遮断 03
シャノン聖堂国とワディンガム共和国の間に伸びる、山脈と言うには少々物足りない低い山地。
その麓付近一帯は聖堂国において、唯一と言ってよい穏やかな気候に恵まれた土地であり、毎年のように教皇の訪れる保養地が存在する。
町としての規模はそこまででもないが、歓楽街を整備していることにより夜通し明りが灯され、さながら不夜城の如く朝まで歓談の声が止むことはない。
ただ逆に言えば、明りの濃い部分を避け路地の裏を通れば、多くの人間の目から逃れられるとも言える。
そのため夜の内にこの保養地へ辿り着いた僕とレオは、予定通り細い路地を通り、町を抜けて国境へと向かうつもりであった。
しかしこの日はどういう訳か、普段よりも置かれた松明の数が随分と多い。
予定していた逃走ルートを前に、僕等は僅かに見つけた陰へと潜み、身動きの取れぬままジッとしている他なかった。
「どうやらシャリアらが国境を越えたのがバレたらしい。この警戒はそのせいみたいだ」
「まさか気取られていたのか?」
「この食糧事情なら、逃げ出そうとする人間がいるのも不思議じゃないよ。たぶん元々国境は警戒されていたんだ」
聖域を攻める前、ここを出立した時とは大きく異なる厳戒態勢。
このような状況になったのは、僕等が聖域を攻撃したことによって、多くの戦力が離れたというのが一つ。
もう一つはシャリアらが国境突破の際に、歩哨に見つかって銃撃戦となったためか。
ただ彼女らを責めるのも酷かもしれない。なにせ隠密行動に不慣れな専門外の兵士を連れ、その内一人は怪我人なのだから。
密かに兵士らの話を盗み聞いた限りでは、銃撃戦にはなったが結局逃げられたと言っていたため、シャリアらはなんとか共和国側に逃げ込めたようだ。
食糧難が深刻な聖堂国から逃げ出そうとした国民と捉えられているようなので、僕等の存在自体はまだバレていないはず。
「見つかっては元も子もないし、慎重に行こう。なに、聖域へ向かった連中が戻ってくるまで、まだしばらく時間はあるさ」
「了解だ。なら俺が後ろに着こう、先導は任せた」
監視の目が厳しくなってしまったが、まだこのくらいならば何とかなる。
僕等は路地裏の暗い個所を縫うように進み、一気に国境越えを窺える場所まで移動することにした。
時折感じる人の気配に足を止め、壁へ張りついたり、時には屋根の上へと登ったり。
まるで人目を避け生きるネズミのような心境を味わいながら、僕を先頭にしゆっくりと町中を進んでいく。
この厳戒態勢の影響からか、普段であれば多い人通りもこの日はずっと少なく、人に見られず通りを越えるのは簡単。
警備に歩く近衛兵が視線を逸らしたタイミングを見計らい、僕とレオは同時に駆け細い路地へと滑り込んだ。
「まだ全行程の半分もいってないけれど、もう国境は目の前だ。愛しの我が家が見えてきた気がするよ」
「だが一番の困難はこれからだろう。下手をすれば、大量の弾を浴びながら走らなければならなくなる」
「その時は日頃の行いの善さを振り返って、運を天に任せる他ないだろうね。……っと、隠れて」
路地へ入ってからしばし、二人で並び走るのも窮屈に思えるそこを走る。
徐々に人の気配は薄れていく。多くを聖域への援軍に回したせいか、近衛兵はこの辺りには警戒の人員を配置できていないようだった。
しかしその全てが居ないというわけではなく、僕は進路上へと微かに足音が聞こえたような気がし、後ろを駆けるレオを止め民家と民家の間へ身体を押し込んだ。
「……マズイな。例の奴らだ」
「奴ら? ああ、子供の姿をした連中か」
そっと建物の影から目を覗かせ、暗がりの奥を凝視する。
どうやら耳に届いた足音は気のせいなどではなく、暗闇に慣れた目へ徐々に映っていくのは、二人組の近衛兵の姿。
しかしそれは普通の連中ではなく、双方ともに少年型のクローン。
あまり多くはないそいつらだが、普通の兵や青年型のクローンと比べ格段に強いだけに、あまり対峙したくない相手であった。
「この位置では逃げられない、かな」
「なら仕方ない、増援を呼ばれる前に一気に片を付ける」
やり過ごせるに越したことはないと考えるも、そこまで特別に深い陰でもなく、余程上手く気配を消さねば気取られてしまう。
ならばいっそ先手を打って接近し、静かに仕留めるのが確実だろうか。町の外で遭遇した、監視の兵へとしたように。
一人だけで戦うのも狭苦しい路地の陰で、互いに目配せをして息を殺す。
無言のままで近づいてくる近衛兵は、全く同じ容姿な二つの顔を前後に並べ、無機質な空気を纏ったままゆっくりと近付いてくる。
息を呑み小さく響く歩数を数え、懐へ忍ばせた投擲ナイフの柄を握る。
そうして近付いてきた頃合いを見計らって飛び出ると、僕は握ったナイフを勢いよく振り抜いた。
縦に回転し飛ぶナイフは、瞬きする程度の間に幼い顔を持つ近衛兵へ届く。
しかしこの暗い中で僅かな銀光を捉えたか、額へ達する直前、そいつは自身の左手を犠牲に致命傷を避けた。
「頼む、追撃を!」
少年然とした見た目に反し、負傷してでも命を取った瞬間的な判断は、熟練の戦士を彷彿とさせる。
掌を貫くナイフによって傷は負わせた。ただ深手ではあるものの、到底無力化したとは言い難い。
