駒と王 01
間断なく襲う小さな振動によって促される、強烈な睡魔。
身体を固定するには心許ない、小さな椅子へ腰かけて壁に背を着け、僕は落ちかかる瞼を開け大きな欠伸をした。
渓谷内での逃走劇からしばし、僕等は国境を抜け城塞都市デナムへと行きついた。
そこで先行し逃げていたシャリアらと合流。互いの無事をひとしきり喜び合った後、突如として現れた飛行艇に関してを問い詰められた。
あのような代物がこちらに加勢したという事実は、彼女らにしても面食らうものであったのは事実。
なので多少のはぐらかしは織り交ぜ、僕はあれを前々から用意していた、新兵器の類であると説明するに留めた。
その後休む間もなく都市デナムを出立した僕等は、少しばかり南西に在る平野へ移動。
そこで着陸し待っていたヴィオレッタに迎えられ、一路ラトリッジへ帰還するべく、全員で飛行艇へ乗り込んだのだ。
「緊張しているようだね」
「と、当然です! こんな、人を乗せ空を飛ぶなど。もし落ちでもしたら……」
眠気を覚ますため周囲を見回してみれば、すぐ間近にはガチガチに緊張し座る三人の兵たち。
ただそれも当然だ。彼らにとって空とは鳥や風だけが渡る世界であり、人がその領域へ足を踏み込むという認識はなかったはず。
そんな得体の知れぬ巨大な空飛ぶ船に放り込まれ、今まさに自身を乗せているのだから。
内一人へと声をかけてみれば、彼はぎこちなくこちらへ振り向き、震える声で恐ろしそうに墜落する想像を口にしていた。
「一応今まで落ちたことはないよ。……落とされかけたことならあるけれど」
「そんな……」
「大丈夫だって。その時の損傷はとっくに直したし、今はこちらを落としに来る輩も居ない」
普通に安心させる言葉を向ければいいものを、ようやく同盟領に帰った安堵感からか、少々意地悪をしてしまう。
あの時は無謀にも開拓船団側の戦闘機と対峙し、載せた機関砲で牽制を行ったのだったか。
敵側も本気で相手などしていなかったため助かったが、今にして思えばかなり危ない橋だったように思える。
不安感に表情を歪める兵たちへと、僕は軽く笑って先ほどの言葉を否定した。
今はあの時のような敵も居らず、基本的のこの惑星の空では他に並ぶものが無いのだから。
ただこの飛行艇を落としうる存在が、一切いないかと言えばそうではない。
聖堂国内で聖域を破壊した時に逃がした、開拓船団の技術者。
衛星を撃墜したのはヤツの仕業でほぼ間違いはなく、もしこの飛行艇の存在も知られていたならば、同じようにしてくる可能性がないでもなかった。
しかし今のところそれらしい兆候は見られず、エイダ曰く、それをしたあの技術者が乗っているであろう航宙船は、未だもって沈黙したままであるとのことだ。
「それに見てみなよ、シャリアなんてもう平気な顔をしている」
「単純に恐れより興味が勝っているだけですわ。いったいどうやって、こうも巨大な船が浮いているのか」
一方でとっくに慣れてしまったのか、レオなどは眠気に抗うことを早々に諦め、椅子の上で横になって高いびきをかいている。
シャリアもまた存外平静を取り戻すのは早かったようで、椅子に腰を降ろしてはいるものの、船室内を細かく観察し続けていた。
そのシャリアを視線で指すなり、すぐにこちらへと気付いた彼女は軽く微笑む。
彼女は今まで見たことがない程に浮かれているようで、未知の技術へ触れた興奮からか、少女のように目を輝かせていた。
珍しいものが見れたと思いつつ、僕はそのままシャリアらを置いて席から立ちあがる。
長旅の疲労に気怠い身体へ鞭打ち、時折風に煽られてグラリと揺れる船内を歩いて機体前方へ。
簡素な仕切りの扉を開き操縦室へと移ると、並べて置かれたシートの片方へドカリと腰を落とした。
「なんだ、もう疲れは取れたのか?」
「まさか。せめて十日は揺れないベッドで休ませてくれないと、ここまで積もり積もった疲労は抜けないよ」
