遮断 13
「こちらで少々お待ちを。今店主が参りますので」
大幅な迂回を経てようやく辿り着いた都市で、予定していた合流地点となる商会の入り口をくぐった僕とレオ。
開店すらしていないそこへ入り、それらしい嘘をついて商会の主だった人間と会い、合言葉となる言葉を発す。
そうして案内された奥の一室で、置かれた椅子へと腰かけた。
案内をした人間はそそくさと引っ込み、店主を呼びに行くと言っていた。
この店主というのが、この地へ潜入させている人間であり、僕等は否応なくその人物が来るのを緊張し待つ。
シャリアたちがこの地へ辿り着いているのか否か、その結果によって僕等は再び共和国内を走り回る必要性がある。
無事ここで合流できればと、祈るような想いで無言のままでいると、さほど間を置かず部屋の扉はノックされた。
「ご無事の到着、歓迎いたしますわ」
「……お互いにね。顔が見れて良かったよ」
開いた扉の向こうに居たのは、商会の店主という皮を被ったラトリッジの人間。
そしてその隣へと、僕らが居てくれるよう願って止まない相手も立っていた。
シャリアは部屋へ入るなり、芝居がかった仕草で礼をし歓待を言葉にする。
見たところこれといって怪我をしている様子もなく、動きは健康そのものといった印象。聖堂国で焼けた肌の色も、幾分か戻りつつあるようだ。
そんな彼女の後ろからは、見知った顔の兵士たちが三人入ってくる。
どうやら全員が無事ここへ辿り着いていたようで、涙ぐむ彼らを見て僕は安堵の息を漏らした。
ただそんな中でも、シャリアは随分と目敏い。
僕の発した言葉から、僅かな異変を感じ取っていたようだ。
「……少々、喋り方を変えられましたか?」
「ちょっと事情があってね。理由は後日話すから、今は聞かないでいてくれるとありがたい」
「承知いたしました。こうやって無事合流できたのです、些細な問題ですわね」
やはりシャリアは随分と勘が鋭い。言語の翻訳が叶わず、四苦八苦して会話しているのを無意識に察知したようだ。
実のところ彼女の口にする言葉も、なんとかギリギリで聞き取れているといった状態。
あまり突っ込んだ質問をされて、意味が理解できないという反応でもしようものなら、頭を打ったとでも思われかねなかった。
「もう、よろしいですかな?」
シャリアと顔を合わせ苦笑していると、彼女の横へ立っていた人物が声を発する。
壮年の域に差し掛かったその人物は、拠点の隠れ蓑であるこの商会の店主となる人物だ。
だがその顔を見て、僕は以前にも見覚えがあると感じた。
確か一度だけ会ったことがある。傭兵団時代からの最古参に近い幹部であり、かつてはマーカスら各地で活動する諜報要員を統べていた人物。
現在それら要員を統括しているのはマーカスだ。
本来であれば彼が今のマーカスが据わる位置に立つはずであったのだが、打診をするも頑なに固辞され、現場に残り続けているという古強者であった。
「商会一同歓迎いたします。とは言っても、この商会で働く者の全てが身内ではないため、私の個人的な来客という扱いにはなりますが」
「少しの間だけ世話になる。ちょっとでいいから、ここで休息を摂らせてもらえると嬉しい」
「それはもちろん。あまり目立つ行動を採れませんので、生憎この部屋を使っていただくことになりますが……」
「十分だ。これまで野宿続きであったのを想えばね」
その男がする歓迎を受け、僕は少しばかり遠慮せず要望を告げる。
彼は断る理由などないとばかりに快く承知してくれるのだが、若干申し訳なさそうな表情を浮かべ、スッと部屋の中を見回した。
見事な店構えであった表と違い、商会の奥へ奥へと入った先に在るこの部屋は、屋根裏や物置と見紛うばかりだ。
ただ彼の言うように、商会で働く者の全てが仲間ではない以上、玄関先で偉そうにふんぞり返っているわけにはいくまい。
