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網 02


「新王にはご機嫌麗しく……」


「口上はいい。早く要件を話してもらえないか、あまり暇ではなくてね」



 応接間へと踏み込んだ僕へと、案の定居たトイアドは恭しく頭を下げ、仰々しい事この上ない挨拶を口にする。

 ただ言い終わる前にそれを遮断すると、僕は置かれたソファーの片方へドカリと腰を下ろした。


 忙しいというのは確かだが、なにも特別話をする暇すらないという訳でもない。ただこういうのは主導権の問題だ。

 それをわかったうえかどうか、トイアドは垂れていた頭を上げ、ゆっくりと対面へ座り直す。

 すると直後に張り付いたような笑みを浮かべ、ここまで幾度か繰り返してきた、一字一句同じと思える内容を口にする。



「考え直して頂けましたでしょうか。我々の教義を受け入れ国教とする、悪い話ではないと思うのですが」


「なにをもって悪い話ではないとするのか、些か首を傾げざるをえませんね。こちらにとって利がない」



 嫌な笑顔を向けるトイアドへと、睨みつける寸前の視線を向けるも、ヤツは平然とこれまで通りの提案をしてきた。

 だが当然そのようなものを受け入れるはずもなく、すぐさま拒絶の意志を示すと同時に、受け入れる余地がないというのを暗に示す。


 神殿が都市内で密かに存在する分には、そこまで目くじらを立てる必要はない。

 しかし連中の総本山が在るシャノン聖堂国のトップが、神殿の盟主とイコールであるというのを考えれば、神殿の意向とはすなわち聖堂国の意向と同義。

 もし仮に神殿の信仰をラトリッジの国教と認めてしまえば、ここは早々にシャノン聖堂国の影響下に取り込まれてしまいかねない。つまり信仰を介した侵略だ。

 それに今もなお外で座り込んでいる連中のように、嫌がらせを平然と行う輩とどう仲良くしろというのか。



「ですから以前にも申し上げましたように、唯一正しき信仰を担うことにより、真に光へ照らされた道を歩めるのです。国民へ安寧を与えるのは、国の大きな役割であるかと」


「安寧を与えるという点はそうでしょう。だがその手段が貴方たちの信仰である必要はない」



 根拠と言うにはおこがましい、トイアドの盲信による断言。

 ヤツが言っている最後の部分に関しては異論がないが、それを成し助けるのは僕等であって、神殿の役割ではない。

 だがトイアドにしてみれば、その思考はまったくもって理解できぬモノであるようだ。



「まこと異なことを。我々の教義以外に、なにが人々を救えると申されるのか。教皇猊下を敬わぬ醜悪な人間が、幸福を享受するなどありえない。あってはならない」



 どこか恍惚としつつ語るトイアドの姿に、僕は会話が成り立つ相手ではないと考える。

 それにその奥底からは相手を侮蔑した、嫌らしい感情が漏れだし、酷くこちらを不快にさせる空気が強く滲んでいた。

 自身の信じる教義に陶酔しているというのもあるが、同時に信者以外の存在を認めてはいない。

 というよりも人扱いしていないというのが本当だろうか。



「貴方は口調こそ丁寧ですが、それは表面的なものだけですね。裏ではけして相手を敬ってなどいない」



 深く嘆息しながらそう、トイアドへと言い放つ。

 このような言動をすれば、普通大抵の人はしまったと考えるものだ。相手を怒らせて得る物はほとんどないのだから。

 しかしトイアドに関しては、その普通という枠に納まる存在ではないようで、むしろ不敵な笑みを浮かべ逆に堂々と返される。



「わたくしめが敬うのは、我等が教皇猊下ただお一人。小指ほどの小国を制し、悦に浸る若造ではございません」


「……随分とハッキリ物を言う」



 むしろこちらを見下ろさんばかりな、明確に格下を見る眼光。

 トイアドの不愉快極まるその視線を受けた僕は、怒りや苛立ちを感じるどころか、むしろどこか納得のいくものを感じてしまう。


