指揮下
ラトリッジから補給物資の乗せられた鳥車を走らせ、一路東へと進む。
道中いくつかの山や森、一つの小都市を越えて約五日。
ウォルトンへと辿り着こうとしていた僕等の視界に現れたのは、山脈の裾野にある平野部へと広がる、農業や牧畜などが行われている牧歌的な光景だった。
更に向こうに見える山々は高く、頂上にはうっすらと雪の色。
その雪に飾られた山の谷合、深い渓谷の中に在るのが、今回同盟を離反したデナムであると聞いた。
「ウォルトンと渓谷内に在るデナム、そして共和国との国境線に在る砦は、渓谷をほぼ一直線に進んだ直線上だ。迂回も出来なくはないが、大部隊で行軍するには難しい地形みたいだな」
眼前に迫るウォルトンの町を眺めながら、僕は事前に先輩の傭兵たちから聞いていた情報を話す。
僕等の眼前に広がる高い山々は、モーズレイと呼ばれるこの大陸最高峰の山脈だ。
西方都市国家同盟とワディンガム共和国との国境は、この山脈に沿うようにして区切られており、国同士を完全に分断する存在として聳え立っている。
その急すぎる勾配は軍勢を率いて越えるには余りにも険しく、唯一隊列を組んで進めるのは、一本だけ通る渓谷のみ。
「つまり共和国が同盟を攻撃しようとしたら、その渓谷を通らないとダメってこと?」
「そうなる。これまでデナムはその渓谷で、共和国と同盟の間に蓋をする役割だったそうだ。だからこそ共和国側が引き入れたんだろうけれど」
同盟側の土地を手に入れんとすべく、共和国は度々武力を行使してきた。
唯一の侵攻ルートとなる渓谷内で立ちはだかるデナムの存在は、共和国にとって目の上のたんこぶも同然な存在だったに違いない。
だがどういう訳か、最近になってデナムは同盟を裏切り共和国側に組した。
何がしかの強力なカードを切って引き入れたのだろうが、これによって共和国側は侵略への足掛かりを得た事になる。
故郷の惑星を侵略によって追われた僕としては、是が非でも最前線となったウォルトンは護りたいところだ。
イェルド傭兵団を雇用している同盟側の都市なので、どちらにせよ手を貸す相手ではあるのだが。
「という事は、次に共和国が侵攻を開始する前にデナムを取り戻す必要があるんですね」
「取り戻すというか、攻め落とすってのが正解かもな」
眼前に迫りつつあるウォルトンは、その渓谷から出てすぐの平野部に在る。
渓谷内であればともかく、こんな平野部ではただ兵数が物を言うばかりの戦場と化してしまうのは間違いない。
そうなれば多くの戦力を割けぬ同盟に勝ち目はなく、ウォルトンも共和国にとって同盟侵攻の重要な拠点と化してしまう。
ここは何としても阻止しなくてはならない。
「デナムが共和国との合流を待たず反旗を翻した事情はわからないけれど、これはまだ巻き返す好機が有るとも言えるな」
「そんな上手くいくのかな……」
「上手くいくようにやるんだよ。そうじゃないと、同盟は征服されて僕等は廃業だ」
怪訝そうなケイリーの言葉に、僕は苦笑いを浮かべて返した。
エイダによる情報収集の結果、現状では共和国に動きはないというのがわかっている。
どうしてデナムがこんなタイミングで行動に映ったかは定かでないものの、今言った通りこれは同盟にとってはチャンスだ。
再び共和国が侵攻を開始する前に、是が非でもデナムを手中に収める必要がある。
▽
辿り着いたウォルトンの街は、ラトリッジよりも更に一回り小さな都市であった。
はたから見ても、一国家として成り立っているのが不思議に思える規模。
周辺を見ても小麦畑や牧草地ばかりで、農耕を主とする田舎町といった風情に満ち満ちている。
どちらかと言えば都市というよりも、墜落した船から離れた僕が、最初に辿り着いた町に近いだろうか。
しかしデナムが裏切った今となっては、そんなウォルトンが共和国との最前線となる。
