壁面に咲く 08
攻めてくるも碌な攻撃もせぬシャノン聖堂国の意図は不明だが、こちらの損害が出ぬなら幸運であると考えるのは、連中の目論み通りだったのだろうか。
あれから数日が経った今、僕はあの時の思考を撤回したい心境に駆られる。
同じ日に二度もの襲撃を察知したあの日以降、都市ドラクアは聖堂国による波状攻撃へと晒されていた。
一日に一度の頻度であればまだマシな方で、多い時には二度三度、それも数十人規模で押し寄せてくる。
ほんの一瞬であっても、楽であると考えた自身に平手を食らわせてやりたい。
あえてその中でも幸いな点を探すとすれば、敵が相変わらずゾンビよろしく、真正面から銃も使わず向かってくることか。
それにしたところで、あまりにも不気味な敵の様相に、迎え撃つこちらの神経も参ってしまいそうになる。
「こうも立て続けじゃ休む間もない」
「お下がりください。あとは我々が……」
「僕はついさっきまで横になってたんだ、まだいけるよ。それより君たちこそ、いったいどれだけの時間やりあってるんだ」
この日、三度目となる襲撃を撃退した後、僕は額に流れる汗を袖で拭き払い、自身愛用の中剣を鞘ごと砂に突き立てすがる。
そんな様子に部隊を率いる隊長が、心配そうに声掛けてくるも、僕は逆に彼へと休むよう告げた。
浜辺に在る岩の陰へと視線をやれば、多くの兵士が疲労に膝を着き、グッタリと岩へ身体を預けていた。
いくら銃による遠距離の攻撃ばかりとはいえ、腕へ伝わる反動は存外疲労として蓄積されていく。
これが何時間、十何時間と続けば当然こうなりもする。
波の打ち寄せる浜に漂う、骸となった無数の敵が放つ死臭もまた、彼らの精神をどんどんと蝕んでいく要因。
いくら戦場に慣れた精強な兵士たちとはいえ、生身の人である以上はどうしても限界が存在した。
「交代で仮眠を摂ってくれ。次はまたいつお出でになるかわからない」
「了解いたしました。今出ている兵たちは一旦下がらせ――、と、そうはいかないようですな」
出した指示に部隊長の青年は敬礼し返すも、彼の言葉はすぐさま遮られる。
彼が向ける視線の先を追ってみれば、南の空から一羽の鳥が飛来するのが見え、国境付近を監視する要員からの知らせである事が知れた。
おそらく内容はこうだろう、「新たに侵入した敵部隊を発見、至急迎撃準備をされたし」と。
「仕方がない。文句の一つも言いたいところだけれど、敵の本拠は天を衝く山を越えた遥か彼方だ」
「では終わった後の一杯をもって、敵への罵声を呑みこむと致しましょう」
「……もしかしてそれって、僕の奢りでかい?」
「それはもう。我々の寂しい財布を開かせぬ主君であると、部隊員一同信じておりますので」
度重なる敵の侵入に、エイダは既に報告するのを止め別の場所を監視し始めている。
それほどまでに大量の敵へウンザリとし、僕は南の空へ霞むように映る高い山脈を眺め呟くのだが、隣へ立つ部隊長はなにやら善からぬ事を口走ってくれた。
ただこれもまた仕方がない。このくらいの出費で、彼らの気力が少しでも回復するなら安いものだ。
「……了解だ。全て片付いたら、存分に飲んでくれ」
「確かにお聞きしました。ジェスタ殿も喜ばれることでしょう」
「あんまり吹聴しないでくれよ。彼は特に大酒呑みなんだから」
苦笑して戦闘後の打ち上げ費用を約束すると、部隊長の青年はまたもや不穏な一言を発する。
誰よりも多く飲み、誰よりも高い酒に目移りするジェスタのことだ、僕の奢りなどと聞こうものなら遠慮の字は掻き消えるに違いない。
次に敵が来るまでそれほど時間がないためか、普段は行う死体の処理はせず、適当な場所へと積み上げに向かう部隊長。
そんな彼から視線を外した僕は、南に聳える山脈と戦闘を終えたばかりの兵士たちを眺め、グッと歯を食いしばる。
このままでは危ない。いくら武装含め戦力的に優位であるとは言え、こうも続けざまに攻められては。
おまけに前回の補給からまだ間もないというのに、弾薬が目に見えて減ってきている。
これもまた、兵士たちの焦燥を煽る要因となっているようであった。
『やっぱりこっちの消耗が狙いか……?』
<であるならば、普通に武器を持たせて仕掛ければいいのでは。少なくともその方が、最終的には向こうの被害も少ないはず>
