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天の巨獣 06


 これでいったい、何日目の夜明けを迎えたのか。

 "私"は上体を起こしたベッドの上で、指先を窓の外から差し込み始めた朝日へ触れ、その温かさを感じるなり深く息を吐く。

 昨夜はあまり眠れなかった。いや、昨夜もと言うべきであろうか。


 理由はわかりきっている。普段であれば隣で眠るあの"大馬鹿者"が、この日も指定席を空けているからだ。

 別に一人寝が寂しいという訳ではないし、あいつが何日も留守にするなど毎度のこと。

 一国の王という立場も省みず戦場へ出向き、一月くらい留守にするなどザラだし、その間に溜まる執務を全て私が肩代わりするのもいつものことだ。


 しかしヤツの消息が知れなくなって、早何日が経つというのか。

 今までとは違う、本当の危機に直面しているのではないかという焦燥が、夜の眠りさえ掻き消す不安となり襲い掛かっていた。



「ヴィオレッタ様、起きておいでですか?」



 眠いはずなのに冴えたままの目を擦り、立ち上がってグッと伸びをする。

 すると直後に、コンコンと扉を軽く叩く音が、一人で使うには広すぎる寝室へと響いた。

 耳に馴染んだ声。この屋敷で執事として働く、ルシオラという娘のものだ。



「もう起きている。入って構わない」


「では失礼いたします。……もしや今夜もお眠りになられなかったのですか?」


「存外私も、あの馬鹿者を心配しているらしい。こんなに神経が細いとは思ってもみなかった」



 寝室へ足を踏み入れたルシオラは、寝間着姿のままである私を見るなり眉を顰め、碌な睡眠が摂れていないことを察した。

 ここ最近はずっと、午前の執務を終え昼食を摂った後、僅かな昼寝をする程度の休息しか得られていない。

 まだ瞼を閉じ横になっているだけマシだが、それでも疲労は重く蓄積していく。

 しかし現在消息を絶っているあの"馬鹿者"、私の夫でもあるアルがもっと過酷な状況に置かれているのではと思えば、それも大したことはなかった。



「執務も根を詰められ過ぎです。今日は一日お休みになられては」


「そうもいかん。あいつが帰って来た時、少しでも書類が机に積まれていては、気持ち良く嫌味を言えぬではないか」



 そう言って私は心配そうにするルシオラへと、空元気を交えニカリと笑んで見せた。

 確か彼女は、現在都市王国ラトリッジの御意見番でもある、ゼイラム元騎士隊長の遠縁の親戚であると聞き及んでいる。

 そのため一時期は、ゼイラムがアルの愛人候補として送り込んできたのかと疑念も抱いたものだが、結局それは杞憂であったようだ。

 現にこうして妻である私を労わってくれるし、負担が増えぬように、さり気なく執務を分散させてくれている。



「で、あいつがどこへ消えたか、何か情報は得られたか?」


「はい。昨夜マーカス殿の配下が、国境付近の山地で戦闘の痕跡を発見したと報告を」


「……死体は?」


「これで全てかは不明ですが、我が国の兵士たちと思われるものが五人分ほど。敵側の死体は発見されなかったそうなので、向こうに回収されたのではと。陛下のものは、確認されませんでした」