僕はナイフを投げた動作を収める間もなく、すぐ背後で剣を抜いていたレオへと小さく叫ぶ。
そのレオは地面を蹴って僕の上を飛び越えると、落下の勢いそのままに剣を振りおろす。
レオが振るった斬撃は、武器を抜く間もなく襲われた兵士を沈黙させる。
いや元々口など開いてはいない相手だが、負傷した左手ごと一刀両断された胴が裂け、固い地面へ音を立て落ちていく。
だが前の一人を屠っても、後ろにまだ一人が一人が残っている。
レオはすかさず倒れた少年型クローンの横を通り過ぎ、次のそいつへ鋭い突きを繰り出そうとする。
しかし一人がやられている間に、そいつは自身の武器を既に手へ取っていたようだ。
握る銃の銃口をレオへ向けるべく、腕を振り上げようとしていた。
「レオ、屈め!」
その動作を察知し、向けられた銃口の先剣先で逸らすレオ。
僕は珍しく冷や汗を流す彼に対し、鋭く声を向けると地面に転がっていた棒を拾い、レオがすかさず反応し屈んでくれるのを信じ投げ放つ。
先ほどのナイフと異なり、真っ直ぐに飛ぶそれはレオの背へ向かう。
それはレオの先へ立つ、クローンの近衛にとってもっとも避け辛いであろう、胸部の中心へ向けられたもの。
確信は半々に投げたそれを辛うじて回避したレオの頭上を通り過ぎ、硬い木の棒は敵の胸を強く強打。
咄嗟の衝撃に仰け反ったところへと、レオが追い打ちとして突く剣が心臓の付近を貫いた。
「……また手間取った。俺も腕が落ちたか?」
「いや、こいつらの能力が高いんだよ。難しい場所だったってのを差し引いてもさ」
ようやく完全に片付け終え、レオは息を吐いて少年型のクローンを見下ろす。
先ほど町の外で監視を倒した時もだが、少々苦戦を強いられた彼は自身の技量に首を傾げるも、おそらくレオの実力が問題ではないはずだ。
豪快に大剣で敵を薙ぎ払うという、力任せな戦法を得意とするレオなだけに、こういった狭い路地での戦闘を不得手とするのは確か。
一応そんな環境でも並の兵士より遥かに強いレオなのだが、彼をもってしても苦戦したのは、こいつらが今までのクローンよりずっと強力であるため。
より緻密な運用を求め、より戦闘に特化したこいつらは、常人では太刀打ちできないだけの力量を持っていた。
やはり聖域で生産設備を破壊したのは、結果的に正解だったのかもしれない。
銃弾を当てれば流石に仕留められるものの、こんなのが大挙して押し寄せようものなら、こちらは窮地に追い込まれるのを避けられそうもないのだから。
「腕が落ちたって言うなら、むしろそれは僕の方だよ。最近はあまり剣を握ってない」
「確かにな。以前のアルならば、最初のナイフを防がれた時点で自然に斬り込んでいた」
「よく見ている。下手に便利なのも考え物だね、銃に頼りすぎだ」
僕はいまだ首を傾げるレオへと、そう言って自嘲するように笑う。
銃を使うようになってからというもの、そちらばかり使って接近戦を仕掛ける度合いが減っているようには思う。
おかげで今のように、ちょっと実力のある相手とやり合っただけでボロが出てしまった。
それでもあえて銃を使わなかったのは、ひとえに敵を呼び寄せぬため。
銃声などしようものなら、即座に異変を察知して捜索の手は伸びてくる。
すぐにこちらの位置を特定はできないだろうが、それでも不利な状況を呼び込むのに変わりはなく、今は直接刃による攻撃以外に術はなかった。
「ともあれ、急いでこの場を離れよう」
「そうだな。……早く逃げないと今度は臭いでバレそうだ」
倒したクローンから装備を剥ぎ取りつつ、ここまでの張り詰めた神経を一度緩め言葉を交わしていく。
しかしそれも程ほどに、僕は立ち上がってすぐさま移動するよう告げた。
レオもまたその言葉に頷くと、仕留め血を流すクローンを見下ろし、目元を険しくさせ呟く。
聖堂国内でも比較的穏やかな気候の町ではあるが、それでもここが砂漠地帯の間近であるのに変わりはない。
それを思い出させる熱気のせいだろうか、流れ出た血は色濃い臭いを撒き散らし、周囲へ戦いが行われた気配を漂わせ始めていた。
少し風が吹きでもすれば、すぐさま臭いは風下へ届き、異常を知らせるに十分な情報となってしまう。
遅くとも数十分もすれば、死体は他の近衛兵に見つかってしまう。なので一刻も早く市街地を抜け、国境の山越えを試みる必要があった。
「シャリアたちの後だ、山の方も警戒が厳しくなっているんじゃないか?」
「大丈夫。ほとんどが聖域に出払っているおかげで、人数はそこまで多くはない。少しは敵を排除する必要があるけれど、そこを越えればすぐ共和国の領土だ」
死骸を放置したまま、僕等は再度狭い路地を足早に進んでいく。
もう少しでここを抜けられ、あとは山の中へ入ってから、監視の目を掻い潜り突破するだけ。
確かに警戒の度合いは強くなっているものの、衛星から確認した限り僕等であれば十分に排除しつつ進めるはず。
この町へ教皇が滞在しているという理由で、共和国側は普段国境付近に駐留させている軍勢を、一時的に後方へ下げている。
過度に聖堂国を刺激したくないという思惑から来た行動だが、双方に捕まる訳にはいかない僕等にとって、今この好機を逃す手はない。
僕らは早々にこの関門を突破し、先を行くシャリアらと合流せんと、家々の隙間からようやく見え始めた山への歩を速めた。