妄執の水辺 10
「それじゃ、後の片づけは頼んだ。僕は陣へ戻って、住民たちと話をしてくる」
「お任せください」
次第に空も白み始めた頃、ミルンズを襲った災禍はようやく完全に収まった。
敵の大部分を討ち、僅かに残る負傷した敵の戦士たちは敗走している。
ただその多くは重傷を負っており、山々を越えて集落へと戻るのは、相当に厳しいと思わせた。
とはいえこちらにはそのような事はどうでもよく、僕等はただ全滅することなくこの小都市を護れたことを安堵するばかり。
もっともこちらの被害も皆無とは言えず、多くが負傷し数人命を落とす破目となってしまったのだが……。
僕は地面へと大量に転がる敵の死体を指さしながら兵へ指示を出すと、この場を彼らに任せ陣へ戻ることにした。
疲労感から脱力する肩を回しつつ歩き、湖の方向へと視線を向ける。
見ればそこでは幾人もの兵たちが下半身を水へ着けながら、湖面へ浮いた敵の亡骸を引っ張り、陸地へと上げようと奮闘していた。
死体の周りは薄赤い色が滲み、それは次第と湖の中へ溶け込んでいく。
「当分、漁は出来そうもないな……」
<見たところ、湖へ沈んだ死骸は無さそうですが。とはいえそういった問題ではなさそうですね>
「これまで戦場とは無縁の土地だからな、こういった事に耐性がない。それに血が溶け込んだ湖で、素直に漁が出来るかは」
ここミルンズは他に目ぼしい産業がないため、生きるためには漁を続けるしかない。
とはいえ漁師たちにとって、ここミルンズの巨大湖は神聖なモノであり、半ば土着の信仰にも近い対象であると聞く。
彼らはきっと、大量に流された血による穢れを嫌うだろう。
表向きは我慢して漁を続け、そこで得られた魚を口にはするとは思う。しかしとてもではないが、これまで通りとはいくまい。
敵の死骸も多くここの地面へ無造作に埋める破目となることだし、嫌な噂の一つや二つ立つのは避けられないはず。
やはりラトリッジからそれなりの援助を行い、長い秋と冬を越えてもらう他ないようだ。
僕はそれらから目を背け、足早に広場へ置かれた陣へ歩く。
見れば市街では人々が徐々に家々から出始め、恐る恐るながら住民同士の無事を喜び合っているようであった。
ただこれは当然かもしれないが、湖の方へ様子を見に行こうとする人は居ない。
流石にいくら気になるとはいえ、死体が山積みとなっているのが明らかな場所へ、易々と近づくのは僕等のような人間くらいのものか。
「邪魔するよ」
「アルフレート様、ご無事でしたか」
「それは勿論。シェリスティアさんの様子は?」
広場に置かれた幾つもの天幕。その中央に位置する最も大きなそれをくぐり、中で待っているルシオラへと声をかける。
彼女はまったく心配などしていた素振りなく、言葉の上でだけ安否を確認してきた。
僕がそのルシオラへと、保護してくれているシェリスティアの様子を尋ねると、彼女は奥へ入るよう促す。
「シェリスティアさん。もう大丈夫、終わったようですよ」
ルシオラが天幕の奥へ進みそう告げると、隅にあった影はスッと顔を上げる。
だが膝を抱え座っていたシェリスティアは、その言葉に安堵することもなく、僕らの顔と天幕の中を不安気にキョロキョロと見渡していた。
僕はルシオラへ向き、どうしたのかを問う。
すると彼女は小さく耳打ちし、少し時間を置いたが故に、今頃になって恐怖がぶり返してきたようだと口にした。
ただ考えてもみれば、それも当然だ。
屈強な部族の戦士が武器を持って迫ったかと思えば、今度は幼馴染であるマーカスがそれを屠り、鮮血を撒いていたのだから。
普通であれば失神していてもおかしくない光景。あの時はただ混乱していたため、気を失わずに済んでいたに過ぎなかったのだ。
「シェイラ!」
膝を抱えたままで怯える彼女をどうしたものか、僕とルシオラは悩み声をかけるのすら躊躇う。
