亡者の楽園 03
会場を舞う色とりどりな布の吹雪に、人々が発する狂乱の声。
"撃て"、"殺せ"。あるいは"負けたらお前を殺してやる"など、少々と言わず下劣な声援……、もとい罵声が飛び交う。
それらは現在闘技場内で、武器を手に相手へと迫っていく者たちへ向けられているのだが、そもそも負けた時点でその闘技者は死んでいるため、鬱憤の晴らしようもないであろうに。
見ればそういった叫び声を上げる中に、今の僕等がしているのと同じ法衣を着る者、つまり神殿の司祭たちの姿が多く見える。
案内役をしてくれる女の話によれば、信者たちからの寄付を溜め込んでいる司祭連中を博打で散在させ、国庫へ金を回収するために呼んでいるとのこと。
まったく、なにが"非常に重大なお役目"だ。この法衣を奪った司祭が発した言葉に、僕は反吐が出る想いであった。
「失礼、我々は観ているだけで十分ですので……」
「なに、気にすることはありません。実はさっきから勝ち続けでしてね、隣り合った相手へのちょっとしたお裾分けをと」
闘技場を囲む観客席の、比較的高い位置へと腰かける僕とレオ。
隣へ座るいかにも裕福そうな恰幅の良い男は、そんな僕等へと金を握らせようとしていた。
もちろん知り合いなどという間柄ではなく、偶然に隣り合って座っただけな他人だ。
だが男は賭けに勝っていることで気を良くしているようで、ただ腰を降ろし眺めるだけの僕等へと、賭けに参加するよう勧めてくる。
「司祭様と言えどここでは一人の客。ささ、遠慮などなさらずに」
「では一回分だけ……」
このような趣味の悪い物で賭け事をする気にはなれないが、下手に断っても角が立つ。
それに周りでは司祭たちが、平然と賭け事に興じ感情を剥き出しとしているのだ、大人しくしていては逆に目立ってしまう。
そこでとりあえず受け取ることにすると、渡されたのは想像を遥かに超えた額。
町で貴重品とされる菓子を売って得た額の、数十倍に相当する貨幣であった。
渡された金額に内心で唖然とし、どう言葉を発してやったものかと逡巡する。しかし男のすぐ横へ立っていた、執事らしい老人が小声で商談の時刻が近いと告げる。
「おっと、失礼。そろそろ人と会わねばならぬ頃合いですので」
「お礼を申し上げます。このご恩は必ず」
「どうぞお気になさらず。存分に楽しまれてください」
ハッとした男は立ち上がり、僕等二人へと頭を下げる。
どうやらこの聖域と呼ばれる歓楽地、商談の場としても機能しているようだ。
その男へと礼を言うと、彼は上機嫌を保ったままでそそくさとその場を跡にした。
大勢の人たちが集い喧騒の溢れる観客席へ、僕等二人はポツンと取り残された。
案内をしてくれた女は既に、休憩も程々にしておかねば怒られると言い、面倒そうな表情を押し殺しながら戻っている。
「さて、こいつをどうしようか」
「言われた通り賭けに使うか? 俺は気が乗らんが」
「同感だ。でもここで何もせず座っているってのも、目立ってしまうかもしれないな。少額を賭けて、熱中しているフリでもしようか」
冗談めかしてレオへ金を渡すと、僕はゆっくりと立ち上がる。
そうしてフードの下で会場内へと視線を巡らし、他の観客はこちらを気にもしていないだろうが、念を入れてレオにだけ伝わる大きさで声を発した。
「すまないレオ、賭け事で遊ぶフリをしながら、ここで待っていてくれないか」
「構わんが、どこへ行くつもりだ?」
「本来の目的を果たす。でもその前に少しばかり、中の様子を探っておきたい。なにか面白い物が見つかるかもしれないし」
レオへと金を預けたままで、僕はそれだけ告げる。
聖域内で暴れるにせよ、より効果的に打撃を与えられる場所があるはず。
それにいかな宗教国家とはいえ、名目上の宗教施設を軍の施設と兼ねるというのは、どうにもおかしな話に思えてならなかった。
案外聖堂国にとって重要な、闘技場とは別の役割が存在するかもしれない。
「それにあそこで戦っている闘技者、おそらく四人全員が例の連中だ」
「同じ顔の奴らか。確かに体形もほとんど同じだし、動きの癖も似ているな」
「ああ、案外ここが連中の生み出されている場所かも。だとすれば上手くすると……」
「聖堂国の戦力を減らせる、か」
土を固めただけのシンプルな戦いの舞台へ立つ四人の闘技者は、その全員が同じ体格をしていた。
僕等はその姿に見覚えがあり、幾度となく国境を越え侵攻してきた、聖堂国のクローン兵と同じものだ。
最近確認した少年型のではなく、以前から見る青年の姿をした方ではあるけれど。
そいつらが普通に立っているというのは、ここがクローンの生産施設も兼ねているのではと予想させる一因となった。
当然レオは地球を発祥とする人類が持つ、クローン兵士に関しての知識を持っているわけではない。
だが同じ容姿と身体能力を持つ連中が、あれだけ大量に存在するとなれば、人の手によって生み出されているというのは、レオも理解の及ぶところであった。
故に僕がした発想に対し、彼は十分可能性はあると言わんばかりに頷く。
「戻るまで精々大人しくしているとしよう。最近あまり動けていない、勝手に始めないでくれると助かる」
