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潜伏 05


「この先は何処へ行っても、水を得るのが難しいでしょう。町中で見られた光景は、この地に限ったものではありませんから」


「では砂漠を超えていくのは厳しいと? 僕等が持つ水ももう残り少ない」


「そこで水の代用品となるのがこれですわ。量が必要ですが、この人数でしたらなんとか」



 レオと共に待つ負傷した兵が、シャリアの開いた診療所へ来てからしばし。

 ようやく一通りの手当てを行ったところで、シャリアは早速本題へと入り、移動において必要不可欠な水が手に入らぬと告げる。

 このような乾燥し熱波吹き付ける土地で、水が無いというのは死に直結する事態。

 ただその代わりと言っていいのか、シャリアは小さな小皿をソッと指差した。


 彼女が指す先にあるのは、水が不足しているため茶を淹れるのが叶わぬため、代わりとして出された小さく表面が固い果物。

 シャリアの勧めに倣い歯を立て齧ってみれば、中からはほのかに甘い汁が滴るように溢れてくる。

 なるほど、こちらではこいつを使って水分の摂取を行っているようだ。

 こいつばかりは今の水が不足した状態でも辛うじて育つようで、昼夜の寒暖差が生む結露によって栽培できているようであった。



「無味無臭の水は貴重です。少しばかり違和感はありますが、これで我慢していただく他には」


「仕方がない、炎天下で干上がるよりはマシさ。しかしまさか、こんなに酷い有様とは思ってもみなかった」



 シャリアの話を聞きつつ、僕はとりあえず出された果実を口へ含みながら呟く。

 かつてこの地へ来た時には、町の所々に設置された機械式のポンプが作動し、地下から農耕などに使う水を汲み上げていた。

 だがつい先ほど見た限りでは、それらの機器は作動している気配がなく、乾きから砂を被っている有様。

 あの時に見た豊かな光景は一切が消え失せ、あるのはひび割れた土と枯れた植物ばかりであった。



「水を吸い上げていた設備が原因のようですわ。あの設備が造られるまでは、もっと僅かな量の水でやりくりしていたそうです」


「となるとやっぱり、過度に使い過ぎて地下水を枯渇させたってことか」



 直近に雪が積もるほど高い山があるでもなく、ほとんど雨の降らぬ土地だけに、この町では水源を地下に頼る他はない。

 聖堂国において多くの地域がそうであるため、ミラー博士によってもたらされた水を汲み上げる装置は、大幅な生活改善の一助として広まったと聞く。

 だがそれは結果的に聖堂国を一時的に潤すも、今となっては逆に首を絞める物となってしまったようだ。


 そのおかげで作物は育てられず、人々は飢える破目になってしまった。

 少々気の毒に思わなくはないが、こればかりはどうしようもない。



「幸いにもこの果実、水分だけが取り柄ではないので、おかげで辛うじて生き延びていると言ったところです」


「最低限死なないだけの栄養は採れるってことか」


「あくまでも飢えるよりはマシといった程度ですわ。それでも無いよりはずっと良いです」



 だからこそ町の住民たちは、なんとか生きていられるようだ。

 他の都市へ行っても同じ状況であると知っているだけに、細々とではあるがこの果実が採れるだけ、まだマシと考え耐えているのかもしれない。



「とりあえず、わたくしが確保している分を全て持って行きます。普通に消費していけば、目的地までは六人全員分が事足りるはず」


「ということは、君も同行してくれるってことでいいんだな」


「これ以上ここへ留まっても、報告できる内容はありませんし、わたくし自身が干上がってしまいますもの」



 てっきりその水分代わりとなる果実を譲ってくれるだけかと思いきや、シャリアは自身も同行し、同盟領への帰路に着くと明示した。

 国境にほど近い土地ではあるが、聖堂国はこの町を経由して兵を差し向けているそうではなく、ここへ留まってもメリットは薄いようだ。

 それに彼女の言うように、このまま残って飢えさせるのもしのびない。



 ならばとシャリアに準備を任せ、出発まで僕等は少しばかり休息を摂ろうと力を抜く。

 だが椅子に身体を預けたところで、薄暗い診療所の中へと、突然に扉を叩く音が響いた。

 何者かがこの診療所を尋ねてきたようで、シャリアは僕等に奥へ行き隠れるように小さく告げる。


 すぐさま僕等は揃って立ち上がり、全員で奥にある物置と思われる部屋へ駆け込む。

 扉を閉め口を噤み、僅かな間を置いてシャリアが入口を開いたようで、向こうからは若干弱々しい声が聞こえてきた。



「お久しぶりですね。今日はどうされましたか?」


「いやなに、実は腰をやってしまってね」


「ではちょっと診せてもらいますね。……ああ、随分と無茶をされたようで」



 診療所を尋ねてきたのは、当然のように患者であったようだ。

 こちらからは姿が見えないが、それなりに齢を召したと思われるその男は、少々苦しそうな素振りでシャリアへと痛みを訴える。

 口振りからすると親しげな様子が窺えるため、彼女はこの町で医者として信頼をされているようだ。



「あまり無理をされないように。できるだけ安静にしてしっかりと栄養を……、というのは難しいですから、せめてこの薬だけは欠かさず塗って下さいね」