 こいつは最初から、僕等を交渉相手と考えてなどいなかったのだ。

 ただ神殿というトイアドにとって絶対的な正義の象徴を押し付け、都市を教皇や自身の支配下に置こうとしか考えていないのであると。

 であるならば最初から、交渉にすらならぬ要求ばかりを突き付けてきた理由がわかるというものだ。

 もっともこっちにしたところで、このような輩に慕われたところで嬉しくもなんともなく、そこだけは意見が一致していると言っていいのだろう。




「お帰りを。ここで再度ハッキリと申し上げる、我々都市王国ラトリッジは、貴方たち神殿を特別な存在として認めはしない」



 暫し睨み合いにも近い沈黙が流れたところで、いい加減埒が明かぬと考えた僕は、立ち上がり帰るよう促す。

 するとトイアドもこれ以上は議論や交渉の余地がないと判断したようで、出された茶をテーブルの上へ置き、静かに立ち上がっていた。

 ただどうにもその表情からは不敵なものが漂い、いやな予感をビンビンと感じてならない。



「それは残念です、誰も傷つかずに済むと思ったのですが」


「……どういうことかな」



 立ち上がり、ニヤリと笑むトイアド。

 木彫り細工の人形が笑ったような、なんとも不気味なその笑みから発せられた言葉は、警戒心を抱かせるのに十分なもの。

 するとヤツの視線は応接間に据えられた窓へと向かい、外に何かがあることをうかがわせた。

 ここから見える場所に在るのは、大通りとそこに並ぶ町並み、屋敷正面の広場と今も占有する信者たちくらいだ。


 ただトイアドの態度はここへと来る以前に、なにかを準備していたと言わんばかり。

 いったいこいつは何をしようとしているのか、そう考え身構えていると、その答えはエイダによってもたらされることとなった。



<アル、都市中央付近で火の手が>


『この天気でか……?』



 エイダによってされた報告に、すぐさま自身も窓の外へと視線を向ける。

 玻璃越しに見える町並みの向こうには、空へ伸びる黒煙が広がっていく光景が。


 乾燥と寒さ厳しい冬などはよくある小火騒ぎだが、既に季節は春であるうえに今は真昼間。

 飲食店などはともかくとして、家々が暖房に薪を燃やすような時刻ではない。

 ただ雨によって建物が濡れているとはいえ、それでも油や度数の高い酒などを介せば十分燃えてしまう。


 だがそこまで考えた時点で、僕はハッとし再度窓の外を見やる。

 見えるのはもうもうと立ち昇っていく黒煙。そして変わらず広場の中央へ陣取り座る、数十人に及ぶ信者たちの姿。

 しかし得た報告では、現在もっとその人数は多いと聞いている。ならば残る信者たちはいったい何処へ……。



<間違いなくこれは人為的なものです。他にも数か所で騒動が起こっているようなので、予め決めておいたタイミングで行動に出たのでしょう>


『……つまり神殿が仕掛けてきたってことか』


<現在アルが対峙している状況を考えれば、それ以外には考え難いかと>



 真っ先に頭へ浮かんだ可能性を、エイダはすかさず肯定する。

 こういった住居や商店の密集する地域では、最も効果的に被害を与える手段は放火。

 これまでも都市内で起きてきた騒動において、幾度か同じような手段を敵が採ってきた。なので可能性としては常に頭にあった状況。

 とはいえ神殿が目論んでいるのは、都市を牛耳る事であり、滅ぼしてしまうのは本末転倒というもの。


 この読めぬ男のことだ、何をしでかしてもおかしくはない。

 しかし丸ごと都市を支配したいという目的を考えれば、普通ここまで出鱈目な手段を採るというのは考え辛い。

 なのでまさかという思考が頭をよぎるも、次いで吐かれたトイアドの声によって、この疑いは確信へと変わる。



「おや、煙が見えますな。火事でしょうか?」



 ニタリとした笑みと共に吐かれる声に、視界が赤くなるような激情を覚える。

