にこいつを置いて行ってもいいのか?」
ただヴィオレッタは若干心配そうに、幾度か海の上で浮かぶ飛行艇へ振り返り呟く。
中には拘束し檻の中へ放り込んだクローンが居り、そいつが飢えて死なぬか心配であるようだ。
なにせこれから僕等は数日ほどここを離れ、シャノン聖堂国の首都である、聖都カンドローナへ向かうのだから。
「大丈夫だよ。念の為に十分な水と食事を摂らせた、それにどうやら奴らは十日少々なら、飲み食いを必要としないらしい」
「そいつはまた便利な身体だな。もっとも、大して羨ましいとは思わんが」
「食事の楽しみが奪われるからね。僕も正直御免被りたい」
とはいえあのクローンはそもそもが、食糧事情に難を抱える開拓船団が、少ない補給で活動できる兵士を求め生み出した代物。
水も食料もない過酷な環境に耐えうるよう作られた戦士は、何も口にせずとも当分の活動を容易としていた。
当然出来るだけ長く生きるよう、出発前にある程度の食料を食べさせてはいるが、実際には飲み食いさせたというよりも、押し込んだという方が正解か。
ただこの地域の気候から言って、日中は飛行艇内はものすごい暑さとなるだろうし、深夜は逆に酷く冷え込んでしまう。
なのでその点ばかりは心配の種だが、万が一の時にはエイダが聖都の近くまで飛んで来てくれる。
もちろん、そうならないよう祈ってはいるけれど。
「それじゃ行こうか。少しでも早く戻れるようにさ」
「ああ、……アレに乗るというのは少々抵抗はあるが」
ともあれいつまでも置いて行くと決めたクローンを気にしても仕方がない。
僕は振り返らぬと決め飛行艇へ背を向けると、緩い砂浜を踏み荒れ地へ向け移動していく。
ただレオなどは平然としているのだが、ヴィオレッタはちょっとばかり顔を引き攣らせていた。
というのも少し離れた場所へ止めている生物、前もって先に飛行艇を降りた僕が調達してきた、この国で一般的な騎乗用生物の外見に引いているためだ。
「大丈夫だよ。最初シャリアに乗せられた時は、僕もかなり驚いたものだけど」
「そ、そうか。本当に襲われたりせぬだろうな……」
亀やカメレオンなどを足して割り、人の数倍以上へ巨大化させたその外見は、人によっては酷くグロテスクと感じるはず。
ヴィオレッタなどは、こういったものがあまり得意な方ではないため、近付きつつも僅かに腰が引けていた。
ただ恐る恐るではあるが一度乗ってみた瞬間、これが思いのほか大人しい生物であると悟ったようだ。
手綱を引くなり素直に言う事を聞き、存外揺れも少なく穏やかな気質をもつそれを、ヴィオレッタはいたく気に入ったようであった。
「こいつは良い。アル、事が終わったら何頭か連れて帰らぬか!」
跨って機嫌を良くしたヴィオレッタは、最初に乗った時の僕とまるで同じ内容を口にする。
だが気温が高いこの地域のみで生息し、寒さに弱いとされるこいつらを連れて行くのは叶わない。
それを彼女へ伝えると、やはり残念そうな顔をし、乗る生物の頭を柔らかに撫でていた。
無念と言わんばかりなヴィオレッタを宥め、僕等三人は陽の落ちた中を聖都へ向け進んでいく。
一人に一頭用意したそれに跨り、星明りで照らされる聖堂国の大地を眺めるのだが、それは前回来た時に見えた光景とは多少異なっていた。
聖堂国北部から中部にかけての大部分は砂漠地帯だが、南部になるとその光景は若干変わってくる。
一面の流砂で埋め尽くされた世界から、堆積した地層の断面が多く見られる荒れ地へと。
暑さ厳しいのは同じだけれど、砂漠に比べればまだ日影が多く見られるため、多少なりと気が楽であるのは確か。
そんな光景が広がる、聖堂国南部の中央近くへと位置するのが、現在向かっている聖都カンドローナであった。
「ところでレオ、今更聞くようで悪いのだが、お前は残っていなくてよかったのか」
「飛行艇に残って、ヤツの見張りをしていた方がよかったか?」
「そっちではない。ラトリッジに残したリアーナたちのことだ」
急激に冷え込む夜間の冷気を纏う外套で遮断し、身体を縮め揺られ続ける。
そんな中でヴィオレッタは、ふと思い出したようにレオが乗る生物の隣へ並び声をかけた。
彼女が言わんとしているのは、レオが折角会えた家族を置いて、すぐさま戦場へ舞い戻ったことについて。
