遮断 12
最初にラトリッジを出発してから、現時点まででどれだけの日数が経過したのか。
一か月ほどを数えたところまでは覚えている。レオとそういった話をしたし、僕も指折り帰る日を楽しみにしていたのだから。
しかし正確な日数をカウントしてくれるエイダとの繋がりを失ってから、僕はそれを気にしなくなっていた。
単純に気にしても仕方がないというのもあるが、一度は見え始めた帰還の目途が、再び暗中に溺れてしまったためだ。
ワディンガム共和国へと入り、都市リヴォルタの軍施設を襲撃、その後西へと移動を開始。衛星を失った点を除けば、そこまでは順調。
だが思いのほか早い共和国軍の回した布告により、僕等は大幅な迂回と足止めを食らっていた。
「とりあえずこれだけだ。足りるかい?」
「いい加減慣れた。その代わりに帰ったら腹が裂けるまで食うがな」
逃亡の身であるため火を熾せず、星明りだけが照らす夜闇の中。
僕は背嚢から取り出した保存食を割り、その片方をレオへと渡す。
彼はそれを手に取るなり、水筒の水を口へ含みながら、ガリガリと削るように食べていく。
どこの町でも警戒が敷かれ、中へ入ることすら容易には叶わない。
かといって自然の中から食料を調達しようにも、共和国の国土はその多くが荒れた山地で、森などは早々お目にかかれなかった。
なので僅かな石のように固い保存食を消費し、時折遭遇する野生動物を仕留め、ひっそりと沸く水を頼りに命を繋いでいく。
「シャリアたちは無事だろうか……」
「さあな。そいつばかりは、行ってみないとわからない」
「それはご尤も。でもかなり厳しいかもしれないな、この厳戒態勢じゃ」
この様子では、シャリアらも無事目的地へ辿り着けたかは疑わしい。
僕等よりもほんの少しだけ先行し出発した彼女らだが、行く先々で聞き込みも出来ず、その所在は再び不明となっていた。
目的とする都市には、潜り込ませている諜報要員たちが拠点を確保しているため、そちらと合流出来ていればいいのだが……。
ただこんな状況で唯一気の休まる点を挙げるとすれば、レオが共に居てくれるという点か。
最も古い付き合いであるこの親友は、言葉の通じ難くなった僕であっても、積極的に話しかけ続けてくれている。基本的には口下手であるというのに。
おかげで最初に比べれば、ずっと話す内容が理解できるようになってきた。
最初からこのように過酷な環境に晒されていれば、僕の語学下手ももっと早く解消されていたのかもしれないなどと、どこか自嘲する想いだ。
そのようなことを考え、僕は暗闇の中で密かに含み笑いをする。
レオはそんな様子へ怪訝そうにするが、「なんでもないよと」返すと、折角覚えた言葉を使い昔話の一つでも振ることにした。
「懐かしいな。こういう状況も」
「どういうことだ?」
「傭兵団の団長になってから、ずっと誰かを従えていたからさ。野宿ばかりで保存食で飢えを凌ぐなんて、傭兵になったばかりを思い出す」
「だがあの頃はマーカスとケイリーも居た。途中からはヴィオレッタもな」
少しばかり昔に思いを馳せる。
ただレオの言うように、当時の時点で僕等の他にも仲間が居た。
現在は都市王国ラトリッジの軍において、シャリアら諜報要員を束ねるマーカス。そして今は北方の都市へ構える拠点で、給仕として穏やかな生活を送っているはずのケイリー。
そして僕等の留守となるラトリッジを守り、今頃は諸々を統括しているであろうヴィオレッタもだ。
なので正確に言えば、レオと二人でというのは傭兵団の訓練キャンプに在籍している時期、野営の実習で一週間ほどキャンプから放り出された時以来。
久しぶりにその頃のことを思い出し、懐かしさから頬が緩む。
しかし顔を上げて遥か前方を眺めると、否応なしに現実へ引き戻されていく。
「目的地は目の前だ。ここが上手くいけば、ラトリッジは目と鼻の先だよ」
