遮断 10
ここまでは順調。そう言っても差し支えないのだとは思う。
少々派手に立ち回りすぎたし、予定になかった窃盗を行った上に火を放つという、凶悪犯顔負けの真似もしてはいる。
それでも敵国の中で動いていると考えれば、個人的には許容範囲だ。
ただ今置かれたこの状況に関しては、かなり厳しいと言わざるを得ない。
なにせ火を放ち脱出を試みた僕等の前へと、三人ほどの敵が立ちはだかっている。
それもただの一般兵士ではない。ここまで幾度か見てきた顔、それもワディンガム共和国ではなくシャノン聖堂国で見た、同じ容姿を持つ少年のそれであった。
「なんだってこんな場所で……」
「詮索は後だ。まずは排除するぞ!」
姿を現した、少年型のクローンたち。
僕はそれらを見るなり、足を止め困惑を露わとしてしまう。
一方のレオは、シャリアを背負い対抗するのが難しい僕にとって、これが非常にマズイ事態であると判断。すぐさま叫んだ。
その声にハッとし、腰へ差していた剣に手が伸びる。
しかしシャリアを背負う状況では碌な抵抗もできず、僕は急ぎレオの背後へと身を移す。
向こうもまたこちらが弱点と認識するや否や、腰へ差していた短剣をそれぞれ握ると、迷うことなく突進してきた。
さほど広くもない軍施設の通路。そこを駆け迫る三体のクローン。
戦いに時間を掛けられないのに加え、手を抜いていて勝てる相手でもない。
それにここから脱出後はすぐさま都市から逃走しなくてはならないため、体力は温存しておきたいというのが本音。
「アル、先に行け! こいつらを片付けたら、俺もすぐに後を追う」
「わかった。必ずだぞ」
まず先頭の一人を斬り捨てたところで、振り返りもせずレオは背後の僕へと叫ぶ。
シャリアを連れここから出た後は、外の三人と合流し一旦都市に構えた拠点へ移動。そこで手短に準備を終えたらすぐさま都市を離れ、一路西へ移動するという手はずになっていた。
行動が少しでも早ければ、それだけ安全になっていくというもの。
いったいどの時点で追いつけるかは知らないが、こちらを先に脱出させ準備させた方が良いとレオは考えたようだ。
実際シャリアを背負った状態では、足手まといになるだけと考えた僕は、すぐさまレオの意図を察し了解を返す。
一方で背負われたままのシャリアは、自身を助け出したこちらが残って囮となるのが心苦しいのか、僅かに押し黙った気配を感じる。
しかし今度は口を挟もうとせず、小さく呟くように口を開いた。
「……ご無事で」
「ああ、また後でな」
迫る敵の短剣を受け流し、横から薙ぐようにして蹴りを放つレオ。
と同時に彼が空いた手を軽く振るのを確認すると、僕はすぐ横の通路へ向け全力で駆けた。
最初に入ってきた場所まであと少し、ここまで来ればもう脱出したも同然だ。
残って足止めをしてくれるレオは気にかかるが、今はそれを無駄にするわけにはいかない。
僕は二つほどの分かれ道を曲がり、勢いを落とすことなく通路を走り続ける。
背にしがみ付くシャリアは、ボロボロの身体で振り落とされぬよう必至に肩を握りしめていた。
途中で遭遇した敵兵の一人を、勢いそのまま顔面に膝を叩き込んで昏倒させ、入ってきた通用口から飛び出す。
「急げ、撤収だ!」
「……あの、レオ隊長は?」
「レオなら後から追い付く。僕等はいったん拠点へ戻り、撤収の準備を進めるぞ」
外で待機していた三人は、僕とシャリアの姿を見るなり安堵の表情を溢す。
しかしその一方で姿の見えぬレオを心配したようだが、今は詳しく説明している場合ではなく、急ぎこの場から移動することが優先。
兵たちを引き連れ、僕等は走り軍施設を離れた。
シャリアを背負ったまま、リヴォルタへ移動する中、僕等は周囲を警戒しずっと辺りへ視線を遣り続ける。
ただ三人の兵たちは予定通り、他の歩哨が来ぬよう少しばかりの陽動を仕掛けてくれたようなので、辺りには敵兵らしき姿が見られなかった。
『今のところは上手くいっているか……』
<そのようです。もう随分と火の手も回っているようですし、こちらへ追手が迫っている様子はありません>
『レオは?』
<まだ出てきてはいません。ですが心配は無用でしょう、あのくらいであれば早々に排除しているはずです>
