駒と王 02
ラトリッジへと帰り着くなり、なんとか数枚という僅かな量に収まっていた書類を片付ける。
そうしてようやく念願叶い、柔らかで大きなベッドへと身を投げ出す。
襲い掛かる睡魔に身を任せ、ただひたすら惰眠を貪りたい欲求に駆られた僕であったが、辛うじて踏み止まると、なんとか身体を奮い起こした。
一人暗い寝室の中、エイダへと指示し受け取った音声を、再度再生してもらう。
『君がこのメッセージを聞いているということは、無事自国への帰還を果たしたということだろう。ひとまずは祝辞を送らせてもらうとしよう』
眠気に薄ら靄のかかる頭へ響くのは、定期的に連絡を取っている相手の声。
都市王国ラトリッジの前身である傭兵団を生み、現在は地球へ帰還し軍の要職に就く、匠・穂村中佐だ。
いや確かつい最近、大佐へ昇進したそうだとエイダが言っていたか。
僕は彼の通り一辺倒な言葉に、聞いていないにも関わらず無意識のうちに相槌を打つ。
『さて、君の使うAIからおおよその状況は知らされた。随分と大変な目に遭ったようだが、申し訳ないことに、こちらとしては君へノンビリ休暇を与える訳にはいかない』
淡々と語る彼の言葉に、またもや深いため息が出る。
帰路の飛行艇の中で一度聞いた内容ではあるが、身体を襲う疲労を想えば、何度聞けど嘆息の一つもしようというものだ。
『今まで君へしてきた依頼は、私の個人的なお願いという体裁で行っていた。なので当然君には拒否権があったが、幸運にも全てを引き受けてくれたな。もっとも、君からすれば拒絶の難しいものであったろうが』
「断れるわけがないでしょうに。ほぼ命令みたいなものなんですから」
向こうが聞いていないと理解しつつも、再生される音声へ悪態を衝く。
彼が地球への帰路に着いて以降も、幾度か個人的な"お願い"をされたことがある。
それはこの惑星にある、特定の物質を分析したデータの収集であったり、戦闘によって墜落した機体のパイロット保護などだ。
後者は半ば正式な軍の依頼であったが、基本的には善意の協力であり、実際そこに報酬などは発生していなかったのだ。
『しかし今回は違う。これは軍上層部からの正式な指令だ。君は立場的にただの民間人だが、戦時の特例法に則り、この命令に従う義務が課せられる』
となれば今回は、本格的に拒絶が不可能であるらしい。
そもそも地球では死亡扱いになっているはずの僕が、その法とやらの縛りを受けるかは怪しいところだが。
だがそのような言い分を口にしても、きっと聞き入れてはもらえないはず。
僕は後で文句を言うのを諦めつつ、淡々とされ続ける音声へと意識を向け直す。
『まず君には、件の技術者を早急に確保してもらいたい。これは未だもって不明である、開拓船団の内情を探るためだ。しかしそれが叶わぬ時、もしくは何の情報も引き出せないと判断した場合、今度は確実に処理を行うこと』
『次いで開拓船団の影響下に在る、シャノン聖堂国へと攻撃をしてもらう。これは単純に、軍による示威行為の一環であると考えてもらいたい。具体的には聖堂国の中枢部、神殿の総本山を破壊し技術者と同じく、教皇の身柄を確保あるいは抹殺してもらう』
届けられたメッセージで延々と指示を口にされていくのを聞き、僕はその難解さに頭を抱える。
他にも教皇とは別に、少年の姿をしたクローンを確保しデータを収集することなど、下される指示は多岐にわたった。
拒否が許されない以上、大人しく言う通りにするほかなかった。
ただ技術者やクローンの確保はともかく、神殿の総本山を破壊し教皇を攫うなど、本来であれば正気の沙汰とは思えない。
まず間違いなく、そのような真似をすれば聖堂国が黙っていようはずもなく、一斉に攻勢へ転じてくるのは避けられないはず。
国境の地形といった問題もあり突破は困難だが、もし一斉に雪崩れ込む手段が確保されてしまえば、瞬く間にこちらは壊滅してしまう。それ程までに両者の戦力差は顕著だ。
