妄執の水辺 06
都市エイブラートを尋ねてきたシェリスティアの要請を受け、僕等は連れてきた約半数を伴って移動を開始した。
同行する彼女と共に翌朝早々移動を開始した一団は、ミルンズまであと少しという場所に差し掛かる。
そこで小休止として昼食を摂っていたのだが、近付く人間の影を確認し警戒の体勢を取るも、それはヴィオレッタが近々来ると言っていたマーカスであった。
「久しぶり。元気にしていたかい?」
「おかげ様で。ただなかなか増員が果たせていないせいで、忙しさから少し痩せてしまいましたよ」
夏の盛りも近い時期ではあるが、北方ということもあってかこの辺りはそれなりに涼しい。
そのせいもあってか、彼は目深に薄手の外套を被るという出で立ちだ。
他の兵たちが全員軽装であるのを考えれば、逆に目立つというのは否めないけれど、身内にもあまり顔を晒したくはない立場を考えれば仕方がない。
すぐさまこちらへと近寄り、久方ぶりの言葉を交わす僕とマーカス。
彼はこちらの問いに対し、少々皮肉めいた言葉ながらも軽い調子で返してくる。
「そいつは悪かった。でも君たちの役割に適性がある人間が、そう易々と見つからなくてさ」
「勿論承知しています。こんなのに向いた人間が、ゴロゴロ転がっていても困りますけれど」
そう言ってマーカスは乾いた笑いを浮かべる。
陽の光を浴びてはいられない自分たちを自虐するようではあるが、実際彼の言う通り向いた人間が普通に居る方が、よほど困った環境であるには違いない。
なにせ諜報任務だけでなく、時には暗殺すら行う集団なのだから。
故にまだ当面は少ない人員で苦労してもらうことになるけれど、もうしばらくは我慢してもらわなくては。
「ところでマーカス、実は今この中に……」
「わかっています。エイブラートに寄った時、ケイリーから聞きました」
「なら話は早い。折角だから顔を合わせたらどうだい? 君が普段なにをしているかは詳しく話していないけれど」
これも丁度良い機会だ。ミルンズに着いたらまた忙しくなるかもしれず、今の内に彼をシェリスティアと引き合わせておけばいい。
一応彼女とも約束をしていることだしと思うも、マーカスはどういう訳か首を縦に振らず、少しばかり難色を示すような態度を露わとした。
あまり彼女と顔を合わせたくないと言うマーカスに、その理由を問うてみる。
すると彼は少しばかり躊躇いの様子を見せた後、周囲を窺い他に聞く者が居ないのを確認すると、小声となって口を開いた。
「貴方と別の隊に分かれて以降、ボクはとても人には言えない任を負ってきました。今更彼女のもとへは」
「だがシェリスティアはずっと君を待っているんだ。近況を教えられないまでも、迎えに行ってやるくらいなら……」
「アルもわかっているでしょう。ボクらの役割は人に恨まれるんです、例え正体が表沙汰にされなくとも、いずれ明らかとされる可能性は捨てきれない。その時にシェリスティアを危険には晒せません」
外套のフードから覗くマーカスの目は力強く、決心をもって向けられる。
彼らの素性を知るのは、元傭兵団内では数少なかったし、正規軍化した現在でも極々少数にとどまる。
それもこれもマーカス自身の言うように、色々と内外の情報を知っているが故に、危険を少しでも減らすため。
だが何かの拍子に、それこそ敵対する国や組織だけでなく、身内からも漏れてしまう恐れというのは常に存在した。
どうやらマーカスの言い様からすると、故郷において来た幼馴染から、気持ちが離れた訳ではないということになる。
むしろシェリスティアを想えばこそ、危険が及ばぬよう自ら距離を置く選択をしたのだろう。
「ボクにとっては婚約者であると同時に、幼い頃から一緒な姉も同然の人です。気持ちを抑えて彼女が平穏に居られるなら、いくらでも我慢を――」
「ならばこそ今の内に会っておくんだ。きっと彼女は待ち続けるよ、これから先もずっと君を」
「……関係を清算しておけと?」
「距離を置くのが本当にシェリスティアのためと考えるならね。君だって延々帰らない人間を待たせ続けるのは辛いだろう?」
マーカスの言葉をあえて遮ってでも、直接顔を合わせるよう告げる。
すると彼はグッと言葉を呑みこみ、しばし思案するように顔を地面へ落とした。
ただ少しするなり息を吐いて顔を上げ、不承不承ながらも了解を口にしていく。
「……わかりました。ミルンズに着いたら、機を見て会っておきます」
「それがいい。余計なお世話だとは思うけれどね」
「いえ、アルの言う通りですよ。彼女は本当に、何十年でも待ち続けかねない。関わりを切ってしまうか、ボクが死したと知るまでずっと」
今はもう何年も会ってなくとも、幼い頃から知っている相手だからこそか。
マーカスはシェリスティアがするであろう行動を口にし、どこか可笑しそうに笑んだ。
僕もここまで受けた印象から同じ意見であったが、彼がそう言うなら、きっとその通りなのだろう。
とりあえず了承してくれたマーカスへと、僕は異なる話題を振る。
内容は現在移動をしている目的、ミルンズ近辺に小部族連合の人間が姿を現しているという件について。
ただマーカスはそれについて、すぐさま一つの見解を示す。
技術的文化的に同盟より劣るなどと言われる小部族連合も、最近はマーカスらと同じような、情報収集を行う要員の存在が確認できると。
なのでエイブラートから広まった噂を何処からか聞きつけ、ミルンズを偵察しているのではないかというのが、マーカスの立てた予想であった。