それでも岩の陰で横になっていたのに比べれば雲泥の差。
簡素ながらベッドがあるだけでありがたく、シャリアらも僕等が合流するまで、こういった部屋で待ち続けていたようだ。
早速用意してくれた湯で身体を拭き、真新しい着替えに袖を通すと、僕とレオは朝日の差す中でベッドの上へと落ちていく。
そこからほんの少しだけ目を閉じていたかと思えば、次に瞼を開いた時には、既に空が茜色に染まりつつあった。
泥へ沈むように眠っていたようで、頬にはシーツの跡がくっきりと残り、身体は軋むように痛い。
身体を起した僕が大きな欠伸をすると、ずっと側で待機していてくれたのか、シャリアが湯冷ましを手渡してくる。
渡してくれたそれを口に含んでいると、彼女は簡単な物ではあるが食事を運んでくれ、同じく起きたレオと共にそれを貪るように流し込んだ。
「可能であれば、二日後には出発したいと思います」
「随分と急だな」
「申し訳ありません。なにぶんわたくし達が、長くここへ居座っているもので……」
食事を終えた僕等が一息ついていると、食器を片づけたシャリアは、静かに早期の出立を口にした。
たったこれだけの休息では、到底身体を完調に戻すなど叶わないため、せめてもう三日はゆっくりしたいところではある。
ただよくよく聞けば、この商会で諜報活動を担っている人員は、基本的にはここで寝食を共にしていると言う。
逆に言えば商会の一員でもない人間が、長くここへ留まっては目立つことこの上ない。
宿を使う訳にもいかず、他に丁度良い家屋が在る訳でもないため、否応なしにシャリアらはここへと逗留しているのだが、それも既に十日近くが経過。
商会主の来客であり、諸々の事情があると話してはいるそうだが、あまり長居をしては不審がられてしまいかねなかった。
これでも精一杯時間をくれている方なのだとは思う。むしろ更に二日もの猶予をくれたことに、感謝しなくてはならないくらいだ。
「なら仕方がないか。当面必要な物資の確保は?」
「道中の保存食などは準備しておりますわ。軽装の物ばかりですが、武具も一式。流石に銃は持ち込めませんでしたが」
「十分だよ。ではこのまま北西へ行き、渓谷を越えてデナムへ抜けよう」
ここから北西の地に在る、国境を跨ぐ長い渓谷。
天高く聳えるモーズレイ山脈を貫くように伸びるそこは、現在西方都市国家同盟領とワディンガム共和国の間で唯一と言っていい広いルートだ。
ただ当然共和国軍の監視は厳しいものの、数人であれば見つからず抜けるのはそう難しいものではない。
共和国が侵攻を行う時期であればともかく、それ以外ならそこまで大規模の部隊は展開されていないためだ。
以前に使った手段と同様に、山師にでも成りすませば渓谷に入るのは容易。
そして城塞都市デナムにまで辿り着けば、もう帰還を果たしたも同然だ。
「だが本当に国境へ部隊を展開していないのか? 僕等が同盟の人間だってのは、とっくにバレているだろうに」
「断言はできません、しかし今のところ駐留部隊は展開していないようですわ。どうやら軍の基地一つを襲撃した犯人よりも、優先したい作戦があるようですので」
しかしあくまでもそれは、平時であればの話。
僕等があれだけリヴォルタで暴れ、各地に手配の布告が周っている以上、国境付近にも警戒の兵が居ると考えるのが自然であった。
僕等が同盟の人間であるというのは知られているため、特に都市デナムへのルート上には兵が配されていると考えるのが当然。
だがシャリアの話すところによれば、意外にも共和国軍は僕等に構っている余裕などなくなっていると言う。
どうやら共和国内部の強硬派が活発に動いているためか、東のスタウラス国へと再びちょっかいを出しているようで、そのために兵をそちらへ割かずにはいられないようだった。