しかし彼は当然そこを理解しているようで、事を成した後の対処についても明言した。
『それらが終了後、同盟領への侵攻を行えぬよう聖堂国側国境地帯へと、大規模な爆撃を行うため無人機を投入する。それで当面の反攻は抑えられるだろう』
『碌な支援も無しに、このような命令を下し申し訳ない。故に成功の如何を問わず、相応の報酬くらいは用意しようと考えている。無論上手くいってくれるよう願っているが』
多少の対処は考えてくれたようだが、彼の言うように支援もなしというのは、なかなかに楽観視を許されぬ状況。
本来ならこれだけの作戦をするのであれば、一定数の人員や装備を送り込んで来ようものだろうに。
おそらく下手に被害を出したくないか、必要以上の予算を使いたくないという、軍上層部の本音のためなのだとは思う。
いくら現在この惑星周辺宙域の大部分を、軍が監視下においているとはいえ、大規模な降下を試みれば開拓船団も黙ってはいないだろうから。
流石に僕等にだけ、このような任務を押し付けるのが心苦しいのか、彼は何度となく謝罪めいた言葉を吐いていた。
ある程度上に立ってはいるようだが、それでも彼の上にはもっと上位の階級が存在する。
間で板挟みとなっているのが容易に想像でき、僕は密かに義父へと同情をした。
再生されていたそれがループし、最初へと戻る。
もう一度聞く気もなかったため、エイダへたのんで再生を停止してもらうと、一人だけのベッドから立ち上がり部屋の扉へと向かう。
「ルシオラ、作業の進捗はどうなっている」
「ご指示通り道中必要な食糧等、物資の搬入は完了致しました。現在は燃料の注入作業を行っております、早朝には完了するかと」
扉を開くなり、外で待機していた執事のルシオラへと声をかける。
彼女は時折兵士が持ってくる報告を、抑揚ない事務的な口調で伝えてきた。
都市の外へと着陸させた飛行艇は、現在急ピッチで再度飛び立つための準備を行っている。
聖堂国へと飛行し、そこで指示された内容の活動を行うためにも、大量の食糧や武器弾薬、予備の燃料など必要となる物資は多岐にわたる。
とはいえそれら作業を行うのは、これまで機械の類に触れたことがない人間ばかり。
当然アレを整備など出来ようはずもなく、一晩休息を摂った後、僕がそれをする必要はあった。
「……随分と驚かせてしまったんじゃないか。街のど真ん中にあんな物が下りてきて」
「否定はいたしません。流石にあのような物を見た記憶はありませんし、この世の終わりが来たのかと想像してしまいました」
連絡役として、寝ずの番を買って出たルシオラ。
僕は廊下の窓へと近づき、外を眺めつつ彼女へおずおずと問うた。
屋敷の窓から見える先の広場には、夜闇の中でずんぐりと佇む巨大な影が。
広いはずの広場を埋め尽くさんばかりに鎮座するそれは、同盟領のずっと北西に広がる森林地帯で、蔦を纏い眠っているはずであった航宙船。
衛星が撃墜された直後、エイダがヴィオレッタへ助けを求めるために、無理を押して飛びこの地へやって来たのだと聞いた。
かつてエイダからは、推力が出ないため飛行は不可能と聞いていたのだが、どうやらそれは惑星からの脱出が無理であるという意味であり、こうして低空で移動するくらいならギリギリ可能であったようだ。
「正直申し上げますと、今でもサッパリ理解は追いついておりません。今も自分の常識が悲鳴を上げておりますし、ゼイラム様などはアレが話し始めた時点で卒倒しかけました」
「悪いね……。色々と話せない事情があったんだ」
「ただ自分だけでなく民たちもですが、混乱も一周回って吹っ切れ始めてはおります。なかなか愉快な心境ですね、理解が及ばないあまりに考えるのを放棄するというのは」
そう言ってルシオラは、外を眺めくすりと笑んだ。
飛行艇のみならず航宙船など、彼女らにとって到底理解の範疇を越えた存在。
