スピカ02
一面の灰色へと覆われた、雷の音さえ鳴り始めそうな曇天。
この日、僕等は修理を施した機体の具合を見ることを目的として、そんな空の下で一度目の飛行試験を行っていた。
あえて青天の時ではなく曇りの天候を選んだのは、単純に多少なりと音の響きが違うであろうというため。
機体の駆動音そのものは然程五月蠅いモノではないが、あまり機体が発する音が人里へ届き、騒ぎになるのも困るからだ。
「こちら管制塔。久しぶりの空の旅はどうだい、少尉殿」
『たまらないな。直接肌に感じることはないが、やはり空で風を切って進むというのは良いものだ。惜しむらくはこの美麗な姿を、人々に見せつけられぬということか』
「さすがにそいつは勘弁して欲しいかな。ちょっとした騒動では済まなくなるから」
薄暗い空を白い機体で駆るマルティナへと、僕は地上から話しかける。
管制塔とは言うものの、実際に居るのは普段の格納庫。あくまでこういうのは気分の問題だ。
出力こそ目一杯には出せぬものの、普通に飛ぶ分にはこれといって問題はない。なのでこのくらいの、ちょっとしたお遊びは許容されるはず。
それにしても、僕自身も飛行艇を操縦することで飛ぶ機会はあるが、やはり戦闘用に製造された身軽な機体というのは、見ていて浮足立つものがある。
僕自身も幼児期には男児の多分に漏れず、マルティナのように空や宇宙を駆けるパイロットという立場に憧れたものだ。
結局そうなる未来というのは、育った惑星が襲撃を受けここに墜落したことで、断たれるはめとなってしまったのだが。
『ところで、もう少しばかり思い切った機動を試してみたい』
「動きそのものは問題ないと思うけれど、燃料の方はいいのかい?」
『燃料を心配せねばならぬほどの、急激な動きをするつもりはない。ちょっとばかり雲の上まで抜けて、その後で幾度か旋回するくらいのものだ』
「……わかった。でも少しでも異変を感じたら、すぐに引き返してくれよ」
『了解。では少しばかり楽しんでくるぞ』
こちらの心配を本気で受け取ってくれたのか否か、マルティナは意気揚々と高度を上げていく。
おそらく今彼女が言った程度の動きであれば、これといった問題は起こらないはず。
搭載された燃料の残量を考えれば、あまり度重なる飛行試験を行う事はできない。
ただだからこそ、過度に燃料を消費するような機動を行わないならば、気分転換がてら好きに飛ばさせてあげるのが一番いいのかもしれない。
若干遊び始めたマルティナの様子を衛星からの画像で確認しながら、僕は格納庫の一角で座り茶を飲みながら待つことにした。
ただしばらくそうしたままでノンビリと過ごし、そろそろマルティナへ戻ってくるよう告げようかと、思い僕が背伸びをしながら立ち上がったところで、不意にこちらへ向け叫ぶ声に気付く。
「アル、通信だ。お前を呼んでいるぞ!」
「僕に? いったい誰から……、て言わずともわかるか」
「想像通りだ。どうも急ぎの用があるらしい」
叫んでいたのは、飛行艇の側面に据えられた扉から顔を出すヴィオレッタだ。
彼女は降りてこちらへと駆け寄ると、飛行艇内に備えられた通信機器へと、僕宛てに連絡が入っている事を告げた。
このような手段でこちらに連絡を取ってくる相手となれば、他に思い当たる相手は居ない。現状ヴィオレッタの父親である、ホムラ中佐くらいのものだ。
僕は急ぎの用であるという彼女に促され、小走りとなってタラップを登る。
そこから操縦室へと入り席へと腰かけると、繋がれたままであるそれへと返事を返した。
『すまないね、急に連絡をしてしまって』
「構いませんよ。久しぶりにヴィオレッタと会話をできたようで、むしろ安心したくらいです」
『……ほんの数十秒だけだがね。まだ怒っている訳ではないだろうが、ひたすら事務的なやり取りしかさせて貰えなかったよ』
通信機器の向こう側に居る相手、ホムラ中佐はそう言って、若干乾いた笑いを発する。どうやら久方ぶりの親子での会話は、幾分かギクシャクとしたものであったようだ。