そんな状況で少しばかりの時間が経過した頃、天幕の入り口を勢いよく開けたマーカスが、息せき切って飛び込んできた。
彼は僕等の存在を余所にシェリスティアに近寄ると、そのまま勢い余るかのように抱きしめる。
だがその直後にマーカスは身を離すなり、シェリスティアの頬を平手で打った。
「……マーカス?」
「なんて馬鹿な真似をしたんだ!」
マーカスを真正面に見据えながら、いったいどうなったのかと混乱するシェリスティア。
そんな彼女を怒鳴りつけたマーカスは、再び抱きしめ小さく「無事でよかった」と呟いた。
僕とルシオラはそんな二人を見るなり、互いに顔を見合わせる。
そして軽く頷き合うと、無言のまま二人を置いて天幕を後にするべく、垂れ下がった布を持ち上げた。
背後からはマーカスのものと思われる、聞き取れぬ小さな呟きが漏れ聞こえ、それに対して嗚咽を交えて謝るシェリスティアの声が響く。
二人を置いて天幕から出ると、僕は夜が明けたばかりの澄んだ空気を吸い込む。
グッと身体を伸ばし、涼しいそよ風へと疲労感纏う身体を晒していると、伴って出てきたルシオラは表情を変えず小首をかしげていた。
「さて、困りました。アルフレート様がお休みになる場がありません」
「休む前に、もう一働きしろってことだろうな。僕は湖の方へ戻っているよ、二人だけにしておいてやりたいし」
「非常に良い気遣いであると思います。ではわたしは、朝食の準備でも手伝ってまいりましょう」
あの二人をそっとしておいてやりたいという考えには同意してくれたようで、ルシオラは薄く笑んで了解を示すなり、そそくさと宿が在る方へ歩いて行ってしまう。
僕はそんなルシオラを苦笑交じりに見送ると、眠気のせいでいい加減霞み始めた目を擦り、再度湖へ向け歩いた。
ただ湖の辺りへと戻った頃には、片付けのほとんどは終わってしまっていたようだ。
敵の死骸はほとんどが回収し埋められ、今は兵たちが盛っていた土を被せている最中。
後日金属商に売るために、戦闘で消耗した武器の剣先や鏃なども拾い集めるくらいしか、やることが残ってはいない。
とはいえそれとて手伝おうとするも、立場的に僕にはやらせられないと考えたか、兵たちの多くは断固として手伝わせてはくれない。
半ば仲間内から厄介払いをされたも同然であり、僕は密かに凹んでしまう。
傭兵団の団長であった頃は、もっと気軽に接してくれていたと思うのだが、正規軍化して以降は彼らも随分と杓子定規になったものだ。
立場的にはこれで正解なのだろうけれど、どこか寂しさを感じてしまった僕は、片づけを続ける兵たちを眺めながら、湖の側に立つ小屋の横で腰かけた。
そういえばさっきは、ここにシェリスティアが居たのだったか。
間一髪のところでマーカスによって助けられたが、家に帰っていたはずの彼女は、いったいどうしてここへ来ていたのか。
結局天幕で顔を合わせた時には、マーカスがすぐ現れたため理由を聞けず仕舞いであった。……もっとも。理由にある程度予想はつくのだが。
「サボリですか?」
「違うよ。手伝おうとしたんだけれど、金属の破片を拾って怪我でもされたら困ると言われてしまった。子供みたいにね」
そんな小屋の側で湖を眺めていると、ふと背後からのんびりとした声がかかる。
僕はその声へと振り返らずに、肩を竦めながら先ほど受けた兵たちからの仕打ちを口にすると、背後へ断つ人物は小さく含み笑いをするのが聞こえてきた。
「……シェリスティアさんはもう落ち着いたのかい」
「ええ、ようやく。ひとしきり泣いて、それから眠ってしまいました。悪いとは思いましたが、あのままベッドをお借りしましたよ」
背後で口を開く人物、マーカスはそう言うなり、僕が腰かける丸太へと座る。
