疑念 04
もうもうと煙突から立ち上る煙に、周辺一帯へと響き渡る無数の金音。
幾度となく金属同士がぶつかるその音は、都市内へといくつか存在する、冶金や鍛冶の工房から漏れ聞こえるものだ。
煙突が延々煙を吐き続けているのは、そこで炉に火を入れているため。
大抵は一年を通してずっと一定の作業量を確保するため、そういった工房では作業量の上限というのが存在する。
このようにどこもかしこもが煙を吐くというのは、これまでは全く見られなかった光景だ。
しかしここ最近はそれが一変、全ての工房が忙しなく動き回り、活気付くような高い音を撒き散らしていた。
それもこれも、シャノン聖堂国との間に始まった交易によって、大量の金属が手に入るようになったため。
「うちの爺ちゃんも喜んでますよ。いつもは暇だ暇だって煙草吹かしてるだけだったのに」
「そいつは良かった。こっちとしても、職人街が賑やかなのは願ったり叶ったりだからね」
喧しいとすら感じられる、旧市街の隅に位置する職人街。
その熱気に沸き立っている地域を、僕は執事のルシオラの他にもう一人引き連れて歩いていた。
僕の隣を歩くのは、一見すれば少年のようにすら見える、黒髪を短く刈った娘。
ハルミリアという名の彼女へは、傭兵団時代から僕等の内へと引き入れ、持ち前の器用さから銃の製造を担わせている職人であった。
とはいえ最初に会った時からある程度の期間が経ち、よく見なければ性別を間違えていたような雰囲気も、随分と女性らしいものへと変わりつつある。
今は所用で彼女と会ったついでに、職人街を案内してもらっている途中。
聖堂国との取引で手に入れた金属が、どのくらい経済活動に影響しているかを視察するためであった。
「ですが本当にいいんですか? あたしのところばかり良いのを回してもらって」
「一向に構わないよ。むしろ一番質の良い金属こそ、君に使ってもらわないと」
「なんていうか、他の鍛冶師さんたちに負い目があるんですけれど……」
ただ連れ立って歩く内、ハルミリアは周辺の鍛冶工房へチラチラと所在なさ気に視線を向けた。
傭兵団時代から彼女には銃の生産を任せており、今では若いながらも幾人かの人を使っている。
輸送されてきた鉱石は冶金工房へと送られ、そこで加工するのに適した状態へと精製されていく。
それらはある程度出来によって等級が分けられるのだが、最も高品質な物がハルミリアの下へ届けられているのであった。
全ては冶金技術がまだ未発達なこの惑星において、火薬の爆発へと極力耐えられる品を作るため。
ただどうやらそれを担うハルミリアとしては、自分たちだけが良い材料を労なく得ているのが、気まずくてしかたないようだ。
「と言っても、ここで精算された武具のほとんどは僕等が使うんだけれどね。それに組合には了解も得ている、君が気にする必要はないさ」
「そ、そうなんですか? なら在り難く使わせていただきます……」
「ああ、是非そうしてもらいたい。与えた物の分だけ期待もさせてもらうけれどね」
ただそこを気にされても、彼女の下へ良い素材を振り分けるのは揺るがない。
なので僕は全く問題はないとばかりに、軽く笑い飛ばすかのように断言した。
勿論そのような素材を与えるのだから、相応に責任と期待を負ってもらわねばならないといったニュアンスを口にする。
まだ若い娘に酷な内容かとも思うが、彼女もまた一端の職人であるためか、その言葉に背をピシリと伸ばし精悍な表情を浮かべていた。
「アルフレート様、そろそろ」
そこまで話したところで、静かに背後を歩いていた執事のルシオラが、コホンと咳払いをしつつ口を開く。
振り返ってみれば彼女は空を仰ぎ、徐々に真上に差し掛かりつつある陽を見て、時間の経過を気にしているようであった。
そういえばもう昼時近い、この後で別の相手と会う予定が詰まっているのだったか。