彼が連絡を取ってきたのは随分と久しぶりで、確か前回はマルティナの救助を要請してきた時。
以後は現状報告という名の、時折短い文章データを送ってくるばかりで、これといって音声でのやり取りまでは行ってこなかった。
であるというのに、今回わざわざこうして連絡を取ってきたというのは、何がしかの進展があったということか。
すぐさま本題へと入りそれを問うてみると、中佐は頷いたのが目に見えるかのような声で、ハッキリとした肯定を示した。
『マルティナ・此瀬少尉の救出案が出された。近いうちに承認され実行に移すこととなるはずだ』
「思っていたよりも随分と早いですね。僕の出していた救難信号は、十年以上放置されていたってのに」
『そいつを言われると返す言葉もない。だが上の連中が随分と焦っているせいで、こちらとしても無視はできなくてね』
困ったものだと言わんばかりに、彼は若干の気まずさを纏った声で告げる。
以前にホムラ中佐は、マルティナが地球に在る企業の創業者一族の出身で、幾つもの政府へ影響力を持つ家であると言っていた。
どうやら彼女が来てからの半年以上の間に、その発言力を持つマルティナの実家から、再び救出を急ぐよう要請という名の指示があったのだろう。
『ただこう言ってはなんだが、今回は彼女にとってむしろ良い休暇になったのではないかな。聞いた話では、あまり実家に帰りたがらなかったようでもあるし』
「たぶんそうだと思いますよ、休暇の代償は高いと思いますけれど」
『実際そこまでの懲罰にはならないさ。精々が謹慎と将来的な昇進が阻まれるくらいのものか、除隊とまではいかないだろう』
普通に戦闘の末に落ちただけであるなら、むしろ章の一つでも受け取るかもしれない。
ただその戦闘に至ったのが、上の指示を仰がず突っ走った結果であるというのが、マルティナの立場を若干悪くするものであるようだ。
もっともそれだけの十分な罰であったとしても、ここまで見てきたマルティナの性格を思えば、案外平然と受け入れるかもしれない。
それに若干の懸念もあるが、そちらは中佐がどうにかしてくれるはず。
『手段は私とミラー博士が地球への帰還を行った時と同じだ。機を見て少しばかり戦線を押し上げるから、その間に此瀬少尉の救出を行う部隊を降ろす』
「大丈夫なのですか? これで二度目です、流石に向こうもこの惑星に何かがあると考えてしまうのでは」
『そこは承知の上さ。手段も同じなだけに、次は連中も何がしかの策を講じてくるはず。軍としては現状彼女の安全が確保されているため慎重でいたいのだが、政府からも早々の救出をせっつかれていてね、いい加減助けざるを得ないんだよ』
軍からして見れば、あまり無闇に被害を出したくはないため、今の時点での救助は本意ではないようだ。
ただもし要求を突っぱねることが出来たとしても、それはそれで今度は身内から批難されてしまう。助けを待つ仲間を見捨てる気なのかと。
彼らもまた、なかなかに辛い立場であるらしい。
中佐は次いで、こちらに確認としてわかりきった一つの問いを向ける。
『答えなどわかっているが、一応聞いておこうか。君はその際に自身の救助も希望するかね?』
「まさか。僕はもうこっちで暮らすと決めてますし、何より連れ帰れない相手を置いては行けませんから」
『ならば安心だ。こちらとしても次にまた似たような状況にならぬとも限らない、実は君がそこに居てくれて、いざという時に協力してくれる方が都合がいいからね』
「……帰るかどうかを聞いたのは、本当に協力の継続だけが目的ですか?」
『さてね。今回の私はあくまでも、いち軍人として君と連絡を取っている。その点から色々と察してくれるとありがたい。ではこちらからは以上だ、失礼するよ』
概要が決まり次第再度連絡すると言うホムラ中佐は、それだけを言い残し通信を切る。
おそらく彼の本音としては、自身の娘を置いて帰るなどと言い出さないかの確認であったのだろう。
きっと僕がヴィオレッタの側に居ると告げたことで、相応に安心してくれたに違いあるまい。
