狂信 06
「費用の確保はどうなっている?」
「そちらは折り合いがついた。材木商組合が、建設費用の一割を負担してくれる」
本来は来客用に使われていたと思われる、瀟洒な執務室へ置かれたソファー。
それぞれ四人はゆうに据われるであろう、向かい合って置かれたそこへ腰かけ、僕とヴィオレッタは手にした書類を前に確認を進めていた。
「それはありがたい。でも後々が怖そうだ」
「利子はしっかり取ると言っていたぞ。ただ冬前に行う輸送の護衛を安く請け負ってくれるなら、ある程度は交渉の余地があるようだ」
「ある程度ってのが怪しいけれど、願ったりかなったりかな。新人たちの訓練には丁度良さそうだ」
「ではこいつはレオに任せよう。定期的に外へ出ないと、身体が鈍ってしかたないと言っていたからな」
外で交渉を行ってきたヴィオレッタの報告を聞き、それに対する可否を口にしながら、今後の採る行動を記していく。
現在僕は新たな法の整備を主に担っているが、それと同時にヴィオレッタを責任者とし、もう一つ進めている事があった。
王国正規軍の一部として創設された、都市専任の守備隊で隊長を担うこととなったヴィオレッタ。
イェルド傭兵団の名を継いだその防衛部隊を率いる彼女は、都市王国ラトリッジの防備をより強固とすべく、都市外壁の建築や保安体制の構築に着手していた。
今のところ、都市の中心から円状に広がる旧市街を囲むように外壁が存在し、その外へ新市街が建設されつつある。
だが新市街の外は、ただなだらかな丘陵地帯と畑が広がるばかりで、新たに移り住んだ人たちを護る壁が存在しなかった。
「デナムの水準とまではいかないけれど、それなりの堅牢さは欲しい。せめて南北の門だけでも、金属で補強できないかな?」
「もし補強に金属板を使うなら、鍛冶師たちは喜ぶだろう。大仕事が続くからな」
建国以降、今のところ周辺の他都市とは、表向き対等で平穏な関係が構築できている。
同盟内の武力組織としての役割を傭兵団として請け負っていたのが、国として受けるようになったため、関係を保つ必要に迫られているためだ。
しかし傭兵団が都市を掌握し建国を果たしたという事実は、向こうへそれなりの警戒心植え付けているのが想像に難くない。
いずれその矛先が自分たちへ向くのではという疑念は、常に持たれていると考えるのが普通。
下手をすればラトリッジの時と同様に、疑念が渦巻いた結果、こちらへと仕掛けてこようとするかもしれない。
あくまで万が一に備えてのものではあるが、備えを怠って後で後悔するよりはマシ。
なにせこの都市は周囲の地形が防備に向くような土地ではなく、仮に全方位から攻められれば、容易に落ちてしまう構造なのだから。
「とはいえ現状そのような予算はないぞ。資材は遠方からの輸送に頼らねばならぬし、建造に住民たちを駆りだすというわけにもいかぬ」
「相当な出費が続くな……。かといって税を上げるのも難しいか」
希望を口にする僕へと、それを打ち砕く言葉で断言するヴィオレッタ。
彼女が発した内容に頭を殴られるような衝撃を感じ、僕は霞む目元を押さえながら肩を落とした。
金が必要となるものは、なにも防備に関するものだけではに。
傭兵団であった時の装備を引き続き使っているが、やはり正規の軍となったからには、相応には見栄えというものも必要。
なので新たに軍人となった全員の制服や、創り直した徽章といった出費によって、傭兵団時代の金庫は底をつきかけている。
反面それらによって、都市は一時的な好景気に沸いているのだが、あまり喜んでばかりはいられまい。
だが極力早く、外壁の建築を含め都市の防備体勢だけは整える必要がある。
外からの脅威というだけではなく、今はまさに内側にも毒となりかねない存在が潜んでいるのだから。
「ところでアル、マーカスからは何か言ってきたか?」
「ああ、今朝君が出て行った後でね」
その防備関連の予算について話すうち、目下懸念の一つである内容を思い出したのか、ヴィオレッタは真っ直ぐにこちらを見て尋ねる。
彼女が問いたいのは、おそらく神殿に関する内容。