 アルは幾人もの部下を引き連れ、いずれ砦を建設するための下見として、シャノン聖堂国との国境付近へ移動した。

 道中で案内人と合流し、山へ分け入ったというところまでは掴めていたが、そこから先が一切不明。

 そのためマーカスを筆頭に諜報を担う者たちを幾人か動員し、安全最優先で探らせていたのだが、ようやくその結果が届いたようだ。


 しかし得られたのは、あまり安堵できる内容ではなかった。

 あの地域で戦闘が行われたとなれば、敵は間違いなくシャノン聖堂国の兵士。

 それもおそらくは、アルがクローンとか呼んでいた、容姿の一切が同じな気味の悪い連中だ。

 最悪の結果は今のところ避けられたが、まだそうと決まった訳でもなく、私は安堵することもできず手近な椅子へ腰を降ろす。



「頭の痛い限りだな。ルシオラ、市中で流れている噂はもう耳にしているか?」


「……はい。陛下が聖堂国軍との戦闘で、既に討ち死にしたのではという内容ですね」


「届いた情報だけでは、今のところ完全には否定できん。相手が聖堂国であるという点は、当たっているようだが」



 都市の住民たちだけではない、この悪い噂は軍の中でまで実しやかに囁かれ始めている。

 数日で戻るはずの王が、それ以上の日数を過ぎても帰ってこず、何も情報らしい情報が伝えられないのだから。

 まだそれだけであればともかく、中には次の王が誰であるかと話す者も居るようだ。



「次の王に自身が納まるべく、工作を始めた者を居るようだ。私たちの間にまだ子が成されていないというのが、こうも騒動を生むとはな」


「実に不謹慎極まる話です」


「だがそういった話が出るのも致し方ない。現に私では国を統率しかねているのだからな」



 冗談ではないと思うも、そのような話に及ぶのも当然か。

 なにせ婚姻を結んでから数年、いまだ私たちの間には子がおらず、それが目下最も懸念される材料でもあった。


 傭兵団時代から強烈に戦果を挙げ続け、都市統治者による武力制圧を跳ね除け、逆に都市そのものを掌握せしめた存在。

 そのアルという絶対的な指揮者が居たからこそ、この都市王国ラトリッジは建国に至っている。

 つまりもしアルが死したとなれば、後継者という点で大きな騒動になるのは避けられない。



「私では、やはり人心を掌握できぬか」


「決してそのようなことは……」


「自分自身でよくわかっている。私はアルの後ろをただ着いてきただけ、頂点へ立つような器ではない」



 もし、万が一アルが死していたとすれば、この都市王国ラトリッジは早々に瓦解してしまう。

 かといってアルの要素意外で私には求心力がなく、持っているのはイェルド傭兵団元団長の娘という、今では記憶の隅へ追いやられ始めた看板のみ。

 王妃という立場そのものへの執着心などはない。

 だがそれでも私とアル、それにレオを始めとした仲間たちで創ったこの国、崩壊させてしまうにはあまりに惜しかった。



「せめて、真実が定かとなるまでは持ち堪えねばな。ルシオラ、それまではこちらも強行軍が続く、手伝ってもらいたい」


「微力ながら、お力になってみせましょう」


「実に頼もしい限りだ。お前を寄越したゼイラムには感謝せねば」



 自らの両頬へ掌を強かに打ち付け、気合を入れて立ち上がる。

 そうしてルシオラへまだ忙しさの途上であると告げると、彼女は着替えを手渡しながら、真っ直ぐこちらを見て頷いてくれた。


 アルどころかレオも居ない状況、独りで戦えと言われたなら早々に芯が折れてしまう。

 だがこうして利害なく協力してくれる人間が居るならば、まだ持ち堪え続けられるというものだ。


 私はルシオラの明確な返答へ、胸の内で密かに礼を言いつつ、彼女が用意してくれた着替えを纏い上着に袖を通す。

 そうして今日も積み上がった書類を薙ぎ倒さんと、寝室の扉を通り執務室へ行こうとするのだが、廊下へ出たところでふと妙な感覚を覚え足を止めた。



「どうかされましたか?」


「いや……、なにか聞こえないか」



 突如として自身を襲った感覚に、首を傾げルシオラへと向き直る。

 なにやらおかしな、聞いたこともないような異音が耳へ届いたような気がし、それとなく窓の一つへと近寄る。


 見れば露天商たちだろうか、早朝から外に出ている人々も同様に、作業の手を止め立ち上がってキョロキョロと辺りを窺っていた。

 じわりじわりと大きくなっていくその音に、すぐ背後へ立っていたルシオラも気付く。



「これはいったい……」


「胸騒ぎがする。ルシオラ、私は外へ出ているぞ!」



