疑念 03
神殿の頂点たる一人の教皇を国主とし、その下に複数の司祭を従え各地の統治を行うシャノン聖堂国。
これまで他国との関わりの一切を断っていた彼の国が、どういう訳か交易の開始を求めて来てから、地球の暦換算で約半年。
長い準備期間を経て、都市王国ラトリッジはシャノン聖堂国との交易を開始するに至っていた。
交易を行うに当たって必要となるのは、まず第一に交易路の確保。
これは両国の間に険しい山脈が聳えており、そこを通るルートが地下の狭い廃坑道くらいという現状、海路に求める他なかった。
なので同盟最大の港である、港湾都市ベルバークを中継地とし、陸路と海路の二つで品を運ぶということになる。
ただその際、港を利用するためにそれなりの旨味として、多額の利用料を払う破目となってしまった。
「予定通りであれば、今日には船が着くころだ。荷が重いからな、こちらへ着くのはさらに三日は要するだろう」
「専任の護衛部隊は?」
「既にベルバークへ到着している。街中へ戦力を入れるのに、あちらの統治者は最初難色を示していたがな」
手元の書類へと視線を落とすヴィオレッタは、淡々と内容を上から順に確認していく。
その第一弾が港へと到着するであろうこの日、僕等は執務室で顔を合わせ、現在船の上へある荷に関する確認作業の真っ最中であった。
とはいえ今の時点では、この件でやることなどこれといってなく、ただここで待つばかりであるのだが。
一通りの内容を確認し終えると、そこから先は小休止とばかりに茶の時間とすることにした。
ルシオラの淹れてくれた茶を手に、温かさに一息つく。
ただそうしたところで、部屋の隅でのんびりと寛いでいたレオが、呟くように不安感を吐露する。
「しかし今更だが、本当に受けて良かったのか……?」
「そうだな。てっきり私もこればかりは、拒否するものであると考えていたのだが」
レオの口にした言葉に、ヴィオレッタもすぐさま同意する。
気持ちは分からなくはない、なにせ正体を隠していたとはいえ、一度は敵対し実際に刃を交えた相手。
都市で神殿が起こした騒動もあって、今のところ好印象を抱くような相手ではないのだから。
「本当なら僕も断りたかったよ。向こうの意図が見えないし、今後敵になる可能性は決して低くないだろうし」
「それでも拒絶する利よりも、受ける利の方が勝ったということか」
「……ここ中部地域一帯は鉱物資源に乏しい。如何ともし難いけれど、こればかりはどうにもならないからさ」
ヴィオレッタの発する言葉へ頷きながら、僕は嘆息混じりに致し方なしの判断であると告げた。
ラトリッジなどが在る同盟領の中部は、穏やかな気候と肥沃な土に恵まれてはいるものの、その反面鉱石類など地下資源に乏しいという側面がある。
南部ではそれなりに採取できるも、それとて他の都市と取り合いであり、安定して入手できるとは限らない。
北方の小部族連合の一部部族が、こちらとの取り引きを行ってはくれているが、これとて量を安定確保とは言えない状況。
なので傭兵稼業を柱とするこの国の経済にとって、武具を生産するための鉱物資源確保は死活問題であると言えた。
「最初は鉱石ではなく、完成品の武具を輸出したいという話であったか」
「一応向こうの品を見せてもらったけれど、なかなかの物だったよ。流石は金属加工に秀でた国なだけはある」
「だがそんな物を買ってしまえば、鍛冶組合の連中が黙ってはいないだろうな」
「彼らが商売あがったりになるのは、こっちとしても流石に避けたいからね。こればかりは流石に受け入れられない」
聖堂国が最初に寄越した目録の中には、あちらで生産した武具を直接売りたいという内容が含まれていた。
しかしそのような事を受け入れてしまえば、ラトリッジに居を構える多くの鍛冶師や冶金職人が仕事を失いかねない。
どこから聞きつけたのか、当然彼らは反発し、幾人かの職人たちが勢い余って押し掛けて来たりはした。
