表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
391/422

遮断 09


 予想くらいはしていた。

 人権がどうの捕虜の扱いがどうだという概念が希薄な、文明の習熟がまだ途上と言えるこの惑星。

 敵に捕まった者は蹂躙され、意志を容易に踏みにじられ、自らの命すらその手を易々と離れてしまう。

 そして一人囚われたシャリアは大人の女であり、共和国にとって敵国の人間であると推測される以上、碌な扱いをされぬであろうとわかってはいた。


 ちゃんと統率のとれたプロ集団としての軍人であれば、配下への示しを考え軽率な行動は慎むのだろう。

 しかし少なくとも、都市リヴォルタ駐留軍においてはそうではないようだ。

 ただ下卑た欲望を抑えることもなく本能に突き動かされる様は、知性を持った人というよりも、死肉に群がる蝿と言い表わすのが正しいのかもしれない。



「アル。俺はこいつらを、どうしてやればいいだろうか」


「そうだね……。血を吸いに来た羽虫を、君ならばどうする?」



 金属の扉を蹴破り、シャリアが監禁されている部屋へと突入した僕等。

 その薄明りで照らされた室内で見えたのは、五人ほどの人影。

 一人は壁から伸びた鎖に両手足を繋がれ、グッタリとし床へ突っ伏している女、シャリアだ。

 そして残る四人は、見るからに仕立ての良い軍服を纏った、共和国軍人の中でも比較的階級が高いと思える連中。

 ただし一様に軍服の前をはだけさせており、僅かな規律さえ打ち消さんばかりに、部屋には顔を背けたくなる醜悪な臭いが立ち込めていた。


 そんな光景を前にして、レオは握った剣を前に突き出しつつ、わかりきった答えを聞く。

 僕もまた彼に対し、質問に質問で返すようではあるが、平静を保たんと簡素な問いを向けた。



「無論叩き落としている。吸われるのは嫌だからな」


「僕は吸われた後でも叩き潰しているよ。これでも強欲な方なんだ、血の一滴でも許可なく与える気はない。もちろん仲間に寄ってきた羽虫もね」


「そうか。なら決まりだ」



 突然に押し入ってきた僕等に唖然とする男たちを前に、波立たぬ平静な声のままでやり取りをする。

 そういえば以前に誰かも言っていたか。怒りも沸点を越え一定の度合いまでいくと、逆に冷静になってしまうものだと。

 なるほど、これがその次元なのだろうかと妙に納得しつつ、僕は腰に手を当て大きく息を吐いた。



「お前ら、誰の許可を得て入ってきた!」



 部屋に居る連中を無視し言葉を交わす僕等へと、これまで唖然としていた男の一人が起ち上がり、野太い怒声を浴びせてくる。

 粗末なそれを隠そうともせぬそいつは、捕虜への体罰や拷問用だろうか、転がっていた棒を拾って脅しをかけてきた。

 僕等の格好を見れば、共和国の軍人でないのはわかろうものだろうが、突然の乱入者にまだ多少困惑しているようだ。


 激昂に顔を染め、こちらに詰め寄らんと男が一歩を踏み出したところで、僕は密かに握っていたナイフを放る。

 そんな汚い物をぶら下げたまま近寄られるのは不快であるという、なんとも簡潔な理由によるために。



「……へ?」



 投げたナイフは大股で近寄ろうとする男の股の間を通り過ぎ、壁の一角へガチリと当たって落ちる。

 ただ床へと落ちたのは、壁へ当たったナイフだけではない。

 男のした間抜けな声が部屋へ響いた直後、小さな部屋を震わす絶叫が発せられた。



「あ、ア……、あぎぁああぁぁああ!!」



 男にとって自慢であったかどうかは知らぬが、長年連れ添った自身の一部を失ったという事実は、思考を塗り潰すに十分であったようだ。

 僅かな間を置いて事態を理解するなり、声にもならぬ悲鳴を上げ転げまわる。

 手で押さえるも止めどなく血は撒き散らされ、より不快な臭いが部屋へと充満していく。



「アレ、後で回収するのか?」


「冗談じゃない。流石に捨てていくよ、触るのも御免だ。それより早く片付けよう、この声で誰かが気付くかもしれない」



