網 01
朝から延々と降り続く雨が、シトシトと屋敷の屋根を叩き続ける。
窓へ据えられた高価なガラス越しに見えるその雨は、土と石で固められた大通りを汚し、時折通る荷車の車輪は泥を撒き散らす。
その気が晴れぬ光景は、さながら僕自身の陰鬱な心情を表すようであった。
「……連中はまだ居るのか?」
「はい、昨日の昼からずっと。何度か警告も発したのですが、聞き入れるつもりはないようで」
「だろうな。別に法へ触れるような行為をしているでもなし、強制される筋合いはないって事か」
執務机へ頬杖を突き、ガラスの向こうを眺めながら問う。
その問いへと返すルシオラは、直立したままで淡々と、自身が担った役割の報告を口にしていた。
雨の降り続く屋敷の外には、現在頭の痛くなる問題が存在した。
屋敷前に在る広場には、数十人に及ぶ人間が塊となって鎮座している。
連中はこんな天候であるというのに、分厚くも簡素なフード付きローブを被り、全身灰色の姿でジッと屋敷を凝視したまま雨に打たれ続けていた。
間違いなく神殿の人間。その連中がルシオラの報告したように、昨日の昼間からずっとああして広場の真ん中を陣取っている。
一種のデモに相当する行為だが、連中が主張する要求とやらはわからない。
何を求めているのか聞くために人を遣っても、一切口を開くこともなく、ただ睨みつけられるだけに終わっていた。
だがおそらく神殿の扇動に乗せられた、僕へと不満を抱いている人間が、ああして抗議めいた行動に出ているのだろう。
ただ逆に言えばたったそれだけであり、他におかしな真似を仕出かしていない以上、強制的に排除することも叶わず、退去を促させる言葉を発することしかできなかった。
法の改定を進めている立場で、自らそこを破り根拠なく強制排除とはいくまい。
「なんとも地味な嫌がらせだな。捕まらないギリギリのところだ」
「ですが意外にも効果はあるやもしれません。現にメイドたちは気味が悪いようで、外へ出るのを嫌がっています。雨の中でというのが異質さを際立たせますね」
「君はどうだい?」
「自分は別段そのようなことは。ただ鬱陶しいばかりですので」
勿論決して愉快ではないものの、そこまで僕は怯えるわけもない。
ただルシオラの言うところによれば、メイドたちなど屋敷の使用人に対しては、相応に効果を表しているようだ。
彼女自身はどうであるのかを問うてみるも、こちらは普段と変わらず飄々としたまま返すのみ。
「ですがヴィオレッタ様は、いい加減ご立腹されているようで」
「ああ見えて彼女は時折癇癪を起すからな……。君にはヴィオレッタが殴り込みに行かないよう、見張っててもらわないと」
「そこは杞憂でしょう。二日前に神殿の人間が来た時にも、危く武器に手が伸びかけていましたが、辛うじて自制はされたようですので」
ヴィオレッタも昔こそ気性の荒い面が見られたが、今は自己を抑える術を心得ている。
なので実際にはそこまで案じてはおらず、僕は軽く笑って冗談めかし見張りを頼む。
ただルシオラから返されたのは、僕が留守の間になんとも物騒な状況があったというもの。
「なんだ、また来たのか。トイアドかい?」
「はい。正門をくぐる前にヴィオレッタ様が追い返されましたので、今回はそれ以上の話になりませんでしたが」
「……まったく、しつこいヤツだ」
その時は話す以上の事態にはならなかったため、報告の必要はないと判断したのだろう。
別にそこはいいのだが、僕はまだもや姿を現したという人物の存在に、重く息を吐いた。
二日前だけではない、僕とヴィオレッタが婚儀を行った日を皮切りに、神殿の責任者であるというトイアドは時折姿を現しては、こちらに再三神殿の教義を国教とするよう求めてきた。
一度など袖の下を用意し、僕を懐柔しようとまでして。
当然それらの一切を固辞し、早々にお引き取り願っているのだが、この様子だとまだまだ諦めるつもりはないらしい。
外でジッとこちらを凝視している、信者たちを見れば明らかではあるが。
「ゼイラム様の話ではこれほどの人数ではないものの、以前にも神殿は同じような嫌がらせをしたことがあるそうです」
「そいつは初耳だな。その時はどう対処したんだ?」
「当時の統治者は、騎士を使って排除しようとしたそうで。ただ騎士たちが剣を抜いて脅そうとするも、逆に熱心に神殿の教義を説かれる破目になったとか」
どうやら過去にも、酷似した例があるようだ。
とはいえその時採った対処では上手くいかず、逆に騎士たちが逃げ出す破目となったという。
おそらくその時の騎士たちも神殿を気味悪がったのだろうが、今は逆に元騎士連中がその神殿に籍を置いているというのは少々皮肉であった。
「終いには無視を決め込むようにしたそうです。ですが神殿が諦めるまで、相当な時間を要したと聞きました」
「今回もそうなってくれればいいんだけれど」
「採れる手段がない以上、持久戦になりますね。お茶でも飲んでお待ちになりますか?」
