「050」 05
強い陽光は落ち暗くなりつつはあるが、昼間の暑さが色濃く残る夕刻。家々からは明りが漏れ、夕食前の団欒という長閑な時間を送るひと時。
しかし本来であれば家路を急ぐ人たちが行き交うはずの通りだが、この日のラトリッジ郊外は少々と言わず不穏な空気に満ち満ちていた。
それは別段戦いに慣れた者でなくとも、それこそ普通に暮らす一般の住民であっても容易に察知できるもの。
他都市から移り住んできた人々が建てた、木材を打ちこんだだけの簡素な家々。
それらに据えられた窓の全てが閉じられ、照明の明りを消すと共に内側からは固く錠をかけられ、外気すらも侵入を拒まんばかりの警戒感が漏れ出す。
その漏れた警戒を撒き散らすようにして、土が剥き出しとなった通りを闊歩する連中は、下卑た口元を嫌らしく歪めながら進んでいた。
剥き出しとなった肌の所々にある傷と、罪人を示す小さく入れられた墨。
見るからに堅気ではない、いかにもな無法者といった風体をした男たちは、時折粗野な声を発し我が物顔で歩く。
二十人ほどの男たちが徒党を成して進むその姿を、僕はほぼ板だけで建てられた、簡素な家屋の中で監視し続けた。
「予定通りだ、連中は真っ直ぐ進んでいる。合図を送れ」
周辺の家々と同じく、一切の照明を灯さぬ家屋の中。
通りを進む連中を監視する僕は、そいつらが通り過ぎるのを確認するなり、静かに隣で待機する一人の少年へと指示を出す。
彼は暗闇の中で小さく頷くと、忍び足で外の連中からは見えぬ位置の窓へ移動し、足下へ置かれていた布を捲った。
真っ黒な分厚い布の下から現れたのは、微かに光の漏れる小さな木箱。
その少年はそれを窓の外へとかざすと、変則的なリズムで一辺に備わった箱の口を幾度か開き、外へと光を漏らしていく。
「よし、後を追うぞ。ゆっくりでいい、気取られぬようについて来い」
洋燈が発する明りの明滅による信号。それを送り終えたのを確認すると、密かに扉を開けて通りへと出る。
背後からは先ほどの少年も続くのだが、見れば周囲に建つ他の家屋からも、パラパラと人影が姿を現し始めていた。
一様に暗めな外套を被っており、陽が落ちて暗くなった新興の住宅地へと溶け込むように、遠く前を進む一団の後を一定の距離を取って追う。
追跡を行う一団が向かう先は、ラトリッジ郊外の一角に在る、傭兵団所有の墓地。
一見して怪しさのみを纏う僕等一行は、前を歩く連中とこの先で、一戦交えようとしているのであった。
こちらにはいまだ気付いていない、前方を進むいかにも野盗然とした集団。
そいつらはつい先日、騎士隊の隊長や住民の代表者を害そうという善からぬ企みを企て、僕等傭兵団によって拘束された無法者たちの一団だ。
その際に僕の前に現れたリーダー格の男を含め、あいつらは本来であれば、いまだ牢に放り込まれ都市が下した刑罰の執行を待つ身分。
だが牢から出た連中が、ラトリッジ郊外で連中が闊歩しているのには、相応の事情が存在した。
<それにしても、よくもまぁこのような悪巧みを思い付くものです。一周回って感心すらしそうになりますよ>
『別にそこまで凝った内容じゃないだろ。おそらく騎士隊の隊長や統治者連中も、一度くらいは考えたはずだよ』
前を歩く連中を追う最中、脳にはエイダの感嘆とも嘆きとも取れる声が響く。
あの無法者連中が公に外を歩いている理由、つまり僕が騎士隊の隊長と交渉を行い、わざわざ無罪放免で釈放させた件についてを言っているようであった。
当然あのように都市を混乱に陥れた輩、無罪となって解放されることなどあろうはずもない。
罪状としては商店への破壊行為と強盗、住民代表と騎士隊隊長という要人の暗殺未遂に加え、宿への放火未遂などその他数え上げればきりがない。
犯した罪の内容を見れば、拘束した二十人弱の全員を処刑対象とするに余りあるものであり、本来ならば今頃は全員が断頭台の露と消えている。
<ですが実際行動に移す時点で相当な悪辣さです>
『いいじゃないか。厄介事を抱えている騎士隊と都市は荷が下りる、僕等もまた懸念していた件が一つ片付く。双方にとって良いことずくめだ』
ただ犯した罪に照らし合わせて刑を執行するには、少々問題となる事柄が存在した。
