先陣の歌姫04
城塞都市デナム。そこは言うならば、肉と血、そして金槌の音で築かれた都市であった。
領土拡張の意識が強い隣国に対する、防衛の最前線。
他の土地が固めた土や石材によって城壁を成すのに対し、ここデナムでは更に金属で造られた重圧な城門を備える。
渓谷内に築かれた比較的小規模なこの都市には、食料を生産する畑などは一切見られず、そういった物の一切を後方の他都市に依存した、完全に防御のみへと特化した構造をしていた。
というよりも田畑を耕そうにも、都市を囲む渓谷は傾斜が厳しく耕作に向いてはいない。
それに侵攻する敵兵が踏み固めた地面は固く、そいつらの流す血を吸い続けた大地は、豊富にすぎる鉄分により植物が生えはしなかった。
娯楽施設にも乏しく、昼間に都市を賑やかすのは子供の遊ぶ声ではなく、鍛冶師たちが金属を打つ金槌の音。
この地に存在する都市が国境防衛を担うようになったのではなく、防衛を担うという目的のために都市が築かれた。そんな土地であるからこその日常と言えた。
土を耕すよりも鉄を打て。本を読む暇があるなら剣を振れ。打ち合う金属が散らす火花と、舞い飛沫く血こそ我が街の享楽。
一種異様なスローガンではあるが、この同盟領東端に位置する城塞都市デナムは、そういった意識によって堅牢さを保ち続けている。
だがそんなデナムにあって、この夜は普段鳴り続けている金槌によるものとは異なる、流麗な響きが流れていた。
「初めて聞く形式だが、なかなかに悪くはないですな」
「おかげで向こうでも人気ですよ。最近じゃ団員以外にも開放して欲しいと、住民たちが要望に来るくらいで」
デナム市街の中心部にほど近い、都市内で最も大きな宿屋。
といっても旅人の立ち寄らぬ場所なだけに、ほぼこの地に駐留する傭兵が専用で使う宿であるが、そこの一階に大きく取られた酒場としてのスペース。
そこで仮設で設けられた舞台の上で、リーンカミラとカルミオの姉弟はいつものように静かな調子で歌を披露していた。
酒場の隅で酒を手に彼女らを眺める僕の横には、この都市で防衛の指揮を執るデクスター隊長が。
柔らかに、穏やかな調子で歌う二人の姿を感心しながら眺めた彼は、羨まし気に僕へと視線を向ける。
「ラトリッジに戻れば、毎夜のようにこいつを堪能できるわけですな。……ところで物は相談なのですが」
「まだ当分は勘弁してください。今貴方にここを離れられては、立ち行かなくなってしまいます」
「そいつは残念。こんな土地でも住めば都と言いますが、いかんせん娯楽が酒くらいしかないもので」
デクスター隊長はそう言ってカラカラと笑い、強い酒精の香りを漂わせるジョッキをグイと呷った。
僕が新米の頃には既に防衛責任者としてここに居たため、彼は随分長くこの地で過ごしている。
なのでそろそろ自身の家族が居る、ラトリッジへ戻りたいという意識が強まっているのかもしれなかった。
だが今はまだ勘弁してもらいたい。実戦経験が豊富で、人心掌握に長けた彼にここを離れられては、次に寄越す人間に困ってしまうのが現実なのだから。
いずれは何とかしなくてはならない問題ではあるけれど。
再び舞台上へと目を向けると、そこでは一曲を演奏し終えた二人が一度立ち上がり、聴衆に一礼しているところであった。
酒場へと詰めかけた傭兵団の団員や、この都市へ住まう住民たち、そして仕事を忘れ聞き入っていた酒場の給仕。その多くから喝采を浴びている。
そんな姿を眺め同じく拍手を送っていたデクスター隊長は、二人が次の曲を流し始めたところで、他に聞こえぬ小さな声で問うてきた。
「それで、あとどれくらいで接触になりますかな」
「おおよそですが、二日後の夕刻といった辺りでしょうかね。推定で約千二百、そこそこの軍勢を用意したものですね」
向けられた質問は、現在この都市に向けて進行中である、共和国軍がいつ頃接近するかというもの。
毎度毎度大敗を喫しているというのに、懲りずまたもや大きな犠牲を払おうという連中は、今回もまた多くの戦力を投入して来ていた。
衛星から得た敵戦力の情報に加え、今回は現時点で斥候による情報も届いている。
以前に僕がこの地で、情報を得るため渓谷を踏破したのに比べれば、ずっと今回は楽であると言えた。
