天の巨獣 02
ダリア・ジェンティーレ。
現在は共和国西部方面軍の総司令という、聞くからに偉い肩書を持つ彼女は、ヴィオレッタにとっての母親に当たる人物だ。
そのダリアとかつて一度だけ顔を合わせたことのある僕は、目深にかぶったフードの下、素性を隠すための演技をこなし続けた。
あの時は僕も変装をしていたし、今もまたそれは同じであるため、一目で正体を見破られることはないはず。
万が一の時には戦う他ないのだろうが、この場にこちらが四人に対し、ダリアは偶然居合わせた兵士を含めたったの二人。
レオの高い戦闘能力も含め、圧倒的にこちらが有利であるはずだ。
だが僕はこの戦力でもなお、ダリアに勝てるという確証が持てずにいた。
「まだかね。実はこう見えても多忙な身でね」
「もう少々お待ちを。なにぶん整頓を後回しにしておりまして……」
山師に扮したままこの状況を切り抜けるべく、少しばかりの時間をかけ、適当に掻き集めた草の山を探る。
もしもダリアが薬草に関する知識を持っていたとすれば、いったいどれを渡せばいいのか。
元来が共和国軍人であるダリアだが、一時期はどういう理由か同盟領内に入り、傭兵の真似事をしていたと言っていた。
ならば多少なりとそういう知識を持っているかもしれず、僕は下手な物を差し出すことなど出来ぬと、必死に自身の知識を掘り起していた。
ただ延々そうして背嚢と記憶を探る事も出来ず、ダリアからはノンビリとした口調ながら、急かすような言葉が向けられた。
忙しいのならばこんな山中を歩いてないで、率いる兵たちのもとへ戻ればいいだろうと思うも、グッとその言葉を飲み込む。
思い出そうとすれど見覚えのある薬草の類は入っておらず、僕は一か八かで適当な草を渡そうと掴む。
しかし丁度そのタイミングで助け舟を出してくれたのは、すぐ真横に立っていたシャリアであった。
「これなど良いのでは。腹痛に効くとされております」
「ふむ……。このまま齧ればよいのか?」
「それでも構いませんが、出来ればすり潰してお飲みください。効きが良くなりますので」
彼女は多少なりと薬草の知識があるのか、自身の背嚢に詰めた中から幾つかを取り出す。
聞く限り説明にしても、演技のため出鱈目を言っているというようなものではなく、ただ本当のことを述べているという印象を受けた。
「生憎と他の物は、乾燥や熟成に手間と時間を要する物ばかり。今はこれだけで……」
「ならば仕方があるまい。無いよりはずっとマシか」
シャリアから幾ばくかの薬草を受け取ると、軽く首を振って納得をするダリア。
どうやら助かったようだ。この場で正体がバレようものなら、すぐさま彼女の背にある短槍が唸りをあげることだろう。
僕自身も前回ダリアとやり合ってから、随分と成長したと自負している。だがいまだもって彼女に勝てるというイメージが沸かない。
それに今はあの時と違い、エイダの不在によって身に着けた装置が使用不可能。
再戦への欲求は存在するものの、今それを成すのは時期尚早というのを通り越し、ただの無謀でしかなかった。
「申し訳ございません。道中良さそうな品を探して参りますので、戻る際には必ずお届けするということでご容赦を」
「よし、行っていいぞ。気を付けてな」
僕等は揃って深々と頭を下げる。
するとダリアの隣に立っている兵は、もう今度こそ用事が済んだとばかりに行くように告げた。
慌てぬもすぐさま荷を背負い直し、再度礼をして背を向ける。
あと少し、あと少しだけ不信感を持たれねば、この難局を乗り越えたも同然だ。
早鐘を打つ心臓をなんとか抑え込み、上着の下で流れ続ける冷や汗を隠し、僕はダリアから背を向け藪の中へ向かおうとする。
だがそのダリアは、そんな僕を嘲笑うようにしてもう一度だけ問うてきた。
「ああ、そうだ。もう一つ聞きたい事があったのだ」
「……なんでございましょう。私共でお答えできる内容でしたら、なんなりと」
「知っているはずさ。ラトリッジという都市に居る、君の妻に関してだ」
心臓が停止せんばかりな衝撃が身体を襲い、瞬時に動揺が背後からも伝播してくる。
見破られていた。という動揺に震えを起こすも、無言のままで上着の下へ手を潜り込ませ、そのまま仕込んでいた短剣を抜き放つ。
レオやシャリア、それに三人の兵も同様に武器を抜く音が僅かに聞こえ、ただその場で共和国の兵士のみが呆気に取られていた。
「私はこう見えて活動的なタチでね。よく近隣の山師たちと顔を合わせては、酒を酌み交わしてきたものだ」
「……それで?」
「連中は存外気は良いが、常日頃山野を駆け巡っているばかりなせいか、言葉使いの少々粗野な者が多い。話し方が丁寧すぎるのだよ、君たちは」
自身の武器を抜くこともなく、ダリアは腰へ手を当て飄々と語り始める。
なるほど、この場を切り抜けるべく丁寧に返していたのが裏目に出たらしい。
だがどうして僕個人を特定できたのかと思っていると、こちらの思考を察したのか苦笑し僕を指さす。
「君の声と体格、どこかで見覚えがあると思ってね。言葉使いが少々異なるせいで、思い出すのに時間を要したが」
