壁面に咲く 03
「開門、開門!」
腹の底から発せられる、張り裂けんばかりの轟声。
一人の兵士が発したその声に反応し、都市の外周に沿って建設された、堅牢な壁の一角へ備わる門は開かれていった。
主として木材により造られているそれではあるが、巨大な扉は外見の重厚さに似合った重い音を立てゆっくりと動いていく。
壁の外側に向け、扉が八割ほど開かれたところで止まると、先頭に立つ旗を手にした兵が一歩前へ。
それに倣い後ろへと続く幾人もの騎兵や、数台の荷車と歩兵たちも続き進み始める。
列を成した一団の中ほど、一羽の豊かな毛並みを持つ騎乗鳥へと跨った僕もまた、緩い速さのままでそこを進んでいった。
「長旅、お疲れ様です。道中不都合はございましたか?」
門をくぐり新市街へと入ってすぐ、列へとモノトーンの衣服に身を包んだ女性が合流し、歩きながら僕へと声をかける。
ルシオラという名を持つその女性は、いつも通りの執事服を纏い、夏の盛りであるというのに涼しげな表情を浮かべ問うてきた。
「暑ささえ除けば快適なものだったよ。時々雨には降られたけれどね」
「それはなによりです。お風邪を召されないのであれば、昔を思い出すのも悪くはないのでは」
「そいつは言えてる。最近は屋内でぬくぬくとしてたからね、たまにはこうやって野外に出て、傭兵時代を懐かしむのもいいもんだ」
今回僕は百人弱という少数の軍勢を率い、同盟領南東に位置する、シャノン聖堂国との国境付近へ遠征を行っている。
目的は現在防衛の任に当たっている部隊と合流し、加勢を行うため。
というのも別段多くの敵が侵入した形跡があったからではなく、時々は僕自身も戦場へと顔を出そうという意図から。
傭兵国などという呼称を冠するラトリッジの王が、安穏と自領に引きこもり耽溺に興じていては、じわじわと求心力の低下を招きかねないと考えたからであった。
ただ戦闘の能力には定評があるものの、兵士ではないルシオラにとっては少々受け取り方が違うらしい。
迎える準備のため一足先に駐留地となる都市へ乗り込んだルシオラは、どうもこの言い分がピンとこないようであった。
「アルフレート様の見栄張りに付き合わされた兵たちには、後で十分に労をねぎらっておきましょう」
「……相変わらず容赦がないね君は」
着いて早々向けられたのは、出迎えに出ていたルシオラからの、手痛くも辛辣な言葉。
仕える相手に対しなんとも遠慮がないが、ヴィオレッタ同様にこのくらい刺さる言葉を向けてくれる方が、下手に気を使われるより楽というものであった。
その彼女が出迎えてくれたここは、聖堂国との国境地帯で最も大きな都市ドラクア。
ここには侵入してきた聖堂国の兵を迎え撃つため、ラトリッジから部隊が派遣され駐留しており、時折その部隊を入れ替え交代で任に当たっていた。
都市統治者には当然のことながら了解を得ており、門の外で叫ぶだけで入れてくれたのは、そういった理由であった。
「ところで話は変わりますが、イレーニス様なのですが……」
「ああ、なにか問題でもあったかい?」
「いえ、これといっては。ただジェスタ殿が、アルフレート様とお話されたいご様子でしたので。すぐに向かわれますか?」
辛辣な言葉に気まずい想いをする僕であったが、ルシオラはすぐさま現在この都市へと駐留している、ジェスタが呼んでいると告げる。
現在彼は自身の率いる部隊と共にここドラクアに居るのだが、イレーニスもまたジェスタと共にこの地へ滞在していた。
「そうだな。一旦用意された宿に行って、着替えてから向かうとするよ」
「では一足先に戻り、お宿でお待ちしております。……寄り道はご遠慮いただけると」
「わかったって。市場でも覗こうかと思ったけれど、そう言われちゃ仕方がない」
ジェスタは用があるようなので、こちらは出来るだけ早く会う必要はありそうだ。
用意された宿へ入る前に何人かの兵を連れ、市場で軽く食事でもと考えていたが、ルシオラにはお見通しであったらしい。
この都市は海に面し漁業が盛んであるため、海の魚が豊富に獲れるのに加え、同時になかなかの規模な穀倉地も有している。
そのため常に市場へは新鮮な魚介類や、穀類を焼いた物が並び常に活気づいていた。