実際には都市権力を我が物としようとした悪党どもであったのだが、あくまで極一面から見た視点ではあるが、横暴な振る舞いをする騎士に反抗した市民という側面もある。
騎士隊連中が住民から嫌われている事そのものは事実であり、少数ながら住民たちの中には、騎士隊隊長を襲撃した行為を指示する者が存在した。
下手なタイミングで処刑などしようものなら、住民はその矛先が自分たちに向けられると疑い、今度こそ本格的な騒乱となりかねないと都市統治者たちは考えたようであった。
そんな状況に統治者や騎士隊が頭を悩ませていた時、丁度一つの対処案を持ち込んだのが僕であった。
「普通に処刑するのが難しいならば、処刑しても誰も文句を言わぬ理由を作ればいいのだ」と。
ただエイダはどうやら、その方法がお気に召さないらしい。
僕はそんな彼女の若干不機嫌な様子に嘆息しながらも、通りの十字路を抜けた先で、共に追跡を行う一人の横へと並ぶ。
「ここを曲がらないとなれば、あいつらの行き先は墓地で決まりだ。ここでは明りを使っての合図が使えない、先回りして戦闘態勢を整えるよう伝えてくれ」
「承知しました。配置は予定通りでよろしいですか?」
「問題はない。だが星明りがないせいで、想定していたよりも暗くなっている。同士討ちには注意するように」
僕が発した言葉を聞いたその娘は、了解を口にするなり足音もなく駆け、前を進む集団の視界から外れるよう大きく迂回しつつ先へ進んでいく。
あの無法者連中が向かうのは、僕等傭兵団が保有し今はリアーナが管理する墓地。
そこには前もって十数人からなる傭兵たちを配置しており、武器を手に連中が足を踏み入れるのを、今か今かと手ぐすね引いて待ち構えていた。
都市統治者と騎士隊隊長に案を申し出て数日後、連中は全員揃って騎士隊の管理する牢から釈放された。
その後あいつらは予想通り、監視の厳しくなり自由の効かなくなったラトリッジに見切りをつけ、次に別の土地へと移る算段をしたようだ。
だがそのために必要となるのは、第一に移動中の食料を仕入れる為の金銭。だがあのような無法者連中が、真っ当に働いてそれを得ようなどと考えるはずがない。
ならば考えられるのは金を奪うか、あるいは食料を直接奪うかだが、金を手に入れても食料を手に入れる前に討伐されては元も子もない。
だとすれば直接食料を奪うという手段に出て、そのまま都市を逃げ出すつもりだろう。そこを僕等傭兵団で片づけてしまおうという算段であった。
そのための場所として団保有の墓地を選んだのだが、勿論あの場所にそのような備えがあるわけもない。
なのであえて連中にはあの場所に建つ小屋の中に、非常時に使用する穀物が納められているというガセ情報を流した。
そういった情報を流す役割は、専門の人間に任している。つい先ほど墓地で待機する傭兵たちのもとへ連絡に走った娘がそうだ。
彼女はヴィオレッタにとっては友人でもあるシャリアという娘。元来が暗殺者であったためか、こういった役割はお手の物であるらしい。
「アル、少し話がある」
先行し連絡を行うシャリアが見えなくなった頃合いで、先を急ごうと進む歩の速度を上げる。
しかしその直後隣へと並んだ影は、僕の肩を掴み低い声で呼び歩を遅らせる。
「レオか。どうかしたのか?」
「どうかしたかじゃない。俺はまだ納得していないぞ」
足音を忍ばせ進む僕の横に並んだのは、濃紺の外套を被り腰には珍しく小振りな得物を差したレオであった。
前を進む賊連中とは少し距離が離れているため、小声であれば気付かれる事もないはず。なので今この機に話をしておこうと、わざわざ隣へと移動してきたらしい。
彼は不機嫌な口調を隠すこともなく、隣を進みながら横目で僕を一瞥する。
「アイツでは無理だ。囮役などできる性格じゃないのは知っているだろう」
「それは勿論。普通なら誰か別の人間を代役にするよ」
「ならどうして……」
「彼女自身がやると言ったからさ。断る理由はない」
レオが不満気に口にしたのは、墓地を管理し一日のほとんどをあの場所で過ごすリアーナについて。
本来なら日没後は帰宅しているはずの彼女だが、あえてこの日は墓地へ泊まり込んでいる。
というのも賊連中を誘き寄せる餌として、リアーナ自身をも活用するために。
ああいった無法の輩が金や食料を手に入れたなら、次に長旅の最中欲するモノなど知れている。
長い道中に退屈せぬよう弄ぶ対象、つまりは女だ。