リヴォルタ駐留軍の副司令を始末しているというのに、それでもなおこのような対応をされる辺り、あの男はあまり重宝されていなかったのかもしれない。
「これで最愛の人の下へ戻れますわね」
「ようやくね。思った以上の長旅になったけれど、終わるとわかれば短くも感じられる」
「まさか名残惜しいのですか? ご希望とあらば、しばらくこの地での活動を手伝っても構いませんわよ。慢性的に人は不足していますから」
揶揄するように含み笑い、僕へ小さく呟くシャリア。
ラトリッジへの帰還が目前に迫る中、早くヴィオレッタのもとへ帰りたがっている僕が、ソワソワとしているように見えたのかもしれない。
大人しくそれを認めてもいいのだが、やっとこの地へ辿り着き余裕の生まれたせいか、少しばかり残念そうな素振りを作り返してやる。
すると彼女はズイと身を乗り出し、本気とも冗談ともつかぬ言葉を吐いた。
「戻ったら優先的に人員を確保するよう努めるよ。だからそいつは勘弁してもらいたい」
人手の不足は理解しているが、流石にこいつは御免被りたい。
なにせラトリッジへ戻ったら、執務室にはうず高く積まれた書類が崩落を始めている恐れすらある。
ヴィオレッタが代理でやってくれているとはいえ、彼女は自身の分を越えた決までは行わないであろうから。
なので増やしても増やしても求められる増員の要請だが、もう少しばかり都合することで勘弁してもらいたかった。
「あら、残念ですわ。折角楽しい職場になるかと思いましたのに」
「君も一緒に帰るんだろう? ここに残るのではなく」
「ええ、それは無論。ですがわたくしは少しの休暇を頂いた後で、また何処かの地へ赴きますもの。こうして気兼ねなく冗談を言える相手というのは、なかなか貴重なものでして」
どうやらシャリアの人を食ったような物言い、こう見えてする相手はちゃんと選んでいるようだ。
その相手として僕が選ばれているのは、喜んでいいのかどうかわからないものの、彼女にとっては話してて気の楽な相手となれているようであった。
「帰ったらヴィオレッタを相手に、満足するだけ話すといいよ。僕よりももっと気安いだろう?」
「では今夜はもうお休みください。わたくしも戻ってあの子と話すのが楽しみですから、道中倒れられては困りますわ」
そう言って彼女は僕等の空にしたカップを手にすると、静かに部屋を出て行った。
早朝から夕方まで眠っていたとはいえ、食事をしたことでまたもや眠気が襲いつつある。
思った以上に疲労は蓄積しているようで、僕はシャリアの勧めるがままにベッドへ横になった。
「遂にここまで戻って来たな。帰ったら人目を憚らずヴィオレッタに抱き着いていいんだぞ」
「お生憎様、一応僕はそこら辺の分別が付いているつもりだからね、周りに人が居なくなってからさせてもらうよ。レオは帰ったら……、って聞くまでもないか」
「俺はすぐ家に帰らせてもらう。リアーナが心配だ」
寝転がるベッドの上で、部屋の反対側に位置するベッドで同じように天井を見上げるレオは、シャリアに倣ってか僕をからかってくる。
ただそうしつつも、彼は家に残しているリアーナのことを思い出していたようだ。
最初の出発時点で、あれだけ大きなお腹だったのだ、もうとっくに産まれていてもおかしくはない。
レオが心配するのも当然であり、帰り着いた後で彼には、当面の休暇を取ってもらうつもりでいた。
「なら早く寝てしまおう。眠ればそれだけ帰る時間が近づく気がするよ」
「そうだな。それに俺ももう眠気が限界だ」
ベッドの上で横になった状態で、グッと強く伸びをする。
そうして自身で再度の眠りを口にしてしまうと、途端に瞼が重くなっていくのを感じた。
レオもまたそれは同じであったようで、彼はそのまますぐ寝息を立て始める。
しかし僕等がこうして平穏な睡眠を貪るというのを、取り巻く状況は許してくれないようであった。




