疑念 02
同盟の最南端に近い位置へ存在する、織物産業が盛んな都市マクニスラ。
そこは同盟中部のラトリッジから見れば、それなりの遠方に位置し、普通であれば片道に10日程度は要する遠方。
だが今回そこへ向かったレオは、それなりに急いで護送をしてくれたのだとは思う。
シャノン聖堂国の使者を自称する者を捕らえたとの一報から約16日、彼は件の人物を連れ、都市中央の邸宅へと戻って来ていた。
「どうぞお座りください。遠路はるばる、お疲れでしょう」
レオが数名の兵と共に護送してきた、聖堂国からの使者を名乗る男。
応接間へと招き入れた僕は、その彼へと座るよう促し極力笑顔となって相対していた。
使者であるという男は恭しく一礼すると、ゆっくりと広いソファーへ腰かけていく。
まだこいつが本当に、聖堂国が正式に送り込んだ人間であるとは限らないし、こちらと接触を計ろうとした点も含め、正直怪しいと思わなくはない。
だがいくら怪しいとはいえ、別段罪を犯してはおらず、護送の最中も抵抗する様子などは皆無。
そのためとっくに拘束は解いているのだが、一応男の背後ではレオが最低限の装備だけを持ち、万が一に備えて立っている。
もし男が牙を剥けば、即座に斬り捨てる手はずとなっているためだ。
「都市王国ラトリッジを支配される、アルフレート陛下においてはご機嫌麗しゅう――」
「そのような口上は結構。あまり暇でもない、早速用件だけ聴こう」
自身をシャノン聖堂国の役人であると自己紹介した男。僕はその彼が発する形式的な挨拶を遮り、即座に本題へ移るよう告げる。
本来ならば失礼に当たるかもしれないが、なにせ目的がまだ定かでない相手だ。
こちらが会話の主導権を握り、少しでも優位に立ちたいというのが本音であった。
「これは失礼を。……では、単刀直入に」
浅黒く焼けた顔をした使者であるという男は、僕の言葉に応じすぐさま話を切り出す。
一瞬だけ緊張感が背に奔るも、男の向けるその表情は、宣戦布告をしに来たようには到底見えない。
むしろどこか友好的であり、僕は表に出さぬまでも困惑するばかり。
そして男が発した本題によって、その困惑は更に深まることとなる。
「今回参った要件を申し上げれば、我が国と貴国の交易に関する提案です」
「交易……?」
「はい。ご存じとは思いますが我々シャノン聖堂国は、現状一切他国との接触がございません。ですが我らが主君、ハウロネア教皇猊下は貴国を交易の相手として選定なさいました」
役人であるという使者の男が告げていく言葉に、僕はつい眉を顰める。
南方の大国、シャノン聖堂国が他国との国交の一切を遮断しているのは、この男の言う通り。
その目的がどこへあるのかは以前より定かでないが、この鎖国状態は数十年どころではない年月に及んでおり、今更どうして急にという思考が真っ先に浮かぶ。
それに都市王国ラトリッジは、まだ生まれて間もない新興の国だ。
戦力という意味では同盟随一、というよりほぼ唯一戦いに適応できる国ではある。
しかし逆に言えばただそれだけの、傭兵稼業以外には他者へ誇れるような、基幹産業を持たぬ国でしかなかった。
「どうしてこの国を? 自身の口から言うのもなんだが、我が国はこれといって他者に誇る品を持たない」
「教皇猊下がこちらをお選びになった理由までは。あくまでも私は、教皇猊下のお心を伝えるべく足を運んだのみですので」
使者の男は、そう言うと聖堂国の国教である神殿式の祈りを簡素に行う。
宗教国家の役人であるというのもあろうが、彼自身も相当に熱心な信者であるようで、交易の交渉を指示したであろう教皇とやらに、随分と心酔しているようであった。
もっとも詳しい部分までは知らされていないようで、彼自身はこれといって重要な役回りというわけでもなく、ただのメッセンジャーとしての役割であると告げる。
「ともあれこれは大変な栄誉。我等が信仰を受け入れぬ下賤な者たちに対し、教皇猊下恩自らこのような提案をなさるなど前代未聞。子細はこちらに記してあります」
男はそう言って懐から、薄い布に包まれた書簡らしき物を取り出す。
居丈高というか、自分たちの教義を信じる者以外を見下す傾向は、以前に処罰した神殿の人間と同じであるようだ。
