エスケープ 03
シャノン聖堂国へ幾人もの諜報要員を送り込み、衛星によって綿密な監視を続けた結果、彼の国について新たにわかったことがいくつかある。
大陸最大の国土を誇り、軍事力において最も高い水準を誇るであろうそこは、お世辞にも国内が安定しているとは言えないということ。
その理由は主に、抱えている国民の多くが飢えているという点。
つまり聖堂国は食料生産に著しい問題が発生しており、供給が慢性的に滞っているようであった。
「連中が最初、鉱石と引き換えに食料を要求してきたのは、これが理由だったらしい」
「私たちが聖堂国へ潜り込んだときには、それなりに上手くいっていたように見えたが?」
「問題が起こったのはあの後みたいだね。町中で見た、地下から水を吸い上げていた機械があったろう? あれが原因で枯渇したようだ」
ラトリッジ中央に建つ邸宅の、奥まった場所に在る執務室。
そこで僕はヴィオレッタと向かい合い、得られた情報を一つずつ説明していく。
かつて僕とヴィオレッタ、それにレオの三人が聖堂国へ潜入した時のこと。
道中から道案内をしてくれた、聖堂国で研究を行っていたワイアット・ミラー博士からの使いである人に連れられ、僕等は補給を兼ねて道中幾つかの町へ立ち寄った。
そこでは地下に広い空間が掘られ、強い陽射しを避けるように都市機能が丸々収まっていた。
住居に商店、そして広場に農耕施設。その全てが地下に設けられ、さらに深い場所から汲み上げた水によって生活が営まれていたのだ。
「過ぎた技術は身を滅ぼす、ということか?」
「そこまでは言わないけれど、結果的にそうなってしまったようだ。本来あの国では、自然に湧き出たごく少量の水で生活していたようだから」
水を地下から汲み上げるための装置は、件のミラー博士がもたらした技術によるもの。
聖堂国はそれによって地下へ大規模な農園を整備し、食料生産を飛躍的に伸ばし、人口も飛躍的に伸びたのであると、かつてこの地へ博士が滞在していた頃に聞いたことがある。
だが聖堂国はその便利さを享受し続けた結果、元来が少なかった水脈の枯渇を招き、今ではすっかり作物が枯れ果てているというのが、潜入した者たちからもたらされた情報であった。
「それが侵攻を始めた理由か……。これで今まで他国と国交のなかった存在が、急に交易を求めてきた理由に合点がいく」
「最初は交易港のベルバークを占拠し、そこを足掛かりとして穀倉地帯を得ようとした。でもそれが失敗したせいで、次いで標的にしたのは都市ドラクアだ」
「最初からこちらと真っ当な関係を築く気などなかったということだな。今更ながら実に腹立たしい」
話す内容から大よその状況を把握したヴィオレッタは、椅子に背を預け大きく息を衝く。
推測の段階に過ぎないのだが、連中があのようなまどろっこしい手段で都市ドラクアを手に入れようとしたのは、聖堂国の食糧事情という問題が理由となるのだろう。
なにせあの都市は漁業だけでなく、近隣にそれなりな規模の穀倉地帯を有している。
真正面から攻め落とそうとしなかったのは、派手な戦闘に発展することで、それらノウハウを持った住民が極力逃げ出さぬようにするため。
「だから連中が侵攻を諦めることは決してない。国内の事情が切迫すればするほど、より侵攻は苛烈になっていくはずだ」
「ではどうする? こちらから仕掛けるには、あまりに危険が大きい。それに陸路も海も空もダメとなれば、あとはまた地下でも進んでいくか?」
肩を竦めるヴィオレッタは、お手上げとばかりに少々投げやりな言葉を放つ。
彼女が言う地下というのは、僕等がかつて通った廃坑道を指しているのだろう。
かといってその坑道はかなり狭い上に長く、大勢の人間が進むには不向き。
そもそもが聖堂国側に進入路として仕えぬよう、既に内部を崩落させているのだが。
そこで僕は卓上へ山脈付近の地図を広げると、とある一点を指さした。
「ここは……、以前に潰した山道の一つではないか」
「そうだ。樹木が多いせいでなかなか発見するのが難しかったけれど、聖堂国が使っていた道の中で、最も大勢が通れるカ所だ」
そこは海岸線から遠く離れた、同盟領南東部に当たる場所。