「すまないな先生。いつも助かるよ」


「構いません。幸いお薬だけはしっかり有りますから、何かあれば遠慮なく」


「たぶんまた厄介になると思うがね。なにせ若い男連中は、揃って首都の方に行っちまったからよ、ワシみたいな年寄りが動かねぇと」



 一定の処置を施したと思われるシャリアは、患者の男と軽い談笑を交わしていく。

 そういえば診療所へ入る前、町中を歩いている時にあまり若い男の姿を見なかったように思える。

 男の言葉を聞く限り、その多くが首都へと行っているようだが、聖堂国の軍にでも志願しているのかもしれない。



「儘ならないものですね」


「なに、こんなご時世じゃよくある話さ。一時期少しだけ回ってきた穀物も、最近じゃめっきり音沙汰なしだ。ほとんどは首都の方で食われたって、もっぱらの噂だが」


「もしそうだとしても、どうしてもあちらは人口が多いですもの。こればかりは仕方がありませんよ」


「まぁ、教皇様方が飢えるよりはいいってもんだがな」



 そう言って男は、肩を落としたのが想像つくほどに大きく息を吐く。

 回って来ていた食料というのは、おそらくラトリッジが聖堂国と行っていた、鉱石類と穀物との取引で渡った品のことか。

 やはりあの時に話を持ちかけて来たのは、国土全体で食料生産が叶わなくなったせいであるようだ。

 ただそれでも量が圧倒的に足りないため、都市ベルバークを占拠し、あそこを拠点として穀倉地帯を得ようとしたのだろう。

 もっともそれをするための兵を送り込む前に、事態を察知したこちらによって都市を奪い返したのだが。



「神と教皇様が、なんとか良くしてくれますよ。きっと」


「ならそいつを信じて、もう少しばかり踏ん張っておくかな」


「ですけど無理をしない範疇でお願いしますね」


「承知したよ。そんじゃ、世話んなったな先生。薬が切れたらまた寄らせてもらうぜ」



 男は椅子から音を立て立ち上がると、シャリアと会話をして痛みも若干紛れたのか、来た時とは異なる元気な様子で帰っていく。


 扉を閉める軽い音が鳴り、しばらくして戻ってくる気配がないと思ったようで、シャリアは診療所の鍵を閉め僕等に出てきていいと口にする。

 その言葉で手狭な倉庫からなだれ出るように部屋へ戻ると、彼女は置いていた薬箱を整理し、棚へ戻している最中であった。



「思った以上に医者をしているようで驚いたよ」


「自慢ではありませんが、短い期間に住民たちの心を掴んだとは自負していますわ」


「それは十分自慢だと思うけれどね。……でも」



 薄い燭台の明りに照らされたシャリア。彼女は自身の胸に手を当て、軽く微笑み上手くこの地へ馴染んでいる自身を誇った。

 立場上まったく目立たず潜むというのは無理だろうが、その地で重宝される存在となれば、疑いの目というのも多少なり逸らし易くなるのだろう。

 万が一何かの拍子で他国人だと認識されても、その土地に必要と判断されれば、住民たちも軍へ密告するのを躊躇うはずであり、その間に逃げ易くもなるというもの。


 ただ僕は自信有り気に告げるシャリアへと、少しばかり言い辛さを感じながらも口を開く。



「君は本当に、この町を離れるつもりなのかい?」


「と、仰いますと?」


「この町の住民たちはいいのかと思ってね。随分と信頼されているようだし、他に医者も居ないみたいだからさ」



 きっとシャリアが同盟に帰ってしまえば、この町の住人たちは酷く困ってしまうのは間違いないはず。

 水と食料が大きく不足し、若い男たちはなにがしかの事情で町を離れ、そのうえ医者まで失ってしまえば失意の程は計り知れない。

 かと言って町に見切りをつけ他所へ行こうにも、どうもやら他の都市も似たような状況。

 となれば住民たちに残されるのは、乾いた大地とそこから水を吸い上げていた金属の塊、あとは信仰心くらいのものだろうか。


 シャリアにそれに関して抵抗はないのかと、僕は随分と意地悪な質問を投げかける。

 だが彼女は平然としたままで首を横へ振ると、むしろ口元を緩く笑ませたまま、平然とその言葉を吐いた。



「不憫であるという点は否定しませんわ。ですがわたくしの本質はラトリッジの諜報要員、本来の目的を疎かにするつもりはありませんもの」


「……それを聞いて安心したよ。悪いね、意地の悪い質問をした」


「お気になさらず。皆様にとっては、わたくしの道案内に命がかかっているのですから、不安に思うのも当然ですわ」



 そうだ。僕等はこれからラトリッジへの帰還を行うため、シャリアに命を預けるのだ。

 故に彼女は非情と思われようと、毅然と自身の責務を果たすと断言した。

 おそらく先ほどの男にとってみれば、彼女のついた嘘は酷なものであるに違いあるまいが、こういった嘘を付けるというのも、敵国へ潜む役割には必要な技能の一つ。

 それに元が暗殺者であるシャリアだ、この程度の覚悟はとっくの昔につけているのだろうが。


 元々それなりに信用はしているつもりだったが、これなら安心して任せてもいいのかもしれない。

 僕は若干名残りを惜しむように薬箱を片付けていくシャリアへと、胸の内で小さく謝罪をしながら、再び椅子へと腰を降ろした。



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