聖堂国の人間はこんな思考の輩ばかりなのだろうかと、ウンザリしながら間に置かれた卓に乗せられたそいつを受け取った。
ただよくよく見れば、そいつが随分と手のかかった代物であることがわかる。
絹を思わせる艶やかな布に包まれていたのは、真っ白できめ細かな紙。
植物の多く採れぬ聖堂国に在っては、こちら以上に紙という物は貴重であろうに。
「……拝見しよう」
丁寧に書簡を開き、一言告げて中へと目を通していく。
ただ書かれていたのは、男が告げた内容とそう変わるものではない。
通り一遍の挨拶に始まり、あとはこちらとの交易を望んでいるという内容と、大まかに交易を希望する商品などが記されている。
あちらが売りたいのは、主に金属の加工製品。金属精錬の技術に優れた国であるため、それを種に商売をしたいということだろうか。
そして一応向こうが求める品も列記されてはいるが、ただそのどれもが他の都市でも十分手に入れられる品ばかり。
あえてラトリッジを相手とする必要性がない物ばかりで、僕はいっそう相手の意図を読みかねていた。
「あなたは確か、申し出の詳しい部分を知らないと言っていたが」
「ええ、私は一切。すべては教皇猊下のお心のまま、その便りを持参しただけです」
ニコニコと笑顔を浮かべ、自分には特段の役割がないことを告げる男。
この男が知っているのは、これが教皇の意向であることくらい。もしそれが本当ならば、聖堂国側の意図を聞き出すのは難しいだろう。
案外そういった目的のために、信仰心が突き抜けただの使い走りを喜んでやる人間を寄越したのかもしれないが。
僕は他国に対する書簡にしては、随分と簡潔な一枚だけの紙へと視線を落とし思案する。
傭兵団時代に一度、任務のために彼の国へ潜入したくらいで、あまり詳しく聖堂国の内情を知る訳ではない。
知っていることといえば、多くの都市が地下に築かれていることであったり、兵たちがミラー博士によってもたらされた銃を携行していること。
そして教皇と呼ばれる、絶対的な権力者によって統治されているということくらいか。
とはいえその教皇の意向によって、交易を申し出てきたというのは気にかかるところだ。
ラトリッジに何らかの利用価値を見出したか、あるいはこちらを陥れようとしているのかは定かでない。
ただの一役人であるというこの男からは、あまり碌な情報は得られそうもないが、僅かな取っ掛かりでも得たい。なので色々と探りを入れてみることにする。
「では別のことを尋ねてもいいかな?」
「それは勿論。私めがお答えできるものであれば、なんなりと」
「既に承知していると思うが、この都市にも小規模ながら神殿が存在する」
「……はい。崇高なる教義を広めようという臣民たちが、遠い異国の地でも励んでいる結果です」
「ならばしばらく前、その神殿が都市の破壊活動を行った件は?」
僕はこれがある種の地雷となる質問と理解しながらも、あえて男へと問うてみる。
こいつがどれだけの事を知ってここへ来ているかは不明だが、それを知っているのであれば、多少なりと切り崩す一旦となるやもしれない。
グッと緊張感を内に隠しながら言葉を発すると、男はようやく固定された笑顔を崩し、まさかと言わんばかりに顔を顰める。
「それは……、存じ上げませんでした。俄には信じられませんが」
「事実だ。そいつらは君たちの信仰を国教とするよう要請してきたのだが、断ったのを根に持ちそのような行動に」
「なんと愚かな……。いかな教義のためとはいえ、無垢な者たちへ危害を加えようなどと」
頭を抱え俯き、とんでもないことだと言い放つ使者の男。
一応口では初めて知ったと言うが、実際にはどうであるやら。
もっとこういった場数を積んだ人間であれば、案外これが本心かどうかを看破してしまうのかもしれない。
だが僕は戦場暮らしばかりが長い戦争屋。そういったことに自信のある方ではなく、当然然るべき相手に判断を仰ぐことにした。
<心拍数の上昇と発汗を確認しました、それも質問の内容が神殿に関するものであると告げた時点でです。となれば十中八九嘘をついていますね、なかなかの名演技だとは思いますが>