僕等が襲撃を受け聖堂国へ逃げ込んだ時点で、ラトリッジへ残していたリアーナは、既にレオの子を宿し身重であった。
あの時点でもうかなり大きくなっていたため、当然僕等が苦労し帰還を果たした時点で既に生まれていたのだ。
幼く碌に動くのも儘ならぬ子を置いて来たレオに対し、不満とまでは言わないものの、ヴィオレッタは納得のいかないものを感じていたらしい。
「俺だけ残って休んでいる訳にはいかないだろう」
「お前が居てくれると、戦力として助かるのは否定せん。だがな……」
「残っても俺では子守りができない。お前たちが気がかりで落としでもしたら、逆に俺の身が危ないしな」
そう言ってレオは被ったフードの下、口元を綻ばせ苦笑した。
確かにレオが小さな子をあやす姿など想像できないし、実際のところリアーナはレオよりもずっと強い。
どうやら母親となって以降、元来大人しい気性も強くなりつつあるとヴィオレッタからは聞いている。
なので僕等のことを気にするあまり、抱き抱えた子供を落としたレオが叩きのめされるというのは、別段おかしな話でもないように思えてしまう。
「それにあいつは行って来いと言ってくれた。俺はその言葉に甘えさせてもらうだけだ」
「……そうか。ならば私はこれ以上言うまい、帰ったらあの子の労をねぎらってやるだけだ」
僕等が留守にしている間、ヴィオレッタは身重のリアーナを随分と気に掛けていたと聞く。
そのためレオが家族を放って来たことに難色を示したみたいだが、当人がそう言うのであれば、これ以上は野暮であると考えたのらしい。
彼女はフッと小さく笑みを溢すと、何か手ごろな土産でもないかと思案し始めた。
「それじゃ、そのためにも早く済ませて帰ろうか。飛行艇の方も気になるし、少しばかり速度を上げよう」
「大丈夫なのか? まだかなり距離はあるのだろう、こんな何もない荒野で倒れるのはゴメンだぞ」
「大丈夫さ。むしろ少しくらい速く走らせた方が、体温も上がって丁度良いみたいだし」
今となってはあまり気乗りがしない任務であるのに加え、レオを早く家族のもとへ帰してやりたいという理由が出来た。
そこで僕は握った手綱を軽く振るい、乗る生物の歩を少しばかり速める。
この生物を食料と交換で売ってくれた商人によれば、暑さには強いが寒さにはあまり強くないようで、夜間は積極的に動き回らせるのが無難であると聞いた。
なので昼間は人と同じように陰で休み、夜間に動くというサイクルが最適であるという。
「ならば競争するか。休むのに丁度良さそうな場所までな」
「荷物を落とさないでくれよ、こいつには帰りの食料も積んであるんだから。たぶん向こうじゃ手に入らない」
「私を誰だと思っている。こいつには初めて乗るが、もう十分乗りこなせるぞ」
ヴィオレッタは先を急ごうという言葉を聞くなり、遥か前方を指さし強く手綱を握りしめた。
多少のお遊びとして、コイツに乗ってしばしのレースを試みようというらしい。
僕とレオが長く離れていた反動だろうか、少しばかり付き合うのも悪くないと思い、彼女に倣って手綱を構える。
見ればレオもまた同じく走る体勢を取っており、その空気が伝わったのか、跨る各々を乗せた生物たちも力が入っている様子であった。
「日の出までそう時間はない。短期決着だ、一番は俺がもらうが」
「私とてそう易々と勝ちを譲るつもりはないぞ。お前たちの留守を守り続けた鬱憤、ここで少しは晴らさせてもらおう」
「いや、俺がもらう。二人への土産の一つとしてな」
思いのほか乗り気であったレオは、いつもの変わらぬ表情のまま、隣へ並んだ僕等へと宣戦を布告する。
それに対しわざと不敵に笑うヴィオレッタであったのだが、レオは口元をニヤリと歪め自身の勝利を宣言した。
生まれた彼の子供が男児であったため、勝利という土産を一つでも多く示したいという欲求の表れであるようだ。例えそれがわからぬ齢であるとしても。
今まさに敵の総本山へ向かっているというのに、どうにも緊張感がないのは理解している。
それでもこれより先、僕等はより苛烈な状況に身を置く破目になるのは間違いない。
そのことを想えば、到着するまでの間少しくらいは、こういったお遊びをして気を紛らわすのも悪くはない。
僕にはそう思えていた。