「であろうな。体力馬鹿なレオでさえあの有様だ、どれだけ過酷であったかは想像できる」
操縦席へと座り、椅子にもたれかかってノンビリ外を眺めているヴィオレッタは、僕が座るなり一瞥もくれず口を開いた。
ここまでの道中で、互いにこの状況へ至った経緯は説明している。
よもやエイダが航宙船を起動させ、ラトリッジに突っ込むという行為に出るとまでは予想していなかったが、それだけ切羽詰っていたということだろう。
事実、助けが来なければどうなっていたかはわからない。
「本当に助かったよ、手間をかけさせた」
「そう何度も言わずとも十分だ。ただ確かに相当な重労働であったのは否定できぬ、借りは後日しっかりと返してもらうぞ」
エイダがヴィオレッタと合流した後、悪戦苦闘しながらも衛星の打ち上げを行ったという。
ただ人の手による設定をするには、ヴィオレッタはそういった面の知識があまりにも不足しており、相当な時間を要したようだ。
飛行艇を稼働させるため、燃料の搬入などは人の手を借り行っていたそうなのだが、結局衛星が作動したのは、飛行艇を発進させる準備の整ったあたり。
そこから僕との通信が回復するまでは更に時間が要り、僕等が渓谷内で囲まれていた頃にようやく復旧と、かなりギリギリのタイミングであったようだ。
僕のした礼に苦笑し、随分な見返りを要求するヴィオレッタ。
ただ彼女は思い出したように、肩を竦めて嘆息するように強く息を吐いた。
「ただこの件で、ようやく例の女と話が出来たことは収穫だ」
「女……? ああ、エイダのことか。実際には性別なんてないんだけどね」
「私からすればアレは女だ。なんなのだあいつは、保護者というよりも世話焼きの女房面であったぞ。ここまで私が何度嫌味を言われたことか」
ラトリッジへ航宙船を降下した後、ヴィオレッタはその中へ入り通信用の端末を持ちだしたそうで、以後彼女らは意志の疎通を行っているという。
これまで機会はあれど言葉を交わすことのなかった両者だが、ここに至ってようやく対面を果たした。
しかし折り合いが良いのか悪いのか、僕へと互いの不平不満を口にしている。
<それは心外ですね。私はポッと出の貴女と違って、アルが小さい頃から知っているのです。可愛がって当然でしょう>
「可愛がるだと? お前のそれはただ単に、男を奪われ嫉妬に狂っていると言うのだ。アルへの執着心丸出しではないか、みっともない。私のように平然と構えておればいいものを」
<平然と言う割には、随分と狼狽えていたようですが。聖堂国へ逃げ延びてからの話をした後、アルの身を案じて涙ぐんでいたでしょう。機内の状況はつぶさに観察しているのですよ>
「き、貴様! 起きていたのか!?」
<私は生物ではありません。なので別段睡眠を必要とはしないもので>
飛行艇の操作パネル上に置かれた端末を介し、ヴィオレッタとエイダは丁々発止とやり合う。
ここまでは互いに存在は知りつつも、直接言葉を交わしてこなかっただけに、僕はなかなか二人を会話をさせる踏ん切りがつかなかった。
しかし会話の内容を聞く限り、そのほとんどが罵倒や嫌味であったとしても問題はなさそうだ。
「……そろそろ止めておかないか? 後ろで休んでる皆は気が気じゃない」
<別にこちらとしては構いませんよ。小娘に喧嘩を売られなければ、言い返しはしませんから>
「貴様こそその口を噤むがいい。人の手を借りねば、こうして助けにもこれなかったというのに」
「もうわかったから、二人ともそこまでにしてくれ!」
とはいえこのまま続けていては、後ろで休んでいるレオたちが落ち着けやしない。
そこで制止するべく割って入るも、二人は矛を収めるフリをしながらも、変わらず棘を相手に向け投げ続けていた。
ただ声色からすると、あまり本気でやり合っていないようなので、双方自然にこういったコミュニケーションの取り方に落ち着いただけなのかもしれない。
