焼情 03
城壁の上から放った松明が地面へと落ちる。
その直後、火は一気に地面を蔦っていき、既に事切れている者や未だ息のある者を問わず呑み込んでいく。
身体中に液体を被った兵士が火だるまとなり、助けを求めて縋った味方を次々と巻き込む。
火はどんどんと広がり、アルコールを被っていない者の服や木材で作られた弓、あるいは迫っていた破城鎚などへと引火していった。
眼下には助けを求めて縋る味方から逃れようと、足蹴にし見捨てる共和国軍。
その光景を絶望のまま見つめ、力尽きて倒れいく多くの名も知らぬ兵士たち。
生きたままの人が燃え身体を焦がしていく臭いが、城壁の上から見下ろす僕の鼻先へと障る。
「耐えられぬか?」
追い打ちをかけるように弓手へと更なる攻撃を指示しながら、デクスター隊長は僕へと苦笑しながら問う。
おそらく彼自身もかつては、こういった光景に耐え難いものを感じていたのだと思われた。
「いえ、大丈夫です。戦場である以上、割り切っているつもりですので」
僕は口元へ当てていた手を退け、ただ静かに返す。
確かに凄惨であると言い表してよい光景なのかもしれない。
だがここまで幾人もの人を斬ってきたせいであろうか、僕自身も信じられぬほどに感傷というものが沸かずにいた。
手で口元を覆っていたのも、悪臭から逃れたいという意思の表れに過ぎない。
ただ単純に目の前にある光景が、現実離れしているせいで実感できていないだけの可能性もあるが。
「素晴らしいな。お前は慣れてしまうのが随分と早いようだ」
「慣れてしまう、ですか?」
「そうとも。普通の人間であれば、吐き出して気を失ってもおかしくはない。それが正常だ」
「それは……、わかります」
「俺たちはとっくに、その正常をどこかへ置き去りにしてしまっている。戦場とは言えこんな行為をして平静を装える時点で、とっくに心が歪んでいる証拠だと俺は思うがね」
隊長はくつくつと笑いを溢しながら言い切る。
確かに目の前で行われているのは、防衛の為とはいえ一方的な殺戮と言い表わせる行為。
それを成した手が自身のものであると認識すれば、気が触れる者が居たとしてもおかしくはない。
生死を賭けた戦場ではあるが、この場で彼の言う通り平静を装えるというのは、感情がどうにかなっている証明に他ならないと思えた。
「なに、傭兵としての通過儀礼のようなものだ。これから先こんなのは幾らでも目にする」
「他の戦場でも似たようなことに?」
「ここまで一方的なのは、デナムでの防衛時くらいのものだがな。そのうち戦場で味方が倒れても動揺せず戦えるようになれば、お前も立派な傭兵の仲間入りだ」
嫌な一人前の成り方もあったものだ。
もし仮に今の時点でレオたちが倒れる状況にでもなれば、流石に僕は平静ではいられまい。
そう言う意味では、僕はまだ隊長の言う立派な傭兵には成れていないようだった。
「ふふっ」
こんな状況でも変わらぬ隊長の口調と、それに付き合って普通に会話している僕自身が、どこかシュールに思えてしまい笑いがこみ上げる。
これが過度の疲労によるものなのか、それとも戦場の空気によって高揚してしまっているのか。
あるいはデクスター隊長の言う通り、本当に僕の人格が異常をきたし始めている証なのかもしれない。
それは僕自身では判断がつかないものの、以前の僕が見れば確実に引いてしまいかねない表情をしているはずだと思えてならなかった。
<アルフレート>
『わかっている。アドレナリンか何かが出過ぎているって言うんだろう? 自覚はしているんだ』
<戦闘が終了した後には、必ず休息を摂ってください。睡眠と栄養の摂取量が足りていません>
『ああ、言われずともそうするよ』
エイダの口調から、僅かに心配するような様子が感じられるのは気のせいであろうか。
僕がそう感じるよう音声を調整した可能性はあるが、その声により僕自身の気持ちが若干ながら、落ち着いていくのは否定できなかった。