だがこここそが、都市ドラクアへと多くの兵を送り込んできたルートであり、最も道が広く難所の少ないとされる場所であった。
故に発覚し次第すぐに潰したのだが、一度は封じたこのルート、逆に利用できるのではと考えた。
「散発的に複数個所から仕掛けてくるから、こっちも対処に苦慮するんだ。ならいっそのこと道を広げて、都合良く使わせてやればいい」
「なにを馬鹿なことを。敵は巨大な軍勢だ、みすみす優位な状況を与えてやるなどと」
「あくまでも大軍では通れない程度にさ。理想とするのはそう、デナムでの防衛だ」
呆れを隠そうともせぬヴィオレッタの言葉にたじろぎながらも、僕は一つの具体的な例を示す。
同盟領の最東端に位置する都市デナム。東のワディンガム共和国との国境上に位置するその要塞都市は、唯一の侵攻ルートである渓谷へと蓋をするべく建造された。
堅牢な防備を誇るそこは、常に攻め込んでくる敵に対して圧倒的な優位を保てており、防衛という点において最適な環境だ。
規模こそもっと小さなものだが、あそこと似た環境を整備しようという意図であった。
「早々上手くいくとは思えんのだが……」
「もちろんすぐにという話じゃないよ。なにせ要塞を建造するには時間が掛かるし、こっちは戦力が圧倒的に足りないんだから。向こうとある程度渡り合える程度、少なくとも深い傷を与えられるだけの人員を揃えてからでないと」
現実的ではないと口にするヴィオレッタだが、彼女の言うことは間違っていない。
なにせ防衛に向いた場所を整備し、そこに聖堂国誘導するにしたところで、相手とするだけの戦力は多くが必要となる。
ただそのためには、同盟内の各都市から広く募兵を行う必要があった。ただでさえ然程人口の多くない同盟だけに、一都市の住民だけでは到底足りないからだ。
しかしそれもまた、なかなかに難しい話。必然的に多くの兵を抱えるラトリッジへ、同盟の権力が集中することになるためだ。
当然各都市の反発は必至であるし、これまで得られていた助力を得られなくなるかもしれない。
それを解決する単純明快な手段は、同盟をラトリッジの下に統一するというものだが、そのような選択をする気は微塵もない。
なにせ統一などしてしまえば、相変わらずの傭兵稼業で成り立つこの都市に、金を払ってくれる人が居なくなってしまう。
背負う面倒事も増えるだろうし、僕自身そこまでの野心を持ってはおらず、この小さな都市一つで十分と考えていた。
だからゆっくりとでも、着実に戦力を増やしていかなくてはならない。
聖堂国と大々的に直接やり合うのは、それらが完了してからだ。その前に向こうが倒れてしまうかもしれないけれども。
「でもあの場所が本当に、防衛に向いているとは限らない。そこで今度、下見に行って来ようと思う」
「お前お得意の、エイセイとかいうので見ればいいではないか?」
「あれじゃ上からは見れても、細かい所まではわからないんだよ。実際一度塞いだそこを再び開くとなれば、大量の火薬でふっ飛ばすことになる。逆に崖でも崩落しようものなら目も当てられない」
直近の話にならずとも、早くから確認しておくに越したことはない。
聖堂国を攻めさせるにしても、こちらから攻め込むにしても、優位に戦える準備を進めておく必要はある。
それに直接この目で見てみたら、色々と問題が山積するかもしれず、もしそうなれば早々に別の手段を模索する必要だって出てくる。
そういった内容を、少々言い訳がましく捲し立てる。
するとヴィオレッタは苦笑しながら、僕の執務机の上に積まれた、幾ばくかの書類の束を眺め呟いた。
「ではまた私は、お前の雑務を肩代わりしなければならんのだな」
「……そいつは申し訳ないけれど、今は補佐してくれる人が何人も居るだろう?」
「夫の放り出した仕事を、妻が他の人間に押し付けられるものか。治安維持も並行して、私が片付けておいてやろう」
ジトリとした視線を向けるヴィオレッタは、他の人間に任せる意志はないと断言する。
今では都市運営を担う人間も少しずつ増え、僕等の負担というものも随分と軽くなっていた。
だが彼女はそういった人員に任せず、僕の放り出した分の責任は全て背負ってやると言わんばかりだ。