「わかった。悪いねハルミリア、次の用があるから僕はここで失礼するよ」
「は、はい! その、イリィにまた遊びに来るように……」
「伝えておく。たまには君の側から来てくれてもいいんだけれどね」
職人街の様子を見るのもキリが良い頃であるため、僕はハルミリアへと暇を告げる。
ただその前に、彼女は仲の良い友人であるイレーニスと長く会えていないようで、別れ際におずおずと言伝を頼んできた。
その言葉に頷き、彼女の側から尋ねても構わないと告げ、僕はルシオラを連れ旧市街の中心部へ向け歩を進める。
道中彼女は手元のメモへ視線を落としながら、淡々とこの後の予定を述べていく。
荷の輸送組合組合長との会食に、宝飾商たちが求めている会談に応じ、穀物商組合とも話をしなくてはならない。
聖堂国との取り引きが始まって以降、関連する多くの相手と会談会食をする機会は多い。
だがまず、この後直近でしなくてはならないのは……。
「次は聖堂国の使者か。向こうが屋敷に来るんだろう?」
「はい。明日早朝には発たれるそうなので、今日中がよろしいかと思い、予定を立てさせていただきました」
「構わないよ。……面倒だけれど、こればかりは避けられないか」
面倒さに脱力しながらルシオラへ問うと、彼女からは肯定する言葉が。
今からすぐ戻って会わなくてはならないのは、聖堂国から荷と共にやって来た使者。
こちらへと来て諸々の引き渡しを終え、都合がつく時に会わせて顔を出してくるのだ。
これといって特段の用がある訳でもないので、正直面倒臭いのは否定できない。
だがなにせ向こうは推定で数百万の国民を抱える大国であり、こちらはその僅か百分の一以下という小国。
来たのがただの使者であるとしても、流石に会わずに返すことはできなかった。
ルシオラもそこばかりは譲る気がないようで、小さくではあるが必ず会うよう僕へと念押しをする。
その言葉をゲンナリとしながら聞き、合間に追加で説明される今後の予定へ耳を傾けながら、時間に間に合うよう歩調を早め移動した。
暖かな日差しとルシオラの小言を受け歩く僕は、そうして都市中央の屋敷へと辿り着く。
一旦自室へと戻り、土埃と工房の煙に塗れた服を着替え応接間へ移動した時には、既に使者は待機していた。
部屋へ入るなり待たせたことを詫び、対面へと腰を降ろす。
「短い時間でしたが、丁重な扱いに感謝いたします」
「この都市を満喫されたようでなにより。もっとも、そちらに比べれば大した娯楽もないだろうけれど」
「いえいえ、決してそのようなことは。あちらでは貴重な湯殿、堪能させていただきました」
柔らかな笑顔で頭を下げるこの男は、一番最初に使いとして来た者とは異なる。
ここまでで何度か荷のやり取りを行っているのだが、長旅による疲労を考えてか、それともまったく別の理由か、同じ使者が来たことは一度としてなかった。
昨日の昼過ぎには一応の作業を終えた男は、その後この都市を観光して周っていたようだ。
南方の酷暑地帯である聖堂国では貴重な、水を惜しげもなく使った公共浴場を、いたく気に入っているようであった。
勿論陰では何か仕出かさないか、常に監視だけはつけているのだが。
「無事の帰国を願っている。海の上は危険も多い」
「陛下のご配慮に感謝いたします。ですがその前に……」
男がすぐにでもこの地を発つものであると思っていた僕は、早々に見送りをするべく切り出す。
しかし男は礼の言葉を述べるも、直後まだ話はあると、一つの書簡らしき紙を取り出した。
その動作に、僕は酷く嫌な感覚を覚える。
男の仕草や表情がどうこうというものではなく、突然に出てきたそれにたいする直感的なものだろうか。
男が取り出したそれを、ルシオラを介して受け取る。
そして僅かな緊張感を纏いながら開き目を通していくのだが、ある一点で視点が止まる。
「穀物の取引量を増やしたい……、と?」