 怪訝そうにするルシオラへと言い放ち、窓の一つを開くと縁へ手を付き身を躍らせた。

 一階の窓から庭へと着地し、そのまま走って屋敷の正門へ。

 同じく困惑し状況を計りかねている門番の横を通り、私は屋敷前に在る都市で最も大きな広場へと飛び出た。


 その時には小さく聞こえていた異音も、都市そのものを震わせんばかりなものへと変わり、多くの人々を叩き起こすほどとなる。

 家々の窓もほとんどが開かれ、いったい何が起きているのかと、異音の中へ人々の喧騒が混じっていく。



「ヴィオレッタ様、これはいったい?」


「さてな。だが気構えだけはしておけ、何が起きるかわからんぞ」



 都市中を襲う奇怪な音の正体を計りかね、珍しくルシオラは動揺を滲ませた。

 自然の中で起きる現象。というのとは、少々趣が異なるように思える。


 あえて聞き覚えがあるとすれば、アルらと共に聖堂国から脱出するのに使った、飛行艇とかいう空飛ぶ船の音だ。

 ただあれがもっと断続的な音が低く発せられるのに対し、こいつはもっと平坦。

 しかしより猛々しく空気を貫くそれは、まだ見ぬ異形を想像するに足るものであった。


 警戒感から身体に緊張が奔る。

 アルが留守をしている状況で、よもやこんな非常事態に見舞われるとは。

 何が現れるかは知らぬが、混乱した都市を私の力で統率できるのであろうかと考えれば、胃の痛い思いがしてならない。



「ヴィオレッタ様、あれを!」



 広場へと立つ兵の一人が、空の一点を指さし叫ぶ。

 急ぎそちらへと視線を向けてみれば、ずっと北西の彼方、都市外壁を越えた遥か先へと、陽射しを受け輝く点が一つ。

 人々はそれが近付いてくるほどに、そのざわめきを大きくしていく。

 具体的な比較対象がないため、正確に測ることは難しいが、巨大な人工物であるとわかったがために。


 そいつは空をゆっくり進みながら外壁を越え、都市の上空へと侵入してくる。

 大きさはざっと見た限り、私が現在住んでいる屋敷と同程度。しかもおそらくではあるが、その全てが金属で構成されている。


 長年傭兵稼業を続けてきたため、人よりはずっと多くの物を見てきたという自負はあった。

 それでもこのように奇怪な物を見た記憶はなく、覆いかぶさり太陽の光を遮るそれへと、未知の恐怖に足が竦みそうになる。

 だがなんとなく、本当になんとなくではあるが、頭上の巨大な物体に対し私は頭へ浮かんだその名が口を衝く。



「……アル?」



 こいつが人工物であるのは間違いない。所々に存在する光点や、滑らかに加工された金属などを見れば明らか。

 同盟はおろかワディンガム共和国でも、そしてシャノン聖堂国でもこのような物を製造するのは不可能に違いない。

 となれば結論など決まっている、こいつを生み出したのは私の父が、そしてアルが生まれたという遥か彼方の国家によるものであると。



<ヴィオレッタ、聞こえますか、ヴィオレッタ>



 なるほどそれならば納得だと、一人口元を僅かに綻ばせる。

 しかしそんな私を呼ぶ声が唐突に響き、聞いたことのない声に周囲を窺うも、即座にそれが頭上に浮かぶ物体から発せられているのに気付く。

 いったい誰なのだと考えるも、次いで浮かんだのは度々アルが口にしていた、"エイダ"とかいう輩の名であった。



「そうか……、お前が」



 折角名を呼んでくれたのだ、応えてやってもいいだろう。

 私はいまだ困惑の最中に叩き込まれつつも、おそらくはエイダと呼ばれる存在であろう、空の巨躯へと手を掲げる。

 するとそいつはゆっくり降下し始め、蜘蛛の子を散らし逃げていく住民たちを余所に、広場中央の噴水を破壊しズシリと地面へ降り立つ。



「いったいなんなんだお前は……」


<話は後です。ヴィオレッタ、早く中へ>


「ったく、わかった。入ればいいんだろう!」



 まったく、初対面であるというのに忙しない"女"だ。

 聞こえているかどうかもわからぬ問い掛けであったが、そいつは私の言葉をちゃんと拾っていたようで、打ち消すなり巨躯の側面一角をどういう仕組みか開く。


 私は人が散り閑散とした広場で、息を呑み開いた入口へと歩を進める。

 自己紹介など一切をせずとも、間違いなくこいつはアルを知る存在。

 ああ、こいつは私をアルらの住む、常軌を逸した世界へ引きずり込むつもりなのか。

 ついそう思ってしまい、私は大きく口元を歪め含み笑いを漏らしていた。



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