現在マーカスらに探らせているのだが、都市の治安を担うヴィオレッタにしてみれば、新たに得られた情報があればすぐさま確認したいということか。
「住民たちを扇動する動きが見られるらしい」
「扇動だと? 何と言っているのだ」
「主に僕等に関してだね。"あんな若い連中に都市を任せては、滅ぶのを待つばかりだ。いずれ圧政を敷いてくるのは間違いない"とか、そういった内容だってさ」
ヴィオレッタの問いに対して告げたのは、神殿が密かに住民たちを集め、不安を煽るような内容を吹聴しているというもの。
僕とヴィオレッタのようなまだ若い人間が、都市を統べるに値しないという主張だ。
その主張自体は多少わからないでもない。都市統治の経験がないのは事実であるし、経験のなさを疑問視するというのは当然の発想だから。
「同調者は出ているのか?」
「多少ね。完全に信を得るなんて無理だし、元々不満を持っていた人を取り込んでいるようだ」
傭兵団が統治を担うのであればともかく、僕が上に立つなど聞いていないと反感を持つ人間が一定数居るのはわかりきっていた。
それは仕方ないし、徐々に受け入れてもらおうと考えていたのだが、そういった層を神殿は取り込もうとしているらしい。
先頭に立っているのは、トイアドだけでなく神殿の信者となっていた元騎士たちであると聞く。
勿論これまで無体を働き続けた輩だけに、多くの住民は耳を貸そうともしないそうであるが。
ただひと握りながらも集めた住民たちを神殿が煽り、打倒を声高に叫んでいるというのが、マーカスが持ち込んできた情報。
つまりこれは神殿による政治活動だ。前の統治者であった頃にはやっていなかった手法だが、今回連中は随分と僕等を目の仇としているらしい。
それが元騎士たちの意向によるものかどうかは、今のところわからないのだが。
「そのおかげだろうか、最近信者がまた増えたらしい。少なくとも150人ほどに」
「多いな……。それだけの人数が居れば、ひと騒動起こすには十分だ」
知らされた情報を口にするなり、ヴィオレッタは腕を組み表情を曇らせる。
最初に神殿の責任者であるというトイアドが接触した時は、まだ信者の数は50人にも達していなかった。
だがあれからまだそこまで経っていないというのに、その数は倍以上へと膨れ上がっている。
ほとんどは都市内の不満を持っている人間だが、内一割ほどは元騎士隊の連中。
どうにも不穏な空気が感じられてならず、これこそが都市内の治安体制構築を急ぐ理由の大きな部分を占めていた。
「今の内に拘束しておくというのは……、無理だろうな」
「それをするだけの法がないからね。僕ら自身がここで無理やりに捕らえでもすれば、向こうの同調者を増やすのに加担するだけだ」
一瞬だけ先んじて手を打とうと言いかけたヴィオレッタであったが、すぐさま自身の言葉を引っ込める。
それでは神殿の主張を証明するようなもので、手段としては到底採れるものではなかった。
「今のところは演説を振っているおかげで、不満を持っている人間が信者となっているだけ。だがここまでくれば十分脅威となりかねない、一刻も早く進めないと」
「ここでノンビリしている暇はないということか。……まったく、忙しないな」
とりあえず今のところは直接の対立をしていないが、ああも信者たちの敵対意識を煽っているのだ、将来的にそうなる可能性は高いとは思う。
ならばやはり急ぐ必要がある。そう考えたヴィオレッタもやれやれと腰を上げると、グッと伸びをしてから扉へと歩く。
彼女が取っ手に手を掛け開くと、そこには丁度カートを転がしていたルシオラが歩いてきたところであった。
見ればカートの上には茶器が乗せられており、席を外すように指示されはしたが、頃合いを見て茶だけを置いて行こうと考えたようだ。
「ヴィオレッタ様、もう出られるのですか」
「悪いな、急ぎの用が出来てしまった。だが一杯だけもらっていこうか」
顔を合わせるなり、先ほどのやり取りなどどこ吹く風とばかりに、双方平然と言葉を交わす。
ヴィオレッタはルシオラの用意した茶を、立ったままでカップに移し、一気に飲み干すとそのまま廊下を颯爽と歩いていった。