 嫌なモノを見たと言わんばかりなレオは、手で口元を押さえて投げたナイフを指さす。

 ただ如何に武器が貴重でも、あれを使い回すというのは気が引け、僕は首を横へ大きく振った。


 それも当然かと納得したレオは、軽く「了解」と返事を返し、隠し持っていた小さな短剣を抜き放つ。

 そのまま軽く地面を蹴り、思考を停止し呆然と立ったままな他の男たちへ迫ると、立て続けに喉元へ短剣を滑らせ屠っていった。


 僕もまた転げ回る男へ短剣を突き立て黙らせると、静かになった部屋の中で壁へ近寄る。

 膝を曲げて床へ倒れたシャリアへ適当な布を掛けてやると、どう声を向けたものかと逡巡し、乾いた喉からようやく音を発す。



「立てそうか?」


「……一応は。少しだけ、痛みは有りますが」



 そう言って顔をゆっくり上げたシャリアは、これまで見たことのない弱々しい目をしていた。

 見れば衣服は既にボロボロ。破れ剥き出しとなった肌には、幾か所もの痣が刻まれ、捕まって以降ずっと暴行を受けていた様子が知れる。



「すまない。迎えに来るのが遅くなった」


「気にされなくても結構ですわ。このような事、わたくしは慣れていますもの」



 虚勢であるのか、それとも本心からなのか。シャリアは殴られ腫らした頬で、柔らかく笑んでみせた。

 基本的に娘の時分を裏稼業で過ごしてきた彼女だ、案外本当にこういった経験があるのかもしれない。

 それでも決して気楽であったとは言えないだろう。立たせるべく伸ばした手を握る力は弱く、脚は僅かに振るえているようにも見える。



「レオ、僕がシャリアを背負う、敵の排除を任せてもいいか?」


「いえ、わたくしは歩けますわ。そこまでしなくとも――」


「いいから甘えておきなよ。それ以上無理をされても困るし、まだここは敵地のど真ん中だ。帰路の案内役として、君の役割はまだ終わっていないぞ」



 下手に優しくしてやるよりも、逆にこのくらい言ってやった方が彼女は気楽であるかもしれない。

 薄手の外套を着せ立ち上がらせた彼女を、無理やり自身の背に誘導させ背負うと、レオを先頭に急ぎ部屋から出て通路を進んでいく。


 到底無事であったとは言い難いが、なんとか助けるのにはほぼ成功した。

 しかしシャリアを助けたとなれば、今度は別の問題が発生してしまう。

 共和国と聖堂国が協調状態にある以上、おそらく彼女が同盟側の人間であるというのはバレているはず。

 その彼女を救い出した存在の正体を察するのは容易で、敵対行動と判断し国境へ軍勢を差し向けてくる可能性は否定できない。

 となればすぐにでも共和国から脱し、ラトリッジへ戻って防衛の算段をしなくてはならなかった。シャリアには悪いが、ここで悠長にしている暇はない。



「でも少し待って下さいませんこと。せめて何か一つくらい役に立つ物を得なくては、捕まった甲斐がないというものですわ」


「……もしかして、それが自ら囮になった理由なのか?」


「理由の一つ、ですわね。前々からいずれは共和国に入って、軍施設の情報を得たいと考えていましたので」



 背負い大人しくしているシャリアだが、急ぎ軍施設から脱出しようとする僕等を押し留める。

 いったいどうしたのかと思いきや、このような状況に至ってもなお、敵国に潜伏し情報を探るという自身の役割に殉じようというようだ。


 僕とレオは無意識に足を止め、背負われた彼女が平然と言い放つ様へ呆気に取られる。

 共和国軍に捕まれば、今しがたのような目に遭うとわかっていただろうに。

 彼女は僕が想像していた以上に逞しい、いや逞しいというよりも図太い、あるいは異常性とでもいうものを抱えていたようだ。



「そんな目を向けられても困ります。わたくしだって、相応には辛い想いをしていますわ」


「なら安心だよ。……いや、安心と言うのはおかしいか」


「そうですわね。ですからあまり気に病まれないでください、大丈夫ですから」



 シャリアはそれだけ言うと、これまでもあまり見せたことのない、内から湧き出んばかりな優しい目を向けた。