城壁さえ碌にないこの小さな街を護らねばならないかと考えると、少々不安感に支配されてしまうのは否定できない。
「人、居ないね」
街へと入って開口一番、ケイリーが呟く。
門を越えた先にあった通りや広場に、ほとんど人が居らず閑散としていたためだ。
その小さな街の中はどうにも人影がまばらで、時々武装した傭兵や騎士、細々と店を営業する商人以外には人が見当たらない。
だがそれも無理からぬことか。
これまで長閑な田舎都市だったこの街が、急に敵対する隣国との前線基地となってしまったのだ。
「家の中に閉じこもっているのでしょうか?」
「かも知れないね。あるいはどこかに避難したか」
ただどこかに避難しようにも、行く場所などあるのだろうか。
多くの人が生まれ育った場所で死んでいくこの星では、誰かを頼って別の街へ逃げるのも容易ではないのだから。
親戚関係も一つの街中で完結している場合が多いため、頼る先など存在しない者がほとんどなのだ。
僕等が街中を見渡しながら歩き進めていくと、一か所だけ随分と活気のある場所を見つけた。
そこは一見すればただの教会であり、外観などは他の街にあるそれと然程変わるモノではない。
ただ開け放たれた扉からは何人かの人が出入りしており、それらは皆一様にチェインメイルなどの防具を纏っていた。
「先行したチームか?」
発されたレオの声に、僕は頷く。
おそらく彼らは援軍として送られて来た、僕等と同じイェルド傭兵団の団員たちだ。
その顔には見覚えが無いが、胸に縫い付けられた鉾斧を模す記章でそれとわかる。
遠巻きにその様子を少しだけ眺めていると、偶然教会から出てきた一人の男性が僕等に気付く。
彼は僕等のもとへと小走りで来ると、ニカリと笑い両の手を僕の肩へと乗せた。
「おお、よく来てくれた! お前たちがヘイゼルの言ってた有望な新人とやらだな!?」
四十前後と思われるその男性は、僕の肩を揺さぶり歓待の意志を表す。
有望という表現が適切であるかは定かでないが、僕等が新人であるというのは間違っていない。
それに自画自賛ではあるが、ここ最近入った新入りの中で、僕等は最もと言っても過言でない成果を残している。
そこそこの評価を与えられていたとしてもおかしくはなかった。
「おそらく……、そうだと思います」
「とりあえず中へ入るといい。ここが我らの拠点だ」
男性は僕の背を押しながら、他の皆を促し教会へと向けて進む。
戦力が足りていなかったのか、彼は待ちかねていたと機嫌良さそうに言葉を繰り返していた。
教会へと入り、忙しそうに動き回る傭兵たちを尻目に奥に在る一室へ。
彼はそこで僕等に椅子を勧め、座って楽にするよう告げた。
それに頷いて全員が椅子へと座ったところで、彼は自身の名を名乗る。
「よくぞ来てくれた。俺の名はデクスター、ここウォルトンの指揮を任されている者だ」
ウォルトンの指揮を任されている。ということは、彼がこの対共和国の前線指揮官である隊長ということになるのだろう。
とりあえず僕は皆を代表し、立ちあがって名乗り返す。
するとデクスター隊長は、そこまで気を張る必要はないと言い、再度座るよう促した。
どうにも前線の指揮官というイメージと異なり、随分気さくな人物であるようだ。
「本当はここじゃなく、デナムで防衛を担うのが役割なんだがな」
「デナムが同盟を離反したと聞きましたが、いったい……」
「ああ。実はデナムの騎士隊から、ここに移動するよう命令されてな。俺たちも形式的には連中の指揮下に入っているから、連中が指示すればその通り行動せにゃならん。それで仕方なくウォルトンに行かされた途端にこれだ」
彼の口振りからすると、今回起こった離反劇は、デナムに居る騎士隊が首謀者となって行われたようだ。
雇われている側に過ぎない傭兵団としては、不信感を抱きつつも騎士隊からの指示に従わざるをえない。
