スピカ08
結局、滑空により海面への着水を目論んだマルティナであったが、海へと到達する直前に脱出装置が辛うじて起動。
コクピットブロックごと射出された彼女は、海面を漂っているところを無事僕等の乗る飛行艇に救助された。
ただその代わりに、彼女が乗っていた愛機"スピカ"は海面へと叩きつけられ、深い海底へと沈んでいく破目となる。
マルティナにとっては寂しかろう。それでも真っ暗な夜闇の中、波の立つ海面へ着水することを思えば、非常に幸運であると言わざるを得ない。
そのマルティナを救助してから数時間後、長閑な波の音と、柔らかな風が漂う洋上の小島。
そこで僕とマルティナは、目の前に立つ一人の男の前へと向かい合っていた。
男はこの地へと降り立った、地球側からの使者。マルティナが属する軍の折衝役だかであるという人物で、上での騒動が一段落した直後、自力で上がる事ができなくなったマルティナを迎えに来たのだ。
僕はその男が発する確認の言葉に対し、迷うことなく大きく頷く。
「では、本当によろしいのですね?」
「ええ。今さら帰るつもりはありませんし、戻ったところでそちらの社会に馴染む自信もないですから」
彼が確認したのは、僕が本当に地球へと帰還する意志を持たぬかどうか。
とはいえ今更地球に帰っても待つ家族が居るでもなく、人生の大半をこの地で過ごしている僕には、地球の文明内で上手く順応していく自信はない。
「では貴方に関する諸々を黙認する代わり、以後もこちらへの協力を……」
「わかっています。もしこちらに拠点を造られるのでしたら、その際には強力させて頂きますよ」
ただ基本的に遭難をした民間人でしかない自身。本来であれば、強制的に連れ帰られてもおかしくはない状況。
それでもこうやってこの惑星で暮らしていくのを容認してもらう対価として、僕は軍とある種の契約を交わすこととなった。
マルティナが戦っている時に行われていた、宇宙での戦闘が終了した直後、軍は一つの声明を敵へと送っている。
曰く、「当該惑星は我が方の統治下に在る」と。
つまりこの惑星は既に、地球側の軍が管理する対象となっており、以後一切の手出しをすることは許さぬというもの。
侵入した敵の機体が惑星内で撃墜されているのだ、このような声明を出さずともそう受け取られるのが当然かもしれない。
しかしこれによって名も付けられていない惑星は、住む住民たちの意志は他所へ置かれたまま、地球側の監視下に組み込まれることとなる。
実際に統治を行うのはかなり先だとは思うが、いわゆる唾を付けたという状況。
そこで僕へと課せられたのは、これからは時折降りてくるであろう、軍人たちの相手をする接待役のようなものであった。
拒否権などはない。実際これを機に、僕はこの地で生きていくことを保障されたというのは事実なのだから。
「とはいえすぐにとはいかないでしょう。十年か二十年か、あるいはもっと先の話やもしれません」
「承知しています。今はまだ、他星の人間を受け入れるだけの地盤はありませんから」
とりあえず当面の話にはならぬと、使いの男は見通せぬ先に苦笑を漏らす。
地球とこの惑星とでは、文明水準があまりにも違い過ぎる。なので下手に接触をすれば、混乱や騒動が起こるのは必至。
下手をすれば地球側を異界から現れた悪の軍勢とでも認識しかねず、騒乱に発展するということも十分に有り得た。
なのでこれから先数十年を掛け、発展を促しつつ接触の機会を待つ必要があるらしい。
あるいは数十年では済まず、数百年という月日を要する可能性すら否定はできない。その頃には、僕も流石に生きてはいないが。
「そこまで急ぐ必要はありません。これまでに出発した開拓団も、幾つかの星を見つけていますので」
「ではこちらはこちらで、気長に待たせてもらいましょう」
「よろしくお願いします。では、我々はこのあたりで」
移住可能な惑星の開拓を進めている地球ではあるが、そこまで切羽詰った状況ではないらしい。
なので十分に時間はある旨を伝えてきた使いの男は、そろそろ出発しようかと、僕の隣へ立つマルティナへと視線を向けた。
向けられた視線の先に居るマルティナの格好は、先ほどまで来ていた、身体にピタリと沿ったパイロット用のスーツではない。
白を基調とした軍服を纏い、胸には階級章が飾られている。
どうやら属する艦隊に戻ってすぐ、何がしかのセレモニーにでも出席させられるらしい。
そのマルティナは僕へと向き直るなり、初めて会った時のようにスッと手を差し出してきた。
「世話になったな。今だからこそ素直に言わせてもらえれば、この星に落ち途方に暮れていたわたしにとって、君が迎えに来てくれた時は救いであると思ったものだ」
僕が差し出された手を握り返すなり、彼女は手へと力を込める。
そして離そうともせずジッと目を見据え、感謝の想いを口にしていった。
「大げさだよ。非常用の食料もあったし、なによりも顔を合わせた途端に銃を向けてきたくらいだ、気丈そうに見えた」
「いや、その食料とて一月もすれば底を着く。ああ見えて気持ちの方は随分と参っていたし、おそらく食料が尽きる前に生きることを諦め、海へ向かっていたやもしれない」
握ったままの手を解こうとせず、内心を吐露するマルティナ。
彼女はここまで決して口にしてこなかった、弱気な口調となり目を細め感情を表に出していた。
初対面では鋭く精悍そうであった表情も、今にして見れば随分と柔和になっているだろうか。
端正に整った顔立ちであるのは変わらずだが、受ける印象はあの時と真逆なもの。