「人数だけを聞けば、ここの防御なら問題なく対処できるとは思いますけど……」
「左様です。問題は今回入れ替わりで来た人員の多くが、ここでの戦いに適応していけるかですな」
僕はその情報を口にしながらも密かな懸念を露わとする。
するとデクスター隊長は同意するべく頷きながら、酒場で歌声に聞き入っている、多くの若い傭兵たちを見渡した。
傭兵団が生まれ変わり、多くの新米を迎え入れて暫し。
連日に及ぶ訓練や幾度もの実戦を経て、彼らは相応に傭兵としての経験を積み重ねつつある。
しかしここデナムでの戦闘は、他で行われるものとは訳が違う。
戦場としての危険性に関して言えば、むしろ安全と言っていい。なにせ地形の優位性に加え、強固な防壁によってここ数年で出した死者は数える程であった。
一方で敵となる共和国。敷かれた厳しい階級制度によって、最前線で戦う兵士のほとんどが、その中でも最下層に位置する占領した他国の元国民。
それ故か人員の消耗など気にもしない共和国側は、碌に訓練も受けていない兵を考えなしに突撃させてくるせいで、一方的に蹂躙するような戦闘が毎度行われていた。
しかしだからこそ、それが逆に問題となる面も少なからず存在する。
「僕自身も経験がありますが、ここでの戦いは精神的にキツイものがありますから……」
「大抵の人間はそういったものです。我々とて最初は眠れぬ夜を過ごしましたし、約半数は耐え切れず送り返してきました。今までこの地へ残り戦っていた者たちも、役目を他者に押し付けたくない想いあってのこと」
ここの戦場において最も問題となる点、それはあまりに一方的な戦いとなるせいで、圧倒的優位に立っているはずのこちらが余裕を持ちすぎること。
それは戦闘の興奮や高揚感を置き去りとし、冷静に戦場の光景を見れるというのに他ならず、次々と無残に倒れ血を流す敵兵の姿を見続ける状況。
稚拙ながらも都市ごとに法が整備され、やむを得ない自衛を除き人を傷つけることが忌諱されるという、地球と然程変わりはしない観念を持つ同盟領の住人たち。
「敵なのだから気にする必要などない」と、そこまでしっかり割り切り屠っていけるのは、長年の経験から頭のスイッチを無理に切り替える術を心得た人間くらいのもの。
あるいは元々頭のネジが緩んだ人間か、真正のサイコくらいのものだ。
むしろデクスター隊長の言うように、耐え切れず他の都市に回されるのであれば、まだダメージは浅い方。
中には二度と剣を握れぬ者も出てくるし、僕自身そういった人たちを何人も見てきた。
「もっともそのために、あの二人を連れてきたんですけどね。休憩の最中くらいは、気を紛らわせる手段が必要じゃないかと」
そのような事を考えながら、僕は次いで低いオクターブで強く歌うリーンカミラの歌声へと耳を傾けた。
先ほどまでとはうって変わり、彼女の口から紡がれる歌詞は全体的に勇ましく、"誇り"や"覚悟"といった言葉が並ぶ。
カルミオによって爪弾かれる弦楽器から鳴らされる音もまた、力強く宿の中へと響き渡る。
歌い楽器を奏でる二人には、あえてそういった単語を使う歌詞を歌わせていた。
迫る共和国軍の侵攻に備え、そういったものを無意識下に植え付けるために。
「先代の団長はその辺りに頓着しませんでしたからな。今は気を使って下さる方が団長となったので、若い連中が羨ましい限りです」
「そいつは聞き捨てならぬな。反論の機会を貰えれば、長々と話してやってもいいぞ」
しみじみと告げるデクスター隊長であったが、彼の言葉に反応したのは僕ではなく、いつの間にやら近くへ寄っていたヴィオレッタだ。
彼女はデクスター隊長の顔を覗き込むように視線を向けると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
そんなヴィオレッタの表情に、しまったとばかりに目を見開くデクスター隊長。
「おっと、これは不味い言葉を聞かれてしまいました。ですがお父上を侮辱する意図ではないのですよ」
「わかっている。ちょっとした冗談だ、私の方もな」
だが彼とて決して本気で言ったわけでもないのは明らかで、ヴィオレッタにしてもそれは承知の上であるようだ。
