狂信 01
家々の窓から降る歓声と、都市近郊に咲く植物の群生地から採ってきたであろう、舞う真っ白な花の花弁。
中には随分と奮発したであろう、色付きの紙を細かく刻んだ物まで混ざる。
それらがふんだんに舞い踊る大通りには人、人、人。
指折り数えるのも面倒どころか、そうするという発想すら起こりえないであろう、夥しい数の人の山。
老若男女の彼ら彼女らが向ける視線の先にあるのは、通りの中央をゆっくりと練り歩く二組の男女。
片や身体に沿った白い服と、豪奢な黒いマントを纏う青年。
片や多くの薄い布で作られた純白のドレスと、同じく純白のベールに一輪の紫色をした花を差す娘。
通りに集まる衆人は、道の中央を進む二人を祝福すべく、大きく声をかけ拍手を贈っていた。
祭りのために彩られた都市の、そこで行われようとしている非常に華やかな婚姻の儀式。
この近隣地域では、式場へ向かう新郎新婦が人々に見送られ、大通りを歩くという風習があるために行われる光景。
だが当の本人である二人は、降り注ぐ祝福の言葉とは正反対に、浮かべる表情が若干引きつっていた。
「……服が脚に纏わりつく、転びそうだ」
「また情緒のない発言を。ようやく道も半分を越えたんだ、もう暫く擬態を保ってくれよ」
「まだたったの半分だぞ。それに式の最中とその後にある晩餐と、予定を思い出せば顔面が引き攣りそうにもなる」
その喝采を受ける二人、僕とヴィオレッタは周囲へ聞こえぬよう、無理に表情を保ちながら囁き合う。
互いに普段であれば決して着ることのない、ゴテゴテとしたひたすら動き難い格好だ。
新郎である僕などはまだマシな方で、花嫁となるヴィオレッタなどは着慣れぬ多くの布で飾り立てられているため、真っ直ぐ歩くので精一杯。
……とは言うがこのような格好、大抵の人は一生に一度着るかどうかだろうから、着慣れた人間などそうは居ないとはおもうけれど。
式場となる都市中央の広場まで、まだ十分近くは歩かねばならない。
そこから更に式を行った後で、夕刻以降にある晩餐の席では、各地区長たちによる長ったらしい挨拶が待っているのだ。
ヴィオレッタがウンザリとし、いい加減に放り出したがっているのも無理からぬこと。
「おまけに裾が地面についてしまっている、汚れるだろうこれは」
「そこは……、たぶん後で上手く洗ってくれるだろうから気にしなくても」
「式もここまで大々的にするとは思っていなかった。私はもっと慎ましやかでいいというのに……」
「段取りを薦めてくれたのはゼイラムだけれど、僕が気付いた時にはもう手遅れだった」
顔に張り付いた笑顔を崩さぬままで、器用に悪態を衝くヴィオレッタ。
現在都市ラトリッジは、春を迎えて行われる祭りの真っ最中。
その祭りの余興の一つと化している自身の式に、少々思うところがあるのは確かなのだろう。
ヴィオレッタには祭りで式を挙げるなどとは言ったが、僕自身も実際には祭りの場で宣言をするだけで、実際に式を執り行おうだなどと思ってはいなかった。
式そのものはヴィオレッタの希望通り、傭兵団の酒場あたりで身内のみで済ませようかと考えていたのだ。
ただ準備を進めてくれるというゼイラムに頼んだところ、翌日にはトントン拍子に祭りの担当者と話が進んでしまっていたため、今更引くに引けぬ状況へと至ったという経緯がある。
彼によれば人の僅かしか入らぬ酒場などではなく、より多くの人に見て貰うのが重要であるとのことだ。
「あの男、実はお前への恨み辛みを晴らそうとしているだけではないのか?」
「……あながち否定もできない。普段の振る舞いにまで厳しいからなぁ」
「小姑も同然だな、あのような役回りはヘイゼルだけで十分だというのに。前に会った時から無骨で厳しい男だと思ってはいたが」
「最初に会った頃からずっと威厳はあったし、騎士隊長の役割から外れても、そこだけはまったく衰える気配がないな……」
通りの両端で手を振る人々へ愛想を振り撒きながらも、ここまで段取りをしてくれたゼイラム元騎士隊長のやりように嘆息する。
僕との戦いで負傷を負った彼も、現在はとっくの昔に傷も癒え、式の準備のため精力的に動き回っていた。
自身のことを老体だなんだと言っておきながら、そのバイタリティは走り回る悪ガキ以上。
