妄執の水辺 04
西方都市国家同盟最北地域の中核都市エイブラート。
人口にして約二千少々。人口三万のラトリッジが同盟の中堅どころであるなら、ここは無数に在る都市国家の中でも、かなり小規模の部類に属す。
だがここは同盟領のほぼ北端に位置し、対北方小部族連合との最前線に位置する、防衛の要という側面を持ち合わせている。
そのため現在の都市王国ラトリッジ軍が、傭兵団であったころから拠点を配し、一時規模が縮小した折にも撤収せず、今までずっとそこを維持し続けていた。
北東の町ミルンズで統治者の老人と約束を交わした僕は、数十人の兵を引き連れ、ここエイブラートへと移動した。
というのも最近動きが怪しくなりつつある小部族連合に対し、睨みを利かせ侵攻の足を止めるという目的のために。
あえてその行動に僕が出張ってきたのは、単純にこれからも長い付き合いとなるであろう、エイブラート統治者への挨拶を兼ねてだ。
そんな小都市にある大通りの一角、この地では平均程度といったサイズである一件の建物。
都市統治者との会談を終えた僕は、そこの一階部分に設けられた酒場の隅で、二人の女性を相手に酒を交わしていた。
「あーあ……、まさかアルがこんなお偉くなっちゃうなんて。アタシはガッカリだわ!」
木製の簡素なテーブルを挟み、対面へと座る二人の女性。その片割れである人物は、久方ぶりの再会を喜んだ直後、そう言って荒々しく酒の入ったカップをテーブルへ叩きつけた。
傭兵団の訓練キャンプを卒業後、レオとマーカスと共に傭兵となって一番最初に組んだチームのメンバー、それがケイリーという名の彼女だ。
かつて野宿をしている時に偶然、レオとケイリーが訓練キャンプの教官と共に狩りの獲物を追っている所に出くわし、そのまま紆余曲折あって僕は傭兵団へスカウトされた。
あれがなければ僕はどこかの都市へ流れ着き、今とはまったく異なる道を歩んでいたのだろう。
だがある時、ケイリーは自身に傭兵としての適性が無いと判断し引退。
傭兵団がエイブラートへ設置した酒場へ、そのまま給仕として納まったのであった。
「ガッカリって。普通喜んでくれるもんじゃないのか?」
「そうじゃなくて、ガッカリしたのはアタシ自身に対して。もしあそこでチームを離れずにいたら、今頃は妃の座が転がり込んでいたかもしれないのに!」
いったいどこから発した自信なのか、ケイリーは希薄どころか、根拠が地面から湧いて出たような理屈で嘆く。
彼女もまた僕等の関係者である以上、傭兵団がラトリッジを掌握し、建国の後に僕が王の座へ納まったのは当然知っている。
しかし別段畏まった態度となるでもなく、今まで通り男友達のような気楽さで接してくれていた。
人によっては眉を顰めるだろうが、個人的にはむしろありがたい。
もっとも今した言動は、男友達というにはいささかおかしなモノではあるが。
「無いな。無い。それは無い」
「なによ……。アタシじゃ不満でもあるっての!?」
「いや、別にそういう訳ではなくて。単純にヴィオレッタが前団長の娘だったから、僕が傭兵団の団長に据わる破目になったんだよ。たぶんそれがなければ王になるどころか、ラトリッジを落とすなんて流れにもならなかった」
「……そういうことなら仕方ないわね」
笑い飛ばすように否定する僕に噛み付くケイリー。
ただ彼女のする冗談はさておき、実際僕がもし彼女と一緒になっていれば、傭兵団での立ち位置がどうなっていたかはわからない。
もっとも前団長とは同郷であり、彼の去った後で諸々の役割を押し付けられている以上、ヴィオレッタとのことがなくても団長に納まった可能性は捨てきれないが。
「ならどうよ、今からでもアタシを妾として。お安くしとくよ」
「冗談。……っていうか金を取るのか?」
「当たり前でしょ。こんな絶世の美女を捉まえておいて、報酬も無しで囲おうなんて道理に反するわ」
「言ってろ言ってろ。冗談は顔だけにしときなよ」
胸に手を当て、朗々と言い放つケイリー。
僕は彼女に対し軽口で返しながら笑うと、彼女もまたすぐに自信満々な表情を崩し笑った。
実際ケイリーは特別美人というわけでもないのだが、こういう快活で冗談めいたところが、多くの人から好まれている。