「君はわたしをあの格納庫に押し込めておくこともできたのに、それをせず人の住む地で過ごさせてくれた」
「言ったろう? あそこは冬場に人が住める環境じゃないって。保護するとなった以上、体調も考慮したに過ぎない」
「そんな物、飛行艇の中に入っていれば別段影響はないはずだ。あそこでもそれなりに暮らせるからな。だがあえて街へ連れて行き同じ家に住まわせてくれたこと、どれだけの言葉をもって感謝とすればいいか」
ここでマルティナは手を離すなり、今度は軽く抱擁をしてくる。
秋が深まってから春を迎える間、彼女はラトリッジで僕等と共に暮らした。その間の彼女は今にしても、楽しそうであったように思える。
そうして抱擁する彼女は、背後に立つ軍の人間に聞こえぬよう、耳元で小さく告げた。
「ああして共に戦った以上、君は戦友であると言っていい。これまでわたしが軍の中に居てもなかなか得られずにいた、本当の意味での仲間だ。勿論、ヴィオレッタもな」
「……伝えておくよ。きっと喜ぶ」
「そうしてくれ。それともう一度謝っておいてくれ、若干君たちの仲を揺さぶろうとしたからな」
そう言って身体を離し、軽く肩を竦めておどけるマルティナ。
どこまで本気であったかは定かでないものの、彼女との関わりがヴィオレッタをヤキモキさせたのは確かだ。
マルティナはそのことを謝っているようだが、今更ヴィオレッタも気にはしていまい。
その当のヴィオレッタは、地球側の人間と顔を合わせるのは不都合であるということで、マルティナの見送りをする場には来ず別の場所で待っている。
地球発祥人類とこの惑星住民との間に生まれた彼女は、確かにあまり存在を表に出すのはよろしくないだろう。
身体を離したマルティナは次いで、横へと視線を向け海を眺めた。
場所こそ大きく離れてはいるが、この海の底には彼女の愛機が沈んでいる。
「残念だったね。折角あそこまで直したってのに」
「こればかりは仕方がない。あれを連れ帰れないのは若干心残りだが、あそこまで戦えば本望だろう。ゆっくり眠ってもらうさ」
波の向こう、深くへと沈んでいるであろう愛機"スピカ"を見るマルティナへと、僕は静かに無念さを口にする。
海底に沈んでしまったため、引き上げを行おうと思えば相応の装備が必要となる。
ただそこまでする必要性はないのか、それともこの地にそういった装備を運んでくるのは難しいのか、軍はあの機体に関しては何も言ってこない。
あれだけ白い愛機を誇りとしていたマルティナだ、熱心に修理し再び飛び戦えるようにした翼を失ったというのは、どれだけの喪失感であろうか。
しかし彼女の方はもうある程度吹っ切れているのか、どこか清々しい様子で海を眺める。
満足のいく性能を発揮できぬままであったが、それでも飛翔し結果として全ての敵を落として最後に力尽きたのだ。ここまでやれば十分ということだろう。
マルティナは名残りを惜しむように海を眺め続けるが、しばらくして息吐くと再度こちらへ向き直る。
そして踵を合わせ直立すると、ビシリと音がせんばかりの鋭い敬礼の姿勢を取った。
「さて、これ以上は待たせられんからな。わたしはこの辺りで失礼する」
「……健勝でいるよう願っているよ、マルティナ少尉」
「こちらこそ。君たちの武運、遠い地から祈らせてもらう」
敬礼をするマルティナは穏やかに笑み、すぐさま踵を返す。
そのまま背後に停められていた迎えの輸送艇へと向かい、使いの男と共に無言のままでタラップを登っていった。
一度も振り返ることなく、静かな音を立て綴じられる扉。
マルティナを乗せた輸送艇はゆっくりと駆動し浮き上がると、機首を海の方向へと向け、滑るように進んでいく。
機体後部の噴射口からは勢いよく光が発せられ、加速し、上昇。
みるみるうちにその姿を小さくしていく輸送艇は、すぐに僕の視界から消えていった。
<また静かになってしまいますね。特別喧しくする人ではありませんでしたが>
「これでいいんだよ。マルティナはあまり好ましく思ってないようだけど、帰る場所があるなら帰れるに越したことはない」
無言でマルティナを見送る僕へと、エイダは若干のモノ悲しさを交えて告げる。
あまり多くの会話を交わしたとは言えぬが、この惑星住人とは言葉を交えることのできぬエイダにとっては、数少ない会話を行える相手であった。
なのでそのマルティナが去ったことで、少しばかり張り合いを無くしてしまうのかもしれない。
だがマルティナには帰ることのできる場所がある。
故郷が戦火に焼かれてもいなければ、敵の占領下にあるわけでもない。それに問題を抱えていたとしても、家族が生きているのだから。
ならば帰ってその幸運を享受するのは、権利を通り越してある種の義務に思えてならなかった。
そのような感傷を抱きながら、僕はマルティナの去っていった方向を眺め続ける。
しかし暫くしてから、不意にエイダはこちらへ届いた通信の存在を知らせてきた。
<ホムラ中佐からです。もう少し感傷に浸りたいのであれば、無理にでも待ってもらいますよ>
「……いや、出るよ。ちょっとくらい愚痴に付き合ってもらう。そのくらいは許してくれるはずだろうし」
フッと息を漏らして気を切り替えると、エイダに通信を繋ぐよう指示する。
今回は向こうの要請を受け動いた結果、そこそこ危ない目にも遭っているのだ。
半分は自らの意志であるとはいえ、それをしなければマルティナがどうなっていたかも知れない。ならば文句の一つくらい言わせてもらうとしよう。
僕は緩く口元を綻ばせると、難題を押し付けてきた自身の義父に向け、少しばかりの嫌味をもって応答した。