『助かるよ。ただそうなると、普通の役人であるかは疑わしいな』
エイダの告げた報告に、僕は内心でニヤリとほくそ笑む。
自身をただの何も知らぬ役人であると言ってはいたが、本当にそうであるならこのような話を知っていようはずがなかった。
なにせ同盟と聖堂国の間には国交がなく、一般の人間にこちらの話が伝わる事はまずありえない。
となればそれなりに情報へと触れる機会のある者。うちで言えばマーカスのような、諜報活動を担う立場であるのだろう。
勿論この話が役人たちの間で周知の事実という可能性もあるし、別の理由で動揺した可能性は残る。
しかし男の隠し通そうとした動揺は、疑い警戒をしておく必要性を、鋭く突き付けるものであった。
「いいだろう。とりあえずは検討をさせてもらうとする」
「ありがとうございます。教皇猊下のお心を理解いただけるよう祈っております」
「……今晩の宿は、こちらで用意させてもらう。ルシオラ」
苦悩するふりをする男を前に、僕はしばし考え込むふりをした後で、検討をすると告げ話を打ち切った。
部屋の外へ待機している執事のルシオラを呼び、入ってきた彼女へと一軒の宿に部屋を取るよう指示する。
都市の大通りに面したその宿は、平均よりも少し上といった水準の場所。
これが提案に乗り気であるというのであれば、最も上等な宿を用意したり、場合によってはこの屋敷に泊めるという手もあるのだろう。
とはいえ疑った上にどうするかも決めていない状況で、そのような勘違いさせる応対をする訳にもいくまい。
ただ名目上は他国からの使いである以上、下手な扱いをするというのも憚られるため、その妥協案としての選択であった。
ルシオラに連れられ、応接間の外へ出て行く使いの男。
そいつが鳴らす足音が消えていき、屋敷を去っていく後ろ姿が窓から見えたところで、ようやく緊張感を開放する。
「どうする気だ?」
「正直、受ける理由がない。断りたいってのが本音だ」
「ならどうしてすぐ断らなかった?」
ソファーへ身体を預け脱力する僕へ、ずっと黙したままであったレオは疑問を投げかける。
僕よりも遥かにこういった交渉事を不得手とする彼は、自身が参加することで余計に混乱させるのを避けたかったのだろう。
だが一応全ての話は聞いていたようで、即座に拒絶をしなかった理由を怪訝そうに尋ねていた。
「向こうの真意がわからないからさ。単純に交易をしようとしている訳はない、なにせ他国との取引なんて意にも介してなかった国だからね。これまで一切他国との接触がなかったあの国が、どうして急にこんな新興国を相手に指名したのか」
「俺たちが潜入した時のことが関係あるだろうか」
「そこはまだなんとも。ただどうも怪しい臭いがする、目を光らしておかないと」
グッと伸びをして身体を起こした僕は、宿へと向かった使者の男へと、見張りを付ける必要性を口にする。
あの宿を選んだのは、過度な期待を抱かせぬためというのもあるが、単純に監視がし易いという理由もあった。
大きな通りに面し、裏口も比較的広い路地に一つだけと、密かに出入りするのが難しいためだ。
ただ上からの監視はエイダに任せればいいが、それとは別にもう一人、近くで目を光らせてくれる人間が欲しいところ。
「マーカスは……、確か西方に行っているんだったか」
「今はシャリアが残っているはずだ。昨夜ヴィオレッタと呑んでいるのを見たぞ」
「なら彼女に任せよう。変装もお手のモノだろうし」
やはりこういった事は、マーカスに任せるのが適任かと考えはするも、彼は現在別の任務で遠方に居るのを思い出す。
だがすぐさまレオは、代わりとなるに十分な能力を持つであろう、一人の人物の名を挙げた。
いつぞやは敵側に立ち随分と翻弄してくれた相手だが、それ故に彼女ならば十分こなしてくれるはず。
すぐさま立ち上がると、当面は監視のみで静観するとレオへ告げる。
どちらにせよ、すぐさま答えを返せるような内容ではない。
いったんあの使いの男には国へ帰ってもらい、次に来た人間に返答をすることになる。
だが今の内に相談だけはしておくべきだろうと、僕は足早に応接間を出ると、主だった人間を集めるべく屋敷の使用人を使いとして送り出した。