かつてエイダは自身の存在について、僕の母親代わりのようなものであると言ったことがある。
それを成そうとしているかどうかは知れないが、少しだけ、彼女の声が荒み始めた精神を落ち着かせていくように思えていた。
だが今は戦闘の真っ最中だ、落ち着いて気を休めている暇などありはしない。
僕は続けざまに放り込まれる、アルコールと獣脂で満たされた壷が割れていくのを見ながら、再び手にした松明を眼下へ向けて放り投げた。
▽
辺りには焼け焦げた臭いと、喧しく鳴く鳥の鳴き声。
まだそれほど時間は経過していないというのに、動物というのは随分と目敏いものだ。
自らの餌となるであろう兵士たちの死骸を求め、多くの鳥が上空を旋回している。
「騎兵連中が追撃したがってるだろうが、止めてやってくれないか。逃げる相手とはいえ流石に数が違いすぎる」
「了解しました。死体の処理と装備品の回収はどうされますか?」
「それに関しては、デナムの住民たちが手馴れているはずだ。ここが攻撃されるのも毎度のことだからな」
デクスター隊長からの指示を受けた僕は、城壁の上から駆け降りるとすぐさま必要な伝達を行う。
騎乗鳥の側で今か今かと待ち構えていた一部の騎兵たちであったが、僕が伝えた隊長の指示に対し、酷く無念そうな様子で相棒を引き連れて持ち場へと帰っていった。
時刻は既に昼前。
デナムを攻撃していた共和国軍は、攻撃の手を止め一路自国へと向け敗走を始めていた。
一度に大量の戦力を投入できぬ地形の上、火に巻かれて多くの兵を失ったため、思った以上に早く戦闘は終了している。
エイダからの情報によれば、最初一千近く居た兵士も、現在では半分程度にまでその数を減らしている。
全滅と言うには程遠いが、壊滅と言い表わすには十分に過ぎる損害。
ただそれでも数ではこちらより圧倒的に多いため、隊長は追撃部隊の編成は行わないこととしたようだ。
『このくらいの人数が、国境まで物資を持たせられるギリギリの数といったところか?』
<おそらくそうかと思われます。アルフレートが想定以上に物資を破壊したため、戦闘で人を減らさざるをえなかったのかと>
エイダの若干嫌味ったらしい発言が、密かに僕の精神に障る。
だが確かにエイダの言う通り、良かれと判断して行った工作に失敗したのは否定できない。
二割や三割も兵が減れば大敗であるなどと言われるが、今回共和国軍はその数を半分以下にまで減らしている。
そこまでの被害を出すまで撤退しなかったのは、そのまま敗走してしまえば、兵数の多さから手持ちの物資が足りないと判断したからなのだろう。
つまり共和国軍は、残りの物資で生きて帰れるであろう人数まで、その数を意図的に減らしたということになる。
『敗走途中で物資が不足すれば、下手すれば同士討ちを始めかねないか』
<おそらくは>
酷く冷酷な計算であるとは思う。
だがただでさえ敗戦によって精神的に参っている状況だ。
敗走の道中に食糧や医薬品の不足が元で、騒動となるよりはマシという打算が働いたと思われる。
食べる物はある程度我慢できるとしても、水ばかりはどうしようもない。
共和国軍の指揮官は、敗走途中で兵を見捨てるよりも、戦って戦死させた方がマシと考えたのかもしれなかった。
戦場で倒れた兵士の家族に対して、共和国がどういった扱いをするのかは知らない。
この惑星の外で睨み合っている地球圏の勢力であれば、当然人道的な見地はあるが、死した兵士の家族に対する補償などといった枷もあり、そういった行動には出れないはず。
共和国軍も多少なりと保障の類を行うかもしれないが、あの判断を見るにそれも望み薄か。
そう言う意味では、やはりこの星における人ひとりの命というものは、随分と軽いものだと思い知らされる。