とはいえ騎士隊による手酷い裏切りに、デクスター隊長の表情は苦々しそうだ。
そういえば以前に北方へ行く際に娼婦たちを護衛した時、他国と通じている騎士の噂を聞かされた。
もしやとは思うが、あれはデナムのことを指していたのだろうか。
「騎兵を駆らせて増援の要請だけはしたんだがな。北方の戦線を維持するためにも、今はあまり多くの人員を割けない状態らしい。正直少しでも戦力を送ってくれるのはありがたい」
「ですが僕等はまだ、戦場に出た経験すらありませんが……」
僕は自分たちが戦場での経験もない、ヒヨッコであると告げる。
だがそれに対し首を横に振り、問題ないと告げるデクスター隊長。
とりあえずは睨みを利かせるために、頭数があるだけでも十分であるとのことだ。
あまり戦力として数えられていないようにも思え、面白くはない。
だがこれといって戦場での実績が無い僕等だ、そう考えられるのも当然と言えば当然だった。
「それなりに見栄えのする装備をして、渓谷で対峙していれば今のところは戦闘にならんよ。向こうも保有する戦力だけでは、大した戦闘はできないからな」
デナムは同盟を離反したことにより、同盟側に拠点を持つ多くの傭兵団を味方に付けられなくなったようだ。
当然その中には、大陸で最大規模を誇るイェルド傭兵団も含まれており、デナム側の戦力は大きく減退しているのだと言う。
ようするにデナムの保有する騎士隊だけでは、現状傭兵団を擁するウォルトン相手に仕掛けられないということなのだろう。
ただ人が少ないという点に関しては、こちらも似たような状況であるようだ。
それにいかな歴戦の傭兵たちとは言え、流石に僅かな人数では要塞化された都市を攻め落とすことは困難であるようだった。
「共和国側から増援が来る可能性は……?」
「当然あるな。それに関しては、現在ウォルトンの騎士隊が斥候を出している。そちらからの報告待ちだ」
「了解しました。では僕ら四名は、本日よりそちらの指揮下に入ります」
僕は皆へと視線を送り、眼前の隊長の指揮下に入ったことを念押す。
ここから先は僕も一介の新米傭兵として、大人しく従っていかなければならない。
何せこれまで戦場に出た経験が皆無であるため、生き残っていくために必要なノウハウを持たないのだから。
このチームのリーダーとはいえ、僕自身もまた謙虚になって学ばなければならない側なのだ。
「こちらからは以上だ。今日はとりあえず旅の疲れを癒して、明日から頼むぞ」
「はい。では僕等は一旦宿に荷物を置いて参りますので、これで」
立ち上がって一礼し、教会の部屋から退室しようとする。
その僕等の背へと、デクスター隊長は申し訳なさそうな空気を込めて制止する声を掛けた。
「宿屋なら使えんぞ。ウォルトンの騎士隊連中が宿舎として接収してるからな」
「……え? どういうことでしょうか、彼らはこの街での拠点があるはずでは……」
「最高の状態で戦闘に臨めるよう、より良い環境で英気を養わねばならない為、だそうだ。たいして強くもないのに、騎士共の態度がデカイのはどこでも同じだな」
既に怒りは通り越しているのか、呆れた態度を隠すこともなく告げる隊長。
まさかとは思うが、そのような理由で宿が抑えられてしまっているとは。
ラトリッジやベルバークでもそうだったが、騎士たちは自身を特権階級と認識しているせいか、僕等傭兵を見下す傾向が強い。
自身を選ばれた高貴な血筋と公言する者も少なくはないし、実のところ街の人たちから見ても、荒くれ者の多い傭兵以上に嫌う人は多かった。
どうやらウォルトンの騎士たちも同様であるようで、デクスター隊長は騎士たち相手に心労を積み重ねているようだ。
ベルバークで一悶着起こした僕からすれば、彼の気持ちは痛いほどよくわかる。
「だからお前たちの宿はここだ」
指揮官は踵を踏み、床をトントンと鳴らす。