「まったく、要らぬ記憶の良さだ……」
「それだけ君の記憶が鮮烈であった、ということさ。……まぁ、他にも理由はあるがね」
よくぞそこまで細かいことをと思いはするも、ダリアにとって娘であるヴィオレッタと婚姻した僕は一応義理の息子に当たる。
となればある程度気にしていて当然かもしれない。
だが僕とヴィオレッタが婚姻した件について知っているということは、彼女があちらの情報をそれなりに得ているということになる。
こちらが共和国に諜報要員を送り込んでいるのだから、逆もまた然り。
あれだけ華々しく婚姻の儀を行ったのだから、隠すも何もあったものではなかった。
兵士の前で言葉を濁した辺り、ヴィオレッタとの関係は人に聞かせられぬないようであるらしい。
それも当然か。共和国と敵対する勢力において、軍事を担う小国の王妃に当たる人物が、自身の娘であるなどと言えようはずがなかった。
「先に行け、ここは僕等が食い止める!」
「……ご無事で」
グッと自身の身体を前に押しやり、シャリアらとの間に立って短剣を構える。
共和国軍の兵士はそこまで強くはないだろうが、なにせ対峙するのがかつて僕を打ち負かしたダリアだ。
申し訳ないが、この場においてシャリアと三人の兵は戦力としてカウントし辛い。
それは当人たちも空気から察知したのか、急いで国境を越えるよう叫ぶと、異論を発することもなく了解を返した。
「うむ、実に賢明な判断だ。あの者たちも相当な手練れだとは思うが、私の相手をするには些か足りぬ」
全力で地面を蹴り、国境へ向け逃走を計るシャリアたち四人。
彼女らだけを先行して逃がすのは、これで幾度目だろうか。
だがそれが一番無難な手段であるという言うまでもなく、それは目下の脅威であるダリア自身によって肯定された。
「相変わらず自信たっぷりなことで。誰かその鼻っ柱を折る人は居ないのか」
「生憎とこちらでは、それだけの実力を持つ者にお目にかかれなくてね。他所ならば一人二人は心当たりがあるが、今頃どこで何をしているやら……」
「僕がその役目を買ってもいいんだけど?」
「君がかね? 冗談であろう、前回同様に負け惜しみを吐いて泣き帰るのがオチだ」
シャリアらが少しでも逃げる時間を稼ぐべく、僕は挑発的な発言を繰り返す。
だがダリアはそれを意に介した様子もなく、焦る素振りさえ見せず平然と僕の挑発に対し愉快そうにやり返してきた。
この多少鼻にかかった言い回し、レオとのやり取りがなければ理解もできなかったろう。
それが良いのか悪いのかは置いておくとして、僕は言い返す言葉を持てずにいた。
「先に陣へ戻って号令をかけてきなさい。敵の間者が国境へ向け逃走中、山狩りを行う」
「りょ、了解いたしました!」
僕が言い返せずにいると、ちょっとしたからかいを終えたとばかりに、ダリアは振り返り共和国軍の兵士へと口を開く。
自身では追いかけようとしないものの、このまま逃げたシャリアらを見過ごす気はないようだ。
すぐさま踵を返し、渓谷の底へ展開する軍のもとへ戻ろうとする兵士。
それを放ってもおけず、僕等は足を止めるべく武器を握ったまま駆け出そうとするも、その前へとダリアが移動し立ち塞がった。
目の前に腕を広げ立つダリアは、柔らかながらも火の灯った視線を僕等に向けた。
こうして数年ぶりに対峙するが、真正面へ立つダリアは強いと断言できる。
向こうはまだ武器すら抜いていないものの、じわじわと身体から滲ませ始めた戦意とでもいうそれが、僕の身体を蝕み奥底から震えを呼び込む。
見ればレオも自身の武器を手に、緊張からか額に汗し始めていた。
レオのように投薬で人体を改造された訳でもなく、僕のように特殊な装備を持つでもない。明確に生身の人間であるにも関わらず。
「どうした? 早く私を排除せねば、数百からなる兵たちがお前の仲間を狩り立てるぞ」
「言われずともわかっているさ……。レオ、まずはこの人を倒そう」
「なんと、二人でかかって来てくれるのか。そいつは光栄だ」
一人が相手をし、もう一人が援軍を呼びに行った兵を止める。などという都合の良い行動を許してはくれそうもない。
ダリアは外見上は若々しいものの、実年齢を考えれば極端に身体能力が高いとは思えない。
それでもなお戦慄し畏怖の感情を抱くのは、培った経験と卓越した技量からくる自信のなせる技か。
くつくつと笑うダリアは、それが叶わぬと知りつつ抑揚込め、舞台で演じるかのように朗々と語った。
「なに、十数年も顔を合わせてはおらぬが、愛しい娘が見初めた相手だ。早々無体な真似はせぬよ」
「"見逃してやろう"、とは言ってくれないんだな」
「私にも立場というものがある、そいつばかりは勘弁願いたい。上手くすれば骨の一本や二本で済むやもしれんぞ」
そう言うダリアは自身の背へ腕を回し、据えられていた短槍を抜き放つ。
ヴィオレッタが愛用する代物とよく似たそれは、触れた落ち葉すら切り裂かんばかりの鋭い光を反射する。
僕等はその威圧感に後ずさりたくなる想いを堪え、一斉に武器を構えダリアへと駆けた。