本来聖堂国兵士のほとんどが持つ銃を携行せず、近接用の武器しか持たされてはいないクローンたちの死骸を眺める。
兵士よりも武器の損耗を恐れた、と考えることもできるのだろうが、エイダの言うように結局はこの方が被害が大きいのではないだろうか。
それに僕にはどうも、連中がドラクアを本気で攻め落とそうという意志を感じられずにいた。
聖堂国は元々謎の多い国ではあるが、最近は特に向こうの意図がサッパリ読めない。
呻って考えども答えは出ず、僕は水でも飲むべく消耗品を置いた場所へと向かう。
そこで木箱を開いて中の水筒を取り出し、ぬるい水を煽り喉を潤していると、部隊長の青年が近づいてくるのに気付く。
「陛下、ドラクアからの伝令が参りました」
「ジェスタの使いか。聞こう」
彼へといつの間にやら来ていたという、ジェスタからの使いを来させるよう告げる。
するとそこで姿を現したのは意外なことに、極々軽装ながら硬革の鎧を身に着けたイレーニス。
ジェスタの側で世話を焼くのが彼の役目であるはずなので、伝令役とは珍しいこともあるものだ。
その伝令に来たイレーニスから話を聞けば、特別都市内で騒動などは起こっていないようだが、住民たちがいい加減不安がっているようで、現在は警備を強化しているとのこと。
なので都市内に駐留している兵士も全員出払っており、イレーニスが来たのは足りない人手を補うためであったようだ。
「となると絵の方もしばらくは中断だな」
「あとほんの少しなんです。町が落ち着いてから、ゆっくり取り掛かるようにとジェスタ隊長が」
「それがいい。完成したら皆に祝いの品でも贈るとしようか」
「でしたらきっとお酒とかが喜ぶと思います。ジェスタ隊長は、夜なんてボクの前でもずっと飲んでるんですから」
ふとあちらはあちらで忙しそうな都市内の、駐留部隊が作成中の絵に関してを触れる。
しかしジェスタに酒の話を振らないでくれと言っておきながら、これは自ら少々墓穴を掘ってしまったらしい。
これはもう逃げられないなと思い、小さく苦笑する。
当然どういった理由かを知らぬイレーニスは、小首をかしげているのだが、僕は気を取り直し目の前の少年へ、他のことを確認することとした。
「ところでイレーニス。ジェスタはリゴー商会に関して何か言っていたか?」
「隊長はこれといって何も。ただ商会はいつも通り、今日も行商人たちを何十人も屋敷に集めて、宴会をしているらしいから羨ましいと」
「まったく、豪儀なことだな。都市がこんな状況だってのに」
イレーニスが思い出すように空を見上げ、直後告げた内容に僕はやれやれと息を吐く。
リゴー商会は裏社会の存在であるせいか、肝が据わっていると言っていいのかどうか。
基本的には商談をしているのだろうが、連中は都市がこのような危険に晒された状況でも、なお行商人を呼び饗宴に耽っているらしい。
こんな状況だからこそ金が動くとも考えられるが、都市に対し反旗を翻すと宣言した割には、随分と暢気なものだとは思う。
「先に戻っているといい。ジェスタには、もう暫くしたら交代してくれるよう伝えてくれ」
「わかりました。では失礼いたします」
とりあえず目下の状況がわかったため、いつまでも前線付近にイレーニスを置いてもおけぬと考え、先に都市へと戻るよう告げる。
その言葉を了解したイレーニスは、しっかりと頭を下げ走って都市への帰路に就く。
「それにしてもこのような時に宴会とは、少しくらいご相伴に預かりたいものです」
「あの連中のもてなしなんて、あまり受けたいとは思えないけれどね。そんなことより、次の戦闘準備は――」
イレーニスとのやり取りを横で聞いていた部隊長は、どこか羨ましそうに呟く。
ずっと戦場で命のやり取りを続けていては、どんどんと精神も荒んでくるようで、僕の奢りによる酒宴が待ちきれないといった様子だ。
心情としてはわからないでもないが、今は気持ちを切り替え敵の迎撃準備を進めねばならない。
なので窘めるように、彼へとそれを口に出そうとした時。
僕が頭にリゴー商会の連中が、酒を酌み交わしている光景を想像し、ふとそれに違和感を覚え口を止める。
ちょっと待て、連中が歓待し宴席を設けている相手は、行商人であるとイレーニスは言っていた。
それが多数、数十という数であると。
<どうかしましたか?>
『どうして行商人がまだドラクアに居るんだ。それも何十人と』