僕の隣へと座るなり、不機嫌さなどどこ吹く風と卓上に置いてあった僕の酒を奪い、一口口を付けてから肴へと手を伸ばす。
彼女は先ほどまで前の方で歌を聴いていたはずなのだが、僕とデクスター隊長が大事な話をしているのを嗅ぎ取ったのだろう。
「どうだい、あの二人は? ずっと前で聴いていたんだろう?」
「調子は上々のようだ。それに彼女らが同行すると知って以降、全体的に士気も高い。私もここでの戦闘の噂くらいは聞いているからな、おそらくそれなりに役には立ってくれそうだ」
戻り腰を落ち着けて座るヴィオレッタへと、僕はずっと聴いていたであろうリーンカミラとカルミオについてを尋ねる。
すると彼女は満足気に頷き、二人のコンディションに加えて、傭兵たちへ与える影響の良好さを口にした。
彼女自身はこの地での戦闘経験がないはずだが、それでもここデナムでの戦闘が苛烈であるというのは、色々と聞き及んでいるらしい。
しかしヴィオレッタは少しだけ言い澱む気配を見せると、小さく欠片ほどの懸念を示す。
「ただ……」
「ただ、なに?」
「一つ問題点を挙げるとすれば、ヤツが不満そうであるということか」
そう言うヴィオレッタの視線は、壇上で歌う二人の内片方、弦楽器を爪弾くカルミオへと向けられる。
カルミオは普段通り、ひたすら寡黙に楽器を演奏しているようには見える。だがよくよく見れば彼女の言うように、時折眉を顰めるような動きが見て取れた。
元々彼がこの地へ来るのを嫌がっていたというのを知っているため、多少そういった意識で見ているせいかもしれないが。
「これが私の気のせいであれば問題はない。だがもし奴の内に不平があるのであれば、勝手に去ってしまいかねない」
「……そうだな、一応後で話してみようか」
不安そうに言うヴィオレッタ。僕もまた彼女の言葉に同意をする。
少しであろうと不満を抱えたままでは、いずれどこかで爆発するかもしれない。姉のリーンカミラの方は、拾ってもらった恩を返そうとしているようだが、弟のカルミオはそうではない。
なによりも姉の無事が第一。そのためであれば、契約を勝手に放棄してでもこの地を離れようとするだろう。
今一度話をしておく必要があるだろうかと思った僕は、そろそろ演奏も終わろうかというタイミングで腰を上げる。
だがその時舞台へと目を向けてみれば、そこでは少々意外な光景が繰り広げられようとしていた。
立ったまま歌うリーンカミラに対し、カルミオは座って脚を組み弦楽器を演奏している。
彼は舞台衣装とも言える、体全体を覆う長い薄手のローブの着ているのだが、酔客にはその格好が酷く劣情を誘うものであったらしい。
おそらくはこの都市に住まう鍛冶師かなにかであろう、煤で汚した頬を酒で赤く染めた厳つい男は、舞台上に身を乗り出しカルミオの着る衣装の裾を摘まみ捲り上げようとしていたのだ。
カルミオは姉とそっくりな女性的な容姿から、性別を間違えられているに過ぎないとはいえ、こういった真似は看過できない。
なので早速止めに入ろうかと考えたところで、僕は顔を引き攣らせた状態で足を止める。
「……精神の安静が必要なのは、むしろ彼の方かもしれないな」
「いや、当然の反応ではないか? 私があの立場なら、同じようにするぞ」
歩を止め目の前の光景に嘆息する僕へと、ヴィオレッタは目を細めながら異論を返す。
舞台の上ではローブの裾を掴まれていたカルミオが立ち上がり、振り上げた足の裏を男の顔面へと叩き込んでいる光景が繰り広げられていた。
傭兵たちの精神を落ち着かせるために呼んだはずの彼だが、思いのほか喧嘩っ早いというか、なかなかに頭へ血の昇り易い性質であるらしい。
ヴィオレッタに言わせれば、これくらいは当然のようであるらしいが。
そんな逆上したカルミオを止めようと、背後から抱き着き必死に抑えようとするリーンカミラ。
だがそれでも止まらず、更に酔客を踏みつけようとするカルミオ。
一方酒が回っているせいで、これも一興とばかりに囃し立てる傭兵たち。
そして同じく酩酊状態であるせいか、美人に踏まれるのも悪くないと思っているらしく、どこか嬉しそうな鍛冶師の男。
敵が今も迫っているというのに、それを忘れてしまいかねない混沌とした光景に、僕は乾いた笑いを浮かべる以外になかった。




