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妄執の水辺 03


「それでは、ここを離れた幼馴染の頼みで?」


「はい。毎年夏に雪が解け道が開けると、彼から便りと共に食料とお金が送られてくるもので」



 ミルンズ湖畔に出たところで見かけた女性。

 彼女のことがなんとなく気になり声をかけた僕は、すぐ近くに置かれていた椅子へ腰かけ言葉を交わしていた。

 人口が五百人ほどという小規模な町では、住民のほぼ全てが知り合いのようなモノ。

 それだけに見たこともない僕の姿へ、最初こそ警戒を露わとしていたものの、ラトリッジから来たと告げるなり多少警戒を緩めてくれた。

 どうやら住民たちには、とっくに統治者の老人が持ちかけた要請の内容は知れ渡ってるようだ。


 漁師が休息を摂るのに使っているであろうそこへ座り、質素な衣服に身を包んだ彼女から聞いたのは、幼馴染の代わりに弔いの花を捧げているというもの。

 その幼馴染、今はミルンズを離れラトリッジに居るという人物の両親は、漁の最中に事故に遭いこの湖で命を落としたとのことであった。



「正直彼のしてくれる援助で、すごく助かっているんです。この辺りではほとんどお野菜が採れませんし、行商の方から保存食を買うのにもお金が……」


「その彼のように、ミルンズを離れようと考えたことは?」


「今のところありません。他所の土地に比べずっと不便であるとわかっていても、ここが故郷ですから」



 そう言って彼女、シェリスティアと名乗った娘は薄く微笑む。

 そういうものなのだろう。生まれた土地で育ち、死んでいくのはこの星に生きる多くの人の定めだ。

 例え生きるに不自由する過酷な地であっても、生まれ育った地を離れようという人は、特別な事情を抱えた極僅かな人たち。

 僕などは長く傭兵であったため、あまり共感できる話ではないが、これがこの惑星における普通であった。


 土地を離れようとは考えていないというシェリスティアは、「だからこそせめて、弔いの花だけでも」と小さく呟く。

 そんな彼女の言葉に頷いた僕は、初夏にしては冷たい空気に軽く背を震わせながら、湖を眺めつつ返す。



「……貴女もその彼も、真面目な方なのですね。幼馴染の人にしても食料と金を送るための費用だけで、相当な額になるでしょうに」


「そうなのですか?」


「ええ。夏の短い間だけしか通れないというのもあって、この辺りは街道がほとんど整備されてませんから、行商人も基本的に立ち寄りません」


「ですが夏になると毎年、彼からの便りを持った人を含めて、数人は行商の方がいらっしゃいますが……」


「おそらく近隣の都市へ来る人に声をかけ、わざわざ来てもらっているのでしょう。ラトリッジからミルンズへの行商ルートというのは聞いたことがありませんし、幼馴染の方からの便りと食料を運んでくる行商人というのは、そのためだけに雇っているはずです。この費用だけで、一家族が冬を越すのに十分な金額になりますね」


「知りませんでした……」



 彼女はこの町が、ほとんどの期間外界から閉ざされているのは知りつつも、ここへ至る費用にまでは考えが及ばなかったらしい。

 シェリスティアの幼馴染であるという彼は、家族を漁で失った事が切欠となって、ミルンズを離れ他所の土地へ移り住んだようだが、毎年のように金と保存食を送ってくるというのだから、それなりに成功を収めているのだろう。