ここというのは、言うまでもなくこの教会施設を指している。
「えええぇぇー! 折角ベッドで眠れると思ったのに!」
露骨なまでに、隠すこともなく不満を露わにするケイリー。
確かにウォルトンまでの道中だけではなく、その前の護衛任務や補給任務の最中など、最近は荷車の上で寝起きすることがほとんど。
おまけにラトリッジで住む家でも、未だに数枚の布を重ねただけの床に雑魚寝をしている有様だ。
なので彼女の言いたい事はよくわかる。
僕自身もウォルトンに到着すれば、ベッドで眠れるのではないかと密かに期待していたのだから。
だが感情の赴くままに発せられたその言葉に、僕は慌てふためくしかなかった。
上官である隊長を前にしたそれは、酷く失礼なものであるのは間違いない。
これから色々と教えを乞おうというのに、その態度はないのではないかと。
しかし幸運にもデクスター隊長は然程それを気にした様子もなく、むしろ気持ちは解るとばかりに大きく笑っていた。
「まぁしばらく我慢してくれ。今ここの大工に発注して、それなりの数を作ってもらっているからな。完成したら真っ先に使ってもらうとしよう」
「も……、申し訳ありません、我儘を言ってしまいまして」
「なに、構わんよ。こちらとしても、女性に床で眠ってもらうのは気が引けるところだ」
デクスター隊長はそう言って爽やかな笑みと共に、僕等へと軽いウインクをする。
実に耳の痛い話だ。
予算の都合上仕方がないとはいえ、未だ家でケイリーを床に眠らせている身としては。
存外傭兵にしては紳士的な隊長に再び礼をしてから部屋から出ると、僕はとりあえずケイリーの頭に軽くゲンコツを食らわせておいた。
不満の声が一度だけ響くが、彼女もまた自身が無礼な態度をしたのは理解したようで、それ以上文句を言ってくることはない。
そこから一旦教会の外へと出た僕らは、とりあえず今から取る行動についての確認を行う。
戦場に立つのは明日以降であるとはいえ、今日の内にやっておかねばならない事はそれなりに有る。
「明日から早速戦場に出るみたいだし、ひとまず手分けして準備を進めよう」
「わかった。俺たちはどうするんだ?」
「そうだな……。レオとマーカスは荷車から補給物資を下ろして、物資管理の人に渡しておいてくれないか。デクスター隊長は見栄えの良い装備が必要だって言ってたから、それを支給してもらえるかも確認しておいて欲しい」
レオの質問に若干の逡巡をして返すと、二人は同時に頷く。
運んできた物資の搬入などはどうしても力仕事になるので、この二人に頼んだ方が良いだろう。
レオは確認作業などを非常に苦手としているので、そこはマーカスに任せておく。
「あたしはー?」
「ケイリーは僕等の寝床になる場所を確認して、そこに私物を運んでおいて欲しい。それから外の商店で手に入りそうな物を、大雑把でいいから把握しておいてくれると助かる」
団からの支給品と僕等が個人的に持って来た物だけでは、どうしてもそのうち不足分が出てくるはずだ。
その時にウォルトンで仕入れられる物資が何かによって、使う優先度を変えていかねばならない。
「りょーかい! アルはどうするの?」
「僕は他の人たちへの挨拶回り。あとは戦場の下見かな」
遠巻きでも戦場となる場所を確認し、先に来た傭兵たちから話を聞いておかねばならない。
そうやってエイダに詳細なデータを持たせておけば、何か咄嗟の事態が起こった時に、多少なりと役立つかもしれないのだから。
「ほら、早くしないと陽が沈むよ。今日の内に行動しておかないと」
皆を促し、僕自身も他の団員たちの居る方向へと向かって行く。
人の指揮下に入ったとはいえ、結局こうやって皆へ指示を出す役割となってしまってる。
今後を思えば、それが良いのか悪いのか。
今の僕には、どちらであると判断のつかぬものだった。