もしも僕が自身の装備に関する性能をしっかりと把握し、上手く適切な量の物資を破壊するのに成功していれば。
共和国軍はデナムまで侵攻するという選択をしなかったかもしれない。
そんな淡い想像を抱きながら、僕は市街を奔走していった。
その後デナム市街の住宅地付近へと赴いた僕は、比較的大きな一軒の建物へと入り中に居た人たちと会話をする。
彼らはこの都市に住む住人で、隊長の言う外での死体処理を請け負ってくれるであろう人たちだ。
「では敵兵はもう全て撤退したということでよろしいかな?」
「はい。ですがまだ息がある者も居るかもしれません。抵抗される恐れもあるので、くれぐれも注意してください」
「なぁに、そんなのはワシらとて慣れたものだ。任して下され」
そう言って年嵩の男は、腰に差した一本の短剣へと触れてみせる。
きっと生き残りが居た場合には、それで止めを刺しておくということだろう。
それはなにも彼ら自身の安全のためだけではなく、敵兵とはいえ長く苦しまずに済むよう、一思いに息の根を止めてやるという意味も含まれているようだ。
少しだけ話を聞いてみれば、彼らもただ単純に臭い対策などで行っているのではないようだった。
死んだ敵の兵士たちが身に着けている装備品などを剥ぎ取り、換金した物はそのまま街の収入に、ひいては彼ら自身の懐にも入っていくのだと言う。
もっともこれまでは得た収益の半分近くを、デナムの騎士たちが横取りしていたようなのだが。
結果的にはその商魂たくましい行為が、疫病対策ともなっている。
「ところで一つお聞きしてもよろしいですかな?」
「はい、どうかされましたか?」
住民たちの中でも、最も年長と思われる一人の老人が僕へと問う。
何か問題でもあったのだろうかと思い話を聞いてみると、これから先この都市を統治する人物についてであった。
本来居るはずの統治者は、共和国側に寝返ったデナムの騎士たちにより命を奪われている。
その騎士たちも現在は都市の住民によって裁かれている真っ最中で、その裁判らしきものも騎士たちにとっては碌な結果とならないはず。
なので現状この都市には、頂点に立ち住民たちを纏める役割を担う者が居なくなっているという事になる。
「僕たちはあくまでも防衛のために居るだけなので、そういった話に関してはお答えしかねます」
「そうですか……。ですがまさかウォルトンの騎士たちが代わりに来るなんてことはないでしょうな?」
「僕には断定が出来ませんが、それは無いと思いますよ。彼らの権限はあくまでも、ウォルトンの中でのみになりますので。もし仮に彼らがこの街の統治権を要求してきても、突っ撥ねて構わないかと」
あくまでも金で雇われているだけの傭兵に、何を求めているのだろうかと思ったものだが、彼らの気持ちは多少なりと理解できる。
多くの住人たちにしてみれば、どこの都市に所属していようが騎士は騎士といったところに違いない。
これまで自分たちの金を掠め取り、今回は都市そのものを危険に晒したのだから。
再び別の土地から来た騎士たちが、我が物顔で街を闊歩すると想像すれば、その不安もわからなくはない。
それにウォルトンの騎士たちをこの目で見た僕も、彼らがここに来て何をやらかすかわかったものではないと思える。
住民たちにとっては今のところ、騎士などよりも僕等傭兵の方が、遥かに頼れる存在であるのは間違いなかった。
「それを聞いて安心しました」
「ですがあくまでも、今のは僕の想像ですので。念の為、上の者に確認をして頂けると」
おそらく大丈夫だとはおもうのだが、僕とてあまりこういった場合の事態に詳しい訳ではない。
後になって言ったことと違うなどと言われても困る。
一応の予防線として発言はしておいたが、彼らはただ安堵するための言葉が聞きたかっただけであったようだ。
老人は僕の言葉に首を縦に振り柔和な表情を浮かべると、そのまま外での作業の割り振りを始めた。