重い疲労感が身体を蝕み、軽いはずなシャリアを支える腕が落ちそうになる。
しかし現状では概ね計画通りであり、想定外のトラブルに直面することを思えば、まだ楽であると言えた。
火の手を上げる軍施設は、酷く混乱しているようだ。
レオはまだそこから逃げ出していないようだが、エイダの言う通り彼の実力であれば、もう間もなく平然とした顔で飛び出してくるはず。
『それにしても、どうしてあの連中がここに』
<ワディンガム共和国とシャノン聖堂国、両国の利害が一致しているにしても、アレがこの地に居るというのは少々意外でした>
『あれがここに居る全てであるならいいんだけれど……』
<そこは現状では何とも言えません。データ取得目的で送り込まれたのか、それとも聖堂国が見返りを求めて派遣した戦力なのか>
寸分の狂いもなく同一の容姿を持つという、一種異様な存在。
地球で生まれた技術によって製造された、本来であればこの惑星へ存在するはずがない個体は、聖堂国の教皇として据えられたモノと同じ形をしていた。
いったいどうしてこの地に居るのかは不明だが、逃げ込んだ先のこの国でもあいつらが追って来るのであれば、相当に厳しい状況に追い込まれてしまう。
「申し訳ありません。わたくしなどのために、皆様を危険に晒してしまいました」
クローンの存在を思い出し、若干重苦しい思考につい息を吐く。
だがそれを見たシャリアは、これが自身を救出したために負った負担のせいであると考えたのか、背に乗ったまま沈んだ調子で謝罪を口にした。
つい無意識に漏れた溜息に、しまったと思い慌てて否定をする。
「こっちこそすまない。もっと早く来れていれば、君はあのような目に……」
「先ほども申し上げましたが、わたくしは大丈夫ですわ。物心ついた頃から、ずっと裏稼業で生きてきましたもの。とっくの昔に身体は傷だらけです」
再度謝罪を口にするも、返されたのは言葉を詰まらせるシャリアの過去。
元来が暗殺者であった以上、目的を果たすためにそういった手段を選ぶ場面もあったのだろう。
うら若き女性であるならば、特にそういった方法は有効であったはずだ。
だがなかなかにズシリとくる言葉であり、僕はそれに対しどう返してよいものか、無言のまま山地を走り続けた。
とはいえ延々気まずい空気というのも耐えられず、僕はなにか償いができればと申し出る。
彼女はそれを気にせぬようにと断るのだが、せめて何か出来ればと言うと、ほんの少しの逡巡を経て、シャリアは静かな調子で一つの願いを口にした。
「ただ、どうしてもと仰るのであれば――」
「なんだ? 遠慮せずに言ってくれ」
「このような身では、今後誰かのもとへ嫁ぐのも難しいので。ラトリッジへ戻った時、わたくしをお二人の側に居させて頂ければ幸いですわね」
二人、というのは僕とヴィオレッタを指しているはず。
となれば単純に、これからも仲良くしてくれという意味合いではないだろう。
彼女の口振りや内容から察するに、意味するのはもっと深い関わりだ。
ラトリッジの有力者などは、時折思い出したように愛人候補を送り込もうとしてくるのだが、僕はこれまでそれを固辞し続けてきた。
個人的にヴィオレッタ以外の相手を選ぶつもりがなかったし、彼女が良い顔をしないのがわかりきっていたためだ。
一応二人は親友であるため、もしやヴィオレッタが許してくれるだろうかと思考を巡らせるも、僕は一旦それを置いておき大きく頷いた。
「わかった。帰ったらヴィオレッタを説得してみせる」
「……本気にされないで下さい。これも前に言いましたが、わたくしは親友の夫を寝取る趣味はありませんもの。冗談、あくまでも冗談ですわ」
すぐ後ろを歩く兵たちには聞こえぬ、小さくされるやり取り。
上手くいく根拠など微塵もないというのに、僕は意を決して確約を口にした。
ただ彼女はその言葉へ一瞬キョトンとするも、すぐさま小さな含み笑いを漏らし、自身の発言が本心からではないと言い放つ。
ただどこか声色からは寂しそうな気配が滲んでおり、それが彼女の卓越した演技によるものなのか、それとも曝け出した本心であるのか、僕には判別の付かぬものであった。
