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先陣の歌姫05


 激昂したカルミオと酔客による大暴れが起こった翌日の昼。

 都市デナムは昨日までの落ち着きが一変、慌ただしく人が行き来する光景が繰り広げられていた。


 冷たく降り注ぐ雨の中、多くの人間が武器を運び、あるいは炊き出しの準備へと余念がない。

 濡れぬよう大判の分厚い布や木板を張った仮設テントの下では、放つ矢やかがり火の用意が進められている。

 それは共和国軍接近の頃合いが近づいており、急ぎで迎え撃つ準備を始めているため。

 とはいえ元々戦闘の体勢が常に整っている都市、ほどなくしてその準備も終えようとしていた。



 そんな中で宿の中へと視線を向けてみれば、昨夜同様に大勢がごった返し、舞台の上へと視線を向けていた。

 戦闘の準備を進める者が居る傍らでそのような遊びが許されているのは、全員が一斉に行動しても非効率であるため、交代で休息を摂っているためだ。

 現在休憩している者たちは、各々仮眠を摂るなり武器の手入れをするなり自由であるのだが、最も好まれている休息方法はやはり、ここで歌に耳を傾けることであるらしい。



「舞台に立つのが一人だけであるというのに、それでもここまで集まるとはな」


「普段は歌うリーンカミラが目立って判りづらいけど、カルミオの方もなかなかの腕前だからね。何気に一人だけの演奏でも十分金が取れる」


「……演奏だけが目的とは思えんがな」



 舞台上を見るヴィオレッタの隣へと並び、感嘆の声を漏らす彼女と共に、今は一人楽器を鳴らすカルミオへの賛辞を口にした。

 姉であるリーンカミラは、現在宿の奥で休息を摂っている。

 別に体調を崩したという訳ではないのだが、歌うというのはなかなかに体力を使う行為であるらしい。これ以上喉を酷使して潰しては叶わぬと、こちらの指示で無理やり引っ込ませているのだ。


