壁面に咲く 04
同盟南西部の沿岸に築かれた、都市ドラクアへと到着した僕と増援の兵士たち。
夜になり兵があてがわれた広場で天幕を張り休んでいる中、僕はジェスタとイレーニスを連れ、都市統治者によって用意された宿に居た。
その一階部分へ併設された食堂で、出された特産の海産物に舌鼓をうつ。
ただラトリッジの王である自身が利用するためか、行商の最盛期であるというのに他に宿泊者はなく、三人による貸し切り状態となっている。
「ジェスタさんは凄いんです! 何人もの敵をたった一人で、剣を二本使ってこう!」
「わかった、わかったから少しは落ち着いてくれ。……まったく、随分と感化されたもんだ」
「当たり前だ。俺の剣は早々他のヤツに真似できるもんじゃないからよ、小僧が目を輝かすのも当然ってもんさ」
「ですから、自分で言わないで下さいって……」
新鮮な海の幸を口にしつつ、酒も入り次第に僕等は口が回り始める。
当然イレーニスはまだ子供であるため、ただの果実水を飲んでいるのだが、それでも彼は饒舌にジェスタの戦いぶりを語っていた。
どうやらジェスタ本人の言うように、聖堂国からの侵入者を撃退する戦いにおいて、彼の戦い方を見て強い憧れを抱いたらしい。
だが気持ちはわからなくはない。二本の剣を同時に使うという珍しい戦い方をするジェスタは、傭兵団時代から多くの団員たちの羨望の眼差しを集めてきたものだ。
両の手に握られた剛剣を荒々しく振るい戦うのだが、このような豪快な戦闘のスタイルを持つのは、ジェスタの他には巨大な大剣を用いるレオくらいのものだろう。
「でも言われてみれば、僕が傭兵になった頃、既に"石棺"とか呼ばれていましたからね」
「くすぐったい事を言ってくれるなよ。オレとしちゃそこまで気に入ってねぇんだ」
酒精が入り愉快そうにするジェスタへと、僕は揶揄するように彼の二つ名を口にする。
僕が傭兵団の訓練キャンプを出て、ラトリッジへ配された時期。その当時既に幾度かの戦場を経験していたジェスタに対し、傭兵たちが自然と呼び始めた異名であった。
ただイレーニスはその二つ名にキョトンとし、小首を傾げながら当人へ意味を問う。
「石棺、ですか?」
「おうよ! よく見てみな小僧、この岩みてぇな厳つい顔を。こいつこそが名の由来さ」
「冗談だよ。彼が使う二本の剣は、攻撃だけじゃなく防御に高い能力を発揮する。その堅牢さから付いた名が"石棺"だ」
怪訝そうにするイレーニスをからかうように、自身の強面な顔を近づけ大きく笑うジェスタ。
僕はそんな彼に苦笑しつつも、この冗談をイレーニスが本気にする前に、由来となった本当の理由を告げた。
僕等くらいな年代の傭兵出身者内では通った名だが、まだ少年であるイレーニスが知らないのも無理からぬこと。
当時から同世代の傭兵たちの中で、群を抜いて強かったジェスタは、傭兵としてはある種の誉とも言える二つ名を得ていた。
身内からだけでなく、他の傭兵団からも認められた証であり、訓練キャンプではよく自分の二つ名を考え憧れる訓練生たちの姿を、度々目にしたものだ。
「アル……、じゃなくて陛下も、何か名前があるんですか?」
「いや僕は……」
「なんだ小僧、知らねぇのか。アルはだな――」
「勘弁してくださいよ。本当に、あれを聞くと背筋が痒くなる」
イレーニスは当然僕にも、同じように二つ名があると考えたようだ。
興味深そうに目を光らせてテーブルへ身を乗り出し、それを聞き出さんと問い掛けてきた。
一応あるにはある。僕自身もそれなりに傭兵稼業が長かったし、少々ズルをした結果ではあるが、出た戦場ではほとんど負けなしで来ている。
完全な敗北を悟ったのと言えば、東の共和国へと潜入をした際に出くわした、ヴィオレッタの母親と一騎打ちをした時くらいのもの。
その後は傭兵団の団長になったというのもあり、当然のように他者から付けられた異名が存在した。
だがそれを身内に知られるのは妙に気恥ずかしい。
なので僕は頼み込むように、ジェスタの言葉を遮り知られぬようにしていた。
「いいじゃねぇか、そんくらい教えてやってもよ。だろう、小僧?」