そこからは監禁状態からくる疲労のためか、押し黙りただ背中で静かに息をするシャリア。
僕自身もそれ以上の言葉を発さず、岩と僅かに土を盛り造成した道を進み、都市リヴォルタの市街地へ駆け込む。
深夜の真っ暗な路地裏へ入り、確保しておいた拠点へ。
周囲に人が居ないのを確認し、静かに扉を開いて真っ暗な室内へ入ると、明りを点け急ぎ出立の準備を始めた。
血に濡れた衣服を着替え、前もって用意しておいた荷を外に停めておいた荷車へ積み込み、騎乗鳥を引いて荷車と組ませる。
ただこれですぐ出立出来るかと思いきや、室内へ戻ったところで、奥に在る物置へ視線が向く。
そういえばあの中には、拘束したリヴォルタ駐留軍の副司令を放り込んでいるのだった。
さてどうしたものかと、こういった状況で適正な判断を下せるであろうシャリアに問うてみる。
「始末するのが無難ではないかと」
「大丈夫だろうか?」
「問題ありませんわ。あれだけ暴れた上に、軍の施設に火まで放ったのです。今更一人二人斬ったところで、どうということはありませんわよ」
彼女は人目を憚らず服を脱ぎ身体を拭きながら、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべ告げる。
そういえばこれと似た内容を、つい先ほど僕自身が言ったような気がしないでもない。
ともあれ彼女の言うように、口を封じておいた方が無難か。
こちらの顔を見たあいつを生かしておいては、後々人相書きなどが出回ってしまいかねなかった。
やれやれと僕は短剣を手に物置へ向かう。
そこで中に入る前に振り返ると、真新しい服に着替え終えたシャリアに向け、先に行くよう告げた。
「僕は中のを片付けたら、そのままレオを待つ。なに、包囲される前には脱出するから、必ず追いつくよ」
「わかりました。では合流地点でお待ちしておりますわ、その前に追いついて下さるのが最良ですが」
外では既に、三人の兵たちが出発を待っている。
まずは彼らをこの都市から脱出させ、彼女には三人の案内役として同行してもらわねばならない。
なにせ共和国軍兵士たちが統率を取り戻し、犯人である僕等を取り囲もうものなら、彼らを連れての脱出は困難を極めてしまう。
しかし僕はレオが必ず戻ると信じ、ここで彼を待つつもりであった。
頷くシャリアが拠点を跡にし、外の三人と共に足早に去っていく。
ゴロゴロと木製の車輪が小石を跳ねる音が消えたところで、僕は静かに物置の扉を開けた。
物置の中へと室内の薄い照明が差し込み、映し出されるのは後ろ手に縛られた男。
猿轡を噛まされた状態で、必死に身をよじらせ声を上げようとするそいつは、僕の姿を見るなりビクリと反応した。
この反応から察するに、先ほどシャリアとしていた会話が聞こえていたようだ。
僕は無言のまま抜身の短剣を持ち、そいつへ近付く。
一際大きく悲鳴らしき声を上げようとするそいつを蹴って黙らせ、迷うことなく短剣を振り下ろす。
至極簡単なその作業を終え、動かぬそいつの服で短剣を拭いて物置を出ると、丁度入口から入ってくるレオの姿が見えた。
「意外と速かったじゃないか」
「ああ、少しばかり囲まれたが、同じ顔をした連中は最初のあれだけだったからな。……何をしていたんだ?」
「ここを出る前に、最後の片づけをね」
「片付け……? ああ、そういえば」
戻って来たレオを迎えると、彼は抜身の短剣を持つ僕の手を凝視する。
見れば着替えたはずの衣服であるのに、袖口などには僅かな血が付着しており、中で血生臭い行為が行われていたことを窺わせていた。
折角戻ってから着替えたというのに、早々に汚してしまったようだ。
「もう終わったよ。レオの手を煩わせなくてもいい」
「別に気にしなくてもいい。今更気にするほど繊細でもないからな」
「僕はさっき、シャリアを背負って逃げただけだからさ。このくらいはさせてもらうよ」
「そのシャリアたちは、もう先に行ったのか? 外に荷車がなかったが」
「一応、三つ先の都市で合流する手はずになっている。でも今から追えばなんとか追いつ――」
まだこれから追手が向かってくるとはいえ、とりあえずは一段落。
僅かに息吐いて顔を見合わせ、軽い談笑交じりでやり取りをする。