ただそうであるが為、逆に正体を思考するのが馬鹿馬鹿しくなってしまったようだ。
広場に航宙船が下りてきてから暫し、ルシオラの話によれば、商売人達などはこれを商売の種にしようと目論み始めているらしい。なんとも商魂逞しいことだ。
「ですのでこの件は、もう驚くという範疇の常識的思考からは追い出すことにしました。なのでここ最近で一番驚いたのは、戻って早々に主がまた敵国へ向かうと口走ったことでしょうか。それも今度は、お二人が揃って」
「悪かったよ。しばらく執務の方は、君とゼイラムに任せることになる」
「本来であれば当然お止めするところです。どうしても行かれると言うのでしたら、せめてお世継ぎだけでも置いて行って下さいと申し上げたいのですが」
「残念ながら、まだ居ないからなぁ……。互いになかなか暇が無くてね」
「こんなことでしたら、やはり当初の予定通り自分がお相手をするべきだったかもしれません」
「……って、やっぱりそれが目的で執事になったのか?」
「いえ、流石にこれは冗談ですが」
広場に据わる航宙船を眺めながら、ルシオラの説教とも愚痴とも取れる言葉に相槌を打つ。
今度の聖堂国行きにはヴィオレッタも連れて行くため、この国は頂点に立つ者が同時に留守とせねばならなくなる。
その皺寄せは多くの家臣たちに及び、特にルシオラとゼイラム元騎士隊長には、当面多忙な日々を送って貰わねばならなかった。
何故僕等が揃って留守とせねばならぬのか、それは説明できるようなものではなく、もししたとしても納得などしてもらるはずがない。
だが理由は言えないと告げる身勝手なこちらの言い分に、彼女らはどういう訳か首を縦に振ってくれる。
ともすれば帰って来た時、王の椅子が簒奪されていてもおかしくはない状況だ。
「自分の主様は、かなり無茶と独善が過ぎるお方です」
「耳の痛い話だよ」
「ですが理由もなく、家臣たちを見放すような方とは思いません。お帰りなった暁には、必ず元の日々に戻ると信じております」
ルシオラの辛辣な指摘が襲う。最近になってようやく自覚し始めただけに、なかなかに堪える言葉だ。
だが苦言を口にしつつも、こうして手を貸し続けてくれる。ならば全てが終わった時、理解をされないとしても、彼女らに事情を話す必要があるのだろう。
別段地球の軍からも、この地の住人に一切を秘匿しろなどとは言われていない。
「わかった。帰ったらちゃんと、君たちの王に戻ってみせるさ」
「言質、取りましたよ。それに覚悟して頂きます、後継者が生まれるまでお二人には外出すら許可いたしませんので」
「それと書類の山か。戻ってから当面は、この屋敷に軟禁状態だな」
窓から差す月明かりを浴び、ルシオラは悪戯っぽい蠱惑的な笑みで、帰還を躊躇わせかねないばかりのキツイ言葉を投げつけた。
白い明りを浴びた姿と相まって、彼女の姿はなかなかに目を惹く。
これですぐ近くに在る別の部屋から、ヴィオレッタがこちらの会話を窺っている微かな気配がしなければ、きっと気持ちがグラつきそうな心境になっていたことだろう。
ルシオラへと困った表情を向けると、僕はヴィオレッタが居る部屋の前へ行き、黙って扉を引き開ける。
扉へ耳を点け聞き耳を立てていたヴィオレッタは、たたらを踏んで廊下に出ると、少しばかり気まずそうな表情を浮かべた。
「という事だそうだよ。今のうちに義務の片方を消化しておこうか」
「ち、ちょっと待て。明日にはまた出発するのだぞ!」
「正確には今日だよ。あまり時間がない、ルシオラが気分よく見送りできるようにね」
僕はそう言うと、ヴィオレッタの腰へと腕を回し担ぎ上げる。
困惑し手足をバタつかせる彼女を持ち上げたまま振り返ると、ルシオラは満足そうに口元を綻ばせ深く一礼した。
その様子に押し黙るヴィオレッタは、観念したのかガックリと脱力。
僕はそんな彼女を担ぎ部屋へ入ると、扉を閉め鍵をかけるのであった。