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天の巨獣 01


 たった半日の安息から急転直下、再び追われる身となった僕等は、一路西の国境地帯へと向かった。

 あの短い時間では到底疲労が癒えたとは言えず、身体には重石を乗せたような倦怠感が纏い、一歩進むごとにジワリと体力を溶かしていく。

 ただ今回は別れ別れとはならず全員が共に居るというのは、多少なりと気の楽になる要因。

 無事であるかを心配する必要がないというだけで、十分にマシと言えるものであった。



「こんな所まで来て、最後の最後でこれか」


「聞いた限りでは居るはずがないのですが……。どうして」



 しかしその"マシ"を心の糧とし進めるのも、目の前に特筆する障害がないというのが前提だ。

 念願の我が国、ラトリッジのある同盟領まであと少しという、国境に沿って伸びる山脈を突く渓谷。

 そこへ踏み込もうとした僕等を待ち構えていたのは、眼下へ大量に整列した共和国の軍勢であった。


 その光景を見るなり、シャリアは困惑したように疑問が口を衝く。

 町を出る前の時点では、この地に共和国軍が展開しているという話はなかった。

 だが目の前に在るのは、その情報が結果として正しくはなかったという事実。

 収集した情報に漏れがあったか、もしくは突然に軍がこのような行動を採ったか。



「でも誰かを探しているといった様子じゃないな。狙いは僕等じゃないのか?」


「……あれは陣形の展開訓練だ。俺たちがしてるのは、ここまで大きな規模じゃないが」



 ただどうやら見る限り、こちらを探しているといった様子ではない。

 数百をゆうに超える数の共和国軍兵士が、列を成し行ったり来たりを繰り返していた。

 なのでレオの言うように、これはなにかの作戦というよりも訓練の一環なのだろう。

 兵士たちにすら知らせず突発的に行ったのかもしれず、そうであればこちらの情報網に引っかからなかったとしてもおかしくはない。



「連中がこちらを探していないのだとすれば、上手く抜けられるかもしれない」


「となると、……変装ですわね。こうして用意もされていることですし」



 共和国軍がこの地で展開している理由が、僕等の捕獲ではないとすれば、そこまで焦る必要はないのかもしれない。

 都市を逃げ出す時に渡された荷の中には、変装を行うための衣服も詰められており、これを纏って山師に成りすますことはできる。

 かつて傭兵団時代、共和国へ潜入した時とまったく同じ手段だ。


 荷物の中から衣服を取り出すシャリアは、適当に地面へそれらを放り落とし、足で地面を蹴り砂をかけていく。

 こうすることで真新しいそれは汚れていき、さも今から山へ入り薬草を取りに行こうとする人間の雰囲気を出そうということだ。


 前回この手段を使った時には、同行するヴィオレッタが多少ネックとはなったが、彼女は小柄な上に少々起伏に飛びしため難なく成りすませた。

 ただそれとは異なるが、シャリアも今はよく陽に焼けているから、おそらくそう怪しまれはしないだろう。



「準備はいいか?」


「こっちは大丈夫だ。折角清潔な服を着てたのに、気分は台無しだがな」


「デナムに辿り着くまで我慢してくれよ。それに山の中へ入ったら、どのみち草の汁で汚れてしまうんだからさ」



 山師へ変装するため、わざと砂まみれとした服に着替えた僕等。

 苦笑しながらその服を羽織るレオは、肩を竦めて緊張を解そうと声を発していた。


 ただ汚れれば汚れるほどに、一見してそれらしく見えてくるため、僕は適当に生えている草を荷物の中へ放り込み、一部をすり潰し衣服へと押し当てた。

 これで敵の兵士たちには、山で野草を採取する山師に見えるはず。

 押し込んだ草もまた適当だが、かなりの知識がない限り見分けはつかないだろう。


 それでも万が一の時には前と同じ、シャリアら四人はこのまま渓谷を進み、僕等が囮となる。

 指示を伝えるなり当然四人は難色を示すも、こちらが折れるつもりはないのは重々承知していたようだ。

 軽く形だけの抵抗を見せると、思いのほかアッサリと引き下がってくれた。



 意を決した僕等は、なるべく不自然の無いよう山へと分け入る。

 渓谷の底を見下ろすように傾斜地を進み、時折止まっては野草の採取をするフリをし、共和国軍の動きを探った。

 そうしていくうちに、徐々に共和国軍の大部隊からは遠ざかっていき、発される太鼓の音や声は小さくなっていく。

 とはいえこのまま何事もなく通っていけるはずはなく、訓練の一環なのか万が一の敵襲を考えてか、山の中を見回る兵士に見つかってしまった。



「待て! ……こんな場所でなにをしている」


「こ、この通り野草の採取をしております」


「祭りに使うアレか? だが少し時期が早くはないか」



 軍が展開している山中で、怪しい風体の集団が居れば不審に思うのは当然。

 兵士は手にした槍の穂先を、先頭に立って進む僕へと向け制止するよう指示した。


 少しばかり身体を震わせて怯える演技を織り交ぜ、僕は背負った背嚢の上半分へ詰めた草を見せてやる。

 共和国では祭りの時期に、魔除けの効果を持つと信じられた香草の需要が高まる。

 なのでそれらが採取できるこの渓谷に面した山々は、山師が居ても別段おかしな土地ではない。

 時期的には運良くその祭りも近いため、なおさらお誂え向きな変装だ。



