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狂信 05


 暖かな春も通り過ぎ、季節は既に初夏。

 人口三万少々の小国ながら王という立場と、それに相応しく在れと執事やメイドたちが用意した、シンプルながらも上等な衣服にも慣れてきた。

 生地がそれなりに上等であるだけに、最初は着るだけでビクビクとしたものだ。


 執務室の豪奢な内装もそろそろ見慣れ、そこでくつろぐのも習慣化しつつあるこの日。

 白磁の茶器へ茶を淹れてくれる女性執事を尻目に、僕はうず高く積まれた紙束を前に頭を抱えていた。



「アルフレート様、少し休まれてはいかがでしょうか?」



 ついつい呻り頭を掻く僕へと、執事であるルシオラは茶を差し出しながら静かに告げる。

 珍しい女性の執事である彼女は、サラリとした短い髪を持つ頭ごと、こちらを覗き込んできた。

 ルシオラが執務机へ置いた茶を受け取り、一口だけ飲んで苦笑する僕は、軽く首を横へと振る。



「そうもいかないよ。こいつが早く片付かないことには、おちおち休んでもいられない」


「しかし今朝から根を詰め過ぎです。あまり集中も過ぎれば、逆に非効率かと」


「手厳しいね。でも君の言う通りかもしれない、小休止させてもらおうかな」



 そう言って茶を置きグッと身体を伸ばすと、肩から背にかけてバキバキと音がせんばかりの痛みが奔る。

 随分と長い時間同じ姿勢であったようで、ルシオラの言うように、根を詰め過ぎていたらしい。


 向けた内容に反し、言葉の抑揚こそ平坦ではあるが、彼女は案外気の利く人だ。

 勿論執事というのは、そういった資質が求められるというのもある。

 ただ元々居た執事たちは高齢な者も多かったため、若いルシオラが来てくれたことで随分と助かっている感は否めない。


 ゼイラム元騎士隊長からの紹介で迎え入れたルシオラは、話によればどうも彼の親戚に当たるらしい。

 彼仕込みの拳闘術を使うとのことで、執事という役割に加え、護衛も兼ねての紹介であったようだ。



「明日は久しぶりに、丸一日お休みになられては?」


「……あと何人か、執務を代行してくれる人が居ればそれもできるんだろうけどね。当面は僕と数人で回さないと」



 ルシオラも一応はこちらの身体を案じてくれているのか、抑揚ない声ではあるが休暇を進言する。

 彼女の申し出はありがたいのだが、残念ながら今はそうもいかず、軽く笑って片方の肩を回し置かれた書類の紙束へと指を差す。

 するとルシオラは少しばかり呆れたように眉を顰めるも、軽く会釈して背後へと周り、手をこちらの肩へと乗せる。

 どうやらマッサージの一つでもしてくれるようで、僕はそれに甘えることとし、いったん身体の力を抜いた。



 忙しさの主な理由となっているのは、目下都市の法へと手を加えているため。

 就任当初の忙しさも一旦は落ち着いたのだが、この地位に就いてからある程度の時間が経ち、色々と問題点も見えてきた。

 主に変えなくてはならないのは、都市を王政に変えたことによる権限の設定。

 これまで地位として存在しなかった王が、どれほどの権限を有するのか。正規軍化した元傭兵団の扱いや、存在が無くなった騎士隊に関する物など。

 新たに作ったり撤廃しなくてはならない法がいくつも存在し、ここ数日そのせいで真面に眠れてはいない。



「自分は法律に関する事がよくわからないのですが、アルフレート様に全権をとはいかないのですか?」


「そいつは無理……、というよりもダメだね。いざという時に制してくれる仕組みがないと、僕が暴走した時に誰も身動きが採れなくなる。それに全部の権限を背負い込むなんて御免だ、今以上に休む暇がなくなってしまうよ」


