偵察走 06
「撤退準備だ。陣地とウォルトンにある、団保有の全物資を回収。その後ディケンズまで後退する」
その瞬間、総員への伝令として告げられた隊長の言葉に、僕は耳を疑う。
防衛を行うために別の準備を行うよう指示されると考えていたのだが、告げられたのは戦闘行動とは真逆のもの。
当然驚いたのは騎士たちも同様であったようで、言葉すらなく唖然とした様子で口をポカンと開け放っていた。
ディケンズというのは、僕等がラトリッジからウォルトンへと移動する道中に通ってきた小都市だ。
ここからだと、西へ向けて幾つかの山を越え、三〇km弱といったところだろうか。
ウォルトン同様に農耕と牧畜で成り立っている地で、ごく小規模ながら傭兵団の支部も存在する。
デクスター隊長はその小さな街へと、戦線を放り出して後退すると告げたのだ。
「よろしい……、のですか?」
「構わん。地元住民から貸し出された資材もあるから、それらは可能な限り返却するように。商店への支払いが残っている場合は、とりあえず金庫番に指示して手持ちの現金で――」
僕の確認に対し、隊長が細かい指示をしていく最中。
その背後に座っていたはずの騎士は勢いよく立ち上がり、血相を抱えて声を出した。
「ちょ、ちょっと待て! 貴様、街を見捨てて逃げ出すつもりか!?」
騎士の大きな声が天幕の中に響き渡り、その手は目の前に置かれた卓へと叩きつけられた。
彼らの存在は気に食わないが、その言い分も若干なりと理解はできる。
この場で傭兵団が雇われているのは、ウォルトンを防衛し、デナムを奪取するという目的のためだ。
騎士たちの指示もなくそれを放棄するというのだから、僕自身隊長の言葉に驚愕したという事実は否定できなかった。
その隊長はと言えば、騎士たちを振り返り見やると、淡々とした口調で自身が告げた行動の理由を並べていく。
「今の時点で攻撃を行わないのであれば、デナムは共和国と合流して手を出せない相手となるでしょう。そうなれば然程時間を置かずに攻め込んでくるのは必然であり、ウォルトンの城塞規模では到底持ちこたえられるものではありません」
「だからと言って……!」
「事前に交わした契約にも記されているはずですが? "戦線の維持が不可能であると判断される場合、イェルド傭兵団は現場指揮者の判断により撤退を行える"と。よもや契約の内容を確認していないなどとは仰いませんでしょうな?」
デクスター隊長が放った言葉に、僕は再度の驚きを隠せない。
傭兵団とそれを雇う騎士隊との契約に、そんな条項があるなど初耳であったためだ。
だが考えてもみれば、多少なりと任務を回され始めたとはいえ、僕等は初めて戦場に出るような新入りにすぎない。
そういった契約の深い内容に触れる立場には当然なく、聞く機会が無いというのも当然と言えば当然か。
「それはそうなのだが……」
「しかしだからと言って、ここを放棄するなど……」
騎士たちは狼狽を露わにし、隣り合う者同士で困惑し合う。
焦るその様子からして、どうやらデクスター隊長の言っている言葉に嘘はないようだ。
騎士たちが動揺するのも無理もない。
ここで僕等が引き上げては、ここから先は彼ら騎士たちのみで戦わなければならないのだから。
戦闘のほぼ全てを傭兵に押し付けている騎士では、結果など火を見るよりも明らか。
彼らを見るに、いざ自身が戦うとなったら逃げだす可能性は高そうだ。
しかしもし逃げ出してしまえば、彼ら自身は騎士という立場を失うこととなる。
何せ同盟というのは複数の都市国家が集まった集合体に過ぎず、彼らの騎士という立場はあくまでも、ウォルトンという都市の中にあってこそのもの。
都市そのものが共和国の手に落ちてしまえば、当然のように騎士という特権階級そのものが消失してしまうのだから。
「このままここで戦われるも、街を放棄されるもご自由に。我々は契約に乗っ取り、撤収作業を進めさせていただきます」
「ま、待ってくれ! …………わかった、今回はお前の進言を受け入れ、攻撃に出てやるとする」
一方的に告げて立ち去ろうとした隊長の背に、騎士たちの中でも最も位が高いと思われる、老齢の人物が苦々しく告げる。
その不満ながらも偉そうな言葉を背に受けた瞬間、僕は隊長の口元が少しだけ歪むのを見逃さなかった。
未だ高圧的な態度の騎士に不快感を覚えたというのもあるのだろうが、僕にはそれだけであるとは思えない。
どこか愉快そうな、というよりも引っかかったと言わんばかりのものだ。
ああ、そうだったのか。
彼は最初から退くつもりなど無く、騎士たちが不承不承ながら攻撃を了承すると確信していたのだ。
なんとも面倒臭いやり取りであり、つい先日出くわした行商人を思い出した僕には、彼の心労が多少なりと理解出来た。
契約相手と直接顔を会わせる現場の指揮官ともなれば、こういった駆け引きもこなしていかなければならないようだ。
「ご納得して頂けたようで。ではこれより我らは即座に攻勢に出ますので、ゆるりとご覧になっていて下さい」