「しかし一番の難所でもある。それにシャリアたちが居るとも限らないし、まだ国境越えが待っている」
「最近は随分と悲観的じゃないか。らしくない」
「どうしてもな……。俺だって、早くこの旅が終わるのを願っている」
視線を向けた彼方には、薄らと明りを放つ都市の姿が。
この地域一帯でも比較的大きな都市であるそこは、当初予定していたシャリアたちとの合流地点。
大きいだけに駐留する兵も多く、共和国にとっては対同盟戦力の拠点にほど近い町。
なので高い危険を孕むのは確かだが、布告から十日以上が経過しているため、一番最初に立ち寄った町と比べれば、警戒も薄いと信じたいところだ。
都市へ侵入する前の小休止を終えた僕等は、意を決して立ち上がると、夜闇に紛れて都市へ近づいていく。
外壁の上には歩哨が立ち、所々へ置かれたかがり火を頼りに警戒をしている。
しかし物資節約のためだろうか、外の全てを照らすには足らぬため、外壁へ密かに接近すること自体は容易であった。
ただここから都市へ潜入するには、警戒に立つ兵士の目を掻い潜る必要がある。
一人二人片付ければ簡単だが、それでは後々騒ぎになって身動きが取れなくなってしまう。
僕等は幾つかある門の中で、最も兵士の立つ人数が少ない場所を選び、絶好の機会を待った。
交代の時間が近いのか、兵士たちが欠伸を噛み殺すのを見るなり、すかさず小石を投げ別の方向へ僅かな物音を立ててやる。
「誰だ。居るなら返事をしろ!」
「気のせいじゃないのか? もしくは動物だろ」
「……一応見てくる。万が一があるからな」
三人ほど立つ歩哨の内、一人が音に反応を示す。
そいつが真面目であり、残りの二人が不真面目であったことが僕等にとっては救い。
一人が音のした方向へ確認へ行く間、残り二人は欠伸を隠そうともせず、揃って談笑を始めていた。
当然その隙を逃す訳もなく、僕等は暗がりを辿るようにして門の中へ。
それほど分厚くもない外壁を抜け、すぐ間近に在った民家の陰へと隠れた。
おそらく見つかってはいないはず。その証拠に抜けてきた門の外では、二人の兵士が戻って来た一人を揶揄し、軽く笑い合う声が聞こえてくる。
「直接向かうのか?」
「……いや、夜明けを待とう。深夜に尋ねる姿を見られたくはない」
ひとまずは都市への潜入に成功したと言っていいようだ。
となれば次に取る行動は、この都市に構えた拠点へ移動し、そこを管理する諜報要員と接触すること。
シャリアらがそこへ居てくれるかは定かでないが、辿り着けば帰還への大きな前進となる。
ただその拠点であるが、偽装として始めた商売が軌道に乗ってしまい、現在では大通りの一等地に構える店舗となっていると聞く。
それはそれで諸々都合がよいのだが、昼間であればともかく夜間に尋ねては、目立ってしまう恐れは捨てきれなかった。
僕等はもう少しだけ目立たぬ場所を求め、吐く息すら小さく抑えながら、市街地の中へと移動し時間を潰すことにした。
民家の陰から陰へ、物置や積み上げられた石材を背にしていく。
ただ外周を警戒しているおかげか、逆に中へ入ってみれば拍子抜けするほどに平穏。
松明を持つ兵士が市街地を巡回してはいるが、それとて精々が二人一組で、頻度にしてもそれほど多くはなかった。
「明るくなってきたな……」
「もう少しして人通りが多くなってきたら、拠点を尋ねるとしよう。ここ最近碌に眠れていない、速攻でベッドを借りて眠ってやる」
「だが行くのは家でなく商店なんだろう、マトモな寝床を期待しない方がよくないか。それでも岩の上に外套を敷いて寝るよりはマシだが」
隠れるのに丁度良さそうな物陰へ潜み、夜が明けきるまでの時間をジッと過ごす。
しばしそこで押し黙ったままで耐え、次第にウトウトとし始める頭を奮い起こし空を見上げてみれば、徐々に白み始める空が目に映った。