「善処するよ。って、さっき外で一戦交えたじゃないか」
「あんなのは戦いの内に入らんだろう」
レオは僕が戻ってくるまでは大人しくしていると言うが、その後で暴れる段になれば、今までの鬱憤を晴らさんと戦いたがっているようであった。
真正の戦闘狂かと言われかねない言動だが、レオにしてみればこのように落ち着かぬ場でジッとしているよりも、剣を振るっている方が万倍もマシであるようだ。
レオと別れた僕は轟声響く観客席から抜け出し、人の目を掻い潜って壁へ寄る。
天井から下がる装飾用の布に隠れた位置へ、おそらくここのスタッフたちが使っているであろう、通路らしき物が見えた。
密かにそこへともぐり込み、薄暗い通路を人に見つからぬよう奥へと進む。
この暗さがこちらへ有利に働き、置かれた木箱の影へ入れば時折すれ違う人間をやり過ごせ、僕は僅かに緊張しつつも奥へ奥へと歩を進めた。
<くれぐれも警戒を。地下ではこちらの支援も限定的です>
「なら精々気を付けて進むとしようか。僕だってこんな異郷の地で死にたくはない」
<それを聞ければ安心です。アルにとっては、そもそもこの惑星自体が異郷ではないのかと思いはしますが、とりあえずは別にいいでしょう>
「細かいことを……」
地上に居る時とは異なり、地下にあってはどうしても衛星による情報の支援は不可能。
エイダの案ずる言葉に、僕は過度の心配をかけぬよう、静かに行動を慎重にすると約束した。
確かにエイダが言うように、この星そのものが故郷ではないので、どこであっても異郷の地と言えるのだろうけれど。
警告を発するエイダの言葉に従い、僕はじわりじわりと、人をやり過ごしながら進む。
岩盤をくり貫いて造られたそこを進んでいくと、とあるルートに数人の歩哨が立っている場所へと行きつく。
物陰から覗き見れば、立っているのは聖堂国の一般兵士が四人。だが全員がすぐ撃てるようにか、手には随分とゴツイ銃を握りしめていた。
奥には一枚の金属扉、ただの従業員用休憩室ということはあるまい。
おそらく収益を修めた金庫の類か、あるいは予想通りの設備が置かれているか。
「ここばかりは、どうしても少しの無茶が要るらしい」
<では速やかに片付けてください>
「気軽に言ってくれる、相変わらず」
とても重要な物が在ると言わんばかりな警備。その奥へと進むには、どうしても連中を倒さねばならない。
速攻で静かに倒す手段となれば、以前に航宙船から持ち出した電気銃が有効そうだが、あれはいつぞやの不調以降ずっと保管庫に入れたままだ。
仕方なしに、僕は二本の投擲ナイフを利き手に持ち、もう片方へ法衣の下に隠していた中剣を握る。
思いのほか集中して警備に当たっている連中が、ほんの僅かに言葉を交わすべく意識が逸れる瞬間。
そのタイミングを見逃さず、二本続けてナイフを投げる。
二人が脳天へ突き刺さったそれに気付きもせず昏倒するなり、僕は物陰から一足飛びに駆け、一人の喉元へと中剣を突き立てた。
「なんだキサ――」
残るは一人。そいつは咄嗟の事態に混乱しつつも、口を開き叫びかけると同時に、手にした武器の銃口を向ける。
聖堂国の一般兵が持つそれよりも改良されているであろうあの銃は、きっと前もっての準備なしにすぐさま発射が可能な代物。
こんな場所で発砲音などしようものなら、瞬く間に異常を察知し敵が押し寄せてくる。
そのような事態は御免被りたい。兵士へ刺した中剣を引き抜くこともなく手放し、手近に置いてあった小さな小壷を掴むと、すぐさま牽制するべく投げつけた。
下から伸びるように銃を叩く小壷は割れ、中に入っていた水を撒き散らす。
兵士は衝撃で落としてしまった銃を拾うべきか、それとも刃物で攻撃するべきかを悩んだのだろう。
僅かな逡巡により対処が遅れ、こちらにとってはそれで十分な隙となった。
「悪いね、君個人には恨みがないんだけれど」
そう言う僕の手に握られていたのは、小振りでごく短い矢が番えられた自動弓。
引き鉄に指を掛けたそいつを向け、兵士の表情が絶望の色へ染まるのを待たず、眉間へと矢を放った。
ドサリと倒れ行く兵士を見下ろし、僕は軽く息吐き汗を拭う。
最近はずっと銃による戦いばかりで、こういった刃物を主に戦うのが久方ぶりに思えてならない。
やはりレオが言っていたように、時々は使わないと腕も錆びついていくようだ。
「良かった。一応隠し持っておいて」
手にした自動弓を矯めつ眇めつし、再度安堵の息を漏らす。
これは法衣を奪った神官の一人が、隠すように荷物へ納めていた代物。
きっと護身用として持っていたのだとは思うが、数本しか矢がなかったため、もらっておくか悩んだのであった。
ただこうして役に立ってくれたあたり、やはり備えあれば憂いなしといったところだろうか。
「さて……、この先には何があることやら」
始末した兵士の死体を、壁に沿った暗がりの中へと隠す。
そうして扉の前へ立ち、金属製の扉へ手を当てる。奥からはこれといった物音もせず、ただヒンヤリとした冷たさが掌へ伝わるばかり。
外の気温を想えば心地よいが、いつまでもそれを堪能もしていられない。
僕は中に予想通りのそれが在ると期待をし、音を立てぬようゆっくり取っ手を引いた。