「はい。教皇猊下はそう望んでおられます。良質な同盟領産の穀類を多く取り寄せ、国民の食をより豊かにしようというお心で」
「あまり詳しく知らないが、そちらも相応の量を生産しているのだろう? まさか不作となっているということは」
「いえ、そのようなことは。ですが貴国を始めとして多くの都市は、常に余剰食料を多く抱えていると聞き及んでおります。なのでそちらにとっても悪い話ではないかと」
そこへ記されていた内容を読み上げると、男は満面の笑みで揉み手せんばかりの勢いとなる。
確かに同盟領は近年豊作が続いており、都市内に存在する食料保管庫では、穀物の入った袋がうず高く積まれていた。
ラトリッジなどは既に満杯に近く、新たに新市街へ食料庫を建造している最中。
北方の小都市ミルンズを傘下に治めることとなった今では、あちらへ食料の輸送を行ってはいるが、それでも十分すぎる程に余っているというのが現状であった。
「確かに悪い話ではない。だが現在運用している船だけでは、到底ここへ記されている量を扱えはしないだろう?」
「その点はご安心くださいませ。我々もベルバークでの人脈を築きつつあります、新たに一艘か二艘、船を都合するのは可能です」
男が揚々と告げる言葉に、僕は密かに眉を顰めた。
差し出された書簡には、取引量を増やす穀類の代金として、こちらへ寄越す鉱石の量を増やすと記されている。
船の都合がつくという話からすれば、どうやら前々から考えていたことであるようだ。
男が言うように、確かにそこまで悪い話ではない。
こちらはより多くの鉱石が手に入り、対価となる穀物はいくらでも余っている。
その穀物とて倉庫に収めたとしても、当分は保管できてもいずれは食べられなくなってしまうし、倉庫で管理を行うのだってタダではないのだ。
なのでこちらにとって悪い話ではないどころか、メリットであるとしか思えない。
<どうしたのですか? 良い話であると思いますが>
『ああ、そうだな……。だがなんだろう、話が美味すぎる』
一見してこちらに大きなメリットがある話。それはエイダもまた同じ見解であったようで、口をつぐみジッと書簡へ視線を落とす僕へと、訝しげに声をかける。
エイダがそう言うのもわかる。一通り考えてはみても、この件でこれといってこちらにデメリットが見当たらない。
だがそれ故に、僕にはこれが疑わしいと思えてならなかった。
あまりにも美味すぎる話であるため、なにか裏があるのではないだろうか。見逃している大きな落とし穴があるのではないかと。
『本当にあの国で異常は起こっていないのか? 例えば都市の人口が急に減っているとか』
<前にも言いましたが、あちらの都市は厳しい気候のため、大半が地下に造成されています。流石に上からでは様子までは>
『そうだったな……。こっちでは窺い知れないか』
男は聖堂国の食料事情が悪化している訳ではないと言うが、実際にはどうであるのか定かでない。
聖堂国において大半の食料生産は地下で行われており、上手く陽光を取り入れて生産をしているのだが、エイダの繰る衛星ではそれを確認できないからだ。
なので本当は聖堂国の食料事情が切迫しており、この穀物との取り引きこそが本命である可能性は捨てきれない。
もし仮にそうだとして、最初から事情など話そうものならば、つけ入られると考えるのが普通だろう。
「如何でしょうか、陛下」
「そうだな、前向きに検討をさせてもらおう。色よい返事をしていたと、国へ報告を持ち帰っても構わない」
ただどちらにせよ、今ここで断ってしまうことなどできなかった。
直感的に嫌な感じがするから断ったなどと言っても、誰一人として後から報告して納得させるなど無理な話。
僕は極力不審さを顔には出さぬまま、使者の男へと受ける意志を示す。
だがこれが悪手となってしまうのではないか。笑顔となって帰る使者の背を見送りながら、そのような不安が圧し掛かろうとしていた。