思いのほかレオは早く戻って来てくれた。向こうが乗り物に乗って脚が早いとはいえ、すぐに出れば先行する四人に追いつけるかもしれない。
そう考え、すぐさま追いかけるべく僕は出口へと足を向けようとする。
しかしその時だ、先を急ぐべくレオを促そうとした僕の頭の中へ、甲高い警告音が響いたのは。
<警告。地上より飛翔体の発射を確認、発射地点は聖堂国領北部>
轟音のアラームと共にエイダが告げたのは、監視を行う衛星が謎の物体を捉えたというもの。
それだけであれば別段おかしなものではない。突如発生した地殻変動かもしれないし、大勢の人が移動しているという可能性もあった。
ただそいつが飛行する物体となれば話は別。
鳥などをいちいち報告するわけもなく、この惑星上に大型の飛行する生物が存在しない以上、それが人工物であるのは間違いない。
となれば聖堂国で逃がした、開拓船団の技術者が脱出するため乗った航宙船かと思うも、直後にエイダがした報告により、その想像はいとも簡単に打ち砕かれる。
<高度上昇中、衛星への衝突コースであると推定されます>
『航宙船じゃないのか!?』
<いえ、航宙船の存在は確認されています。おそらくは逃がした技術者が乗る船でしょうが、ミサイルの類と思われる物体は、そこから発射されました>
今度は明確に、エイダはそれが攻撃性の物体であると明言した。
いったいどういう意図でかはわからないが、おそらく技術者は自身がこの惑星から脱するための船に乗ってから、こちらの衛星を攻撃するという行動に出たようだ。
あれだけ頻繁に通信の類を行っているのだ、衛星の所在くらいはとっくの昔に判明しているとは考えていた。
だがこれまで別段干渉を受けて来なかっただけに、破壊されるという可能性を失念していたのだ。
害はないと放置していたのだが、やはり技術者は始末しておくべきだったのだろうか……。
『……回避は?』
<不可能です。脆弱な衛星の推進器では、避けようがありません>
ごく僅かな期待を込めて問うも、エイダから告げられたのは無情な事実。
いったいどの程度の武器を使用されているかは知らないが、基本的に一定の高度で浮かぶだけの衛星では、回避行動など期待出来ようはずもない。
僅かに起動の修正を行える程度であり、追尾機能を持った兵器を避けるなど、無謀を通り越して考えるだけ無駄だ。
<アル、しばらくの間を耐えてください。必ずなんとかしてみせます>
やはり撃墜は免れぬということか。エイダから向けられる言葉は、しばし支援は行えぬというもの。
つまりこれから先、エイダなしで独り戦えと言うも同然であった。
<必ず復旧してみせます。それまで>
エイダが急ぎ捲し立てる言葉が、最後まで言い終わらぬ内に。声は掻き消えただ無音が頭へと響いていく。
急ぎ建物を出て空を見上げてみれば、暗くも星明りの浮かぶ夜空へと、少しばかり大きな明りが浮かんで消えていった。
無言のまま再度エイダとの交信を試みるも、当然のように反応はない。
「アル、――――!?」
突然に外へ飛び出した僕を心配してか、レオもまた出てきて声をかける。
しかし僕の名を呼んだことはわかるが、その後に続く言葉がまったく聞き取れない。
言わんとしているのは、いったいどうしたのかといった内容であろう。しかし言語としては聞き取ることができなかった。
考えたくはないが、やはりエイダからの支援は完全に遮断されたようだ。
「すまないレオ、またしばらく迷惑をかける」
自身の片腕以上の存在を削ぎ落された喪失感に、僕は強い眩暈を覚える。
幼少の頃からずっと傍に居て、常に相談や雑談の相手をし、ある意味で育ての親も同然であったAIのエイダ。
メンテナンスのため、エイダが一時的に機能停止状態であったことはあったが、後で戻ってくるとわかっていたが故に動揺はなかった。
それにあの時は言語翻訳の機能だけは、休止せず稼働状態であったので、多少の不便で済んでいた。
そのエイダが、というよりもエイダと僕を繋ぐ衛星が破壊されたのだ。
だがわかっている、今は動揺している場合ではない。
僕は自身の頬を強く叩くと、言葉が通じぬとわかっていつつ、レオへ謝罪をしながら目元だけで笑ってみせた。