 だが一人壇上で楽器を爪弾くカルミオだけでも、十分に聴衆を集めている。

 もっともヴィオレッタは、カルミオの一人でも見事にやってのける演奏だけが、客を集める理由ではないと考えているようだ。

 彼の女性と見紛う美しい容姿は、いまだに性別を勘違いされているというのも要因とし、多くの客の目を引いている。

 いい加減正体をバラしてもいいのではと当人に話してはみたが、それはそれで奇異の視線を向けられるのが、彼としては鬱陶しいことこの上ないとのことであった。



「それにしても、昨日はあんな騒動があったっていうのに、それでも変わらないものなんだな」


「むしろ逆効果だったようだぞ。主に少々被虐趣味の入った連中にな」



 昨夜は暴れだしたカルミオが、不埒な行為に及ぼうとした酔客を蹴り飛ばしたため、いったいどうなることかとは思った。

 だが意外なことに、珍しく感情らしきものを剥き出しとしたカルミオの姿は、逆に一定の人気を得ることになってしまったらしい。

 ヴィオレッタ曰く、若干そういった気質を持つ人を中心として。人の好みは千差万別とはよく言ったものだ。



 途中まで演奏を聞いていたヴィオレッタは、外の様子を見て来ると言って宿から出て行く。

 一方で僕はカルミオが演奏を終えるまで待ち、下がった所で話をすることにした。

 高く鳴る弦が発す音の余韻が収まり、宿の中がシンとしたところで立ち上がり一礼すると、大きな歓声が沸き起こる。


 ただ彼は昨日のことを少しばかり反省しているのか、喝采を送る傭兵たちへと礼を言うように、軽く手を振りながら下がっていく。

 もっとも浮かべる笑顔は薄いのだが、それでも客への対応を姉に任せていたのに比べれば、格段に愛想がいいと言える。

 最近では彼にもファンに相当する人が居る様なので、昨日の今日で無下にも出来ないと考えているらしい。



「大層な人気じゃないか。そのうちあの中の誰かから、求婚でもされるかもしれないよ」


「……冗談にしても笑えない。こんなナリでも、オレは女にしか興味はないからな」



 休憩のため宿の奥へと入ったカルミオに着いていき、通路の一角に楽器を置く彼に声をかける。

 するとカルミオはこちらを振り返るなり、うんざりといった様子で口を開きながら肩を竦めた。

 姉とそっくりである自身の女性的な容姿に関しては、やはり相応に自覚があるようだ。

 ただ言い様から察するにもしかすると、これまでもに男から迫られた経験でもあるのかもしれない。



「他の傭兵連中は走り回っているが、あんたは動かなくてもいいのか?」


「僕は監督するのが役割だからね。拠点で腰を落ち着けてから、指示を出したり報告が来るのを待つのが仕事さ」


「にしては随分と暇そうに見える。オレに話しかけられる程度にはな」



 なかなかに辛辣なカルミオの言葉に、僕はついつい苦笑いを浮かべる。

 彼の感想に間違いはない。実際今の僕はこれといってやる事が無く、正直手持無沙汰感があるのは否定できなかった。

 というのもこの場で待機し指示を出す立場ではあるが、僕よりも前の段階、デクスター隊長に報告がいった時点で大抵は解決してしまうからだ。

 なので完全に準備が完了した時になって、ようやくその報告を受けるくらいしかすることがない。



「まぁいい。ところで敵が攻めてくるまで、まだ時間はあるのか?」


「予想だと、戦闘の開始は明日の夕刻あたりかな。だから君も今のうちに、少しは休息を摂っていてくれると助かる。あまり眠っていないんだろう」


「余計なお世話だ。自分の体調管理くらい、人に言われるまでもなくできる」



 薄く開けた目でジロリと一瞥するように、カルミオは僕へと不満気な素振りを隠さない。

 とは言われても、今のカルミオは傭兵たちのストレス軽減を担う、大切な要員であるのに違いない。ここで倒れられては色々と面倒なのだ。

 だがそれを正直に伝えると、彼は薄く笑み腕を組んで壁にもたれ掛る。



「あんたらには悪いけど、オレにとっては傭兵団がどうなろうと知ったことじゃない。姉貴があんたの誘いを受けると決めたから、仕方なく従っているに過ぎないんだ」


「わかっているよ。だからこそ決して安くはない額を君たちに払っているんだ。お姉さんだって君が本気で嫌がったら、抜けるのに迷いはないだろうしね」



 刺々しいカルミオの言葉に、僕は隠すことなくありのままを話す。

 すると彼はふんと鼻を鳴らすなり、視線をこちらから外してしまった。


 姉のリーンカミラの方は、困っている状態に手を差し伸べた僕に恩を感じ、極力協力しようとしてくれている。

 しかしその恩義も、弟であるカルミオが離脱を訴えれば首を縦に振ってしまうだろう。

 リーンカミラもまた弟の意志を何よりも優先するであろうし、そのカルミオはある意味で非常にシビアな考えを持っているため、報酬額次第では容易に離れてしまいかねない。


