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潜伏 04


「失礼、誰か居ないだろうか」



 地下へ掘られた都市の大通りに面した中で、最も端に位置していた小さな診療所。

 そこの扉を押し開けた僕は、真っ暗な室内で大きく声を発し人を呼ぶ。

 冷たい岩盤の壁に反響した声だが、ほんの少しだけ響いて消えていく。

 まさかここすら住民の襲撃に遭い、既に無人となってしまったのではという不安感が過るも、僅かな間を置いて奥から返事らしき声が聞こえてきた。


 奥にあった扉が鈍い音を立てて開かれると、中からは小さな燭台に灯された明りが。

 その明りを手にした人物は、うっすらと照らされながらこちらへ姿を現すと、どこか弛緩した空気を纏いながら用件を尋ねた。



「生憎ですが、うちも差し上げられるだけの食料はありませんよ」


「そいつは残念。ただ食料も欲しいですが、それよりも包帯などを譲っていただけないでしょうか」



 姿を現したのは、聖堂国で一般的に用いられている、陽射しを避ける目的のローブを着た女性。

 おそらく医者であろう彼女は、こちらの用件を聞く前に、真っ先に食料を出せないと口にした。

 最近はここを尋ねる人間の大半が、医術ではなく食料を求めてである様が窺える。



「怪我人ですか?」


「はい。ここへ至る道中、仲間が脚を深く切ってしまいまして。もう血は止まっているのですが、清潔な包帯や痛み止めなどがあればと」


「ではここへ連れてきてください。大事に至る危険もありますから、念のために診ておきましょう」



 やはりこうなってしまうのだろう。

 医者と思われる女性は、手にした火を壁にかかった燭台へと移し部屋を明るくしていきながら、僕等三人を見回す。

 その中に件の怪我人が居ないとわかるや否や、すぐに診察をするため連れて来るべきだと告げた。


 彼女の言い分は至極ご尤もであり、むしろ真っ当な医者であるからこそそう言ってきたのだろう。

 ただ正直治療のためとはいえ、あまり肌を晒したくはないというのが本音。

 こちらの住民とは外見的な特徴が異なるため、今も僕等は怪しさや無礼を承知の上で、纏ったローブのフードを外してはいないのだ。


 見れば照明の下ではあるが、女医もこちらの風体によくある浅黒い肌を持っている。

 平均よりは薄目であるようなので、案外聖堂国の中でも、もう少しばかり気候の穏やかな地域の出身なのかもしれないが。



「申し訳ないのですが、急ぐ旅でして。治療に必要な品だけ譲っていただくわけには……」


「このようなご時世にですか? そんな急ぐ旅に、怪我人を連れて行くのはどうかとは思います。それに急ぐからこそ、出来る今のうちに適した治療が必要では?」



 負傷した兵を運び込むこともできず、なんとか薬と包帯だけでもと要望する。

 しかし間髪入れず返してきた女医の言葉に、僕はついつい言葉を詰まらせてしまった。

 言ってる事は先ほど同様に、ぐうの音も出ぬものであり、舌先三寸で言い包めるのは難しそうだ。


 ならば脅しをかけてでも、品だけ奪って逃げてしまおうかと考える。

 ただどういう訳だろうか、こちらをジッと凝視する女医の視線が、途中から少々怪訝そうに歪められていくのに気付いた。



「あの、なにか?」


「いえ。……貴方のお名前はなんと」



 なにやらおかしな気配でも感じ取ったか、女医は眼つきを鋭く変えていく。

 まさか僕等に関しての情報が、こんな場所にまで届いているはずはないのだが。

 しかしこちらの名を知っている可能性は低くとも、それを口にするのも憚られていると、彼女は思いもかけぬ言葉を発したのであった。



「ヴィオレッタは、健勝ですか?」



 女医が発したその言葉に、僕は呻くような声を漏らし硬直する。

 異国の、それも決して他国と接触が多いとは言えぬ土地の一般市民が、どうして彼女の名を知っているのだろうかと。


 当然その名を耳にした同行する二人の兵士も、驚愕からかすかさず懐へ手を差し入れる。

 彼らは敵の間者であるかと身構えたようだが、僕は表情を柔らかく変えていく女医の顔に、どこか見覚えのあるものを感じていた。



「……なるほど、ここを受け持っていたのは君だったか」


「覚えてくださっていて光栄ですわ、陛下。すぐには思い出されなかったようですが」



 先ほどの鋭さとは一変、柔和な笑みを浮かべる女医。

 僕は彼女が変えたそんな表情を見るなり、かつて覚えのあるそれと同じであると確信した。



「当然だろう、まさか君がここに居るとは思ってもみなかったんだから。その肌はどうしたんだ」


「それはもう、数日を掛けしっかりと焼かせていただきましたわ。最初の頃は毎夜痛くて仕方がありませんでしたが」



 親しげに口を開き、僕を陛下と呼ぶ女性。

 この地で僕の素性を知り、なおかつ平然と接してくる相手となれば、この国へともぐり込んだ諜報要員以外には居ない。

 そのうえ彼女は僕がよく知る人間。シャリアという本名かどうかも定かではない名を持つ、僕とヴィオレッタには想い入れの深い相手であった。


 僕等がまだ傭兵であった頃、とある離島の学院へと通う、都市統治者の令嬢を護衛するという任務を受けた。

 その護衛対象がシャリアであったのだが、結局その依頼はこちらの目を欺くものであり、彼女自身の正体は、他の女学生の命を狙う暗殺者であった。

 ただ紆余曲折を経て事態が収まった後には、持ち前の技能を買われ傭兵団の一員として迎え入れたという経緯を持つ。