「連中が諦めるまでに、茶の温度が二度は変わりそうだな。でもいただくよ」
望み薄な期待を込め肩を竦めながら告げると、ルシオラはカートへ置かれた茶器へ視線を向けながら問う。
僕が彼女の提案を大人しく受け入れると、少しして白磁のカップに入れられた茶を出される。
春とはいえ雨によって寒さを感じるせいか、触ってみれば陶器越しに感じる温度は高い。
見ればカートの上には小さなランプが灯っており、それによって保温された状態で置かれていたようだ。
その出された茶を飲みながら、朝に出提されていた報告の書類へ目を通していく。
最もページ数を割かれているのは、ヴィオレッタが担う都市の保安に関する内容。
現状まだ神殿は直接的な行動に出て来ないが、本当に今回も大人しく引き下がるとは限らない。故に無理を言って準備を急がせた。
勿論使う機会などない方が、何倍も望ましいのは言うまでもないが。
しかしそれを望むのは、今の不穏な空気に在って贅沢というものだったのだろうか。
突然に執務室の扉をノックする音が響き、ルシオラが扉を開け入るよう促したのは、一人のメイドであった。
彼女は入るなり一礼し、おずおずと用件を述べる。
「アルフレート様にお目通りをしたいと申す者が」
「さては神殿の人間かな」
「は、はい。いかがいたしましょう……?」
こちらが来客の正体を予測していたとは思ってもみなかったようで、妙齢のメイドは一瞬ビクリと身体を震わせた。
ただ今日はこれといったアポもなく、このように突然来て会いたがる人間など限られる。
精々がレオかヘイゼルさん、それにゼイラム元騎士隊長といったくらいのものだ。
あとはそう、アポを取ろうとしても理由を付け断られると自覚している人間。
今の状況を考えれば、最も可能性が高そうなのは神殿の人間であるトイアド。
どうやら来ているのはたった一人だけであるようで、メイドによれば他に信者たちを引き連れている様子などはないとのこと。
もっとも屋敷の真正面には、今も数十に上る数が気味悪く座り込んでいるのだが。
「……会おう。東側の応接室へ案内してくれ」
「かしこまりました。失礼いたします」
大概面倒でもあるし、立場上断っても然程問題はない。
だが僕はふと思い直し、メイドへとトイアドを屋敷内の一室へ案内するよう告げた。
退出していくメイドを見送るルシオラは、僅かに怪訝そうな顔を浮かべる。
僕は椅子から腰を上げ、その彼女へと近づき幾らかの言葉を交わす。
そして以後の行動を指示すると、ルシオラは丁寧に一礼し了解を示した。
「ルシオラ、頼んだよ」
「承知いたしました。ではまた後ほど」
スッと静かに閉められる扉と共に去っていくルシオラ。
一人となった執務室の中、僕はトイアドが応接間へ案内され少し時間を置いた頃合いを見計らい窓の外を眺めた。
外は相変わらず雨がシトシトと振り続いており、先ほどと同様に神殿の信者たちがひと塊となって、ジッと屋敷を凝視している。
<てっきり断ると思っていましたが>
「仕方ないだろう? 無視を決め込むのも悪くはないけれど、それじゃいつ解決するかわかったもんじゃない」
信者たちからも見えているであろう、視線を浴びる僕はあえて堂々と姿を晒したままで窓際へ立つ。
本来ならば、なんて危険な真似をと言われかねない。
だがまだ統治を担って一年も経ってはおらず、あまりオドオドと隠れる様子を見せていては、威厳も何もあったもじゃない。
ただそんな僕へと、エイダは暢気な空気を放ち話す。
神殿の連中を相手にするのは面倒な事このうえないが、生まれて間もないこの小さな国は、あまり余裕があるとは言い難かった。
「この国は表向き平穏だけれど、まだまだ安定とは程遠い。こんな雑事に長くかまけている暇はないんだ」
<ではこれが最初の試練になりますか>
「いや、こんなものを試練だなんて言ってちゃ、この先やっていけないよ。これは大通りの隅に転がっている、小さな石ころ程度のものさ」
軍事や法に始まり、経済や福祉。新たな国には手を付けねばならぬことは多々ある。
ずっと神殿が起こした厄介事などにかまけていては、それらの一切が覚束なくなってしまう。
だからこそ早々に片付けるのだ、少しばかりのリスクを冒し、手間が掛かってしまうとしても。
「石ころで子供が転ばない内に、綺麗に掃除をしておかないと」
<転ぶのも経験の内とは思いますがね。それにしても、王の仕事が掃除夫とは思ってもみませんでした>
「大事なことさ。王もまた国のパーツだ、引き受けた以上はやってみせる」
そろそろ待たせるのも良い頃合いだろうかと、踵を返し執務室の扉へと向け歩を進める。
道の小石を掃くにも、土埃が舞い咽てしまう恐れはある。
神殿も大人しく言うことを聞くとは思えず、おそらくは多くの埃が舞うのは確実。
ならば僅かでも害の少ない内に、雨が降り続いている今やってしまう方がいいのだろう。
僕は扉の取っ手を掴み押し開けると、襟元を正しトイアドが待つであろう応接間へと一人進んでいった。