 彼女がどこまで本心でそう言っているかは、僕には察しようがない。

 しかし過度な同情はシャリアにとって、酷くプライドを傷つけられるものであるような気がした。

 ならばもう言うべきことはなく、彼女の希望通りこの施設内を物色してやればいい。

 どちらにせよそれが有益であるというのは、否定できないのだから。



 シャリアを背負ったままという状態ではあるが、僕等はそのまま施設内を進んでいく。

 共和国兵士がしていた会話の断片を記憶していたのか、シャリアは重要な資料が置かれているであろう場所の特徴を口にし、僕は得ていた施設の見取り図と照らし合わせる。

 時折遭遇する兵士は有無を言わせずレオが無力化し、一枚の大きな扉を開き中へ滑り込む。


 おそらくはこの施設を統括する、司令と呼ばれる存在が使っているであろう執務室。

 僕がラトリッジで使っているそれよりも、ずっと手狭で簡素なそこには、壁を埋め尽くす書類の山が納められていた。



「これはほとんど日誌か……。どれが目的の物かわかるかい?」


「日付を確認してください。今から二年ほど前、夏ごろの記録を可能なだけ持ち帰ります」



 シャリアを下ろして手近な椅子へ座らせ、棚の前へ立ちザッとそれらを眺めると、その多くが日誌である事がすぐにわかった。

 いったい何に使うつもりであるのか、彼女が欲していたのは、ここの司令が日々筆を奔らせているであろうこいつ。

 とはいえこれが彼女ら諜報要員にとっては、宝の山と言える物であると言う。

 具体的な時期を指定しているあたり、目的とするものは明確であるようだ。


 ともあれ僕は棚を凝視し、同盟で使われている文字とまったく同じそれを、順に目で追って確認していく。

 僕自身は言語の全てを習得してはおらず、エイダの翻訳なしでは片言程度にしかコミュニケーションが取れない。

 とはいえ現在では文字の読み書きなどはある程度問題がないため、この大陸共通の言語で書かれていることに、微かな安堵を覚えていた。



「あったぞ。全部持って行くんだな?」


「お願いしますわ。ああ、わたくしが持ちますから」


「このくらいなら構わないよ。思いのほか大した量じゃなかったのが救いだ」



 施設に詰めた兵士は少ないとはいえ、それらが揃って押し寄せてくれば面倒なことになる。

 僕は急いで目的の物を探し出すと、全てを取り出し執務机の上へと置いた。

 比較的薄い冊子状のそれが四冊。多少嵩張るのは確かだが、この程度ならば背嚢の隅にでも押し込んでおける量だ。



「それじゃ、どれを奪ったかわからないように火でも放つとしようか」


「よろしいんですの? わたくしは自白してはいませんが、もう同盟側の人間であると悟られています。火まで放ってしまったら……」


「共和国をより怒らせる破目になるって? でもあれだけ派手に兵士を片付けたんだ、とっくに鼻っ柱を殴りつけたも同然だよ。それにここの情報を得るために、副司令とかいう男を攫ってるんだ、いまさら一つ二つ罪状が増えた所でね」



 シャリアは自身を助けたことによって、ただでさえ敵対関係である両国が、より苛烈な戦闘へと発展する可能性を考えたらしい。

 だがこうまで派手に傍若無人を働けば、いっそ踏ん切りも付くというもの。

 今になってそこを気にしたところで、もう笑い飛ばして居直る他ない。



「わたくし、もしやとんでもない状況を引き起こしてしまいました……?」


「おそらくね。助けに来た僕等が、手段を択ばない悪ガキだったのを呪ってくれ」


「……あの時大人しく、一緒に逃げておくべきだったかもしれませんわね」



 基本的には密かに行動するのを是とする、彼女ら諜報要員。

 であるというのに、良かれと判断し採った行動が、こうまで事態を引っ掻き回すとは思ってもみなかったようだ。

 居直って言い放つ僕の言葉と、横で苦笑するレオの様子に嘆息するシャリア。

 彼女は痣だらけの肩をガクリと落とし、珍しく本心と思われる豊かな感情を露わとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