「ジェスタさんの言う通りです。ボクも知りたいです!」
どうやらこの二人、年齢や気性は違うもののなかなかに馬が合うらしい。
孤立無援となった僕へと畳みかけるように、二人して組んでからかうように襲い掛かってきた。
先ほどイレーニスがジェスタの戦いぶりを熱弁していた様からわかるように、侍従として預けて以降、随分と彼に懐いているようだ。
イレーニスからすれば単純に、身近な強者への憧れという側面が強いのだとは思う。
一方のジェスタはジェスタで、このように懐き慕ってくれる少年が、可愛くないはずもなかった。
なのでイレーニスの兵士としての適性を見るという云々はさて置いて、ジェスタに預けて正解であったのではと思わなくもない。
そこから暫し、美味い料理に舌鼓をうちながら楽しい時間を過ごしていく。
だがいい加減夜も更けていき、昼間は熱心に壁面へ絵を描いていたイレーニスは、そろそろ睡魔の限界が近くなっていたようだ。
会話の中で時折欠伸を噛み殺す様子が見られ、僕が使う部屋に行って休むよう告げる。
ジェスタの指示もあってか、イレーニスが存外大人しくそれに従い上の階へと上がっていったのを見届けると、僕は仕切り直すように手にした酒のカップをテーブルへ音を立てて置く。
「すみません、あの子に良くしてもらって」
「構いやしねぇさ。オレだってそれなりに楽しんでんだ、お互い様ってな。うちは娘っ子ばかりで、男の子に縁がないもんでよ」
「そういえばお子さんは全員女の子でしたっけ」
「まったく酷いもんだぜ。あいつら小さくてもちゃんと女なんだ、やれ臭いだのやれデカくて邪魔だのと、カミさんと揃って口煩いのなんのって。おかげで家にゃオレの居場所もねぇ」
世話になっているだろうイレーニスへの礼を口にすると、ジェスタはカラカラと笑いながら、容姿は中性的ながらも気質がしっかりと男子である、イレーニスとの時間を楽しんでいると告げた。
家庭内での居場所云々は冗談だろうが、彼がイレーニスを好ましく思ってくれるのであればなによりだ。
ジェスタが発する言葉の端々から感じるあたり、イレーニスに兵士としての適性はなさそうだが、彼に付けることで良い経験になっているだろうから。
ただこの礼とは別に、ジェスタへ一度面と向かって言おうとしていたことを、酒の力も借りて切り出すことにした。
「イレーニスの件だけじゃありませんね。貴方は僕が傭兵団団長となってからも、文句の一つも言わず手を貸してくれた」
「当時は裏で口さがなく、依怙贔屓の結果だと言うヤツらも多かったからな。付き合いの長い人間が支えてやんねぇと。……とはいえ先代の団長からは、そう思われる節が確かにあった。まさかヴィオレッタの嬢ちゃんが、先代団長の娘とは思わなかったがよ」
「だからこそ感謝しています。多くの先輩傭兵たちが離脱した時も、僕が団長になると宣言した時も、そして統治者の地位を簒奪した時も。貴方はずっと居てくれた」
レオとヴィオレッタ、マーカスやヘイゼルさん。それにゼイラム元騎士隊長などは常に僕の近くで、手を差し伸べてくれた人たち。
それとは別に特別近くではないものの、ジェスタは傭兵団内や軍内でサポートを続けてくれた人だ。
そこに程度の差などなく、彼は今の都市王国ラトリッジにおける立役者の一人であると、僕の中で間違いなく断言のできるモノであった。
「そこまで言われるとテレちまうな。なあ、別の話をしねぇか? なんかの前触れじゃないかって、流石に気味が悪くなる」
テーブル越しに頭を下げ、ジェスタへ深々と礼をする。
彼の言葉に反応し頭を挙げてみれば、厳つい顔を歪め嬉しそうな困ったような難しい表情へと変わっていた。
きっと突然に言われた言葉に困惑し、どう返してよいのかわからないのだろう。
確かにこのような話、ゲンが悪いと思われても仕方がない。僕は苦笑しながら首を縦に振る。
その反応を見たジェスタはホッとし、自身で言ったように別の話題へと移り始めた。
「そうしてくれると助かる。……じゃあそうだな、オレからは幾つか話しとかなきゃなんねぇ事があるんだが」
「イレーニスの適性……、ですか」
「ああ。もうわかっちゃいるとは思うが、あの小僧は兵士としてやってくのは厳しいな」