そのため幾度か聖堂国側と交渉を行い、完成品ではなく原材料となる鉱石を輸入するという形にもっていったのだ。
これならば鍛冶師だけでなく、冶金職人も文句は言うまい。
ただそうと決まった途端、今度は組合が一気に掌を返し、我先にと得た材料の確保に乗り出してきた。
なんとも現金なものだとは思うが、彼らとしてはより多くの材料が得られるのならば、そのようなもの忘れて動こうということなのだろう。
「正直胡散臭い感はあるけれど、渡りに船だったのは否定できない」
「武具がまったく足りてはいないからな……。国の正規軍となって以降、入隊希望を口にし集まる人間は増える一方だ」
「これが傭兵団の頃だったら、大半にお帰り願わないといけなかったよ。今でも全員をとはいかないけれど」
まだこのような取り引きを持ちかけて来た、聖堂国の本来の意図というのは計りかねている。
だが僕等は売ってくれるという金属を、にべもなく断れない理由があった。
なにせ都市王国ラトリッジの正規軍には、現在他都市からも多くの人間が志願し集まっている。
勿論実力その他の面もあり全員を受け入れることはできないが、それでも規模が拡大したことにより、圧倒的に武具が不足した状態。
ただこればかりは当人たちに、「自分で買え」とは言えようはずもなかった。
やり取りに一区切りついたところで、腰かけていたソファーから立ち上がり、すぐ横へ置かれていたカート上のポットから茶を注ぎ足す。
肌寒さを増しつつあるせいか、ポットの中身は多少の湯気こそ立つものの、随分と温度を下げている。
淹れ直してくると口にするルシオラを制し、そのままで中身へ口を付けていると、頭にはエイダからの報告が響いてくる。
<アル、聖堂国からの船が港へ接舷しました>
『ほぼほぼ予定通りに来てくれたか』
<これより荷下ろしを始めるようです。……今のところ、これといって異常は見当たりません>
『取り越し苦労だったかな? ともあれこれが第一便だ、初っ端からのトラブルは困る』
船が都市ベルバークへと到着したというエイダの報告を聞き、僕は密かに胸を撫で下ろす。
ここまでは別段問題もなく進んだが、聖堂国が良からぬ企てをしていないという確証は未だ得られていない。
商売相手であると油断して港へ横付けしたところで、突如として牙を剥くという危険もあったためだ。
ただどうやらそういったこともなく、エイダによれば港へ船を停泊させ、早々に荷を下ろし始めているようであった。
『だがまだ油断はできない。監視を継続してくれ』
<了解です。何か異常があれば知らせましょう>
聖堂国は海運があまり発達していないため、交易に利用する船はこちらが手配している。
都市ベルバークに拠点を置く海運商会の中でも、最も実績のあるところへ依頼したのだが、流石にそれへこちらの兵を乗せることもできはしない。
なので双方共に、輸送船には兵を同乗させぬよう取り決めたのだが、今のところはそれが守られているようだ。
だがそれでもまだこの先、何が起こるとも知れない。僕はエイダへ重点的な監視を続けるよう告げた。
僕が一人頭の中でエイダとのやり取りを行っていると、ヴィオレッタが飲んでいた茶のカップを静かに置く。
そこから立ち上がった彼女は、そろそろ行くかと自身の上着を羽織り、この件で方々へ話をしに行くと告げる。
「私は職人街の方へ行って来る。得た金属を職人同士で取り合わぬよう、釘を刺しておかねばならん」
「頼んだよ。……そうだ、一応組合の方へ一つ念押しをしておいてくれないか?」
「構わんが、何と伝えればいい」
「この取引がどれだけ続くかはわからない、あまり当てにし過ぎないようにってさ」
僕がそう言うと、ヴィオレッタは軽く頷いて執務室の扉を押し開けて出て行った。
聖堂国で採れる物は、同じ重さであっても同盟領で産出する物よりも、精製した際により多くの金属が得られる。
おまけに大量に採れるため、実際には同盟領内から仕入れるよりも、運送の費用を差し引いても割安ではあった。