最近は随分と暖かいため、ルシオラは冷たい茶を用意してくれていたようだ。
そのヴィオレッタが出ていくのと入れ替わりに執務室へと入るルシオラ。
彼女はカートごと部屋へ入ると、静かにポットへ入れられた茶を移しながら、少しばかり冗談めかして呟く。
「ヴィオレッタ様の誤解は解けましたか?」
「最初から誤解なんかされてなかったみたいだよ、都合良くからかいの種にされたらしい」
「それはなによりで。こちらとしましても、お二人が仲違いされるのは好ましくありませんから」
ルシオラはそう言って茶の入ったカップを置くと、口の端を僅かに綻ばせた。
なら勘違いされかねない言動は慎んでもらいたいとは思うも、偶然タイミングが合ってしまったのだから仕方がない。
彼女なりに仕える相手が、夫婦仲を平穏に保って欲しいと考えているのは本当だろうから、これ以上言うのも野暮というモノだろうか。
ルシオラが淹れてくれた茶に口を付け、僕はソファーの背もたれへ身体を預けた。
そこでヴィオレッタの置いて行った資料を手に眺め、先ほどしていた会話を思い出す。
神殿のことがなくても、いずれは必要となるのだ。財布が厳しくとも都市の治安維持や、防備体勢の構築に取り組むのは当然。
ただそれが効果を表す機会はそう遠くなさそうであり、元騎士や信者の存在に頭を悩ませる。
「ルシオラ、君は騎士に対してどう思う?」
「騎士たちに関してでしたら、ゼイラム様がお詳しいのでは?」
僕を尻目に茶器や執務机の上を片付けているルシオラへと、もたれ掛ったソファーから身体を起こし問う。
騎士隊が解体される前まで、連中がやって来たことを思えば、彼女に聞くまでもないのかもしれない。
それにこれまでは一般の都市住民であった彼女だけに、その意見は他の住民たちと似たような内容となるだろう。
そのためかルシオラは自身よりも、より近くに居たゼイラム元騎士隊長の方が、そういった話に適任であると告げる。
だが僕はあえて一般の人からの感想が聞きたく、是非にと言い促した。
「そうですね、やはり腹立たしい存在……、と言ったところでしょうか」
「君自身もなにか害を受けたことがあるのか?」
「自分はゼイラム様の血縁ということもあり、別段そういったことは。それに接しないよう極力距離を置いていたので」
腹立たしさを口にするルシオラであったが、彼女自身はこれといった害を受けたことはないらしい。
それが彼女の言うようにゼイラム元騎士隊長の縁者であるためか、距離を置いていたため運よく免れていたためかはわからない。
だがそんな状況にあっても、不快な感情を抱く理由とはと考えていると、ルシオラは少しばかり言い難そうに口を開く。
「それでも……」
「それでも?」
「……いえ。親しくしていた人間が、騎士から酷い扱いを受けたことはありました」
眉間には珍しく皺が刻まれ、汚らしいモノから視線を逸らすかのように、小さく俯き告げる。
口調から察するに、どうも彼女の知人友人の誰かが、騎士たちからあまり口にしたくはない目に遭わされたようだ。
かつて傭兵団に属する娘が、寄って集って暴行されかけたのを思い出す。おそらくそれと似たような行為なのであろう。
「これはあくまでも私見で、住民たちの総意であるなどとは言いません。ですが同じように思っている人間は、決して少数派ではないというのが自分の考えです」
「そうか。少なくとも都市の住民たちは、今も嫌っているだろうね」
「おそらくは。横柄を働くのに必要な後ろ盾を失った今、騎士へと実際にその感情をぶつける者は多いでしょう」
あえて平坦な口調を崩したと思えるルシオラは、強い口調で断言する。
今まで横柄に振る舞い続けたが故に、住民たちによる騎士連中への怨嗟は強い。
野に下り神殿の一員となった元騎士たちは、今になってそれを強く叩きつけられていることだろう。
だからこそ余計に連中の内には、澱みが積もり積もっているかもしれない。
故に神殿と合わさる事によって、より危険な存在になるのではないか。僕にはそう思えてならなかった。




