妄執の水辺 07
小都市ミルンズへと到着した僕等は、急ぎ戦闘の準備へと取り掛かっていく。
着いて早々、休む間もなくそのような行動を採っているのは、これからこの地が戦場になると予想されるためだ。
ミルンズへの移動中に拘束した、小部族連合に属する一部族の戦士たち。
最初こそ口を開こうとしなかった連中だが、マーカスに任せ尋問を行った結果、あまり悠長にしてはいられない事態であると判明した。
「動ける人間は全員町の北側へ行き、塹壕に利用する穴を掘ってください。あと漁師の皆さんには、船を全て町の側に移動させてもらいたい。敵に使われる可能性があるので」
ミルンズの中心部へ在る小さな広場、そこへと集まった大勢の住民たち。
僕は老若男女の人々を前に、大雑把にではあるがこれから採る行動を指示していく。
拘束し口を割らせた連中が漏らしたのは、これからミルンズへ幾つかの部族が迫り、都市を占拠しようと画策しているという内容であった。
これまで連中が見向きもしなかった土地ではあるが、僕等がここを引き受けるという話が伝わった結果、そこに何か特別な価値が生じていると考えたようだ。
いったいどれほどの理屈なのだろうと思いはするが、長年連中と対峙し撃退し続けたイェルド傭兵団が前身なだけに、それが逆に連中にとっては行動の根拠となっているらしい。
「夜間は常に明りを絶やさぬよう、交代でかがり火を見て下さい」
「ですが夏の間にそんな大量に使っちゃ、冬を越す分が……」
「申し訳ないですが、湖の両脇に在る林を伐採しそれを使ってください。どちらにせよ、視界を確保しなくてはならないので」
出した指示に対し、これは北国であるが故の切実な問題であるためか、一人の住民が挙手し難色を示す。
気持ちとしてはわかるのだが、今はそれを言っている場合ではない。
今はまだ衛星から確認はできないが、得た内容から推測するに、来るのは早くて六日ほど後。
ミルンズへ連れてきた兵は三十に満たぬ数でしかない。それらだけで準備を進めるには圧倒的に手が足りないため、町の人たちにも手伝ってもらう必要があった。
加えてこれによって当面漁に出られなくなるため、この都市は非常に大きな被害を被るだろう。
なにせ主だった産業が、夏場に湖で獲れる魚くらいしかないため、この時期に動けなければ糧を得る術そのものがなくなってしまう。
なので手痛い出費だとは思うが、秋と冬を越すだけの物資の全てを、こちらが手配する必要はありそうだ。
必要となる食料や燃料の保証を口にすると、住民たちは出した指示の通りに動き始める。
納得してはいないだろうが、彼らも町を攻め落とされるよりは、ずっとマシであると考えたようだ。
木を切り倒すための斧や、土を掘り起こすための道具を手にした住人たちが向かおうとする最中、一人の兵が近づいてくる。
彼は一瞬だけ僕等の使っていた荷車へ視線をやると、僅かに困った表情で目下の問題を口にした。
「当面の食料はどういたしましょう。この都市に備蓄された分だけでは、かなり心許ないもので」
「ここの備蓄分に手を付けるのも気が引けるな……。エイブラートに人を向かわせてくれ、当座で必要分だけ融通してもらおう。難しいようなら、もう少し南の都市から買い付ける」
「ではエイブラートで待機している兵も連れてきますか?」
「いや、向こうは向こうで睨みを利かせるだけの人員を残したい。……今ここに来ている数だけで対処する」
小部族の戦士から尋問し聞き出した内容から察するに、敵の数は少なくとも百数十に迫る。
ここへ連れてきている兵だけでは、正直戦力があまりにも心許ない。
だがエイブラートにも兵を残しておく必要はあるし、ラトリッジにまで報告を出していては、ここへ増援が到着するまでに全てが終わっている。
「住民たちを避難させ、一時撤退するというのは……」
「そうもいかないよ。もしここの防衛を諦めてしまえば、次に取り返すのはいつになるかわかったものじゃない」
実際には小部族連合の連中が想像するような、特別の資源的価値がここにあるわけではない。
近隣へと通じるであろう、ワディンガム共和国から掘り進められているトンネルが開通するのも、早くて十数年先であり急ぐほどのものではなかった。
なので困難な防衛をしようとせず、逃げ出せば話は簡単。
かといってミルンズの住民たちに、この地を捨てて移り住めなどと言えやしない。
老人たちなどは特にだが、それくらいならいっそここで死ぬと言いだしかねなかった。おそらく老人たちに限った話ではないだろうが。
僕は指示を出した兵士が、食料の調達をするため走るのを確認すると、歩を湖の方へ向ける。
巨大な湖は都市の北側に位置し、まず敵が攻めてくるのはこちら側から。
このために船を用意するとも思えず、かといってこんな北方では夏とは言え泳ぐのは困難。ならば湖畔に沿って進んで来るはず。
僕はその際の防備を細かく指示するため、既に作業が始まっていると思われる場所へ移動をした。
地面を掘り塹壕とする人たちや、林の木々を伐採する人たちへ指示をして周る。
次いで湖に浮かべていた小舟を回収し、引き上げている一団の場所へ行くと、そこには男たちに混ざり、船に繋いだロープを握るシェリスティアの姿があった。