都市内の警戒は緩いため、この調子であれば拠点へ行くのはそう難しくはないはず。
拠点に入ってシャリアらが居るかどうかを確認したら、その如何を問わずまずは休息を摂るとしよう。
少しばかり滞在したリヴォルタでも、ほとんどゆっくり眠る時間はなかった。
いい加減体力も限界が近く、まずはようやく見え始めた区切りに、レオもまた吐き出す言葉からは安堵の色が濃くなっていく。
だが考えてもみれば、これまでこういった状況で、幾度となく予想外の事態が起こってきた。
まだ国境を越えた訳でもなく、仲間と再度の合流を果たしたとは言い難い。
それに都市の外壁部では警戒が厚かったが、それとて万全な体勢であったとは到底思えない。
第一この都市は同盟との国境にほど近く、僕等が同盟側の人間であると認識されているのであれば、この地は特に厳戒態勢になっていておかしくなかった。
「そこは運を天に任せるしかないね。宿を借りられるなら、それに越したことはないけれど」
「宿は難しいだろうな。また追い立てられるのは御免だ」
「どっちにしろシャリアたちを連れ帰らないといけないし、そのためにも拠点に行くのは避けられない。……もし皆が居なかったら、すぐ探しに行かないと」
朝靄に包まれる路地の中。降って沸いた不安をレオへ吐露してみる。
すると彼は、「今更そんな心配をしても仕方ない」と言わんばかりに苦笑した。
レオの反応も当然だ。ここに至ってそのような不安に駆られ、脚を止めてはいられない。
ただレオもまた、シャリアらがこの町に辿り着いていない可能性は持ち続けていたようだ。
少しばかり言い澱むと、あまり好ましくない可能性を口にした。
「もし……、もしあいつらが既に死んでいたとしたらどうする?」
「その時は探し出して遺骸を持ち帰る。叶わないなら、せめて遺品だけでも。最初に失った大勢は、それすら出来なかったから……」
眠気から靄のかかっていた思考を覚醒させ、自身の手を見下ろし言い切る。
レオが口にしたようになる可能性が捨てきれない以上、そういった覚悟はしておかなくては。
返した言葉へ納得したように、口元を引き締め頷くレオ。
そのまま彼は立ち上がると、服に着いた砂埃を払い、手を差し伸べてきた。
「そうならないといいがな」
「ああ、皆で生きて帰るんだ。僕等は家族のもとにね」
差し出された手を握り、グッと引かれて立ち上がる。
僕は引き起こしてくれたレオの背を軽く叩き、ラトリッジで待たせている家族、ヴィオレッタのことを思い出す。
帰ればきっと盛大に説教を頂戴する破目になるだろうが、それでも一向に構いはしない。
僅かに残った全員で帰りつけるのであれば、ヴィオレッタの小言も抱擁と見紛うものになるはずだ。
隠していた身を路地裏から晒し、昇ってきた陽射しへと当てる。
人々が活動を始め、多くの商店や露天が開店の準備に追われる光景の中、都市の大通りを進んでいく。
そうして少しばかりを歩き、通りの一角に建つ大きな商会の建物前へと辿り着いた。
商会の二階をチラリと見れば、羽振りが良いのか綺麗に彫刻された看板がぶら下がっていた。
ただ風で僅かに揺れるそれの隅へ、注意して見なくてはわからない程の、小さな傷が刻まれているのに気付く。
一見して不規則に刻まれたそれは、ここが都市王国ラトリッジ擁する諜報要員たちが使う、拠点を示す記号。
傭兵団時代から定期的に変更されているそれは、間違いなくここが目的とする合流地点であると示していた。
「申し訳ありません。生憎とまだ開店前でして……」
商会の前で立ち止まり、真正面から眺める僕等へと、入口を掃除していた青年が声をかける。
一見して純朴そうな彼は、おそらく送り込んだ諜報要員などではなく、この地で商会の従業員として雇った人間。
僕はそんな彼へと、予約しておいた品だけを受け取りに来たと、それらしい理由を告げ中へ足を踏み入れていった。