ともあれ状況は動き始めた、いったいこちら側でどれだけの事をせねばならぬのかは定かでないが、とりあえずまずはマルティナに伝えるのが先決。
傭兵団の活動に支障のない時期であれば良いのだがと考えつつ、操縦室から出て飛行艇に掛かるタラップを降りようとしたところで、格納庫の外から轟と強い音が響いてきたのに気付く。
飛行艇から降りて出入り口の方を見れば、その先に延びる僅かな平地へと、滑空し降りてくる白い機体の姿が。
それは衝撃を感じさせぬ柔らかな着陸をすると、ゆっくり格納庫の中へと頭から入り込んでいく。
「おかえり。どこか機体におかしな様子は?」
「全くないな。いや、出力があまり出せないから一切問題がないとは言えないが、この地でできる最大限の修復を行えたと自負していい」
格納庫へ停まった機体から飛び降りるマルティナへと、まずは試験飛行の様子を尋ねる。
ただ彼女はそれなりに満足した様子であり、ピタリと身体に沿ったパイロットスーツの前を軽く開け、脱いだメットの下から覗く表情は実に晴れやかであった。
「しかし君が取り付けたアレ、本当に必要なのか? 別に飛行性能に不都合が出ている訳ではないのだが……」
「あくまでも念の為と、ここを片付けるためだけに着けた代物だからさ。マルティナが帰る時にはちゃんと外すよ」
「帰る時か……。いったい何時になることやら」
マルティナは背後の機体へと振り返ると、一点だけ気になる点を挙げる。
それはつい先日機体へと搭載した、格納庫へと置いてあったミラー博士が置いて帰った代物。どうにも彼女にはそれが必要であるかが納得いかないようであった。
彼女が救助される時には一緒に外すという約束で載せたそれであるが、確かに見た目には若干の無骨感を与えているのかもしれない。
とそこまで考えたところで、マルティナへと伝えておかなくてはならぬ事を思い出す。
グッと伸びをして、休憩を摂るべく格納庫隅のスペースへと移動するマルティナ。
その彼女へと並んで歩きながら、つい先ほどホムラ中佐から入った通信の内容を伝えると、テーブルの上にメットを置いたマルティナは大きく息を吐き出した。
「……もしかして怒ってる?」
「当然だ。この身一つを救い上げるために、どれだけの労と資財を投入させる気なのだ」
呆れや落胆も篭っているであろう、マルティナの声は次第に怒気を纏っていく。
彼女は自身を助け出すという行動により、多くの犠牲や損耗が起こりうるのを許容できないようであった。
「わたしの家は、多くの品を軍に納入しているからな。その関係でまたもや無理を押し付けたのだろう」
「マルティナ自身も、それが切欠で軍に?」
「我が家の人間は必ず一度、軍に行き揉まれるのが習わしだからな。しかし強い影響力を持つからこそ、なおさら依怙贔屓は許されん」
決して声を荒げたりはせぬものの、マルティナからは強い苛立ちめいたものを感じられてならない。
怒りの矛先は救出を強行しようとする軍にというより、圧力をかけてきたであろう自身の実家に対してのものであるようだ。
いつの間にかすぐ近くで茶を淹れていたヴィオレッタは、そんな彼女の言葉に静かに頷く。
彼女もまた、前任の傭兵団団長であるホムラ中佐の娘であることを隠し、一傭兵として長く団に身を置いていた。
立場を傘に着て優遇されるのを善しとしなかった点で、マルティナの心情を理解できる面があるようだ。
「すまない、二人に愚痴を溢しても仕方がないな」
「別に構わないよ。ただ通告された以上、僕等は軍に協力しなくてはならない」
「そこは承知している。……だがそもそもは自身が引き起こしたこと。君たちに迷惑をかけるのは心苦しい」
こちらへと向き直ったマルティナは、一変して口惜しそうな表情を改め、謝罪の意を込めて頭を下げた。
こうなった原因そのものは彼女に在るとしても、なにもそこまでと想いはするが、やはりケジメは必要であるということだろう。
ヴィオレッタによって頭を上げさせられた彼女の表情には、やはり強く苦渋の色が滲んでいた。




