偵察走 01
ウォルトンへと到着した翌日の昼過ぎ。
僕等は渓谷の底で立ちつくし、陽射しの下でただ耐え忍ぶばかりであった。
「お……、重い……」
「訓練期間を思い出すんだよ。行軍訓練で背負った、無駄に重い背嚢を」
「ああ……。あれは確かにキツかったわ……」
棒立ちとなる中、ケイリーは幾度目かの悲鳴を上げる。
それもそのはずだ、僕等が現在着込んでいる装備は、普段着ているような硬革製の軽装鎧とは異なる、全身を金属に覆われた鱗鎧。
ついでに手には騎兵のランスを思わせる長槍と、いったいどこぞの重装歩兵だと言わんばかりな武装だった。
「でもさ、見た目で威圧するのはいいとして、この距離でわかるのかな?」
自身の着込んだ思いばかりの装備への不満もあるだろう。
ケイリーは遥か先に陣を敷くデナムの騎士隊が、こちらを見ているか疑問に思い始めたようだった。
そこについてはわからなくもなく、連中が敷く陣は一kmも先。
姿は一応目視できるものの、それは麦粒以下の大きさに過ぎず、着ている服装の判別などつきようもない。
「たぶんね。直接は見えないだろうけど、向こうも偵察を出しているだろうし、どこかで見張っているだろうさ」
「だといんだけどね。いや、別に良くはないんだけど……」
あまりの重さに黙って耐えるのがつらいのか、ケイリーの口は止まらない。
本来ならば咎めるべきなのだろうが、実のところそれは彼女だけではなかった。
それなりに経験を積んでいると思われる他の傭兵たちも、口々に重さばかりで実用性のない鎧への不平を垂れていた。
まさかとは思うが、この状態を延々と続けるつもりなのだろうか。
「それにしても、動きませんね……」
普段は基本的に真面目なマーカスでさえ、重さへの疲労感からかどこか疲れた声で呟く。
交代しながらそれなりに休息は取れているはずなのだが、あまりにも状況が動かな過ぎるせいか、どうしても緊張感を保てなくなっているようだ。
かくいう僕自身も疲れを感じ始めているので、マーカスの気持ちも十分に理解できる。
この状況で平然としているのは、レオくらいのものだろう。
そのレオは、こちらを向くなり真顔のままで告げる。
「俺が突っ込んでくるか?」
「馬鹿な事を言わないでくれよ。君が強いのは認めるけれど、相手は十や二十で足りる数じゃないんだから」
変化のない状況に焦れているのか、レオはなかなかに無茶な提案をする。
いや、単純に退屈を極めているため、暴れたがっているのかもしれないが。
デクスター隊長はデナムが展開している戦力は、推定で二百人程度であると言っていた。
彼は以前にはデナムで活動していたので、向こうの騎士たちは百人にも満たない数であると知っていると言う。
それでもこの数であるのは、おそらく街の人を徴用したのではないかとの事だ。
だがエイダが上空の衛星から得た情報をもとにすれば、実際の数はその半分以下、七十人といったところ。
どうやら案山子か何かに鎧を身に着けさせ、戦力を多く見せているようだ。
ここからの目視では判別できないが。
向こうは戦場での主力となる傭兵が雇えず、内に抱える貧弱な騎士たちだけで戦わなくてはならない。
プライドだけは無駄に高い騎士が取る方法とも思えないが、圧倒的な不利にそうも言っていられなくなったのだろう。
それにしても、そんな情報は偵察にでも出ればすぐに判明するだろうにとは思う。
ウォルトンに到着した時、隊長は騎士隊が斥候を出していると言っていたはずだ。
共和国側の動向を探るならばそれなりの時間も必要かもしれないが、目に見える距離に居る敵軍の情報くらいなら、すぐ入りそうなものだというのに。
とそのようなことを考えていると、突如陣の中で大きな声が。
「なぜ報告が届かんのだ! 誰か騎士隊に確認を取ってこい」
どうやらデクスター隊長も、丁度同じことを考えていたようだ。
部下の一人に命じて、斥候が戻ったかどうかの確認に行かせる。
デナムの都市内に潜入でもしているのならばともかく、相手陣地の様子を知る程度であれば、半日もあれば十分すぎる。
見つからないよう険しい渓谷の上を進むとしても、今現在睨み合っている相手とは一km少々しか離れていないのだから。
そう考えていると、先ほど指示を受けて向かった傭兵の一人が、息せき切って指揮官の下へと戻ってきた。
「……ド畜生がっ!」
隊列組んで立つ僕等の中に、デクスター隊長の怒声が響き渡る。
その声に反応して多くの傭兵たちが彼へと注目すると、彼の肩がわなわなと震えているのが見えた。
受けた報告により怒りを覚えているようだが、その様子から何がしかの重大なトラブルが発生していると考えるのが普通。
それが何かは今のところ知れないが、快活そうに見えた隊長が大声で悪態衝くような事態であるのは確かなようだった。