 彼らが去っても、傭兵団は回る。しかし居てくれればその回転が円滑となる、ならば手放すのは惜しい。

 そのため他所に引き抜かれぬよう、カルミオが納得する相応の額を積んでいるのだ。だからこそこうやって前線まで連れて来られるわけだが。



「なにも僕等を仲間と思ってくれなんて言わないさ。だが金銭分は動いてもらえると助かるな、君たちも報酬を受けて歌う本職ならね」


「……いいだろう。だがもし姉貴が危険な目に遭うようなら、その時点で抜けさせてもらうぞ!」



 言葉の最後に、少しばかりの挑発を混ぜ込む。

 するとカルミオは安全の保障を口にしながらも、置いた楽器を持ち再び舞台へ向け歩こうとし始めた。

 思いのほか高いプロ意識、それをくすぐってやった方が乗ってくれるのだろう。

 その高い意識のおかげで、思いのほか扱い易いのだろうかと考えつつも、僕は再度演奏をするべく向かおうとするカルミオの背を見送った。







 事前に得ていた情報通り、侵攻を進めてくる共和国軍とは、丁度陽の落ちかけた夕刻に衝突することとなった。

 あいも変わらずただ人員を浪費するだけの、考えなしな正面からの突撃。

 もっともそれは背後に軍勢を回すだけのルートがなく、工作要員を寄越すにも渓谷内にはこちらの警備が配置されているため難しいせい。

 しかしそんな状況だからこそだろうか、本来余裕であるはずの戦いは大方の予想を裏切り、……いやむしろある意味で想像通りの事態を強いられることとなった。



「君たちも下がるんだ! 交代で休んでくるといい」


「ま、まだ大丈夫です!」


「そろそろ矢も尽きる頃だろう。それに今ここで無理をさせるつもりはない」



 あまり効果的とは言えなくとも、大量に射掛けられる矢による攻勢。

 それを城壁の陰に隠れてやり過ごしつつ、僕は同じく隠れ息を荒くする傭兵たちへと指示を出した。

 彼らとてここで下がるのも気が引けるようなのだが、今だからこそ下がってもらう必要がある。

 武器の消耗というのも要因の一つであるのだが、何よりも気持ちの方はそろそろ限界が近いからであった。


 城壁へと至る渓谷の道に罠を仕掛け、敵の足を止めている間にそれなりに安全な上から矢や投げ槍を放ち続ける。

 わかってはいた、戦場における高揚や狂乱とは無縁の作業的な戦闘、それが彼らの精神を蝕んでいくというのは。

 そのため早いサイクルで休息を摂らせ、後方に下がって仮眠や食事を摂らせるようにしている。

 ただそれが故に戦いの効率は上がらず、毎度であれば落ち着き始めてもよい頃合いになっても、いまだ下からは無数の矢を放たれ続けていた。



「そういうお前もそろそろ下がれ。いつまで前に出ているつもりだ」


「と言われてもね、今が踏ん張り時だろうし……。いや、やっぱり任せようか」


「任された。こっちこそお前に倒れられては、後々が面倒な事この上ないからな」



 いつの間にやら隣へと来ていたヴィオレッタに、一緒に後退し休息を摂るよう告げられる。

 その言葉に抵抗しようかと考えるも、一瞬の逡巡を経て渋々ながら了承する。

 彼女の言うように、こっちまで疲労でダウンしてしまっては、傭兵たちの士気へ深刻に関わる問題となってしまう。

 なのでこの場は彼女に任せ、一息つくべく自身も城壁から降りていくことにした。



 急こう配の階段を下り、戦闘中故に住民たちの行き交わぬ通りを抜け、拠点となっている宿へと辿り着く。

 そこへ入ると、中では幾人もの傭兵たちが床に寝転がり、僅かな時間で可能な限り体力と気力を回復させようとしていた。

 中には射掛けられた矢を受けたのであろう、軽傷ながら腕へと包帯を巻いた物の姿もある。

 ただ興奮によってか眠れている者はあまり多くなく、そのほとんどが呆と天井を眺めているばかり。


 そんな精神的な疲労に溢れた宿の中にあっても、隅へ置かれた舞台の上では、いつものように歌を奏でる二人の姿が。

 休息を妨げぬ、静かで柔らかな声と旋律。リーンカミラとカルミオの二人は、一時戻った傭兵たちの一助となるべく、一心不乱に歌を歌い続けていた。



「幼き頃遊んだ野を、故郷を想う。いつか帰るであろう、静かな彼の地を」


「さあ筆を手に取り綴ろう、便りを待つ私の愛しい人たちへ」



 流麗な動きで空気を撫でるように動きながら、リーンカミラは休息する傭兵たちのために、穏やかな歌を歌う。


 今は精神をすり減らした者たちのために、落ち着けるような言葉を多用した曲を選び奏でている。

 これが逆に戦場へと送り出す時には、勇ましく戦意を奮い立たせるように歌い上げるのだ。

 ただこれまた加減というのが難しく、あまりに穏やかに過ぎる内容であれば、再度戦いのために立ち上がるのが難しくなるし、逆に戦意高揚も過ぎれば無茶な行動を採りかねない。