「例年であればそうですが、近年は採れる数も減っておりまして……。競合する者に先を越されぬよう、新芽を摘みに来た次第です」


「しかしまだ見つかってはいないようだな、見慣れぬモノばかりだ。こいつは何に効く?」


「そちらは打ち身に効果があると言われております。すり潰した物を湯に溶かして浴びれば、治りが早いと」



 ここまでレオを相手に会話を重ね、それなりに話せるようにしておいて良かった。

 なんとか流暢に聞こえるよう言葉を紡ぎ、僕はそこいらに生えている雑草を指し、出鱈目な効果を説明していく。

 すると対面する兵士はここへ居る理由に納得し始めたのか、徐々に警戒感が薄れていくのを感じる。



「軍の皆様が来られているとは露知らず、紛らわしい行動をとってしまいました。申し訳ありません」


「い、いや。すまなかったな、もう行ってもいいぞ。道中怪我の無いようにな」


「ありがとうございます。ではこれで失礼を……」



 下手に下手に出て、薬草と称した適当な雑草を渡すと、兵士は少しばかり申し訳なさそうな素振りを見せる。

 そいつが身振りと言葉で用はないと告げるなり、僕等は揃って頭を下げ歩を進めた。


 やれやれと言わんばかりな兵士もまた背を向け、見張りの続きをするべく去ろうとする。

 僕は声に出さぬまでも、内心で安堵の息を吐いく。

 しかし歩を進めていき、少しばかり気が緩みかけたところで、先ほどの兵士が向かった方向から別の声が響いた。



「ほう……、この時期に山師が来るとは、珍しい事もあるものだ」


「はい、どうやら今年は少しばかり早く来たそうで」



 一瞬チラリと振り返ってみれば、兵士が新たに現れた人物と言葉を交わしている。

 言葉の使い方と声から察するに、現れたのは女。それも今の兵士よりも上役に当たる人物なのだろう。

 別段今のところ引き止められてはいないので、このまま立ち去ればいい。

 そう思い焦る気持ちを必死に抑え、ゆっくりと斜面を進んでいくのだが、生憎と兵士の発した報告だけで見逃してくれる相手ではないようだった。



「そこの者たち、よければ私にも採った薬草を見せてはくれぬか。実は少々、肩のコリに悩まされておってな」



 決して強制するような声色ではない。あくまでもお願い、ちょっとした希望を口にしたとばかりな内容だ。

 だがそう言われては、急ぐのでお断りしますとは言えない。

 なにせ相手は共和国軍の士官と思わしき人物、一介の国民に偽装している僕等が、無視して立ち去るなどありえない話だ。


 今度はしっかりと振り返って、その女士官へと愛想笑いを浮かべる。

 しかし僕は相手の顔を見るなり、前身が凍りつくような衝撃に見舞われた。


 おそらく四十には達しているはずだが、中年と言うには若々しい肌と纏う空気感、そしてなによりもその整った美貌。

 町を歩けば多くの通行人が振り返るであろう涼しげな目元は、敵対する国との国境近くに広がる、山の中で見るのが不釣り合いなものであった。


 だが僕は彼女の容姿や雰囲気に気圧された訳ではない。

 スラリとした肢体にピシリと着こなした軍服。男性的な口調と、艶やかで緩いウェーブのかかった長い髪。そして背負う短槍。

 胸に着けた階級章などは多少異なるものの、僕はこの人物と以前にも会ったことがある。

 名はそう、確か……。



「ジェンティーレ総司令のご指示だ、都合に合う薬草があれば見せよ」


「止さぬか。一般市民である彼らには、私の階級など意味を成さぬよ」



 先ほどの兵士は歩み寄ると、少しばかりの高圧さを持って指示をする。

 ただ名を呼ばれた彼女は兵士の態度を諌め、カラカラと笑うばかりであった。



「総司令……、様ですか」


「ああ、共和国西部方面軍の総司令という、大層な職を拝命している。だがそう気にせずともよい」



 僕は深く頭を下げ、目の前に立つ人物の立ち位置を確認する。

 すると彼女は重い役職に似合わぬ快活な様子で、緊張感など無用であるとばかりに言い放った。


 やはり間違いない、彼女の名はダリア・ジェンティーレ。

 数年前に都市リヴォルタの軍施設を襲撃し、囮役となって逃走する僕の前へ現れ、身に着けた短槍で僕を追いこんだ人物。

 そして僕らが属していたイェルド傭兵団団長であった人物の妻であり、ヴィオレッタの母親に当たる人、つまり僕にとっては義母と言える相手。

 前回会った時は、リヴォルタ駐留軍の副司令であると名乗っていたため、あれから随分出世をしたと見える。



「して、薬草の方だが」


「申し訳ございません、ご要望に合う品は生憎と……」


「それは残念だ。ならば代わりに何でもよい、使い易い物を見繕ってくれ。あれだけの兵を率いていれば、どのような薬であれ役には立つ」



 非常にマズイ事態だ。今は変装こそしているものの、双方の関係を考えればいつバレたっておかしくはない。

 それにここで適当な雑草を渡して、辺に勘ぐられても困る。

 そこで僕は丁度よい物を持ち合わせていないと告げるのだが、ダリアは好都合とばかりに、何でもよいから譲ってくれと返した。


 そうまで言われてしまえば、断ることもできやしない。これだけの草を持ち歩いている以上、効果のある薬草は無いと言う方が余程おかしな話だ。

 なのでそれらしい出まかせを言い乗り切る他なさそうだが、何故かすぐ看破されるような気がしてならなかった。



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