彼は一呼吸置くと、すぐさま周囲を見渡して何かを逡巡する。
その後もう一度見渡し、そこで目が合った僕に向けて駆け足で向かってきた。
どうにも嫌な予感がする。
僕が何か何か粗相でもしただろうかと思っていると、彼は近づくなり問う。
「一つ聞くが、お前は偵察任務の経験はあるか?」
隊長が問うた言葉に、僕はつい怪訝な表情を浮かべてしまう。
そもそも僕等のような新米が、そんな重要な役割を経験してきているはずがない。
「いえ……、ありません」
「だろうな。だが今は急を要する、お前たちには、デナムへと偵察に向かってもらいたい」
「急にどうされたのですか? 偵察は騎士隊が行っているはずでは……」
どうして僕にその役割が回ってきたのか。
その理由がよくわからず尋ねてみると、彼は舌打ちし苦々しい表情となって教えてくれた。
「あの連中、端から偵察に人をやってなどいなかった」
「騎士隊がですか? どうして……」
「『偵察などという行為は、我等高貴な騎士には似つかわしくない。正々堂々正面から戦うのみ』だそうだ。あのバカ者どもが、情報の重要性を理解しておらん」
悪態つきながら伝える隊長の言葉に、僕は眩暈を覚えるかのようだった。
ただでさえ日頃威張り散らすばかりで、訓練すら真っ当にしない者も多い騎士たちだ。
態度の割に実力が微妙で、戦場に慣れた傭兵たちには到底及びもしない。
であるにも拘らず、騎士たちはその意味もなく過剰なプライドによって、戦闘となる前に必要な情報の収集を怠っていたとは。
ここまで来ると、僕個人としては怒りを通り越して呆れる他ない。
「最初に斥候を出していると言ったのも、こちらをあしらう為に適当についた嘘だったようだ」
味方であるはずの騎士たちからの手酷い裏切りに、隊長は歯軋りを隠す様子すらない。
比較的温厚に見えた人物であったが、流石にこうまで侮辱されては、多少なりと荒れるのも仕方がないか。
「今の我々に、そういった任務に適した能力を持つ者が居らん。残念ながら、前線で身体を張るばかりが能な連中だ。お前たちは小器用なヤツだとヘイゼルから聞いている、悪いが頼まれてくれないか」
畳みかけるように告げる隊長の言葉に、僕は逃げ場を失っていく。
確かに周囲を見渡せば、辺りに居る傭兵たちは皆筋骨隆々としており、顔には粗野を絵に描いたような表情を浮かべる者も少なくはない。
人は見かけに寄らないものだが、隊長がそこまで言うからには、彼らは皆偵察行動に不向きな気質なのだと思われる。
それに彼らと比べれば、僕等は体格からして身が軽そうに思えるのも理解できなくはない。
昨日街に辿り着いた時、北方の戦線を維持するため多くの人手が回ってこないと言っていたはずだ。
おそらく本来ならば居るはずの斥候要員が、足りていないままなのだろう。
「……わかりました。ではこれより偵察活動に向かいます」
「すまないが頼んだぞ。差し当たっては、デナムの前線部隊に関する情報を真っ先に寄越してくれ。その後の行動については一任する」
どうにも断れるような状況ではなく、僕は仕方なしに了承する。
デクスター隊長は僕のした了承を確認すると、そのまま足早に隊列から離れ、ウォルトンの在る方向へと小走りで向かって行く。
おそらくはこれから、騎士隊に怒鳴り込むつもりであるに違いない。
「という訳だから、僕等はいったんここから離れて準備をしよう」
「わかった。……鎧は?」
振り向いて皆に告げた僕の言葉に、レオは頷きそのまま自身を見下ろして呟く。
「勿論置いていくさ。山の中を進む破目になるだろうから、こんな恰好じゃ碌に進めやしない」
当然のことながら、渓谷の谷間を真っ直ぐ進んでいくような真似はしない。
一旦山の中へと入り、木々や岩場に身を隠しながら進むことになる。
怪力の彼をもってしても、足場の悪い山中で重い鎧を着て進むのは困難であるのは言うまでもない。
その重さが原因で滑落してしまう危険性すらある。
僕等は早速、普段通りの動き易い軽装に着替えるべく、一路ウォルトンの教会へと戻る道を小走りで進んだ。
▽
ウォルトンからデナムへと通じる渓谷脇の、木々で覆われた山の中。
僕等は急な起伏を越えながら草木を掻き分け、周囲に気を配りながら進んでいた。
本来ならばデナム側の陣営がある場所までは、徒歩で十数分といった距離。
しかし真っ正直に正面から乗り込み堂々と偵察するなどという訳にもいかず、長い時間を掛けて山中を進んでいく必要があったためだ。
「確か二百人くらい居るんでしょ? 見つかったらただじゃ済まないよね……」
ケイリーは若干の恐怖が入り混じった様子で、小さく不安を漏らす。