特に内陸地であるラトリッジではなかなかお目に掛かれぬ、新鮮な海の幸を楽しみにしていたのだが、そいつは今夜以降の話になりそうだ。
釘を刺してくるルシオラの視線を振り切った僕は、列成す兵たちと共に貸し与えられた広場へと入る。
そこで陣を張り天幕を建てたところで、僕は後の片づけを任せて別行動を採った。
一人用意された宿へ入り簡単に身支度を整えると、市街の一角に在る駐留部隊が使う建物へと急ぐ。
小走りとなって向かう最中、僕は高い湿度を纏う暑気に汗をぬぐいながら、イレーニスについて思いをはせる。
しばらく前、兵士たちの葬儀を行った後にジェスタから持ちかけられたのは、イレーニスを自分に預けその資質を見ようというものであった。
そのために彼の率いる部隊が再びドラクアへの任に就く折に、イレーニスを侍従として同行させてはと提案されたのだ。
<上手い言い訳もあったものです>
「とはいえいずれ、ジェスタには誰かをあてがうつもりだったからね。ある意味では丁度よかった」
ひと気の少ない路地を進みながら、僕はエイダの発した言葉に苦笑しつつ返す。
シャノン聖堂国に対抗するため、人員を増やし軍の規模が拡大していくにつれ、ある程度上に立つ人間の負担も増えつつある。
そのためジェスタら部隊を率いる人間には、一人侍従を雇い身の回りの世話をさせることを許したのであった。
こちらが費用を持つという約束であったそれだが、ジェスタにしてみれば、イレーニスを当てることでその費用も浮くと考えたらしい。
そこまで気にせずともとは思うが、まだ子供ではあるがイレーニスは存外気が利くし、人の覚えも良いため身の回りを手伝う役割としては、案外に悪い選択のようにも思えた。
それに正式に兵士となるためには、一定期間の訓練を行うため、ラトリッジの南方に在る訓練キャンプへ入れるというのが通例。
これは前身であるイェルド傭兵団の頃から続いているものだ。
だがそれなりに長い期間となるため、その前にちょっとばかし戦場を体験させ、適性を見てやろうというのがジェスタの言い分。
結果もしイレーニスに兵士としての適性があるのなら、正直に伝えて当人に決めさせる他ないだろう。
だがもしジェスタがダメと判断したのならば、その評価を盾に説得の材料とさせてもらう。
<なんとも意地の悪い。あなた自身は、イレーニスがその試験をパスできるとは思っていないのでしょう?>
「まったく思ってないな。まず間違いなく、イレーニスは大きな身体を得られない」
基本的に肉弾戦を主とするこの星の戦場において、体格というのは優位性と考えて間違いない。
僕等は銃という武器を運用しているため、余所に比べればそういった面で多少融通は利くが、だとしても重いそれを扱うのは重労働。
だがおそらくイレーニスは、鍛えてもあまり筋肉の付くタイプではないだろう。
活発な性格ながらも同年代の中では小柄な方で、普通の子と比べても力負けすることが多いように見受けられた。
ヴィオレッタなども小柄ではあるが、彼女はああ見えて意外に筋肉質だ。
卓越した技量を持つというのもあって戦場へ出れているが、イレーニスに同じことを期待するのは酷であると思えた。
「可哀想ではあるけれど、兵士になるのは諦めてもらう」
<アルはずっと可愛がっていましたからね。言葉が通じなかったころから>
「なんだかんだで、もう家族も同然だからね。どうしても軍に関わりたいってのなら、身体を使わない役割に回す。頭の方は出来が良さそうだし」
そもそもジェスタの提案を受け入れ任せたのは、最初から諦めさせる方便を作るため。
おそらく彼もまたそのつもりであったようで、イレーニスには悪いとは思いつつも、僕等は二人揃って悪巧みを仕組んだのであった。
そういえば僕がドラクアへ行くまでの間に、イレーニスの評価を下して欲しいと言ったのは己自身であったか。
なのでジェスタから用があるというのは、試験にも相当するその結果が出たということに他ならなかった。
小走りとなって拠点を構える場所へ向かうと、ほどなくして周辺一帯の中でも比較的大きな、一軒の石造りの建物が見えてくる。
だがそこへ近付くにつれ、少しばかり人のざわめくような声が聞こえ始め、いったい何だろうかと建物が面する路地を覗き込む。