 以後彼女は折を見ては、その学院で親しくなったヴィオレッタと親交を深めていたのだが、最近あまり顔を出さないと思っていたら……。

 まさかその彼女がここへ居るとは思ってもみなかったが、若干薄いと思われる陽に焼けた跡も、言われてみれば納得がいく。

 かつて彼女と初めて会った時にも、女子学生に扮していたので、こういった変装潜伏の類はお手の物なのだろう。



「大丈夫だよ。彼女はこちらの味方だ」


「ですからその武器をしまって頂けませんか? 流石にこの状況では落ち着いて話せませんもの」



 警戒感から手に武器を持つ兵たちへと、シャリアは微笑みつつ納めるよう告げる。

 それにしてもシャリアがここに居たことも驚きだが、医者に扮していたという点もまた意外であった。

 だがよくよく考えてみれば、暗殺者であった彼女が当時採った手段の一つとして、毒を用いた者が含まれていた。となれば一定の医術や薬学に通じていてもおかしくはない。

 医術を心得た者は、国を問わず大抵どこに行っても優遇される。多少目立つのは避けられないが、土地に入り込むには好都合であるようだ。



「ところで、皆様はいったいどうしてこのような場所へ」


「実はな――」



 兵たちが困惑しつつも武器をしまう様子を確認すると、シャリアは僕へと視線を向ける。

 当然次いで発されたのは、現在においては敵国であるこの地へ、なぜ僕自らが赴いているのかという問い。

 僕はシャリアが向けたその疑問に、軽く嘆息しながらも経緯を話すことにした。




「だいたいの事情はわかりました。随分と無茶をされたものですわね」


「返す言葉もない。……僕が無茶をしたせいで多くの仲間を失った」


「生き残ったのが数人とは言え、運良くここで合流できただけ不幸中の幸いですわ。極僅かですが食料もありますし、わたくしも帰還を行うお役に立てるはず」



 納得したように大きく頷くシャリア。

 彼女は自責の念を口にする僕へと、旧知の仲である気安さから呆れを呟きつつも、まだ諦めるには早いといったニュアンスを口にした。

 国境を越え同盟領へと帰り着く希望となるであろう言葉に、背後で待機する二人の兵が浅く声を漏らすのが聞こえる。



「国境を越える確実な手段があるのかい?」


「確実とまでは申しませんが、無論手段は考えていますわ。そうでなくては、わたくし自身がいざという時に帰れませんもの」


「助かるよ。ある程度頭で案は出していても、なかなか成功する確証が持てなくてね」



 自信満々、と言い表わしても良いのだろう。

 シャリアの声からは静かながらもしっかりと迷いないものが感じられ、僕は背後に立つ二人同様、彼女の言葉へ密かに胸を撫で下ろした。

 帰還ルートだけなら三つか四つは候補があるが、そのどれもが一定の危険を孕んだ物。

 最も無難と考えた東回りの道も、通る先がやはり敵国である以上、どうしたところで戦いに発展する恐れは十分にある。

 もちろんシャリアの持つルートが、一切の危険がないとは思わないけれど、自信を持って口にしてくれるだけありがたいというものだ。



「しかし今すぐに移動をとはいきません。ある程度準備をしなければ、砂漠の途中で行き倒れるのがオチです」


「承知した。ここいら一帯は君の方がずっと詳しいだろうから、その判断は任せる」


「では準備を進めます。ですがその前に再度医者として言わせて頂きますが、怪我をした方をここへ連れてきてください。完璧にとは申しませんが、ある程度の治療は可能ですもの」


「では私が言って参りましょう」



 出立のための準備をしてくれるというシャリアだが、そのためには多少時間が必要となるらしい。

 急ぐ道行ではあるものの、下手に急ぎ過ぎて痛い目を見たくはない。

 ここはやはり僕よりずっと長くこの地で暮らしているであろう、彼女の判断を信じた方が賢明に思えた。


 そのシャリアは軽く腕を組み不敵に笑むと、医者の言うことには従えとばかりに、町の外で待っている兵を連れてくるよう告げる。

 するとすぐさま兵の一人が手を上げ、レオとその負傷した兵を呼びに飛び出していった。



「……ところで、君をここでは何と呼べばいいんだろうか?」


「これまで通りで構いませんわ。向こうと同じ名を使っていますもの」



 外の二人を呼びに行った兵が閉める扉の圧で、燭台の炎が揺れる中。

 僕は彼女へと向き直り、ふと思い出したようにこの地で使う名を尋ねる。


 便宜的に先生とでも呼べば無難やもしれないが、当面は厄介になるのだ、それではいかにも余所余所しい。

 むしろその方がいいとも考えられるが、なにせ意外に早いとは思うも、偶然巡り合えた遠い異国の地での仲間だ。

 立場的に使うのは偽名であろうが、そちらで呼んだ方が気楽というもの。


 ただ彼女は向こうで使っているのと、同じ名を名乗っていると軽く言い放つ。

 どちらにせよこの地では他に知る者が居ないためだろうが、僕としては慣れた名であるためありがたい。



「それじゃあシャリア、少しばかり世話になるよ」


「どうぞごゆっくり。友人の旦那様です、もちろん歓迎いたしますわ」



 僕はおそらく生まれてから付けられた、本当の名ではないそれで呼ぶ。

 すると彼女は、かつて良家の子女に扮していた時にしていたのとよく似た、たおやかな表情を持って微笑み返した。



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