騎士隊の隊長であったころには、こういった役割を担うような人には見えなかったのだが、その実かなり世話焼きであったらしい。
僕等は見舞われた労に息を吐きながらも、動きづらい格好に耐え、沸き立つ人々の声の中を進んでいく。
祭りに乗じて行っているためか、都市住民たちの多くは祝福を送ってくれていた。
街の各地に安価ながらも無償で酒を置いたり、料理を振る舞っているため、ある程度のご機嫌取りに成功しているおかげもあるのだろう。
ただだからこそ降り注ぐ歓声は、僕等に妙な緊張感として圧し掛かっていた。
「準備はいい?」
「いいから早く済ませるぞ。こんな似合わぬ格好、いつまでも続けてはいられん」
そんな圧の中を掻き分け、式を行う中央広場へと辿り着く。
隣へ立つヴィオレッタへ確認するが、彼女はやれやれとばかりに僅かに肩を竦め、式を急かすようい言い放つ。
花嫁衣装も存外似合っているとは思うのだが、彼女自身は性に合わぬと感じているようだ。
僕はその言葉を聞くなり、前に立つ一人の人物へ小さく頷く。
都市ラトリッジ内に存在する一つの区画を任される代表者であるその老人は、都市において最長老と呼ばれている人物。
その老人は丈の長い乳白色のローブを纏っており、担う役割が地球における牧師や神父と同じであることを物語っているようであった。
「準備はよろしいですな。ではこれより、イェルド傭兵団団長改め、都市王国ラトリッジ国王、新郎アルフレートと、新婦ヴィオレッタの婚儀を執り行う」
式の進行役である最長老の老人は、歳にしては矍鑠とした動きで腕を大きく上げ、広場へ集う聴衆へ婚儀の開始を宣言した。
最長老の声に反応し、ワッと沸き立つ都市住民たち。
これまで幾度か団員の式に邪魔をしたことがあるが、毎度例外なくこのように湧き立っている。
地球で行われるそれよりも随分と、ここでの式はにぎやかに行われるようだ。
「儀を見届ける家族、友人。そしてこの場に集う多くの者と、都市の歴史そのものを証人とし問う。双方、互いに終生番い続けると誓約するか? 意義がなければこの本へ手を重ねよ」
老人は朗々と謡うように、永年使われ続けてきたであろう文句を口にしていく。
そして彼の手には一冊の分厚い書が握られており、促すようにその書を前へと突き出した。
事前にこの分厚い書には、僕とヴィオレッタ二人の名が記されている。
これはこの街で婚儀を行ってきた、数十年以上に及ぶ夫婦の名が記された物。つまり最長老の言う、都市の歴史を表すものだ。
婚儀の場で先ほどの言葉を聴衆に聴かせ、新郎新婦共に意義を申し立てがないならば、そこへ手を置く。
そうすることによって婚姻が成立するというのが、この土地での習わしだった。
「僕はとっくに決めている。こうする相手は、きっと後にも先にも君だけだから」
「当然だ。他の女に余所見などしようものなら、二度と脇目も振れぬよう両目を抉り取ってやる」
「……怖いな。善からぬ気を起こさないよう気を付けるとするよ」
「気を付けねば浮気をするのか? 私はそういったことを、"男の甲斐性"などと言って許すつもりはないぞ」
差し出された本を前に、僕等は互いをからかい合うよう小声でやり取りをする。
その内容は若干物騒なものではあるが、最長老である老人は愉快そうに目を細め、僕等の行動をただ待っていた。
長老をあまり長く待たせるのも気が引け、僕は先んじて本の上へ手を置く。
隣のヴィオレッタを見れば、そんな僕の行動に倣い微笑みながら、傭兵としては小さ目な手を僕の甲へソッと重ねた。
「これにて婚姻は成った。さあ皆、新たに生まれた夫婦へと大いに祝福を!!」
二人が揃って手を置いたのを確認するなり、最長老の老人は高らかに宣言する。
すると広場を囲む多くの人たちから歓声が沸き起こり、そこかしこで酒が振る舞われていき、当事者である僕等を放って乾杯の音が立て続けに起きていく。
毎度のことではあるが、ここから先はもうただのどんちゃん騒ぎだ。
春の祭の最中ということもあってより一層テンション高く、酒を被って地面を転がる者まで出始めていた。
「行こうか、ここに居たら巻き込まれそうだ」
「賛成だ。可能ならばドレスも汚したくはない」
そんな人々の様子に苦笑しながら、僕はヴィオレッタの手を引き、急いで壇上から降りていく。