そのマーカスはあの後、ひとしきりシェリスティアへ窘める言葉を発した後、精神的な疲労からか眠ってしまった彼女を置いてこちらに来たようだ。
そのまま側に居てやればいいのにとは思うも、あえてそうしたからには、こちらに話したい事があるからに他ならない。
「シェイラは、ボクを心配してここへ来たそうです」
「……そんなところだろうね。戦う術を持たない彼女がここへ来るなんて、マーカス以外に理由はないだろうし」
「説明もなく延々と放っておいて、その上別れ話までしたというのに。彼女は昔からああでしたが」
マーカスは独白するように小さな声で告げながら、懐かし気に目元を緩めた。
彼にとっては、傭兵となるためにこの地を離れる前。まだ自身が少年であった頃を思い出しているのかもしれない。
そこからしばし沈黙が流れ、僕等は並んで座り湖を眺め続ける。
兵たちがする作業は徐々に終わり、湖へと浮かぶ死骸から漏れた血もとっくに掻き消えている。
水辺の冷たい空気に身体は冷やされていき、いい加減戻ろうかと足に力を入れかけたところで、マーカスは自身の意志を口にした。
「アル、もう一度考えてみたのですが」
「気が変わったかい? 僕個人としては、あれだけ想ってくれている相手、手放すには惜しいんじゃないかと思うよ。ちょっと無鉄砲な人ではあるけれど」
「はい。ボクの担う役割を考えれば、きっと彼女は重石となってしまいます。ですがそれでも放ってはおけない」
「そうまでハッキリ断言するなら、こっちとしては反対する言葉を持たないかな。なに、全員で君たちを支えていけばどうにかなるさ」
「……すみません」
一度は別離を告げるも、マーカスはここに至ってその決意を翻す。
ただあの時、戦闘の行われている区域へシェリスティアが現れたと知ったマーカスは、普段の穏やかで冷静な様子が一変、味方すら圧しかねない殺意を発し矢を放っていた。
彼が如何ほどにシェリスティアを大事にしているか、言わずとも察するに余りある。
ならば僕は傭兵となって以来の仲間であり、傭兵団の団長から王となるに至るまで、部下として支えてくれたマーカスに報いてやりたい。
マーカスが理由でシェリスティアが狙われるような事があるなら、当然のように護ってやればいいのだ、なにせ彼女もまた、これからは都市王国ラトリッジの国民となるのだから。
小さく謝罪をするマーカス。
だが僕はその言葉を無用とばかりに、軽く笑んで彼を揶揄する。
「となると彼女はラトリッジへ連れて行くんだろう? 説得が大変だな、両親に対しての」
「まったくです。流石にボクはこの地へ留まれませんからね……」
マーカスが彼女を受け入れるというのは、必然的にここから連れて行くことになる。
なにせマーカスは基本的に各地を飛び回っており、定期的に会うのにここミルンズでは不可能であるために。
シェリスティアは一人娘ではないようだが、貴重な漁の担い手。
いくら幼馴染で婚約者であるとはいえ、それはここで暮らすという前提に基づいたモノ。きっと彼はこれから、頭を下げて彼女の両親を説得しなければならないのだろう。
「どうしてもダメそうな時は、アルが口添えをしてくれたりはしますか?」
「お断りだ。そのくらいの障害、自分の力だけで越えて貰うよ」
本気か冗談か、もしもの時には助力を願うマーカス。
だが僕はこれが彼なりの、場を和ますための冗談であると勝手に断定し、その言葉を払いのける。
すると彼はすぐさまカラカラと笑い、観念したように立ち上がった。
マーカスは立ち上がり、口元を緩めながらもジッと湖を眺める。
それは再び離れる故郷への名残を惜しむようであり、これからは自身が護っていくという決意にも見える。
二人の前途は多難であるかもしれない。しかし案外どうにかなってしまうのではないかと、僕は都市一つの王となって以降、最も楽観的な心情となっていた。