「……ところでエイダ、この件はもう報告をしたのか?」
<ええ、衛星が復旧した直後に。一連の出来事を纏めて文書化したものを、地球へ送信しています>
とりあえずやり取りを収めたところで、僕はエイダへと一つ気にかかっていたことを問う。
聖堂国の"聖域"と呼ばれる施設で、クローンの製造が行われていたのに始まり、そこに居た技術者が衛星を撃墜したことなど、地球側へ報告しなければならないからだ。
ヤツは僕が地球側の人間、それも軍の協力者であるとで知りながら攻撃した。僕自身は軍属の身でないものの、それは敵対行動と認識するしかない。
なので一応は報告をせねばならないのだが、エイダはそれらを既に済ませていたようであった。
<既に今後の方針について、地球からメッセージが届いています。再生しますか?>
「頼む。この端末の方じゃなくて、直接頭の方に回してくれ」
向こう、つまりヴィオレッタの父親でもあるホムラ中佐はある程度は予測の範疇であったのか、この短い間に返事を寄越してきたらしい。
ただでさえ姿が見えずとも声だけはするエイダの存在や、空飛ぶ船の存在でシャリアや兵たちを混乱させているのだ。
これ以上驚かせるのも悪いと思い、僕は直に頭の中へメッセージを再生してもらうよう告げる。
すぐさまエイダは届いているというそれを再生させ、頭の中に聞きなれた声が響く。
だがその内容を聞くにつれ、僕は気怠さに弛緩した身体へと、緊張が奔っていくのを感じた。
帰還後はしばしの休暇を満喫する気満々であったが、徐々に思考は戦いの前段階へと切り替わっていく。
「どうしたのだ? まさかまた、無理難題を吹っ掛けて来たのではあるまいな」
「その通りだよ。悠長に休んでいる暇はなくなった」
「ではこのまま何処かへ向かうのか」
届けられたメッセージにあったのは、次なる戦いへ向かって欲しいという内容。
普段であれば、強制ではなく自主的な行動を促す内容な場合が多い。だが今回はそうではなく、明確な命令としての指示であった。
確かにこれは無理難題だ。まったくの不可能であるとは言わないが、相当の危険を冒さなくてはならない。
きっとそれは今回の逃走劇の比ではなく、機体後部で休むシャリアらを伴っていては、到底成せないもの。
なのでこのまま直接その指示を実行に移すのかと問うヴィオレッタへ、僕は大きく首を横へ振った。
「いや、流石に一度ラトリッジへ戻る。補給を済ませて、それからすぐ出立だ」
「了解だ、一日あれば済むだろう。……あいつらはどうする」
「置いて行く。流石に連れてはいけない」
小さくコッソリと問うヴィオレッタへと、僕は同じく小声ながらも明確に告げる。
彼女はその理由すら聞かず、ただ軽く頷いて真っ直ぐ正面を向くと、自動で飛行し流れる空を眺め始めた。
この言葉だけで、これから向かわねばならない戦場がどれだけ苛烈であるか、その一端を察したようだ。
<もう間もなく、ラトリッジへ到着します。都市外壁部近くへの着陸でよいですか>
「ああ、頼む」
ようやく得られるはずであった僅かな休息が、するりと手元から抜け落ちていく。
僕等は操縦室の中で二つ並んだ席へ腰を落としたまま、ただ黙ってその事実を反芻していた。
僕が留守の間はずっと執務を担い、帰還を待ちわびていたヴィオレッタにしても、きっとそれは同じだろう。
ただもう少しで帰り着くと告げるエイダの言葉に、顔を見合わせ苦笑する。
「それじゃ補給に要する一日を、大切に過ごすとしようか。都市からは出られないけれど、出かけるのも悪くはない」
「そうできるだけの余裕があればいいがな。私までもが留守にしてしまったのだ、机には書類が積み上がっているかもしれんぞ」
せめてたった一日の猶予、長く離れていた家族のために使おうかと口にする。
しかし現実へ引き戻すヴィオレッタの言葉に、僕は座ったシートから、ずり落ちんばかりの心地であった。