「悪いね。なら今回も甘えさせてもらうとするよ」
「悪いと思うのであれば、お前はサッサと済まして出来るだけ早く帰ってこい。戻ったら大切な話がある」
「話って……、なにか重要な用件でも?」
意地のためかあるいは信愛か、僕の我儘をフォローしてくれるというヴィオレッタに感謝をすると、彼女はフイと余所を向いて早くの帰還を促してくる。
話があるとは言うが、いったい彼女はどんな内容を口に従っているのだろうかと思い、僕は今話せばいいだろうと問うてみた。
するとヴィオレッタはしばし悩む素振りを見せ、幾分か恥ずかしそうに頬を染めると、ゆっくりと口を開く。
「実は私も、数日前にリアーナと会った。その時に思ってしまったぞ、彼女のことが羨ましいとな」
「羨ましい、ってなにが」
「わからんのか? リアーナのお腹、もう一目でわかるほど大きくなっていたではないか。他に幾人も、兵士たちの妻がそうであるのを見た。…………私の番はいつ来るのだ?」
フイと壁を向きつつ、懇願するように言い放つヴィオレッタの言葉の意味を、僕はすぐさま理解する。
都市ラトリッジを治めることになり、彼女との婚儀を行ってからもう一年以上が経つ。
となればそろそろ、そういったことになっても別に不思議はなく、近しいリアーナがああであることから、ヴィオレッタも遂に欲求が首をもたげたらしい。
ただ僕自身もそれに異論はない。あくまでもここ最近の忙しさから、あまりかまけていられなかっただけだ。
妙に艶っぽい空気にゴクリと息を呑む僕は、小さく「出来るだけ早く帰る」と告げ、そそくさと執務室を跡にする。
扉を閉め廊下の壁へ背を預けて息を吐くと、視線だけを扉へ向けた。
今頃中ではヴィオレッタが、僕に対しヘタレであると揶揄していることだろう。
少しばかり心臓が鳴るのを感じていると、いつの間に居たのか、すぐ近くへルシオラが立っているのに気付く。
僕は彼女の顔を見るなり、軽く咳払いをし指示を出す。
「丁度よかった、すぐに旅支度をしてもらいたい。これから南部へ赴く」
「承知いたしました。……ただ支度をするのはよろしいのですが、本当に向かわれてもよろしいので?」
「あ、ああ。別に構わないけれど、どういうことだ?」
いつもであれば、ただ淡々と了解し準備に取り掛かってくれるルシオラ。
だが今回彼女は珍しく、どこから不満そうな表情を浮かべ、嘆息するように捲し立てた。
「いえ、あのように情熱的な頼みを向けられて、よくぞ心変わりをしないものだと思いまして。自身のご主人様が、奥方の想いを無下になさるお人とは存じませんでした」
「……もしかして責めてる?」
「まさかそのような。仕える主に不平を向けるなど、執事としてあるまじき態度でございます。ただ少しばかり、男性としての評価を改めねばならぬのかと」
口を開く前の様子を一変、真っ新な色のない表情となったルシオラは、口調に反して若干刺々しい内容を向けてくる。
廊下にも僕らの会話が部分的に聞こえていたようで、ヴィオレッタの懇願めいた内容を受けてもなお、下見に赴かんとする僕へ呆れを抱いてしまったようだ。
仕えるルシオラの立場からすれば、サッサと後継者の目途も立てておけという意図もあるのかもしれない。
言わんとすることはわかるのだが、そういったことをするのであれば、尚のこと憂いは解消しておきたい。
なのでこの場は勘弁してもらいたいところではあるのだが……。
「戻ったら、戻ったらちゃんと話し合うから」
「そうされるのがよろしいでしょう。家臣と致しましても、お二人が仲睦まじい方がなにかと楽なものです」
「……肝に銘じておくよ」
ここが彼女の本音であろうか、妙な迫力を醸し出すルシオラはようやく薄く笑む。
確かに僕とヴィオレッタが上手くやっている方が、彼女ら屋敷で働く家臣にとっては、随分とやり易いのは否定できない。
無論後継者云々という面においても、懸念が解消されるという意味でもあるだろうけれど。
その彼女は一礼すると、若干満足そうな表情を浮かべ、出立の準備を行うべく一人部屋へと向かう。
反面僕の方はと言えば、ルシオラを見送るなり肩を落とし大きく息を吐くのであった。