「やっぱり人員を増やす必要はありそうだ。なんて頼りになる」
「そう言ってもらえると恐縮です。では、ボクは後ろに下がっていますね」
有益な情報をもたらすマーカスであったが、あまり長くここで話しこんで、シェリスティアに気付かれるのは好ましくないと考えたようだ。
深く外套のフードを被り直すと、そのまま僕から離れ一団の最後尾へと移動した。
今はほぼ最前列付近で荷車に乗り休憩を摂っている彼女と、極力顔を合わせないように。
そんな彼が休息を摂る列の後方に下がっていくのを見送ると、僕は頬杖を突き息を漏らす。
ここまでで当人から聞いた話ではあるが、シェリスティアはこれまで何度か、新たな相手との縁談話が持ち上がったことはあるらしい。
それでもマーカスを忘れられず、全てを断っていたようだ。断った相手にしても、小さな町の中に住む相手で気まずくなるであろうに。
なんとも想われているものだと、僕はマーカスを羨ましく思う。
既婚の身で何をと言われかねないが、ヴィオレッタはあまりそういった事を口に出さぬため、少々寂しいと思わなくはないのだ。
「あの……、アルフレート様」
腕を組みなんとなく、再び遠く離れてしまったヴィオレッタに思いをはせる。
しかしそうしている僕へとかかる声に気付き、そちらへと視線を向けてみれば、立っていたのは先ほどまで話題に上っていたシェリスティアの姿。
いつの間にか近くに来ていた彼女は、怪訝そうにこちらの顔を覗き込んでいた。
「えっと、どうされましたか?」
「お一ついかがでしょうか。ルシオラさんがお食事を用意してくださったので」
彼女はそう言って、手にした包みを差し出す。
見れば包みの中には薄いハムと野菜が挟まれたパンがあり、短い休憩の最中に食べられるよう、ルシオラが朝から作っていた物であった。
いつの間にか先頭から移動してきたようだが、どうやらマーカスとはほぼ入れ違いであり、相当ギリギリのタイミングであった。
出くわしたなら出くわしたでいいのだが、マーカス当人が顔を合わせるのに二の足を踏んでいる以上、覚悟の済んでいない今でなくてもいい。
そんな状況に安堵した僕は、シェリスティアの勧めるままに食事へと手を伸ばした。
「ところで、マーカスのことなのですが。彼との連絡は……」
受け取った軽食を齧る僕の横、用件が済んだはずのシェリスティアは、自身の乗っていた荷車へ戻る事もなく困った様子で立つ。
いったい何であろうかと思って問おうかと思うも、すぐさま彼女は申し訳なさそうな声で、マーカスと会えたかどうかを確認してきた。
ミルンズの湖畔で会った時に約束していたのだ、彼女としては一刻も早く、経過を知りたいと考えるのが当然なのだろう。
「お約束していましたからね。大丈夫、最近連絡がついたので、近々会えるはずですよ」
「ああ……、良かった。では彼は私のことを、忘れてなどいなかったのですね!」
「当然ですよ。マーカスから詳しく聞けてはいませんが、決して貴女のことを忘れたり嫌ったりはしていないようでした」
僕は嘘ではないが正しく伝えてはいない言葉を、シェリスティアに平然と告げる。
そんな発言をしれっと言える辺り、大概僕も酷い輩だとは思うが、なにせマーカスが距離を置いていた理由を知ってはいても言えるはずがない。
だが一方通行の感情だけで待っていた訳ではないというのは、シェリスティアにとって救いであったのは確かなようだ。
安堵の表情を浮かべ、泣きそうにすら見えるシェリスティア。
歓喜に咽ぶそんな彼女を微笑ましく眺める僕であったが、いつまでもそんな時間を過ごさせてはくれないらしい。
俄に周囲が慌ただしくなったかと思えば、傭兵団時代から見慣れた一人の兵士が報告をもってくる。
「失礼いたします」
「どうしたんだ、突然に」
「先行している者からの報です。進路上に小部族連合の戦士が三名ほど確認されました、如何いたしましょう」
僕とシェリスティアの前に姿を現した彼は、ビシリと直立し敬礼する。
そして口にした報告は、この一団がミルンズへと移動する途中、街道とも言えぬ場所に数名の敵が存在するというものであった。
ミルンズまではもう少し距離があるのだが、何かの事情で少し東側に位置するここいらに姿を現したようだ。
普段なら余計な戦闘をする必要もないのだが、ここは情報を得る良い機会。
マーカスからは大体の推測を聞いてはいるが、より確実なモノとするべく、捕らえて吐かせるというのも悪くはない。
「戦闘に慣れた者を、十名ほど引き連れて向かってくれ。可能であれば拘束を、もし逃げるようなら無理に追わずともいい」
「了解いたしました」
衛星から送られてくる映像を確認してみれば、これといって報告にあった以上の数が居る様子はない。
小部族連合の戦士は多くが精強だが、こちらも今回連れてきているのは、ラトリッジの軍においても比較的練度の高い者たちばかり。
ならばそれなりの経験を積んだ者が十人も居れば、拘束するには十分足りるだろう。
指示を出した青年は敬礼すると、急ぎ列の先頭へと駆けていく。
そんな様子を不安そうに見つめるシェリスティアへ向くと、僕は努めて笑顔を浮かべた。
「問題はありませんよ。貴女に危険は及びません」
「は、はい……」
だがこの言葉だけでは安心しきれぬようで、彼女は口に篭るような声で、小さくマーカスの名を呼ぶ。
僕はそんな様子に苦笑しながらも、やはりどうしても彼が羨ましく思えてならなかった。