「言われてみればご尤もで。ですがアルフレート様は大丈夫だと思います、自分は」


「買い被り過ぎだよ。僕はあくまでも、少し前まで下っ端の傭兵でしかなかったんだから」



 肩を優しく揉むルシオラは、少しばかり怪訝そうに問うてくる。

 彼女が言わんとしていることは、王となったのだから相応に我儘を通すこともできるというもの。

 つまり"自身こそが法だ"と言ってしまえるというものだ。


 立場上それも出来ない訳でもない。だがかといって、好き勝手に法を作る訳にはいかないだろう。

 あまりに道義にもとる内容を制定してしまえば、ただの強権力を行使する馬鹿者か圧政者と認識されかねず、人心掌握どころか国から人が去っていきかねない。

 都市間の移動に大きなリスクが伴う土地とはいえ、弾圧が容易に想像できる地で生きていたい人間など居まい。



「いいえ、ゼイラム様もおっしゃっていました、アルフレート様はこの一都市で収まる方ではないと」


「随分と評価されたもんだね。そこまで言われるとくすぐったい」



 そんな僕の考えを知ってか知らずか、ルシオラはこちらを持ち上げようとする。

 変わらず平坦な口調ではあるが、なかなかに熱がこもり始めた調子で口を開く彼女の言葉に、僕は少しばかりの気恥ずかしさを覚えた。

 ただ直後、肩を揉んでくれていたルシオラの手は、鎖骨の前あたりにまで伸びる。



「自分を好きにお使いください。この手は肩を擦るためだけに在る訳ではありません、ペンも持ちますし、武器も握ります。そしてそれ以外も」



 スッと指先を立て、薄手の服越しに触れるかどうかといった近さで骨をなぞるルシオラ。

 彼女の声からはどこか艶っぽさが滲み、僕は突如として変わった空気に、不覚にもドキリとしてしまう。

 ルシオラが何を言わんとしているかを察し、拳闘術を用いるというにしては細く白いその手へと、視線が釘付けとなってしまった。

 しかし心の内で邪な考えを振り払うと、すぐさま彼女の手を柔らかく制し、振り向いて見上げ確認するように問う。



「……君はそういった目的で来たんじゃないだろう?」


「勿論です。あくまで気構えの話であると、ご理解ください」



 手を沿わせていたルシオラは一歩下がると、再び抑揚ない無機質な口調へと変わり、流麗な動作で一礼した。


 このような立場となったことで、いずれ誰かが愛人候補を送り込んでくるだろうというのは覚悟していた。

 ただゼイラム元騎士隊長が、そのような目的で彼女を送り込んできたとは思えない。

 きっとルシオラは試したのだろう。妻の目の届かぬところで、使用人へ無体を働くような人間であるかどうかを。

 というよりもおそらく、これはゼイラム元騎士隊長の仕込んだ悪戯ではないだろうか。

 その証拠にと言っていいのか、ルシオラは手に嵌めた白い手袋を外そうとはしていない。そういった誘惑をするのであれば、素手で行おうとするだろう。




「……お前たち、なにをしているのだ?」



 自身の行動が本気のものではないと主張せんばかりに、薄い表情のままで直立するルシオラ。

 そんな彼女へと振り返り、座ったままで見上げていたのだが、ふと背後にある執務室入口の扉から声が聞こえる。

 そちらへと首の向きを戻し見てみれば、扉のところへ立っていたのはヴィオレッタ。

 彼女は片手に分厚い紙の束を持ち、ジトリとした目でこちらを眺めていた。



「ああ、おかえり。早かったじゃないか」


「思いのほか早く済んだからな。……ところで少々質問に答えてもらおうか、お前たちは何をしている」


「なにと言われても、ただ茶を淹れてもらって、休憩がてら少し話をしていただけだって」


「よもや使用人に手を出そうとしているのではないだろうな?」


「まさか。僕が手を出すのは、後にも先にもたった一人だけだからさ」



 いったいいつから見ていたというのか、彼女は手にした紙束を丸め、威圧せんばかりの空気を放っている。

 僅かな疑いの視線を向けるヴィオレッタは僕とルシオラを交互に眺め、否定の言葉を聞いてから少しして深く息を吐いた。

 別に僕の軟派な発言が功を奏したとは思えないので、ただ単純に呆れただけなのだろう。



「まあいい、言い訳は後で聞かせてもらう。それより進捗状況の報告をしたい。悪いがルシオラ、少し席を外してくれ」


「かしこまりました」



 丸めた紙束で自身の肩を叩くヴィオレッタは、表情を平静なものへと戻す。

 そこからルシオラへと退出を促すと、彼女と入れ替わるようにして執務机の前へ置かれたソファーへ腰かけた。


 扉の前で深く頭を下げ退出するルシオラを見送ると、僕はヴィオレッタの対面へと移動し腰を下ろす。

 見れば彼女は先ほどの様子など微塵も見せず、パラパラと高価な紙の書類を捲り、中身を確認していた。



「あのさ……」


「大丈夫だ、信頼している。お前は私たちにこれ以上嘘はつかん」



 ヴィオレッタの紙を捲る音だけが響く執務室。

 その空気に耐えきれず、僕は若干肩を狭めながら声を発すも、すぐさまそれは遮られる。

 彼女が言わんとしているのは、先ほどのルシオラとの件が、これといってやましいモノではないと理解しているというもの。


 そういえば以前に彼女と約束したのであったか。

 南方のシャノン聖堂国へと潜入を行ったさい、これまで嘘をつき通してきた自身の素性に関し一切を白状し、これ以上隠し事をせぬと誓った。

 ヴィオレッタはその時の約束を想い、信じようとしてくれているのであると。



「だろう?」


「……そうだね、確かに約束した。僕はこれ以上、皆に嘘をつかないよ」



 チラリと一瞥し、確認するように問う。

 その言葉へと一瞬思考を巡らせるも、僕は柔らかく笑んで大きく頷き、約束を違えぬと断言した。


 あの時にヴィオレッタとレオの二人へ約束して以来、嘘はついてはこなかったはず。

 しかしその実、話していない事や意図して黙っている事はいくつもある。

 密かに傭兵団の仲間を害そうとした騎士を始末したことや、北方へ追放した前統治者一族を、密かにマーカスらへ指示し処理したこと。

 彼女には話しておくべきだろうかとも考えたが、これらは僕等の暗部と言い表わせるモノ。

 ここまで十分支えて来てくれたヴィオレッタに、背負わせていい内容であるとは思えなかった。



「ならば話すことはない。肩なら後で私が嫌というほど揉んでやる」


「……見てたんじゃないか。まったく、意地の悪い」


「お前と同じだ、私も性格がねじ曲がっているものでな」



 ここまでの話は、多分にからかいも兼ねていたらしい。

 愉快そうに告げるヴィオレッタは、持っていた紙束をテーブルへと放り、ソファーの背にもたれてクツクツと笑い始めた。

 ……だが肩を揉んでいたのを見たということは、ルシオラのした行為も見ていたということか。

 僕自身ちゃんと跳ね除けたし、ヴィオレッタにしてもルシオラが本気でなかったのはわかっているだろうけれど。



「いいから本題へ移るぞ。新しく建設する、新市街外壁の費用だが――」



 ひとしきり笑った後、彼女は目元に浮かんだ涙を拭い身を乗り出す。

 一つ咳払いをし書類の半分をこちらへ寄越すと、真面目な調子となってここへ来た目的を達しようと話始めた。



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