デナムが偽装した人数しか知らない彼女には、それが酷く恐ろしいものに思えているようだ。
仮に僕が彼女の立場であれば、それも納得のいくものがある。
勿論全軍に狩り立てられることなどありえないが、たった四人に対して二百人が襲ってくる光景を想像すれば、諸手上げて降参したくなるのも仕方がない。
そんなケイリーを宥めるべく、僕は楽観的な調子を作って告げる。
「心配する必要はないって。おそらく大丈夫だよ」
「根拠は?」
「もし見つかったとしても、重い鎧を着たままじゃこっちには手を出せない。矢を射られても、木々が邪魔してこっちには届かないさ」
「そっか……、そうだよね」
「それに相手は騎士ばかりだからね。ウォルトンに居る騎士のボンクラ度合いを見てからに、向こうは見張りすら置いてないんじゃないか?」
少々おどけた感じを出して騎士を馬鹿にした僕の発言に、ケイリーは小さく笑いを吹き出した。
かなり侮辱した内容ではあるが、彼女はそれによって些かリラックスできたようだ。
それに今の言葉も、あながち適当なものではない。
『エイダ、周囲にデナム側の監視は?』
<現在渓谷内に設置された陣地を除けば、半径1kmで人による動体反応は確認されません>
衛星を介して情報を収集しているエイダから、僕は瞬時に周辺の状況を把握できる。
細かい敵の配置や、森に潜んだ伏兵の存在まで、それこそ人の目によって得られる以上の情報が。
その結果として、デナム側の騎士たちは本当に周辺の警戒をしていないのが判明していた。
ウォルトンの側でも思ったが、普段の戦闘や警備を完全に傭兵に任せきりにしているせいか、あまりにも危機意識に欠けると言わざるをえない。
今の僕等からすれば、それはありがたい状態であるのだが。
ただそれを、ケイリーにそのまま伝える訳にもいかないだろう。
どうやってそんな情報を得たのか聞かれても答えられないからだ。
この偵察にしても、本来エイダからの情報さえあれば十分に事足りる。
だが実際に目視による偵察を行ったという事実が必要で、それがなければ情報を持ち帰ったとしても、隊長に信用すらしてもらえない。
「それにしても、まさかボクらが偵察任務をする破目になるとは…。遂に前線で戦う日が来たのだと思っていたのですが」
「そうだな。だけどこれも重要な役割だ、完遂すればしっかりと評価してくれるはずだよ」
マーカスの言葉に、僕は励ましの言葉を投げかける。
おそらくこれは、大きなチャンスであるのは間違いない。
北方での戦線を維持するため、ウォルトンへ僅かに派遣された傭兵の中に偵察任務に向いた人員が居なかった点。
そして騎士たちの怠慢と過信により、偵察に人を割こうとしなかった点。
その結果として僕等が斥候役を請け負うことになったのだが、これは僕等が傭兵としてのステップアップを踏む好機であるとも考えられる。
「前線で戦うのは派手だし、戦果も目に留まり易い。でも情報を入手することは、それ以上の評価を得ることだってありえる」
「言えてます。おそらくデクスター隊長は、そういった面も評価してくれる方でしょうし」
「その点は幸運だったよ。これで突撃馬鹿な指揮官だと、どうなっていたことやら」
僕は後ろのマーカスへと振り返り、冗談めかして告げる。
だがこれは本心であり、ここの指揮官がデクスター隊長であることには感謝してもしきれないものであった。
彼であれば、今回の偵察を上手く成功させればさぞ覚えも良いことだろう。
それにしっかりと必要な情報を得て無事帰り着けば、隊長だけではなく、傭兵団上層部からの評価さえ得られるかもしれない。
僕が大人しく指示を受け入れたのには、そういった打算も含まれていた。
ただ、今の僕等には一つ、直面している問題があった。
間近で陣を張るデナムではなく、その先に。
『……共和国側の動きはどうなっている』
<現在都市国家デナムの東、五二kmで停止中。野営準備を行っている模様です>
直面している最大の問題とは、既に共和国軍が行動を開始しているという点。
それなりの規模を誇る部隊なようで、数は推定一千。
そんなのが今睨み合っている渓谷に入り込んで来たら、さぞや大きな混乱となることだろう。
ただこれもデナムへの偵察と同様に、味方へと知らせる訳にはいかない情報だ。
なにせ僕等が目視で得た情報ではないのだから。
緊急の事態であるのは間違いない。
だが幸運と言っていいのか、多い人数と狭い渓谷の地形もあって行軍の速度は非常に遅い。
この調子ならばそこまで行って目視で確認し、その後報告に戻るという手段を取れるはずだ。
時間との戦いではあるが。
「急ごう。最低でも日が落ちる前には、ウォルトンに情報を持ち帰りたい」
僕は背後を歩く皆に向けて声掛け、草木を掻き分けて進む脚を早めた。