<それは……、このような非常時であるからこそ、商機と考え残っているのでは>
エイダはそんな僕の思考がピンとこないのか、これといっておかしな事はあるかと告げる。
だがジェスタの部隊は、戦火が激しくなり混乱し始めた住民たちを安心させるべく、都市内の警戒に出ているのだ。
これまで平静を保っていた住民たちも、流石に日に何度も戦闘が起きるとなれば、動揺するのも当然。
つまり今の都市ドラクアは混乱の只中に陥りつつある。
いくら金の匂いがするとはいえ、一定水準を越えた危険が迫るとなれば早々に逃げ出す行商人連中が、そんな土地に長居するだろうかと。
『住民たちが今頃になって右往左往し始めるのはともかく、行商人だぞ。彼らは各地を転々とするから、本格的な危険に対し鼻が利く』
<既に今の状況は、行商人が商売のためとはいえ、危険な場所へ滞在するような段階ではないと?>
『とっくに逃げ出してるのが普通だ。少なくとも、今まで僕が見てきた限りでは』
これまで幾度となく、北方を中心に都市の防衛などを担ってきたが、戦闘に発展する時期には大抵同じ状況が起こる。
まず商人たちが逃げ出そうとする。それも特に行商人がだ。
守るべきは自身と荷物だけである彼らは身軽で、店舗という動かせぬ資産を持たぬが故に、戦闘直前に荒稼ぎをしたら真っ先に逃げ出す。
次いで商人たちが逃げ支度を始め、他の住民たちはその後というのが多い。
これは単純に、商人としての直感が戦場の危険に対し、"資産を失う"という形で働く結果なのだろう。
だからこそ、都市ドラクアに行商人が多く居るのはおかしく思えてならない。
リゴー商会という恐ろしい集団のせいで、逃げられぬだけという可能性はあるにしても。
「あの……、どうかされましたか?」
「いや、ちょっと思い出したことがあってね」
気にかかった内容が頭から離れず、僕はつい身体を固めてしまっていたらしい。
隣の部隊長はなにかあったのかと、心配そうに尋ねてくる。
その彼へと何でもないと返し、同時にエイダへドラクアに出入りしたであろう、行商人がどの程度存在するかを確認させる。
するとすかさず過去の映像を瞬間的に処理したエイダによって、あまり愉快ではない結果がもたらされた。
<確認できました。荷車の数を元に出した結果ですが、おおよそ三十人少々が都市内に残っていると推測されます>
明らかに多い。都市ドラクアは人口にして一万少々という、同盟内の都市においては特別人口の多くはない町だ。
中規模都市の中では比較的小さな町で、行商人がそれだけの数滞在しているというのは、まずあり得ない。
そんな時であった、衛星を使い上空から監視を行っているエイダが、都市の異常を感知したのは。
<商会主邸宅から、大勢の人間が出てきています。……武器を持って>
エイダが発した言葉に、僕は自身の目が見開かれるのを感じる。
投映された映像を見れば、リゴー商会の拠点である館から出てきた数十人に及ぶそれらの人間が、一様に武器を手にしている姿が。
おそらくは全員が、酒宴に参加していると言われた行商人という看板を掲げた者たち。つまりは行商人に扮し町へ紛れ込んだ、商会の抱える戦力。
この最低なタイミングで始まってしまったようだ、リゴー商会による都市の簒奪が。
<それとアル、これはまだ確定ではないのですが>
『なんだ?』
こんな状況でおっ始めるだなんて、よほど都市を支配する野心が強いらしい。
僕はリゴー商会の、状況を考えぬ野心に腹立たしく思い歯噛みしていたのだが、そのようなことすら些細と言わんばかりに、エイダからは続けざまの報告が。
<全員動きの癖や、体格が一致しています。それに極めつけはコレです>
『こいつは……』
<はい。行商人というのは仮の姿でしたが、同じく商会の保有する戦力というのもまた仮のモノかもしれません>
行商人に扮していた、リゴー商会の戦力一団へと、エイダは衛星から最大望遠でズームしていく。
その中の一人、集団の中ほどを歩く一人が、警戒のためか周辺を窺い顔を建物の上階へと向けたところを捉えた。
僕はその若干ボヤけた顔を見るなり、ハッとして自身の背後へ振り返る。
向けた視線の先、海岸で骸となり積まれた聖堂国のクローン兵士。そいつは商会の館から出てきた男と、瓜二つであるように思えた。




