彼方の影 01
執務室の奥へと置かれた、丁寧な作りながらもドッシリとした重圧な机。
日頃からその上へは無数の書類が散乱し、片付ける暇もないその状況に、度々僕はヴィオレッタやルシオラから小言を頂戴していた。
だが今はいつも通り、いやそれ以上に混沌とした大量の紙束が置かれているが、普段であれば窘める言葉の一つも向けてくる二人によるお説教もない。
というよりも、今はそのような事をしている場合ではないためなのだが。
「とりあえず第一陣として、80人ほど連れて行きたい」
「誰を連れて行く? 精鋭連中を連れて行くのであれば、各隊から数名ずつ招集するが」
「少なくとも実戦を経験している人間がいい。人選はそれぞれの隊に任せるから、すぐ招集してくれ。それと全員に銃を携行させるように」
置かれた紙を複数同時に目を通しながら、僕とヴィオレッタは忙しなくやり取りを行う。
その中で決まったことを聞いたルシオラは、頷く間もなく部屋を飛び出し連絡に走る。
机の上に散乱しつつもうず高く積まれているのは、その全てが報告書。
西岸の港湾都市ベルバークで監視を継続しているマーカスらが、ほぼ毎日のように送ってくるものであった。
僕はその大量に記された内容と、エイダによる衛星からの情報を見比べていく。
「準備が完了次第、後続として100人ほど寄越して欲しい」
「随分と多く動かすのだな。そんなに大層な事態になりそうなのか?」
「まだわからない。でも必要となる恐れは十二分にある……」
現在行っているのは、都市王国ラトリッジの軍へと行動の指示をするための作業。
総勢で800を超える戦力となったこの都市の戦力だが、大抵の場合は戦場へ移動し戦闘を行うのは、数十人から多くても百人ちょっとといったところ。
だが今の時点で既に200人近くを動員するべく指示を出しており、目の前に迫りつつある状況が、切迫しつつある事を物語っていた。
マーカスから送られてきた報告の一枚を手に取り、僕はそれへと視線を落とす。
そこに記されていたのは、シャノン聖堂国から交易のために来た船に、想定の数倍以上となる乗員が乗りこんでいたという内容であった。
これまでは聖堂国もこちらを刺激せぬようにか、最小限の人員だけを送り込み、荷の移送などはこちらが行っていた。
ある所からはそれが変わり始め、最初は鉱石を運ぶ人足を、そして次には使者の護衛役として兵を一人同行させるようになったのだ。
だが今回はそれすら大幅に上回る数。不信感を抱くには十分な情報だ。
「少なくとも50人、一艘の船に乗せてくる人数としてはあまりに多すぎる。これが船員とは別にだからね」
「内半分程度、……いや下手をすれば全員が聖堂国の兵であるかもしれんな」
「まさか全員が荷運び人足ってことはないだろうし、ここに来て本性を表し始めたと考えた方が自然だ」
今のところ到着した連中は、これといった動きを見せてはいない。しかしここまでの人数を送り込まれては、こちらも黙って見過ごせはしなかった。
そのため僕等は今回、兵たちの訓練という名目にかこつけ、都市ベルバークへと一団を派遣することにしたのだ。
つまり聖堂国への牽制と、ベルバーク統治者へ協力せぬよう釘を刺すために。
「だがこうなると、お前の不安が現実となりそうではある。いやはや、よく察するものだ」
「元々疑り深い方だからね。あまり、当たっても嬉しくはないけれど」
自身の手を動かしながらも、ヴィオレッタは称賛とも呆れともつかぬ言葉を向ける。
最初にあちらが穀物を欲していると言ってきた時、国民への良質な食の供給という名分を謳ってはいた。
だがこれまで完全な鎖国を敷いていた国が、突如としてそのような真似をするとは到底思えない。
そこで推測の域を出ない話ではあるが、僕は聖堂国が深刻な食糧難に陥っているのではと考えた。
虎の子である鉱石を渡してでも食料を得ようとしたのは、おそらくそのためであると。たぶん途中から取引量を増やしたのもこれが理由だ。
そしてその仮説が正しかった場合に一つ危惧していたのは、いずれ向こうが一つの手段に打って出るのではということ。
つまりは武力による侵攻を行い、より多くの食料を得んが為に、穀倉地を制圧するのではと。
食糧事情はどんどん切迫していくし、そもそも交易で渡す量などたかが知れており、国民に行き渡らせるのはどだい無理であるためだ。
「でもまだそうと決まったわけじゃない。一応は戦力を向かわせるけどさ」
「しかし木材が多く採れぬのもあって、連中は造船や海運が弱い。当然移動はベルバークの海運商頼みとなる訳だが、連中はそんな大勢の乗船を断らなかったのか」
「たぶん断れないんだよ。なにせ今となっては影響力を無視できない」
おそらく荷の運搬を担っていた海運商会としては、予定になかった大量の人間を乗せるということも、断ることはできなかったろう。
なにせ現在聖堂国は、ベルバークの海運業にとって最大の顧客。
かなりの割合で対聖堂国との交易が占めており、そこが失われようものなら大きな痛手となってしまう。
それに昨今、その影響によってかあの都市には神殿が増えつつあると聞く。
元々都市内にはいくつか在ったようだが、聖堂国との関係を良化させるために、神殿の建設要請を受け入れたのだろう。