「そのように言われるのは覚悟していましたよ。僕も同意見ですから」
「性格は明るく協調性もあるし、なにより齢のわりには頭が回る。まだ子供ってのもあるだろうが、うちの隊に居る連中にかなり可愛がられてる。前線には出ないまでも、後方で手を貸してくれる分には問題はないだろう」
ハッキリと告げるジェスタの言葉に、僕は内心で息を吐きながらも受け入れる。
ここはもう否定のしようがない。現在は都市の運営を主としている僕とは異なり、ずっと戦場を住処としている彼までも言うのだから。
なのでイレーニスには悪いが、ジェスタと共に部隊がラトリッジへ引き上げたタイミングで、隠すことなく告げてやらねばならないのだろう。
気が重いのは否定できないが、こればかりはは人に任せられやしない。
嫌な役割を負ってもらったジェスタに礼を言うと、僕は立ち上がり休むべく宿の上階へ上がろうとする。
しかし背を向けかけた僕を、ジェスタは慌てたように声掛け留めた。
「まぁ待ちなって。話は終わってねぇんだから」
「イレーニスの件でなにか問題が?」
「話すことは幾つかあるって言ったろ。つってももう一つだけだがよ」
いったい何であろうかと、怪訝に思いながらも再度席へ着く。
そうして真っ直ぐジェスタを見ると、彼は先ほどよりもグッと声を潜め、少しばかり顔を近づけて口を開いた。
「実は、あの小僧に関する話じゃないんだ。団長がこの町へ来るよりも前、つっても3日ほど前だが、ある商会から接触されてよ」
「……商会?」
「リゴー商会てのを聞いたことはねぇか。ここいら一帯じゃ名の知られた大商会だ」
イレーニスの件とは別であると言うジェスタの口から発せられたのは、少々予想もしていなかった内容。
リゴーという名の商会について思い出そうとするも、聞いたことがあるような気はするが、イマイチ思い出せない。
そこですぐさまエイダに確認をしてみると、返されたのは少々不穏な内容であった。
<都市ドラクアを拠点とする、海産物売買と都市間の物流を担う商会ですね。おそらくは同盟領南西部で最大の企業となります>
『思い出した、この都市に入ってから所々に名が書かれた看板を見たな』
<傘下に治めた店が多いせいでしょう。ただ……>
『ただ、何だ?』
<人々のする噂話などを収集した所、あまり真っ当な商いをしてはいないようで。ようするに商会というのは表向きで、実態はドラクアを根城とするマフィアです>
ほんの一瞬の間に脳内でされるエイダとのやり取り。
僕はジェスタと向き合った表情に現すこともなく、密かに顔を顰めるような心地となっていた。
エイダは不審さを漂わせる僕へと、周辺でされていた噂話などを収集した結果を淡々と告げていく。
その内容からすると、おそらく元々不法な組織が真っ当な商売に手を伸ばしたというよりも、本来普通の商いをしていた集団が裏稼業に手を染めたパターンだ。
ドラクアのように都市規模がある程度の大きさとなれば、当然外からは少数ながら無法者も流れ着いてくる。
しかし治安維持を担うはずな騎士は頼りにならず、かといってラトリッジからも遠く以前までは国境の脅威もなかったため、傭兵はこの地へ滅多に寄りつかなかった。
なので否応なく住民たちで自警を行うしかなく、その過程で色々な澱みを吸い取っていった結果なのだろう。
ただこういうのはさほど珍しい話ではない。地方の中規模以上な都市にはよくあることだ。
「で、その商会はなんと? たしかあまり良い噂は聞きませんが」
「そこの商会主が、どうもお前さんと会いたがっているようだ。理由までは口にしちゃくれなかったがよ」
ジェスタにそのリゴー商会とやらが、いったいどのような要件であるかを問うてみるも、そこまでは詳しくは聞かされなかったようだ。
彼自身は問い詰めたのだろうが、姿を現した輩の口が堅かったか、あるいはその人間も詳細は知らされていないのかもしれない。
ただ裏社会に強く染まった連中が、一国の国主へと接近したがるとなれば、碌な要件ではないだろう。
ジェスタもまた不審げであり、報告する彼の発する空気には警戒感が強く滲んでいた。