 掛かる費用は個人で負担するには相当なもので、僕も今はそれなりに稼いでいると自負しているが、ポケットマネーで出すには少々躊躇われる額になるはず。




「そういえば先ほど、ラトリッジから来られたとおっしゃいましたが」


「え、ええ。今回は統治者の方に招かれてこちらへ」


「では私の幼馴染をご存じありませんか? 彼は向こうで傭兵になったと、便りに書かれていましたので」



 想像以上の金額をかけて援助をしてくれているという、幼馴染に関する話を聞いたシェリスティアは、少しの間湖を眺める。

 そこでふと思い出したように顔を向けるなり、自身の幼馴染の消息についてを尋ねた。

 おそらく僕がラトリッジから来たと告げた時に気を許したのは、その幼馴染の居る都市であるというのもあったようだ。

 ただこの様子だと、その彼はあまり自身の近況についてを書いていないのだろう。


 シェリスティアの幼馴染が傭兵となったというのであれば、案外答えてあげられるかもしれない。

 ラトリッジから手紙を出している傭兵となると、元イェルド傭兵団の人間である可能性が限りなく高いためだ。

 一時期多くの人間が出て行ったため、現在のラトリッジ正規軍に再編された人間の中に居るかはわからないが、それでも知っている可能性は十分にあった。

 ミルンズ出身の傭兵という点で一人だけ、思い当たる名があるのだが、一応確認のために問うてみる。



「その幼馴染の名前を教えてはいただけませんか? 案外知っているかもしれません」


「あ、はい。名をマーカスというのですが……」



 シェリスティアの発した名前に、僕はやはりかと息を漏らす。

 考えてもみればここは彼の故郷であったし、マーカス自身もかつて何かしらの事情を抱えて傭兵になったことを窺わせていた。

 それに傭兵団であった頃には、マーカスもそこそこの立ち位置になっていたし、正規軍化した今では更に地位は高くなっている。

 それに伴って得る報酬も増えているので、こういった援助をするだけの懐は持っていたはずだ。



「まさかご存じなのですか?」


「え、ええ……、まあ」


「マーカスは今どうしているでしょうか! 便りには元気にしているとしか書いていませんし、一時期などはまったく届かず心配していたのです……」



 マーカスの名に覚えがあると悟ったシェリスティアは、椅子から立ち上がりグッと詰め寄る。

 だが必死の様子で問うてくる彼女に対し、いったいどう話したものか。


 手紙が届かなかった時期というのは、おそらくマーカスが共和国に潜入していた時期だろう。

 戦時下における敵対国だ、傭兵団内ですら連絡を取るのは容易ではない。

 当然遠く離れた身内への手紙など届く訳はないし、マーカス自身もそもそも出しはしなかったはず。

 だがそんなことを教えてしまえば、安堵するどころか愕然とされてしまうのは明らか。


 それに今の彼が何をしているか、これもまた到底シェリスティアへ言えたものではない。

 なにせ多くのベテラン諜報要員が引退したことにより、現在のマーカスはラトリッジ正規軍で諜報活動の中枢を担っている。

 時には暗殺すら行うような役割であり、いわば都市王国ラトリッジの暗部とも言える存在だ。



「彼は方々を飛び回ってますからね。最近は顔を見ていないので、どうしているか」


「危険な目には遭っていないのですか? とても優しい子だから、本当は傭兵なんて務まるはずがないのに……」


「流石に立場上全く危険がないとは言えませんが……。それに彼も今は傭兵ではなく、ラトリッジの正規軍兵士ですよ」



 不安そうな面持ちで語るシェリスティア。言い様からすると、彼女はマーカスよりも若干年上であるようだ。

 ただ彼女の想い出の中に生きるマーカスは、随分実物と異なっているに違いない。

 マーカスの気性は確かに荒いものではなく、むしろ出会った当初はどこか、体格の良さに反し線の細い印象すら感じさせた。

 だが月日が経つにつれ鍛え上げられていき、シェリスティアの知る優しい子というイメージは鳴りを潜め、眉一つ動かさず敵を射殺すようになっていた。

 それに僕等が都市を掌握した後、元の統治者たちを北方へ移送するフリをしている最中、その処理を実行したのもまた彼だ。



「便りで近況を問うても具体的には教えてくれませんし、もうマーカスはここへ戻ってくる気はないのかもしれません。こちらから会いに行こうにも、雪の溶ける夏場は私も漁がありますし……」


「事情はわかりました。ですがそれにしても、彼を随分と気に掛けるんですね。援助をしてくれているというのはわかりましたが、他に何か特別な事情でも?」



 息苦しさすら感じさせる、シェリスティアの悲痛な言葉。

 近況を問う内容が書かれていても、マーカスには答えようがないのはわかる。かといって適当に書くのも気が引け、適当にはぐらかしたのだろう。

 だがそれが余計にシェリスティアを心配させる破目になっているようだ。


 小さな町であるため、ほぼ全員が身内のようなものではあるだろう。

 しかし僕はそれがただの幼馴染に対し発するものとは思えず、最初に声をかけた時同様、気に掛かり問うてみることにした。

 なのだがシャリスティアから返された内容は、なお二の句を継ぐに困るものとなる。



「私たちはその、……一応婚約を」



 北国に多い、薄い色素の頬を赤く染め呟くシェリスティア。

 僕は彼女が告げた内容を耳にするなり、唖然とし言葉を詰まらせた。


 いや、少年の内から婚約者がいるというのは、別段珍しいものではない。

 こういった地方の貧しい地域では、幼い内からそういった相手を定め、互いに自立を促していくというのはよくあるためだ。

 実際事情は異なれど、僕にしてもヴィオレッタとは長く婚約状態が続いていた。


 ただ僕の知る限り、マーカスはそんな話をしたことは一度も無かったはず。

 なにも自身の全てを打ち明けろとまでは言わないが、マーカスはそれなりにモテる類の男であり、女性から言い寄られる度に困惑する様子を度々目にしていた。

 いっそ婚約者が居ると言えば容易に断れたろうに、彼がそれを口にした記憶は一切ない。



「知らなかったな、マーカスに婚約者が居たなんて」


「と言っても、幼い頃に互いの両親同士で話し合って決めたものですので。マーカスの両親が亡くなった以上、無効も同然かもしれませんが」



 僕自身も既に既婚者、人にだけそこを負わせるつもりはないし、色恋にうつつを抜かすなとは言えやしない。

 だがそれにしたところで、僕が知る限りマーカスは傭兵となって以降一度も帰郷したことはないようだし、シェリスティアの話でもその様子はない。

 なので彼女が言うように、ミルンズへ帰る意志が無いのではという感想を抱くのも当然か。



「マーカスとは時折会う機会があるので、その時にでも確認してみますよ。それでいいですか?」


「はい! よろしくお願いします」



 僕は極力笑顔を見せながら、シェリスティアへマーカスから話を聞くと約束してみせる。

 すると彼女は表情を明るくし、立ち上がって深く頭を下げた。

 僕はそんなシェリスティアに頭を上げるよう告げつつも、内心で表情を曇らせる。


 婚約者の存在が悪いとも思わないし、傭兵となって以来の戦友だ、幸せにもなってもらいたい。

 しかしマーカスは存在を隠されてはいるが、やはり知っている者はその存在を知っている。

 そして彼は担う役割的に、非常に人から恨まれ易い存在であり、これまでも何度か同業者から命を狙われた経験があると聞く。


 となれば彼女の件、どう扱うつもりであるのかを当人に問い質さねばなるまい。

 僕は頭を下げ続けるシェリスティアの礼を受けながら、これが火種とならぬよう願うばかりであった。



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