同盟領は比較的自然環境に恵まれ、信仰に頼らずとも生きていける土地ではある。
だが海運と漁を生業とする都市にあっては、海という危険な相手と向き合わねばならず、比較的同盟内でも信仰を受け入れやすい土地柄ではあった。
おかげで徐々に信者の数も増えつつあり、今や都市ベルバークは同盟最大の親シャノン聖堂国都市となっている。
「どちらにせよ厄介だ。下手をすれば都市が占拠されてしまう」
「あの地に駐留している護衛部隊だけでは、対処しきれる数ではないな」
「それに最悪、都市が自ら寝返る可能性もある。そうなったら手の打ちようがない」
この件で最も危惧していたのは、ベルバークへ着いた一団が都市を制圧してしまう事。
元々開けた海岸線に建造された都市だけに防衛も何もあったものではないが、内部に入られてしまえばそれ以前の話。
それにもし都市が寝返ってしまおうものなら、取り返すという手段すら採れなくなってしまう。
「アルフレート様、食料の積み込みが完了しました」
「よし、人員が集まり次第すぐに出立する。引き続き後続分の準備を進めてくれ」
ヴィオレッタと顔を突き合わせ話していると、外へ指示を伝えに走っていたルシオラが戻ってくる。
彼女は扉を開くなり、移動に必要な荷の積み込み作業が完了した旨を告げた。
横目で窓の外を窺えば、屋敷前の広場では数十人の人間が忙しなく動き回る。
多くの物資が積まれた荷車には、二羽の騎乗鳥が繋がれ、すぐにでも出発できる体制が整った様子が窺える。
そんな慌ただしい広場の周辺では、多くの人々が遠巻きに眺めており、何事かと囁き話し不穏な空気を不安そうに眺めていた。
僕はルシオラに第二陣の準備を指示すると、立ち上がり執務室から飛び出すように移動する。
あとは彼女とヴィオレッタに任せておけば、準備が完了次第すぐ人を寄越してくれるだろう。
外套を羽織って外へ出てしばらくすると、徐々に広場へは招集された兵たちが集まり始める。
その兵士たちへと大雑把ながら状況説明をしようかと考えるも、まだどう事態が動くかも知れぬため、突発的な訓練が主であると口にしておくに留めておく。
そこから僕は最近ようやく慣れ始めた騎乗鳥へと跨り、早速出発しようかとすると、すぐ近くへ小走りとなって近寄る人影が一つ。
「俺もついて行く」
「レオ、君には留守を任せようと思ってたんだけれど……」
今まさに出立しようとしていた時に声をかけたのは、ここ最近はずっと兵たちの訓練を監督しているレオだ。
彼はつい最近まで、遠方に居を置いた訓練キャンプに行き、多くの新米たちを鍛え上げる役割を負っていた。
そこから戻って来たのもつい昨日であるというのに、彼は疲労も癒えぬ内からもう同行しようというらしい。
「そいつはヴィオレッタに任せておけば大丈夫だ。それに俺も最近は置いて行かれる機会が多い、たまには実戦へ出させてもらう」
「……まだ戦闘になると決まってはいないよ。それでもいいっていうなら」
「構わん。久しくアルとも行動していなかったからな」
そう言うと彼は自身も一羽の騎乗鳥へ飛び乗り、手綱を繰って落ち着かせる。
僕はそんな当然と言わんばかりなレオの行動に苦笑しつつも、どこか安堵の気持ちが沸くのを感じた。
まだ戦闘になるとは限らない。しかし彼がついて来てくれるというのであれば、とても心強い限りだ。
「では行こうか。とりあえず訓練をしにね」
レオの同行を受け入れた僕は、振り返り兵たちへ向け軽く言い放つ。
その兵たちを率い、旧市街を抜け新市街へ、そして建設中の外壁を超えて都市の外へ。
遮るもののないなだらかな丘陵地帯の前へ出るなり、冬の寒風が容赦なく浴びせ掛かり、奪われていく体温に外套の前を反射的に締める。
自身の跨る騎乗鳥へと触れると、夏場であれば少々暑苦しいと思える分厚い羽毛が。それがあるだけまだマシだろうか。
一方それらを持たぬ兵たちはさぞ寒かろうと、振り返り様子を見ようとする。
しかしそのために腰を捻ったところで、不意にエイダから状況の変化を告げる言葉が降りかかってきた。
<アル、都市ベルバークに異常が発生。市街の数か所及び、港湾地区で騒動が起こっているようです>
『戦闘か?』
<そこまでは至っていないようですが。ただ武器を持った人間によって、住民たちが広場などへ集められている模様>
衛星からの映像を見てみれば、身体を白い布で覆った連中が、武器を持ち住民たちへ突き付けている光景が。
不安的中。どうやらベルバークへ乗り込んだ聖堂国の連中は、僕等が出発したのと時を同じくして行動に移ったようだ。
内心でその光景に悪態を衝いていると、隣を進むレオがこちらに視線を向けているのに気付く。
彼はこちらの様子を見るなり軽く頷き、すぐ真正面へと向き直り手綱を握りしめる。
おそらく僕のしていた表情から、事態が動いているのを察したのだろう。
だが都市が制圧されゆくのを知ったからといって、行軍の足を速めもできない。
どうしてそのような事に気付いたのかと問われれば返す言葉を持たぬし、今から急いだところで到底間に合いはしないためだ。
僕はそのじれったさに拳を握りしめると共に、こうなると予見しながらも動けずにいたジレンマに歯噛みする想いであった。