今度こそニコリとした笑顔を浮かべた隊長は、軽く会釈して天幕から出て行く。
僕も続いて外へ出ようとしたところで、背後から悪態混じりの怒声が数人分響き渡る。
僕にはほんの少しだけ、それが小気味よく感じられていた。
▽
「攻撃準備! 合図と同時に前進する!」
傭兵たちの立ち並ぶ陣地へと急いだ僕は、隊長の指示によって攻撃を行う旨を知らせて周る。
大きく息を吸って肺に空気を取り込み、ハッキリとした声で。
走りながらただそれだけを叫ぶと、歴戦の傭兵たちはすかさず表情を引き締め、次々と自身の得物を持って準備を進めていく。
待機状態から戦闘を行える体勢への切り替えが素早く、この辺りは流石といったところか。
ある者は身長の倍近くはありそうなランスを携え、相棒となる騎乗鳥へと跨る。
またある者は地面に置いた大盾を起こし、いつでも背負える体勢へと持っていく。
陣地内の空気は僕が通る端からいっそう張り詰めたものへと変わっていき、否応なくこれから大きな戦闘が開始されるというのを自覚せずにはいられない。
走る僕の視界のすみに、同じチームである皆の姿が映る。
彼らもまた僕の声と姿を捉えたことにより、他の先輩傭兵たちよりは若干遅いものの、自身の得物を手にし戦闘の準備を始めようとしていた。
レオはその怪力を活かし、自身の巨大な大剣を片手に、もう片方には大盾を手にしている。
マーカスは普段使っている複合材の弓から支給された長弓へと持ち替え、ケイリーは比較的軽量そうな長槍を手にしていた。
この後で兵種毎に合流して進むのだろうが、相手は百人にも満たない数の騎士。
ただでさえひ弱な騎士たちが少数ということもあって、このまま普通に前へと進んでいけばアッサリ降伏してくれるのではないか。
チームの全員が無事であるためにも、是非ともそうあって欲しいと願うばかりだ。
一通り陣地内を回り、レオたちも戦闘の準備を整え始めたのを確認した僕は、再びデクスター隊長の下へと移動して完了を告げた。
「ご苦労だった。すまない、色々と手間を掛けさせる。小芝居にも付き合わせてしまったしな」
「いえ、お気になさらず。ですがまさか、あんなハッタリをされるとは思ってもみませんでした」
デクスター隊長のする労いに、僕は僅かに苦笑しながら返す。
すると彼は肩を竦めながら、若干悪戯めいた視線を向けて呟いた。
「なにも完全なハッタリであったとは言い切れないのだがな。あの脅しで効果が無ければ、本当に後退を指示していた」
涼しげに言い放つ隊長ではあるが、本当に大丈夫なのだろうか。
雇用主を脅したという事実そのものは、今後団に付き纏って来そうにも思えるのだが。
抱いた疑問をそれとなく疑問を尋ねてみると、彼は事もなげに言い放つ。
「こういった契約を盾にするというのは、なにもそう珍しい事ではない。実際に不利となって後退した例も多いし、それは余所の傭兵団でも同じだ。むしろ碌に戦場での経験を持たぬ騎士たちからすれば、代わりに決断を下すおかげで重宝されているくらいだ」
「そういうものなのでしょうか」
「ああ。それに仮に連中が俺らを気に入らないとしても、見栄が邪魔してこれを吹聴したりはすまい。なにせ明確な自分たちの失策なのだからな」
それもそうなのだろう。
本当に過信していたためか、それとも単純に行う自信が無かったためかは知らないが、彼らが必要な偵察を行わなかったというのは事実。
傭兵団の悪評を流すために、わざわざ自身の恥を晒して周ることはしないはず。
ただ偵察をしなかったのはデナム側も同様だったので、騎士というのはそもそもそういったモノなのか。
「どちらにせよデナムを奪取すれば、ウォルトンの騎士連中とは今後顔を会わせる機会もそう多くはあるまい。気まずい思いはせずに済むぞ」
「それは何よりです」
僕が天幕を出る時、騎士たちは随分と怒り心頭であったようなので、あまり顔を会わせたくないというのは確か。
デナム制圧後にそちらの騎士たちがどういった扱いを受けるのかはわからないが、隊長の口振りからすると、ウォルトンの騎士がそこに収まるという訳ではなさそうだった。
何にせよ、彼の言う通りあまり顔を会わせたい相手ではないので助かる。
「だがいずれは、お前も俺のような立場になるだろうからな。ああいった連中をやり込める術は覚えておくといい」
「僕がですか?」
「あのメンバーの中ではお前がリーダーなのだろう? お前はいずれ一定数の団員を従える地位に就くと、俺は踏んでいるのだがな。それに今回の一件で、俺はお前たちに相応の評価を与えるつもりだ」
高い評価を着けてくれるというのは願ってもない話だ。
僕自身それを目的として、少し気合を入れて動いていたというのは確かであるし。
それでもこういった面倒な相手とやり合わなければならないと考えると、上に行くというのもなかなかに良い事ばかりではなさそうだ。
まだ戦場の方が気楽であると、そうアッサリ言い切る隊長の言葉に、僕は若干の乾いた笑いで返す事しかできなかった。