そのため僕は危険を承知の上で、リアーナもまた連中を誘き寄せる餌としたのであった。
当然のことながら、自身を兄と慕ってくる彼女が危険な目に遭うのを黙っているレオではない。最初の頃であればいざしらず、今はそれなりに可愛がっているのだから。
しかしその話を切り出した時、リアーナは自らの意志で協力を申し出たのであった。
「ようやくリアーナが自分の意志を表に出したんだ、そこを尊重しないでどうするんだ」
「だが……」
「彼女はレオの役に立ちたいんだよ。慕われてるじゃないか、お兄ちゃん」
僕はそれでも喰らい付くレオへ向け、冗談めかして軽く指先で小突く。
想像した通り強硬に反対を口にしたレオであったが、彼の口を黙らせたのはリアーナ自身の言葉であったため。
曰く、「兄さんたちの力になれるのであれば、自分はどのようなことでもする」と。
意外なほど力強く、真っ直ぐな瞳を向けそう告げた彼女の言葉に、レオはその場で更なる反対の言葉を継げずにいた。
彼女の気質を考えれば、いかな世話になっている傭兵団や兄と慕うレオの助けとはいえ、率先して騒動に首を突っ込むとは考え辛い。
なので彼女がそれ以外、僕がこの件を持ちかけた一番の理由と、同じモノを考えていたのではないかと邪推した。
「ついでに言えば協力を申し出たのはリアーナ自身、希薄な危機意識ながらもわかっていたからじゃないかな」
「……どういうことだ?」
「このままだと、自分が原因となって移り住んできた人たちと騒動になるってね。いずれにせよ、今のうちに予防策を取っておく必要はあったよ」
顔を顰めて問い掛けるレオ。それに対して僕が返したのは、想像ながらもリアーナが考えていたであろうこと。
僕が先ほどエイダへと告げた、"懸念していた件が一つ片付く"という言葉。それがこれに関するものであった。
抜けるように白い肌と、同じく純白の長い髪。そして輝く黄金色の瞳。
他に類を見ない特異な容姿をする彼女だ、中には鑑賞目的で手元に置きたがる下劣な金持ちも居るであろうし、そういった手合いに売り払おうとする人間も沸いてくるだろう。
ただどういう理由にせよ、いずれ彼女を理由にひと騒動起きるのは避けられそうもない。
ならば今のうちに彼女を傭兵団の関係者と周知させ、余計な手出しをさせぬよう牽制しておく必要はあった。
「だからこの機に、彼女は手出ししていい相手ではないと知らしめる。住民たちと上手くやっていくという面では逆効果だけど、知人友人という役割は僕等が担えばいい」
「それなら別に、アイツ自身がやらなくてもいいだろう。他の人間を代わりに……」
「あの外見だ、髪くらいならカツラでも被れば誤魔化せるだろうけど、肌や瞳の色までは誤魔化しようがない。当人にやってもらうのが一番だ」
今回公に罪人連中を罰する機会を作ってしまえと持ちかけたのは、衆人監視の中で彼女に手を出させ、それを傭兵団の人間が斬り捨てる光景を見せつけるため。
都市や騎士隊が罪人連中の扱いに困っていたことなど、話を持ちかけた側ではあるが、実際にはどうでもよいことであった。
ただ上手くその機会となりえそうであったため、都合良く利用させてもらったに過ぎない。
少々遅い時間となってしまったため、多くの人に見られるという目的はズレてしまいかけているけれど、それでも騒ぎを察知した周辺の住民たちは色々と察してくれるだろう。
迷いなく告げていく言葉に、レオは次第に口数少なくなっていく。
これから先リアーナに平穏な暮らしをさせていくために、何がしかの手段を講じておく必要はレオも感じていたはず。これがその好機であることに関しては、彼もまた否定はしないようであった。
そうして黙り込んだ彼と並んで進む内、密かに追跡を行う僕等は墓地へと近づいていく。
前方を歩く連中もまた逸る気が抑えられぬ為か、無意識であろうが自然と歩調を速くする様子が見られた。
「団長、あちらの戦闘態勢は整いました」
「ご苦労。連中が手を出す素振りを見せたら、すぐに戦闘を開始する。総員抜剣」
いつの間にやら戻って来たシャリアは隣へと近寄り、墓地で待機する班の準備が完了している旨を告げる。
それに対して大きく頷くと、僕は静かながらもハッキリとした声で、賊の背後から強襲をかける人員に武器を抜くよう告げた。