なので傭兵としての適性はなくとも、酒場の給仕としてはこの上なく合っていたのだろう。
そんなケイリーとのやり取りを、彼女の隣に座る女性は柔らかに眺める。
彼女はひとしきり口元へ手を当て笑うと、僕と視線を合わせ口を開く。
「お二人は相変わらずですね。それにしても、お元気そうで何よりです」
「エリノアさんも。前回来て以来ですが、相変わらずお美しい」
「お立場が変わって、口の方も上手くなられましたか。以前のアルフレートさんは、そんな歯の浮く発言はされなかったはずですが」
ケイリーとした会話の流れで、少しばかり軟派な言葉で返す。
一方の彼女は、チクリと嫌味とも皮肉とも取れる言葉を向けるが、彼女とてなにも本気で嫌味を言っているわけではあるまい。
おそらく流れに乗って、自分も混ぜてくれとばかりに言い返しただけだ。
ケイリーの隣へと座る彼女、エリノア・バーンスタウは、ここエイブラートの騎士だ。
騎士のご多分に漏れず都市の富裕層出身である彼女だが、騎士にしては珍しく使命感に溢れ、訓練を欠かさず街の人からも評判が良いという、昨今の騎士像からは外れる人物。
この点はゼイラム元騎士隊長とよく似た印象であり、これまで出会った騎士たちの中で、この二人だけは個人的に好感を抱いていた。
「妙齢のご婦人方と話す機会が増えましたからね。ですが今言ったのは本心からですよ?」
「では今だけありがたく受け取っておきます。ちゃんと後日奥様に報告しますが」
エリノアはニコリと笑うと、本気とも知れぬ言葉で僕の背を震わせた。
実際彼女はなかなかの美人であるのは確かで、騎士という役職にもかかわらず、常日頃から多くエイブラートの男たちから言い寄られているらしい。
別に怒ってなどいないようだが、多くの男たちを振り払い続けているだけに、釘を刺す手段には事欠かないのかもしれない。
それにしても彼女は最初に会った頃に比べ、随分と気易く話せるようになったものだ。短く刈っていた髪も伸び、柔らかさが表に出たというのもあるだろう。
「ちょっと……、アタシにも言ってくれたっていいじゃん! とてもお美しいお嬢さんって」
「じゃあ言ってあげようか。金を払ってでも囲いたくなる絶世の美女ケイリー様、っていうお世辞を」
「あんた本当に嫌味ったらしくなったわね……。まあいいわ、ところで皆は元気なの? レオとヴィオレッタは前に会ったけど、マーカスとかはもう随分顔も見てないし」
横から入り不平を口にするケイリーへと、僕は先ほど同様に軽口で返す。
彼女はその言葉に更なる不満を露わとするも、すぐさま思い出したように、久しく会えていない戦友の状況を問うてきた。
レオとヴィオレッタは暫く前、こちらへ来た時に会っている。しかしその頃からずっと別行動であるマーカスとは、もう長く顔を合わせていないようだ。
懐かしそうに語るケイリーへと、どう伝えたものかと思案しながらも、当たり障りのない近況を伝えていく。
古くからの仲間である彼女には悪いが、エイブラートの拠点に居るスタッフとはいえ、厳密にはラトリッジの軍属でないだけに、マーカスがどういった役割を担うかを話す訳にはいかなかったからだ。
当然隣に居るエリノアもまた騎士という立場上、まったくの部外者であるため話せはしない。
「マーカスといえば、ここに来る前にミルンズに寄ってきたんだ。あそこって確か彼の故郷なんだよな?」
ただ会話の最中、ふとマーカスの件で一つ思い出す。
ミルンズの湖畔で偶然会った、彼の幼馴染であり婚約者であるという、シェリスティアという名の娘。
その件で何かマーカスから聞いてはいないか、ケイリーにも確認してみるため、それとなく話を振ってみた。
「そうだよ。随分前に話した時には、ずっと帰ってないって言ってた。夏くらいしか道が通れないせいもあるみたいだけど」
「たまには里帰りでもすればいいのにな。誰か待ってる人も居るだろうに」
この話自体は、ケイリーとマーカスが共に行動していた時期、食事の席などで話に上ったことはあるはず。
なので彼女が知っているのも僕と同程度かとは思うが、なかなかに社交的で色々な人に話しかける性格なだけに、他にも聞いた話があるかもしれない。