 いかにもわざとらしいその言葉は、こちらを挑発するようであり、自身が主導したというのを隠そうともしていない。

 むしろ見たことかと言わんばかりの様子であり、剥き出しの刃を笑顔で振り回しているような印象すら感じさせた。



 当然この異常事態はすぐさま都市内でも察知され、真っ先に報告される先はここ。

 都市の正規軍に属し現在は屋敷の警備についている兵の一人が、ノックもなく応接間へと飛び込み、先ほどエイダからされたのとほぼ同じ内容を報告していく。



「……やってくれるものだ」


「はて、何のことでしょうか? これはむしろ罰と言えるのやも。正しき信仰を受け入れぬ不心得者に、天は裁きを下されようとしたに違いありません」


「白々しい。よもや内へ取り込もうとしている相手を、街ごと焼こうとするなどと」


「私には貴方が何を仰っているのかサッパリです。しかしそうですね、我々の教義を受け入れぬ存在であれば、いっそ滅し無に帰してしまうのも悪くはない」



 ギラリと睨みつけるように視線を向けるが、トイアドは飄々と嘘を口にしつつも、本音と思われる内心を吐露する。

 これは狂気と言っていいのだろう。口調はしっかりしつつも、奴の目は焦点が定まっていないかのように、恍惚と共に宙を見ていた。

 信仰を受け入れぬ者は敵であり、敵は滅しなくてはならない。そういう狂信的な思考を、正しいモノとして疑っていない。

 いや、そう信じきっているからこそ、盲目でいられるのだ。

 よくもこのような輩が、今まで目立たず都市の中で過ごしてこれたものだ。



 だがトイアドのそんな様子を見るにつれ、僕は自身の頭に上っていた血が納まっていくのを感じる。

 ここで感情のまま斬り捨てるのは簡単だが、今はそんな事をしている場合ではないし、後で責任を取らせる役割が残っている。

 おそらくこいつもそれは理解しているからこそ、今この場で逃げようともせず熱弁を振るっているのだろうが。



「そのまま屋上へ上がり、備え付けた鐘を鳴らしてくれ。対応5-11-8、記された通り間違いなくだ」


「は、はい!」



 ひとまずトイアドを放っておいた僕は、すぐさま衛星から得られた状況を確認しつつ、報告に来た兵へと指示を出す。

 彼は一瞬の間を置いて直立すると、敬礼しすぐさま屋敷の屋上へと走った。



「……いったいなにをされるおつもりですかな」



 淡々と指示を出す僕の様子に、トイアドは先ほどまでの恍惚とした表情を沈める。

 勝ち誇るに等しい感情を発露していたヤツであるが、こちらが思いのほか焦る様子が見られないことから、どこかおかしなものを感じたようだ。



「それに随分と落ち着かれているご様子で。折角支配を果たした街が燃えているというのに」


「別に支配をしたとは思っていないけれど、まあいいだろう。こちらには、落ち着いていられるだけの理由があるもんでね」


「……是非ともお聞きしたいものですね。既に幾つもの場所が燃えているのに、平静でいられる理由を」



 混乱し動揺する姿でも期待していたのか、トイアドはどこか苛立ちすら覚え始めたように、僅かに声が上擦り始める。

 絶対的な優位と主導権を握っていると思い油断していたのに、逆に相手から余裕めいた反応を示されたのだ。狼狽の一つくらいしてもおかしくはない。

 完全に自身が首謀者であると暴露したも同然だが、トイアドにとってはそのようなこと、今更どうでもいいのだろう。


 ただなにもこれはハッタリなどではなく、落ち着いて指示を出していられる理由が存在する。

 というよりも、こういった万が一の状況に備え、僕等はずっと忙しく動き回っていたのだから。

 今度は逆にこちらを睨みつけんばかりの眼をしたトイアドへ、僕はやり返すようにニタリと笑み返してやった。



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