「おう、団長。ようやく到着したみてぇだな」
然程広くもない路地へ響き渡る大きな声で、こちらを呼ぶジェスタ。
早々に僕の姿を見つけた彼の手招きを受け、大人しく路地へと入り近づいていく。
そうして彼の隣へと立ったところで、僕はすぐ真横に聳える壁へ視線をやり首を傾げた。
「……なんです、これは?」
「おう、驚いたか。イレーニスが言い出しっぺでよ、今はまだ全体の半分程度ってとこだな」
呆気に取られ口を開く僕の隣で、ジェスタは大きくガハハと笑いながら、説明にもならぬ解説を振る。
今僕の目の前へ在るのは、ここドラクアへの駐留部隊が居を構える建物。
……であるはずなのだが、以前に見た時には一切存在しなかった、壁一面に広がる大きな絵がそこには鎮座していた。
ドラクアは沿岸部に在る都市の例に違わず、多く採れる白い石材によって組まれた家がほとんど。
ここ駐留部隊の使う建物にしてもそれは同じで、前回見た時には真っ白だったそこは、色とりどりの塗料によって塗り潰されようとしている。
見れば壁全体へ所狭しと描かれているのは、騎乗鳥や荷車、それに戦士を模したと思われる絵だ。
「当然貸主の許しは得てるぜ。それとここいらに住む連中にもな」
「それは当然だけれど……。って、イレーニスが発案を?」
「ああ。オレらみたいな稼業はただでさえ血生臭いのに加え、家があんまりにも殺風景じゃ住民を怖がらせるってよ。そいつも一理あると思ってな、暇を見つけちゃ交代で塗ってんのさ」
そう言うとジェスタは、愉快そうに壁の一角を指さす。
指されたその先には、組まれた足場に登って壁へ向き合い、なにやら細かく動く小柄な身体が。
一目見てイレーニスとわかるその少年は、手にした木炭を壁へ奔らせ、一心不乱に下書きらしき作業を行っていた。
「案外あの小僧、こっち方面の才能ならあるのかもしんねぇな」
「ならこの絵自体はイレーニスが」
「おう。絵そのものは以前から一人で描いてたらしくてよ、随分と楽しそうにしてんぜ」
足場の上に立つイレーニスへ視線をやるジェスタは、どこか微笑ましそうに彼を眺めていた。
よくよく見れば壁に描かれている絵はどれも、少年が描いたものにしてはしっかりとしたもので、なかなかに迫力すら感じさせるものばかり。
それにしてもまさかイレーニスに、こんな特技があるなど知らなかった。
同じ屋敷に住んでいるというのに、近頃はあまり顔を合わせる機会は少なかったように思える。
イレーニスの相手は、友人であるハルミリアや使用人たちに任せきりで、このような趣味を持っていたことすら僕は気付きはしなかったのだ。
一心不乱に壁へ木炭を奔らせ続けるイレーニスを眺め、保護者を自称しながらも気付けずにいた僕は、その楽しそうな姿に反し沈んだ心境となる。
そういえばジェスタは、「こっち方面の才能"なら"」と言っていた。
つまり彼からして見ても、イレーニスには兵士としてやっていくのは難しいのではという意味だ。
様子を見る限り、どうやらまだ当人へ結論を告げてはいないようだが。
「あ、アル! もう来たんだ」
手と頬を炭で黒く染めるイレーニスであったが、ふと視線を動かした瞬間に目敏く僕を見つけたようだ。
身軽く足場から飛び降りると、満面の笑顔を浮かべて駆け寄る。
イレーニスを拾ってから数年。初めて会った時はまだ幼児と言える齢の頃であったが、数年が経ち随分と大きくはなった。
ただ兵士になると言い切るようなイレーニスも、こうやって飛びついてくる辺りやはりまだ子供ということか。
「小僧、お前は今オレの侍従だろ。なら言葉の使い方には気を付けな」
「す、すみませんでした……」
「いや貴方がそれを言いますか」
炭に汚れたままで抱き着くイレーニスへと、ジェスタはすかさず窘める。
一応僕の立場というか王という役職を考えれば、数十の兵を率いるとはいえ一部隊の将というジェスタの侍従であるイレーニスが、親しげに抱き着くのは憚られるということだ。
いくら家族同然の関係とは言え、そこはわきまえるのが常識だと言わんばかり。
ただ言葉使いが先輩であった頃のまま、軽い調子を続けている彼に言われても説得力がない。
僕がすがさずそれを突っ込むと、ジェスタは思い出したように大きく笑い始めていた。