式そのものはこの時点で終了。あとはそのまま解散となるのが常であった。
もう着る事はなさそうだが、とはいえ纏うのは折角の一張羅。このまま酒を被って台無しにするのもしのびない。
「団長! こっちです、こっち!」
手を引き酒の飛沫が舞う広場を走り始めるやいなや、視界の片隅に大きく手を振る娘の姿が。
見ればそれは傭兵団に属している、ラティーカという少女の姿であった。
彼女は広場から伸びる細い路地を指さし、こっちへ逃げるよう促している。
僕等はひとまず彼女の誘導に従い、わざと酒で濡らさんとふざける男たちを掻い潜り、路地へと飛び込んでいく。
どこか愉快な状況に笑いながら路地を進み、角を曲がったところでようやく立ち止まると、路地の頭上からは広場の喧騒が柔らかく降り注いでいた。
「ヘイゼルさんが呼んでますよ団長。『次は地区長たちの接待が待っているから、早く戻ってこい』だそうです」
僕等と一緒に走ってきた娘、ラティーカは立ち止まるなり、次にやらねばならない内容の言伝を口にした。
走り乱れた上着の襟元を直しながら、そんな伝言役である彼女へと感謝の言葉を告げる。
しかしその直後、僕は笑顔で伝言を伝えるラティーカの顔を見下ろしながら、彼女について思うところがあったのを思い出す。
確かこの娘、もうしばらく前の話にはなるが、僕へと好意を抱いていたのではなかったか。
僕が傭兵団の団長となる少し前の話だが、北方で行動している時に積極的なアプローチを仕掛けてきたものだ。
アレから随分と経つが、それ以降彼女がどうこう言ってくることはなかった。
よもやあの一瞬だけ抱いた感情なのだろうかと思うも、伝言を伝え終えた彼女の目が、一瞬だけ伏し目がちとなるのに気付く。
「ラティーカ、もう団長じゃないだろ」
「あ……。申し訳ありません、陛下」
唐突に路地の向こうからかかる声によって、ラティーカは僕への呼び方を訂正する。
見ればそちらからは彼女の同期である、デリクという傭兵が姿を現していた。
彼もまたラティーカと共に北方へ行った一人だが、そんな彼女へと恋慕していた少年であった。
今はある程度の経験も積み、月日が経ったこともあり以前よりずっと傭兵らしい体格になったように思える。
二人が今どういった接し方をしているか、そこまではあまりよく把握は出来ていないのだが、見る限り決して悪い関係とはなっていないらしい。
デリクはラティーカへと目配せをすると、彼女の背をポンと叩き前へ押し出す。
そんなデリクの行動に慌てながらも、ラティーカはおずおずと僕等の前へ立ち、意を決して真っ直ぐに目を見据えた。
「ご結婚、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。君たちにも準備で色々と迷惑をかけたね」
「そんな迷惑だなんて……」
どこか悲しそうな表情で、祝いの言葉を口にするラティーカ。
あれからそれなりの時間は経過したが、見る限りどうやらまだ完全には、こちらへの感情を吹っ切れていないようだ。
だがそれでも自身を押し殺し、僕とヴィオレッタのことを祝福してくれようというのだろう。
その姿がなんともいじらしく、ヴィオレッタとの関わりがなければ、彼女へとグラついてしまっていた可能性すらある。
ただ今の僕は、ラティーカを個人として受け入れてやることはできない。
勿論ヴィオレッタに釘を刺されたというのもあるが、今の時点でできるのは傭兵団のトップとして、都市の王としての許容だけ。
「立場は変わったかもしれない。だが僕の本質は傭兵だ、今後も君たちの指揮を執るし戦場にも赴く。……ラティーカ、これからもよろしく頼む」
僕は直立する彼女の肩へと軽く手を乗せ、柔らかく笑んでそう告げる。
するとラティーカは若干無理やりではあろうが、表情を開かせ大きく「ハイ!」と返事を返してくれた。
一瞬チラリと横を見れば、ヴィオレッタもこの程度であれば許してくれるようで、少しばかり意味あり気ではあるが、穏やかな視線を送っている。
「それじゃ、戻るとしようか。待たせすぎて怒られないうちにね」
僕は置いた手を離し、ラティーカの背を軽く叩く。
そうして先頭へと移動するなり、振り返って軽い口調で大きく告げた。