ケイリーを騙しているようで申し訳なく思いつつも問うてみたのだが、この想像は的を射ていたものであったようだ。
「傭兵なんて大抵訳ありだし、家族のことは聞いた事ないけど……。でも確か婚約者が居るって言ってた気がする」
「婚約者って、ミルンズにか?」
「そうそう。子供の頃かららしいよ、年上の幼馴染だって言ってた」
とりあえず知らぬフリを入れつつ、僕はケイリーの話す内容へ合わせる。
持ち前のコミュニケーション能力の賜物か、彼女はマーカスからそこら辺の話を聞き出していたらしい。
ただそれも随分と前、それこそ同じチームであった頃のものであるようで、それ以降に関しては一切知らないということであった。
僕はそこでこの件を、それとなくケイリーにあまり人に話さぬよう頼む。
当然彼女はどうしてかと問うてくるも、時折会うが一切そういった話が出ないという点から、当人が隠したがっているだろうとでっち上げると、僅かな疑念はありながらも了承してくれた。
「ですがその方も、これからは故郷へ帰る機会が増えるのではないでしょうか」
「どういうことです?」
置かれた酒に口を付けながら告げたのは、自身は一度か二度ほどしかマーカスと面識がないであろう、横で聞いていたエリノアだ。
彼女はどういう訳か、今後マーカスがミルンズの地を踏む機会が多くなると考えたらしい。
しかし今のところマーカスがあの地を訪ねるような根拠が見当たらず、ノンビリと告げる彼女へ問い返す。
「ミルンズはラトリッジの統治下に入るんですよね。なら何かの用事で、彼を向かわせることももあるのでは?」
「……その話、どこで聞いたんですか」
「既に街中では噂になっていますよ。こう言っては失礼ですが、あんな場所を突然治めるなんて何かあるんだろうって」
エリノアの言葉に、僕は密かな緊張を覚える。
いったいどういう訳か、ミルンズの統治を移譲するという話が既に広まっていたためだ。
どこからその話が伝わったのか。一番ありそうなのは、連れ立って来た兵たちがした会話を、誰かが聞いていたというもの。
まだ確定した話ではないため、兵たちにはあまり無闇に口外せぬよう言明していた。だが所用でミルンズからここへ来た人あたりが、普通に話してしまった可能性もある。
「あの……、私はなにかおかしな事を言ってしまいましたか?」
「いえ、エリノアさんは何も。ただちょっと、今の話が気になりまして」
エリノアは自身に非があるかを問うてくる。いつの間にか無意識に、表情を険しくしてしまっていたようだ。
いずれは表沙汰になるため一見して問題なさそうにも思えるが、これは少々厄介であるかもしれない。
あのような資源的な価値の低い土地を、ラトリッジが引き受けたというのが他の都市に知られれば、彼女の言ったように何か特別な事情があると考えてもおかしくはない。
実際に対共和国の防衛という、特別な事情は存在する。だが一般の人たちはそのような発想ではなく、例えば金銀財宝の類でも見つけたと考えるだろう。
エリノアの話では、現にエイブラートの住民たちは色々な勘繰りをしているという。
この話が真っ先に伝わっているのは、ここエイブラート。
都市統治者の耳に入るのは時間の問題であり、これまでミルンズからの申し出を断り続けていた連中としては、妙な勘違いをしてもおかしくはない。
なにせ新興ながらも、高い軍事力と勢いを誇るラトリッジが統治をするのだ、血の臭いを金の匂いと勘違いしかねなかった。
「エリノアさん、僕は明日にでも再度統治者と会談を行いたいのですが、取り次いでいただけませんか」
「構いませんが……、アルフレートさんでしたら直接会いに行けるのでは」
「どうも傭兵上がりというせいか、僕らはまだ侮られているようなので」
妙な誤解をした都市統治者が、横槍を入れてくる恐れがある。
事情の詳しい部分までは説明できないが、都市には下手なちょっかいを出さぬよう、釘を刺しておく必要があった。
頼みに大きく頷いてくれたエリノアに感謝すると、多めの硬貨を置いて席を立ち、僕は二人と別れすぐさま酒場奥へと足を向けた。