しかしいくら高品質で低価格という好条件なれど、聖堂国に鉱石の供給を依存するのは危険。
武力が最大の産業となる国が、生命線の一つである武具の原材料を、内情すらわからぬ相手に任せるなど論外だ。
今後突然にこの交易関係が破綻し、鉱石が手に入らなくなってもおかしくはない。
「俺も訓練場へ戻る。こっちは今まで通りでいいか?」
「平常通りで構わないけれど、出来るだけ早く新兵に銃の使い方を覚えさせてくれ。ただしマーカスに確認をして、素性が問題ないと判断した人間だけね」
「了解だ」
レオもまた立ち上がると、自身の役割である兵たちの訓練を見るべく戻ろうとする。
その彼へ訓練を急いでもらうよう告げるのだが、かといって兵全員に銃の使い方を覚えさせる訳にはいかない。
中には善からぬ企みを持って入ってきた者も居るであろうし、そういた輩にあのような貴重品、預けることはできなかった。
過去に僕とレオはそれで痛い目を見ているため、どうしても厳格にならざるをえない一線だ。
レオとヴィオレッタの二人が、それぞれ自身の役割を果たしに出て行くと、執務室には僕と執事であるルシオラだけが残される。
そのルシオラは新しく一人前の温かい茶を淹れ直してくれ、差し出しながら静かに問う。
「あちらの方々が荷を運んでこられた際、歓迎の宴などは開かれますか?」
「やっぱり必要かな」
「それはもう。荷だけであれば不要でしょうが、初回ですので使者の方も同行されているはずです」
「……仕方ない。とりあえず準備だけは進めておいてくれ。各地区長と金属製品を扱う商会や商店主に招待状を。会場はいつもの場所で構わない」
ルシオラにしてみれば、こういった場を催すのもこちらの義務であると言いたいらしい。
確かに表だって不信感を露わとし、適当な扱いをする訳にもいかず、一応の歓迎を示しておくのが無難であるとは思う。
そのためルシオラへと、関わりがありそうな人間を招待するよう指示を出す。
会場となる場所は、いつものように傭兵団時代から使っている駄馬の安息小屋。そこで酒と料理を振る舞い、余興に歌を用意しておけばいいだろうか。
「承知いたしました。神殿の方はどうされますか?」
「一応は呼んでおこう。ちょっと嫌味ったらしい気もするけれど」
ただ彼女はもう一件、招待しておいてもおかしくはない相手を口にする。
聖堂国が神殿を国教として掲げている以上、そこを招待せぬわけにはいくまい。
ラトリッジに拠点を置く神殿は、以前の件でその人員の多くが拘束され、結果処刑や追放などの処罰を課されていた。
だが中にはこれといって破壊活動に参加せず、罪を逃れた者たちも存在し、そういった人間によって細々とではあるが神殿は運営されている。
当然都市住民たちからの視線は厳しく、常日頃から針のムシロであるとは聞くけれど。
僕はその神殿関係者も招待をするよう、ルシオラへ指示を出す。
彼女は了解を示すと手早くメモを取り、一礼して執務室を跡にしていった。
「さて、どうなることやら……」
<今のところは利益を享受してもいいのではないですか。今のところはですが>
「そうだな。でも引き際を誤ると、きっと痛い目を見る」
一人となり静かとなった執務室の中、エイダと言葉を交わしながら自身の椅子へと移動し腰かける。
目の前に置かれた机の引き出しから、数枚の紙を取り出し中へと目を通し、そいつを燭台に灯る灯りへかざして燃やす。
こいつは聖堂国との交渉に当たってやり取りを行うため、書簡を持ち両国を移動した数名の使者に関する報告書。
道中を密かに監視した結果が綴られた物であるのだが、記されていたのは別段おかしな行動はなかったという、酷く肩透かしを食らうものであった。
だが使者がおかしな行動を採っていないからといって、容易に向こうを信じれはしない。
僕は処分のため燃えていく紙をジッと凝視しながら、深く警戒感に拳を握りしめていた。