「シェリスティアさんも、こういった作業をなさるんですね」
ひとしきり船を上げ終え、額の汗を拭う彼女へ声をかける。
立ったまま膝に手をつくシェリスティアは、こちらへ振り向くなりキョトンとした表情を浮かべ、直後苦笑交じりとなった。
「この町では誰もが、なにかしら漁に関わりますので」
「言われてみればそうですね。失言だったようです」
このような過酷な地では基本、男も女もなく誰もが漁に出て、網を引くのが普通であるらしい。
町の女性たちは多くが市街で作業に当たっていたため、てっきりシェリスティアもそうであると思い込んでいた。
彼女へとそのことを謝罪すると、すぐさま目元を緩め気にしていないと返してくれる。
ただ直後どこか不安そうな面持ちとなり、北へ顔を向けて問う。
「攻めてくる小部族の戦士というのは、そんなに強い相手なのですか? ミルンズは貧しい都市ですので、今まではそういった脅威とは無縁だったもので」
「連合内にも複数の部族があるので一概には言えませんが、中には相当の手練れ揃いな連中も」
「そうですか……。では厳しい戦いになるのですね」
作業が一通り終わったことで、小休止として置かれた材木に腰かけるシェリスティア。
彼女はジッと北を眺めながらも、長年貧しくも穏やかであったこの小さな都市が、戦火に焼かれてしまう光景を見ているようであった。
数的に不利となるであろうことは、住民たちの多くがそれとなく空気から察している。なので不安に思うのも当然か。
「極稀に化け物みたいな輩が居るのは否定できません。ですが個々では装備も含め、こちらが上回っていますよ」
肌寒さからか、それとも不安からか。自身の腕を抱くシェリスティアへと、僕は安心させるべく楽観的な言葉を発した。
とはいえまだどんな相手かもよくわからぬのに加え、自分で言ったように時折連中の中へ極端に戦闘能力が高い者が居たりする。
まだ傭兵としての技量も未熟な頃、対峙した敵の中に規格外な輩が一人混ざっており、随分と苦労したのを覚えている。
もっともあの部族は、傭兵団との一戦を経て大きく戦力を弱体化させ、そのまま他所の部族に吸収されたと聞くが。
「そう不安にならずとも、貴方たちを護ってくれる人間はちゃんと居ますよ。……だろう、マーカス」
それでもやはり不安を払拭することは出来ないらしい。
なので僕は彼女にとって決め手となるであろう、いつの間にかこちらを陰で覗いていた人間の名を呼んだ。
名を口にするなり、身体を震わせ立ち上がるシェリスティア。
彼女が向いた視線の先、大量に小舟が上げられた陰からは、僅かに躊躇しながらもマーカスが姿を現した。
「約束と違いますよ。これでも声をかける機会を見計らっていたんですが」
「そうは言うけれど、出てくる気配がサッパリなかったからね。悪いとは思ったけど、こっちから呼ばせてもらったよ」
渋々姿を現したマーカスは、不満そうにしながら嘆息する。
しかしどうにも僕が去った後でも、ああやって物陰からシェリスティアを見守るばかりで、自ら出てくるようには思えなかったのだ。
そんな彼の姿を見たシェリスティアは、唖然とし立ちつくす。
僕はどこか気まずそうにするマーカスへと近寄り、彼の肩へ軽く触れ、今の内に話をしておくよう告げてその場を立ち去る事にした。
少しばかり移動してから、様子が気になり一度だけ振り返る。
ただ二人はまだ言葉を交わす様子が見えず、沈黙したまま距離を置き向かい合っているだけ。
やれやれと思いはするが、何年にも渡って待ち続けたシェリスティアと、案じるが故に待たせていたマーカスでは、どう言葉を交わしたものかわからないのだろう。
<二人きりにしてあげるなんて、随分と気を利かせたもので。キューピッド役が板につくとは思ってもみませんでした>
「まさか。実際にはむしろ、引き裂こうとしている側だよ」
押し黙る二人を遠目に眺める僕へ、エイダはからかい混じりに、仲人と化しつつあるのではと告げる。
とはいえ現実としては別離を告げる為の機会であり、エイダの言うところのキューピッド役とは程遠い。
気が乗らないのは確かではあるが、ああまでマーカスが決意を固めているのであれば、彼の意向を汲んでやらねばなるまい。
彼の立場を考えれば、距離を置くというのは無難な選択だ。
<まあそれはそれとして。小部族連合の様子なのですが>
「なにか動きがあったか?」
<二か所の集落で、ほぼ同時に戦力が集結しつつあります。おそらく連中にしては珍しく、共闘を行うつもりなのでしょう>
今したのは軽い挨拶であったようで、からかう言葉を早々に納めたエイダは、ミルンズへの侵攻が始まる予兆を口にした。
近いうちに始まるとは思っていたが、思っていたよりもずっと早い。
となればやはり、遠方から増援を呼び寄せるだけの時間はありそうもなかった。
今までほとんどなかった、複数部族による同時の攻撃となれば、余計に戦況は厳しさを増すだろう。
僕は市街へ向け歩く歩を止め、再度マーカスらへ振り返る。
そこには先ほど同様、小さくなった二人の姿が見えるが、ようやく言葉を交わし始めた様子が見て取れた。
やはり無理にでも顔を合わさせて正解だったようだ。もう少しすれば、ここは言葉すら交わすのが厳しい戦場へ変わるのだから。