 その辺りの匙加減というのは、実際に歌う彼女らが感じる感覚に任せるしかないのだが。


 ただどちらにせよ、軽傷であったとしても痛みがあるというのはやはり嫌なもの。

 そういった者にとって意識を傷以外の別に向けられる要素があるというのは、非常に大きな救いとなってくれるようであった。



 もっとも疲労と痛みによるせいか、歌を終えた彼女らに向けられる拍手はまばら。

 とはいえ存外落ち着かせる効果はあったようで、先ほどまで悲痛な表情をしていた若い傭兵たちも、多少なりと気を落ち着けているらしき様子が見て取れる。



「ご苦労様。助かるよ、これで彼らもまた戦いに向かえそうだ」



 深く頭を下げ、拍手への礼をするリーンカミラとカルミオ。

 二人が小休止のため裏へと下がっていったところで、僕は労をねぎらうべく声をかける。

 まだまだ外では戦いが続く、これによって仮眠を摂るのに必要なだけのリラックスができるはずで、それを促した彼女らには感謝を示す必要があった。


 ただ二人はそんな傭兵たちの表情から、かなり沈痛なモノを感じ取っていたらしい。

 若干難しい表情を浮かべたカルミオは、僕の顔を見るなり詰め寄る。



「連中はもうかなり消耗している。怪我は大したことないようだが、随分と嫌なものを見たのかうなされているヤツが多い」


「わかっているよ。でも目を閉じて戦ってはいられないからね」


「外はそんなに酷いのか?」


「……正直、戦いに慣れてない人間は、絶対に見ない方がいいと言えるくらいには」



 意外なことに詰め寄って問うてくるカルミオへと、実際には彼が想像しているあろう以上の状況であることを告げる。


 こちらは精神的にキツイが、まだ死人が出る程の被害は出ていない。その一方で城壁の外に居る共和国軍は、遥かに酷い状況になっていた。

 大地は大量の血を吸って黒々と染まり、そこからは剣や槍といった武器が棘の如く無数に生え、死臭を嗅ぎつけた鳥が何十羽と空を旋回する様はさながら地獄絵図。

 吐く程度で済めば御の字、下手をすれば見た瞬間に失神してしまうかもしれない。


 別にそこまで事細かに教えはしないが、大雑把ながら外の惨状を伝えると、カルミオはわかったと一言呟くなり、楽器を片手に奥の部屋へと引っ込んでいく。

 そんな背を向ける彼を見送ると、姉であるリーンカミラは横に立ち、柔らかな調子でフォローをした。



「ここに来るのを嫌がっていたわりには、今はそれなりに気にしているみたいですよ」


「傭兵団に合流してしばらく経つし、そろそろ情も湧いてきたのかな?」


「かもしれません。私たちは長く旅の一座に居たもので、そういった別れが辛くなる交流を持たぬようにしてきたのです。だからでしょうね、あの子が鉄面日を演じているのは」



 彼女によると、カルミオは基本的には気分屋で感情の起伏が激しく、無理にそれを押し込める為のキャラ作りが普段の無口であるらしい。

 それも最近ではボロが出易くなっているようで、ある意味で馴染んできた証拠であるようだ。

 毎日のように歌を聴かせ、寝食を近くで過ごしている傭兵たちと過ごす日々。そんな状況は、カルミオにとって情を抱かせるのに十分であった。



「なら君にはよく見張って貰わないと。まだ当分は歌ってもらうことになるから」


「了解しました。しっかり手綱を握っておきますね、弟が暴走しないように」



 おどけた調子でリーンカミラへと告げると、彼女はクスリと微笑む。こちらは弟の方とは違い、存外冷静さを保っているようだ。

 そのままカルミオを追い控室へと入る彼女に任せると、僕は僅かな時間を目一杯休息に当てるべく、そのまま宿の通路内で腰を落として瞼を閉じた。



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